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参考人(
浜谷英博君) 御紹介いただきました
浜谷でございます。
今回、
有事関連三法と車の両輪を成すと言われる
国民保護法案、それが正に制定されようとしていること、それから、これが制定されますと、ようやく普通の国というものにふさわしい地に足の着いた
安全保障論議というものが行われる素地が作られたという
感じがいたしております。
しかし、
防衛法制の
整備が終わったからといって
防衛体制の確立ができたというわけではありません。あらゆる
緊急事態における具体的な
国民保護計画ということについては、諸
外国が半世紀にもわたっていろんな形で地道な
努力と作業が行われてきたわけでありまして、それに比べますと、
我が国のその
法制及びその実行ということは正に端緒に就いたばかりであります。
しかし、
我が国の
防衛法制全体に今回の
法律、前回の、去年の
有事関連三法と並んで今回の
法律が大きな節目をもたらしたということだけは確かでございます。これらの
法律が有機的に作用しながら、
独立国家としての
国土防衛と
国民保護ということに向けて国と
地方自治体の
役割分担を明確にして、そしてその
法的枠組みを構築した上で万全な
有事体制というものの指針と
根拠を示しているということになるんだろうと思います。しかし、
国民保護法に関していえば、正に詳細な肉付けはこれからであります。
以降、諸見と今後必要な視点の
幾つかを申し上げたいと思いますが、ただ今回の
法案は余りにも膨大で、これを正にここに
出席されている
先生方が隅から隅まで読んだとすれば、これはその労力と
努力にただ感服するばかりでありますが、これはもう大変な量でありまして、読むのだけで一苦労という
感じでございます。時間が許す限りコメントしながら、時間が許せばそれに付け加えて、今回
合意されました
緊急事態基本法というそのことについてまでちょっと
意見を述べたいと思っております。
まず最初は、
地方自治体の
国民保護計画についてであります。
これは、
武力攻撃事態対処法の七条で国と
地方自治体の
役割というものが一応明確になっております。すなわち、国は
国家防衛、
地方自治体は
国民保護という形になっているわけであります。今回、
全国知事会とか
市長会とかいうことの
意見をほとんど前例がないぐらい、異例ともいうぐらい念入りに聞いて、そしてそれに
対応する
法制を整えたということですから、いかに
地方自治体が今後重要になってくるか、具体的には
地方自治体の
協力がなければこの
国民保護法制は成り立たないと言ってもいいぐらい重要な
部分だろうというふうに思います。
地方の
要望からは、国が基準となる
マニュアルを早急に作成してほしいという
要望とか、それから
住民避難に不可欠である
道路基盤であるとか、それから
住民避難の
収容施設の拡充であるとか、そういうものが求められたというふうに聞いております。また、
費用負担についても、国の
費用負担でそれをやろうということになったようでございます。
住民の
避難マニュアルというのはこの後すぐ消防庁が作成するというようなことになっていると聞いていますが、しかし
具体化となると、
地方の
発想、これが不可欠でございます。
と申しますのは、
日本が御
承知のように島国であって、
国土面積が狭い割には、いわゆる非常に自然の
特有の、
地方特有のものが多いということであります。この
地理的条件とかそういうものに
配慮したそういう
法制でなければ、具体的に
実効性が望めないということは当然考えられるということでございます。
平野部、
山間地、それから砂浜、岩礁、いわゆる
海岸線があるないに至って、いろんな形の自然があるということであります。すなわち
保護法制、いわゆる
住民の
保護法制には
地方分権的な
発想というものが正に不可欠であるというふうに考えております。その
地方分権的なことからいえば、正に条例でそれを具体的に決めていくということも一つのアイデアだろうというふうに思います。
また、一
地方公共団体で
対応可能であるかどうかについては非常に疑問な
部分もかなりございます。今後、
県内外の複数の
地方自治体というものとの
相互協力ということが不可欠になるだろう、いわゆる
広域的措置というものも重要になるだろうというふうに思っております。
