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只野参考人 只野でございます。本日はお招きいただきましてどうもありがとうございました。
私、これまで
二院制について
幾つか論文を発表したりしておりますけれども、本日は随分詳しい
資料を事前にいただいております。その中に、きょうお話ししようと思っております重要な視点が随分含まれているように思います。ですから、私の話というのは、むしろそれらを再
構成して改めて提示する、そんな形になろうかというふうに思います。
お手元に簡単なレジュメと
資料がございますので、そのあたり、ごらんになりながらお聞きいただければというふうに思います。
最初に引きました、第
一院は、第
二院と一致するなら無用であり、一致しないなら有害である、これは
二院制を論ずればよく引かれる言葉でして、趣旨は明瞭であります。二つの
議院を設ける以上、第
二院については第
一院と異なる
独自性が必要になる。両院の行動が一致してしまいますと、第
二院の存在は無用となってしまう。そうなりますと、どう
独自性を発揮させるのかということが問題になってまいります。
通常、まず考えられますのは、例えば
代表方法を変える、あるいは
選挙制度を変えるということで、
構成を異ならせる、こういうことであります。
この場合、
構成が大きく異なりますと、第
二院が第
一院の
決定を阻止する、こういうことが生じてまいります。これはもちろん
独自性と呼ぶこともできるわけですが、その場合同時に問題になりますのは第
二院の
正当性ということではないだろうか。特に、民主的な
正当性が劣るような
選挙制度で
独自性が生み出されるような場合、なぜ第
二院が第
一院の
決定を阻止できるのかということがあわせて問題になるように思われます。
こうした
独自性の発揮が問題にならない場合もあると考えられます。これは後で若干申し上げますけれども、例えば
連邦国家の場合でして、この場合には第
二院が
独自性を発揮するということの根拠、非常に強い
正当性が
憲法上存在しているということになろうかと思います。
これに対して、そうした
正当性を持たない
単一国家における第
一院の場合、第
二院の
独自性をどこに求めるのか、それから、
独自性が発揮された場合のその
正当性の問題、これをどう考えるかということがやはり大きな問題になってくるように思われます。これはとりわけ、
日本の
参議院に当てはまる問題であろうかというふうに考えるわけです。
そこで、まず、
日本の
参議院について考えます前に、一般に
二院制というものにどういうものがあるのか、それから
二院制というシステムにどういう意味があるのかということにつきまして、
皆様方よく御存じかと思いますけれども、改めて私なりに整理をいたしたいというふうに思います。
まず、
二院制についてはさまざまな
分類の仕方が存在しております。これは、どのような基準で
分類を進めるかということによっていろいろあるわけですけれども、例えば、一般的なものとしましては、
国家類型といいますか、あるいは
政治体制から
分類を試みるということが考えられます。
こうした
分類としては、一般に
貴族院型、
連邦国家型、そして
単一国家における第
二院、こうした
分類がなされるのが一般的ではないかというふうに思うわけです。
このうち、
貴族院型につきましては、これは歴史の中の
過渡期に生じてきたものでありまして、現在は数が少なくなっておりますし、
イギリスのように存在する場合においても、第
二院の権限は大幅に縮小されております。
恐らく、第
二院が一番大きな
存在意義を持ち得るのが二番目の
連邦国家の場合であろう。これはよく言われることでありますけれども、私もそう考えております。
この場合の第
二院といいますのは、個々の国民ですとか市民ではなくて、
連邦の
構成単位である、
通常は州ということになろうかと思いますが、この州を
代表する、こういう役割を担うことになります。当然、その州を
代表するということですので、
通常の例えば
人口比例等とは異なった
選挙制度によって第
二院が選挙される。
そうなりますと、非常に強い
独自性が発揮される
可能性があるわけですけれども、
連邦国家におきましては、その
連邦を
構成しますそれぞれの単位の
同意なくして
決定できない
事項というものが当然考えられましょうから、仮にそれが第
一院の
決定を阻害したとしても、ここで第
二院の
正当性という問題は直ちに生じないわけです。
これに対して、
日本のように
単一国家において第
一院を設ける場合、そこにどういう意味を読み込むのかということは非常に大きな問題になってまいります。
先ほど、
独自性とかかわってどのような
代表を考えるのかという問題があるであろうというお話をいたしましたけれども、二番目の類型の切り口といたしましては、
代表原理ということが考えられるかと思います。
通常、第
一院というのは特別な
代表原理を持っておりませんので、一応、
