○塩崎
委員 自民党の塩崎恭久でございます。
今、上田議員から最後に
質問のありました不動産競売手続の売却基準価額の設定について
質問をさせていただきたいと思いますが、その前に、昨年の一月に房村局長の同僚でもありました原田審議官が急逝をいたしました。もともと商法を主に担当されておりましたけれ
ども、総括的な立場の審議官ということで、この問題についても一緒に議論をたび重ねてまいったわけでありますけれ
ども、大変スポーツマンで、非常に気立てもいい方で、一緒に仕事ができる人だなと私も思っていたわけでありますけれ
ども、道半ばにしてああいう形で急逝をされた。非常に残念な思いをしたのが去年の一月だったと思うんですが、彼が他界されてからこの議論が結局こういう形で決着を見たということで、天国の原田さんはどう思っているかなという感じがいたすわけでございます。
今、本質的なことを上田議員がおっしゃったと思うんですが、そもそも、この最低売却価額の存在について、我々自由民主党の中で、
平成十年、先ほど
平成十年というのは繰り返し出てきましたけれ
ども、一九九八年の土地・債権流動化トータルプラン、後の金融再生トータルプランと我々呼んでいるものでありますが、その中の議論で、この最低売却価額がネックになって競売
制度が機能不全になっているんじゃないか、そして、特に銀行の不良債権処理のネックになっているのがこの
制度なんじゃないだろうか、したがって、ぜひとも最低売却価額の
制度そのものを廃止すべきじゃないかという議論をさんざんいたしました。
もちろん、その逆に、いや、いろいろ執行妨害等々あるからという話もあって、そのときに結論が出なかったわけでありますが、不動産の市況は、皆さん御案内のように、バブルの崩壊の後急落を続けて、ここに来て下げどまりを見ているわけですね。ようやく下げどまってきているわけでありますけれ
ども、最低売却価額の問題は、今申し上げたように、六年も前に私たち政治の場が問題提起をした。しかし、
法務省としては、やはり慎重な議論が必要だということで審議会でいろいろやって、結局、A、B、C案ということでありましたが、今回はそのA、B、C案のどれでもない、二割減価の
制度を導入する、こういうことになったわけであります。
結局、六年たって今下げどまったころに、事実上、最低売却価額の
制度を廃止するに等しい、廃止とはさっきはおっしゃらなかったけれ
ども、この法案を今回上げてきたわけでありますけれ
ども、言ってみれば、これは、雨がどしゃ降りで降っていた後、やっと雲の間から晴れ間が出てきたときに、さあ、では傘でも買いに行くか、こんなような感じがいたすわけであって、
法務省を責めてもいけないので、我々政治の場で
指摘しておきながら、それをちゃんと最後まで
制度化しなかったというのは、我々政治もやはり責任を感じなければいけないんじゃないかなというふうに思うわけであります。
当時、デューデリジェンスという言葉はほとんどの人は知りませんでした。今、デューデリ、デューデリといってだれでも言うようになりましたけれ
ども。例えば、百の簿価のものを十で売っちゃう。そうすると、引き当てがもしゼロだとすれば、九十損が出るね、この損を国税庁が損として認めるかどうかというのが、まさにこの十という価格をどう見るかという問題だったんだろうと思うんですね。
当時は、国税庁は、そんなものはとんでもないということだったんですが、しかし、我々の議論を聞いて、これはやはりひょっとするとということで、実は国税庁も、不動産鑑定士協会とかあるいは公認会計士とか、そういう人たちが一緒になって、このデューデリジェンスのプロセスで決まる値段の言ってみれば正しさというものを税の
世界で見てみようじゃないか、こういうことをやってくれたんですね。
当時は、何しろ地価がどんどん下がる、しかし、それにどういう値決めをしていったらいいのかよくわからないというのが、全国どこへ行ってもそうだったんですね。例えば、共同債権買取機構なんというのができて、これは民間の銀行なんかが集まって株式会社でつくった不良債権の買い取り機構だったわけでありますけれ
ども、そのときの値決めというのは、ほとんど簿価に近い、お情け程度の引き当てを引いてやる。
ところが、それは市場の実態に全く合っていないものだから、結局、何が起きるかというと、共同債権買取機構に形だけは不良債権が行くけれ
ども、実は銀行がひもつきでそれを管理する。そのときは不良債権の霊安室と呼ばれていたんですね。それを、今度は、要するに値段が高過ぎたわけですね、本当は百のものを十で買わなきゃいけないのを、七十とか五十とか、そんなので買っていた。ですから、そこから先、何にも行かないということだった。
今度は、RCCというのができて、さすがにこれは反省をしたんですが、反省の振り子が逆に行き過ぎて、本当は十で買わなきゃいけないのに三で買ってみたり四で買ってみたり、何のことやらよくわからぬという、市場と全く
関係ないことをやっていて、今、割合現実的な値段をつけるようにRCCもなっているということで、この値段の問題というのは実は極めて重要な問題なんだろうと思うんです。
私は、基本的には、先ほど上田議員がおっしゃったように、執行妨害の
行為を規制するということは、これは当然やらなきゃいけない、しかし、それと値決めとは別だろう。それはそれでやらなきゃいけないし、それをほったらかしておいて、それが直らない限りは値決めは今まで
どおりやりますよというんだったらば、談合は本当は悪いんだけれ
ども、課徴金は余り上げないでねみたいな、そういう話につながるような話であって、本質論ではないんじゃないかなというふうに思っているわけであって、市場の失敗をどう直していくのかということをやはり
政府はちゃんとやって、後の値決めは、それはさすが頭のいい裁判官といえ
ども、経済実態で、この土地を何に使うのか、この不動産を何に使うかなんというのが、別にそろばんはじいて決めているわけでも何でもないし、不動産鑑定士でも、そういう商売をやりながら、必ずしも値決めをしているわけじゃない鑑定をされるわけですから、それはもうよくわからない。やはり市場で需要曲線と供給曲線がぶつかるところが正しい値段だろう、こういうことだろうと思うわけであります。
法務省はよく、たまたま安値落札をしたときに、後順位抵当権者とか債務者が損をするというようなことでありますけれ
ども、考えたら、これは一般の不動産取引の際でも、任売なんかの場合でも同じようなことが起きているので、競売においてのみ守らなきゃいけない利益でもないということじゃないかなと思うんです。
きょうは個人演説会じゃありませんので、この辺でお話はやめたいと思いますが、
法務省がつくった文書を見ると、例えば誤差の範囲とか、それから、さっきも民事局長お使いになられましたけれ
ども、不当に低い価格、その不当とか誤差というのは、要するに正しいか正しくないか、あるいは不当か正当か、あるいはいいか悪いか、そういうことで実は値段というのは決まるんじゃないんじゃないかと思うんですね。価値観とか倫理観とかいうもので決まるんじゃなくて、やはり市場の条件だけを整えてやって、あとは民間に任すというのが本来の姿なんだろうと思うんです。
そこで、最初の
質問でありますけれ
ども、先ほど、二割の根拠についてでありますが、何で二割減価を決めたのか、この根拠は何なのか、三割じゃいけないのか。私は実は三割を主張したわけでありますけれ
ども、三割じゃ何でいけない、あるいはどこかでひっかかるのがあるのか。松山とか高知とかの数字を出してくださって、二割でも三割でも余り変わらぬぞ、こうおっしゃりたいんでしょうが、本当に変わらないんだったら、では二割も要らないんじゃないか。その点、いかがですか。
〔森岡
委員長代理退席、
委員長着席〕