しかし、そのためには、現場の
責任者である
知事の
権限強化ということが確かに望まれていましたし、またそのようにもなっているわけではありますが、これだけでは何も動かないというふうに思われます。強化された
権限に
対応するだけのいわゆる
マンパワー、それから各種の機器、機材とか設備、
施設、こういうものが
整備されない限りはほとんど
実効性は上がらないだろうというふうに思われます。
また、
首長さんには、今後、
緊急事態、そういうものに際しての
対応能力であるとか、それから迅速な
決断力であるとか、それから
行動力であるとか、そういうものも不可欠の要素になるというふうに思います。地域の実情に熟知した
地方自治体の
首長が的確に判断した
対応というものに勝るものはないだろうというふうに考えるからでございます。
いずれにしろ、今後、いろんな形の
計画に基づいて、警察、消防、
海上保安庁、それから
自衛隊等々、これを有機的に連携させつつ、
自主防衛組織であるとか
個人参加とかそういうものの
総合訓練というのを定期的に行いながら、課題の改善を図って啓蒙していく必要があるというふうに考えます。
次は、
指定公共機関等の
国民保護の
業務計画について若干の指摘をしたいと思いますが、この
指定には
当該機関の
意見を聴きつつ総合的に判断するということが
政府見解のようでありますが、つまり、
指定には
当該機関の意向が尊重されるということなんであります。
ただ、
国民保護計画というものの
実効性ということを最優先に判断した場合は、その
指定の拒否というものが
計画全体に致命的な空白を生み出す
可能性がないかということが多少危惧されるわけであります。
とりわけ
放送事業者につきましては、これは警報、
避難の指示、それから
緊急通報、こういうものを放送する
義務というものが生じます。NHKを除いて、民間放送連盟は、いわゆる報道の自由が脅かされるおそれが否定できないということで除外の要請をしているというふうに聞いておりますが、確かに、ジャーナリズムの政府に対するチェック機能ということを重視する姿勢というものからはこの考え方はごく当然の考え方でもあろうと。
しかし、
指定の目的の中に、
国民に対する正確な情報と指示を迅速かつ広範に与える、そして犠牲と被災というものを最小限に抑えようとするというところにもその目的があるとすれば、これに対する
配慮、すなわち情報に触れる機会が多いにこしたことはないということでありますし、この点、民間放送としても十分な
配慮が必要ではないかというふうに思います。いたずらに取材、報道の自由を振りかざして、いわゆる取材、報道の自由の背景にその主張の
根拠としてある
国民の知る
権利というものを危うくする機会があるとすれば、これは何にもならないということであります。
それから、
国民の
協力ということと私権の
制限ということにも若干の指摘をしておきたいと思います。
これは、
国民協力についての基本的スタンスでありますが、必要な
協力をするよう努めると、
国民の方がですね、それから強制されることがあってはならないというふうに
規定されております。そして、自主防災組織であるとかボランティア団体、これらに自発的な支援を国が行うと。
ただ、考えますと、
災害対策基本法の事例を挙げても、いわゆる災害時の
住民への従事命令とか
協力命令、保管命令というものが
規定されておりまして、これには罰則まで付いております。そう考えますと、有事
対応とのバランスというものが果たしてどうなのかということが一つ指摘できるかと思います。
後にも述べますが、諸
外国のいわゆる民間防衛とかそれから市民防護、こういうものの実態から考えますと、
緊急事態時の
国民協力というのは言わば
義務化されているというのが一般でございます。この事実をどのように考えたかということでございます。
逆に考えますと、これほど自由と
権利が保障され、なおかつ
国家の独立と
国民の安全とが確保されるということであれば、ひょっとして
日本のこの
国民保護法制は世界一ではないかというふうにも考えられるわけであります。これ、いわゆる
国民の
権利が犠牲にならないでその安全が保たれるということがこれはベストなわけでありますから、その意味では
日本の
法制が世界一ではないかという感想を持ったということであります。これは、
