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長浜分科員 予算の
分科会ではございますが、予算をつけるという発想ではなく、ぜひ
教育の場としてそういった大会等々を活用していただければということもあわせてお願いをいたしたいと思います。
さて、新聞をこの間見ておりましたら、これは奈良県の
教育委員会でございますが、二月二十六日付の新聞を私は見ました。一、二年生に英語を教えることを決めた。これは正規の授業時間外に実施をする。
いわゆる総合的な学習の時間というのは御承知のように三年生からでありますから、そういったものとは色合いがちょっと違っている。
教育の特区の認定を受けて導入される
ケースなどはあるが、自治体が独自に実施するのは聞いたことがない、これは
文部科学省教育課程課のコメントということでここには紹介をされているわけでございます。学習指導要領で正規の授業時間を英語に当てることはできないため、そして三年から始まる総合学習につなげる
意味合いというようなことで載っているわけであります。
そこで、はたと私は考えたわけでありますが、この義務
教育という問題、憲法にも書かれているところでありますけれ
ども、義務
教育、小学校における
教育の中で、何をもって義務となすか。
小学校では微分積分は習いませんでしたが、私も微分積分は、文科系ですけれ
どもやりました。しかし今、日常生活の中で微分積分が大変役に立ったと思われることは正直言って余りございません。それより私が痛感をすることは、きょういらっしゃる先生方は問題はないと思いますけれ
ども、国際会議に出たときに、どうしてもっと流暢にしゃべれないのかなと。
このごろ、六カ国協議で、中国の王さん、外務次官ですか、出ますが、彼は
日本語ぺらぺらですからね。通訳で、一応ああいう場でございますから、当然自分の国の
言葉でしゃべって、相手がそれに答える。しかし、そんなものは、通訳を通さないでも、下手な通訳よりよっぽどあの方は
日本語が全部できますから、その間、考える時間を得ることができる。非常に外交の
状況の中においても有利な条件を得ているんではないかな。
私も長らくサラリーマンをやっておりましたけれ
ども、私が在籍したような会社では当時では考えられませんけれ
ども、英語の試験があって、それに通らないと課長になれない、そういったことで随分悩んでいる同級生がいるのに、同窓会なんかに行くとびっくりしました。私のころは、私も体育会でありますけれ
ども、とにかく体が丈夫で、上の言うことは何でも聞く、そしてどんなつらいことでもやり遂げる、こういうのが非常に就職にとっては有利な条件でありまして、ですから、私のような体育会系はどこへでも就職できるというような
状況でありました。多分そのときのニーズだったんでしょう、それがいい悪いということではありませんけれ
ども。
今の
状況から、これから将来のこと、特にインターネットが発達をする
状況の中で、ホームページ等々を見てもおわかりになるように、どうでしょうね、七割から八割ぐらいはオリジナルは多分英語でしょう。
日本の中で随分インターネットが盛んだと言われても、たかだか限られた一億二千万のパイの中で
日本語という特定の言語を使ってやっていることでありますから、あのときもっと英語を勉強しておけばなあということを感じておられるサラリーマンや政治家や、あるいは官僚の皆さんも多いのではないかなというふうに思うわけでございます。
私の昔の同僚で、今は神奈川の知事になっていますが、松沢君が、中学校における英語
教育じゃなくて、小学校における英語
教育の必要性を本まで書いて大分熱心にやっておりました。私も小
学生の子供が二人おります。この子供たちが、勉強しろと言っても、英語を勉強ととらえると、漢字の書き取りとか計算練習帳と同じように、英語の勉強というふうな、勉強と同列で考えるとなかなかやってくれないのはよく理解をしておりますが、将来、お父さん何であのときこう言ってくれなかったのと言われるものの順位づけをすれば、なぜ早い時期に英語の必要性を認識させてくれなかったのかと言われるように思えてならないわけでございます、それは微々たる私の経験からでもございますが。
小学校から英語を義務
教育にする。シャワーのように、八歳ぐらい、小学校一年生、二年生、そういった段階から音で覚えさせていく。書けないけれ
ども、識字率のことをきょうは言うつもりはありませんけれ
ども、諸
外国の中においても英語を勉強したから英語がしゃべれるわけではなくて、周りにあるから何となくしゃべって、そのうち覚えていく。子供の
日本語を見たってそうです、書けなくてもしゃべれるわけでありますから。
そういった
意味で、偏狭なナショナリズムとか、あるいは独特な、アメリカに屈するというような議論とか、大体アメリカでも使っているのは米語かもしれませんが英語と言われる種類のものでございますから、そういった
観点からドラスチックに、学問としての英語ではなくて道具としての英語ということで、小学校から義務
教育化するお考えはございませんでしょうか。