実効性の確保ということを考えますと、正に失敗が許されない分野でありまして、そこから考えますと再検討の余地があるのではないかということであります。
それから、こういう形で
国民の自由に
配慮したというのは、与党と民主党との間の言わば
合意があったということが言われておるわけでありますが、有事の際の
国民の自由と
権利の
制限は最小限にする、それから
憲法上の
基本的人権は最大限に尊重すると。
しかし、この
原則というのは、これは立憲主義の建前からすれば言わずもがなの、ある意味当然のことなわけであります。この
合意があったからこそ、このいわゆる自発的意思とか非強制と言われるものが
規定されたというふうに考えるのは余り合理的だとは思わないということであります。もし仮にそうなら、いわゆる
合意のない
法律では
人権保障の効力というのは薄弱になるのかということであります。また、
憲法上の基本
原則と
国民の
保護と
国民の
権利の尊重というものが立法のたびごとにこれは確認する必要があるのかということにもなってしまいます。
そもそも
我が国の存亡にかかわるような
事態を想定して、そして、その際の
国民保護というのを目的にして作られた
法律であるならば、いわゆる被害を局限化して
避難住民の混乱を回避するということが最大の目的でありますから、そういう意味では、一定限度の私権
制限とかその
国民協力を求めるということは逆に大多数の
国民の方が理解しているんではないかというふうに思います。いかに心地よい美辞麗句を並べたからといって、
国民保護という、また国の独立の確保という、そういうものができなければ何のための
法制かということになってしまうわけであります。
それからもう一点は、いわゆる民間防衛、市民防護、いろんな言葉がありますけれども、我々
国民の
保護ということであります。
これは、御
承知のジュネーブ
条約に基づいて採択されました二つの
追加議定書の第一
議定書の方に書かれていることであります。これは御
承知だと思いますので一々定義は述べませんが、この民間防衛の書かれた
議定書の
締約国はもうほとんど世界の四分の三を超えておりまして、ほとんどこの
人権条約の重要な
部分を占めているということが指摘されております。
すなわち、民間防衛というのは何か言葉のニュアンスから、何か
国民が武器を取って戦わなきゃいけないようなそういうことが想定されてしまうわけですが、決してそういうものではないということであります。すなわち、
行動する主体を問わず、あくまで文民
保護という目的に限定して行われる諸活動であるということでありますから、これを徹底して尊重するということは当然であります。
国民保護、これが国は専らその国防に専念する、それで
地方公共団体は
住民の安全確保に重点を置くということで考えますと、いわゆる
地方自治体の
行動というのは正に民間防衛活動、市民防護活動の概念にほとんど一致するものである、一致する
行動であるというふうにも見ることができます。国はあらかじめ
国民保護に対する
基本方針を定めて、それから
地方公共団体はその
区域内における民間
保護措置、これを総合的に推進するということになりますと、これは当然
知事レベル、市町村
レベルでの
首長の強い
権限が必要になって、それが付与されたわけであります。現場
責任者としてのその卓越したリーダーシップと危機管理能力というのが求められるようになりました。
しかし、この
権限自体を強化することはいいんですが、そのいわゆる
実効性のある具体的
行動を支えるためにはその人的、物的資源というものが必要であって、この点については甚だ心もとない
感じがいたします。実際上、
知事や市町村長にはいわゆる
国民の生命、財産を擁護するための必要な知識、それから経験、装備、資源、こういうものがほとんど備わっていないというのが実情であります。すなわち、
避難とか救援に不可欠な機構や要員ですね、さらには情報や財政的裏付けということなども言わば皆無に等しいのではないかというふうに指摘されております。
したがって、
権限にこたえる実動
部隊、これの欠如というものはひょっとしたら
権限自体を有名無実化してしまいかねないというふうにも考えるわけであります。すなわち、各
首長に一定の
役割といわゆる責任を持たせるのであれば、その下に人的資源をいかにして確保するか、それにこたえる人的資源をいかに確保するかということは問題であります。そうなりますと、正に重要なのは民間防衛のその組織の確立といわゆる活動だということになります。
今回の
修正で訓練にも防災を含むということが入り、また
国民保護協議会と防災会議が兼用されるということなどを考えますと、いわゆる今現在ある自主防災組織というようなものが市民防護という目的を付与されて、そして有効な活動をするということは正に目的拡大で済むわけですから、こういう方法も一つ検討されてしかるべきではないかというふうに考えております。
日本の防災組織の組織率というのは約六割強等々であります。しかし、組織率の高さだけでは、これは物の実態が測れません。すなわち、組織の質の問題がございますから、それを十分今後検討してみるべきではないかというふうに考えます。
時間が迫っておりますので、
緊急事態基本法のコメントについては一点だけ、また質問のときにでも御紹介したいと思いますが、一点だけ、国会の関与という問題について述べたいというふうに思います。
緊急事態の
対処に当たっては、開始と終了に国会の関与を求める、これは適切であろうというふうに思います。ただ、国会の関与という議論が、従来の議論はほとんど事前であるか事後であるかの議論に終始して、ほとんど不毛でございました。これはどっちでも結果的には同じことであります。すなわち、ここで重要なのは、国会の
承認というものがいわゆる政府の政策に対して責任を共有するという、こういうことだということですね。そう考えますと、いわゆる国会の
役割とは何か。いわゆる、そうすると議決の内容とか議決の性質ですね、決議の性質ですね、こういうものに合わせて国会関与を言わば多段階で
規定するということは重要であろうと。すなわち、国会への報告から国会の
承認、さらには国会拒否権というところまでいわゆる多段階で考えておく必要はなかろうかということであります。
例えば国会の
承認ということを考えても、事前
承認というものについては有効期限が必要ではなかろうかと。これは元々の持論でございますが、いわゆる有効期限であります。すなわち、ほうっておけばその有効期限で消滅してしまうという。現在、それがなければ、いわゆる国会の
承認というものは行政府の
行動にいわゆる白紙委任状を渡してしまったようなもので、その後のチェックはできないということであります。それで、更新
手続を満了前に取らなければ自動的に消滅する効力ですから、当然行政府側はある程度の情報を提供して、そして国会の言わば更新
手続を取ろうとする。そうすると、国会が情報空白からも救われるだろうというふうに思います。
また、事後
承認ということにつきましても、これはほとんど
承認までの時間が明確にはなっておりません。よく新聞報道なんかでは二十日以内に
承認を求めると書いておりますが、あれはちょっと誤解をするんではないかと思います。二十日以内に国会へ付議するだけで、そこまでで、
承認はないのであります。すなわち、付議すればいいわけであって、国会の
承認はそれから何か月掛かろうが、これは
規制がありません。そうすると、その間に
事態が終わってしまえば、何のための国会
承認かということになるわけであります。あれだけ厳格な三権分立体制を取っているアメリカですら、議会の審議には、こういう
軍隊を投入するような場合には期間の
制限を設けて議論をするということになっておりますから、これもよく考えるべきではなかろうかというふうに思います。
それから、最後は国会拒否権でございます。国会拒否権というのは、最近ようやく各
法律の中に
事態の終了というものが国会の議決だけで終了できるという条項が入りましたから、これは、僕は国会拒否権と名付けているんですが、これがようやく普通に考えられるようになった。そうすると、この国会拒否権を使いながら国会が有効にいわゆる政府の政策をチェックできるということになります。これはほとんど乱用も考えられない。なぜならば、一回、国会の
承認を与えたものを取り消すわけですから、すなわち賛成した人の大多数が反対に回らないとこの決議自体が通らないわけであります。したがって、乱用のおそれもないし、また一種泥沼化したような
状態で政府がその
対応を苦慮しておるときに、政策転換を図るための一つの手段としても考えられるということでございます。
こういう形でいろいろアイデアはあるわけですが、これについては来年の通常国会というもので検討されるということですので、これから私も注目してまいりたいというふうに考えております。
どうもありがとうございました。