政治代表、こう呼ぶといたしますと、
政治代表である第
一院とは異なった
代表原理によって第
二院を選出する、そうすることによって第
二院の
独自性を発揮させてはどうか、こういう方向が考えられるわけです。
具体的に挙げますと、例えば
地域代表という
考え方がございます。これは、先ほど申しました
連邦国家の場合もここに含まれますけれども、
連邦国家までいかなくとも、
連邦制の途上にある
国家というんでしょうか、
国家を
構成する自治体に、州と呼ぶ場合もあろうかと思いますが、非常にやはり強い
自治性、
自律性が認められているような
国家においても同じようなことが考えられるだろうと思います。
いずれにしても、この場合は、人口や有権者を基礎とするのではなくて、それぞれの地域を
代表単位にする、こういう発想に立った
代表原理だということになります。有名なのは
アメリカでして、人口にかかわらず
上院議員は各州二名、こういうことになっております。例外的に、
日本と同様の
単一国家におきましても、例えば
フランスがこの
地域代表という原理を取り入れております。
ただ、私、ここにはいろいろ問題があると思っておりまして、この点も後でまた若干御
説明させていただきたいというふうに思っております。
地域代表以外にも、例えば、利益職能
代表といった
考え方も存在しております。こちらの方は、やはり、個人以外にも社会を
構成する要素が存在するであろう、そうした要素をいかに
代表するのか、こうした発想に立った
考え方でありまして、さまざまな個人以外の要素、例えば、社会的な階層ですとか、あるいは経済
活動の単位であるとか、あるいはある種専門的な能力を持った人たちの集団であるとか、そういった個人以外の要素を
代表に
反映してはどうか、こういう
考え方であります。
ただ、こちらにつきましては、非常に大きな問題がございます。つまり、適切な
代表の指標といいますか、これをどう見出すのか。特に、普通選挙ですとか平等選挙といった原則と調和する形で利益職能
代表を考えるということは非常に難しい部分がございます。
そこで、先ほど
フランスの話をいたしましたけれども、例えば
フランスでは、
二院制を設けた上で、それとは異なる形で、諮問
機関という形で、経済社会評
議会という利益職能
代表的な
機関を設ける、こういう位置づけになっております。
このように、
幾つか異なる
代表原理というのを考えることはできるわけですけれども、いずれにしても問題になるのは、それらをとらない場合、あるいは
憲法上それらをとることが難しいと考えられる場合、いかに
政治代表という枠の中で第
二院の
独自性、特に
単一国家における第
二院の
独自性を考えるのか、こういうことになってまいります。
一つ考えられますのは、言うまでもなく、
選挙制度あるいはその任期といった点であろうかと思いますが、もう一つ重要なのが、恐らく、両院の間の権限配分をどう行うかということになると思います。
権限配分から見た類型というのは、これは非常に簡単でして、
通常は対等型と不対等型というものが区別されます。
対等型といいますのは、両院に同等の権限を与えて、両院の合意を
決定の条件にする、こういう場合もございますし、それから、例えば
アメリカの上院などがそうですけれども、ある特定の
事項について、上院のみに
決定権を付与する、こういった形もあろうかと思います。
これに対して、不対等型の場合、これもさまざまなバリエーションを考えることができるかと思いますけれども、例えば、立法について不対等型をとるということになりますと、両院の
意見が食い違った場合、最終的には第
一院の意思によって
決定を行うことを可能にする、あるいはそれを容易にする、こういうスタイルが考えられるわけです。
日本の
衆議院、
参議院の
関係というのは、不対等型だ、
衆議院の優越ということがよく強調されますけれども、私、この点は若干疑問に思っておりまして、この点は後でまたお話をいたしたいというふうに思います。
以上、漫然と
幾つか
分類を申し上げてまいりましたけれども、実際には、これらを組み合わせて、それからまた実際の
二院制の機能というものを考慮しながら
二院制の類型化を行っていくということが恐らく必要になろうかと思います。
これもさまざまな
考え方がございますけれども、きょうレジュメで御紹介していますのは、レープハルトという著名な政治学者による
分類であります。
御存じの方もいらっしゃるかと思いますけれども、レープハルトは、
二院制というものを、強い
二院制、弱い
二院制、それからその中間、中間的強度の
二院制、仮にこう呼んでおきたいと思いますが、この三つに区分しております。それぞれの強さ、弱さを決める要素として、一つは権限の問題、それからもう一つが、やはり、さきに申し上げました
議院構成の問題が要素として考えられているわけです。
このうち、強い
二院制というのは非常にイメージがクリアでして、まず、両院は対等な権限を持つ、その上で両院の
構成を異ならせる、こういうことになります。
構成が異なりますので、非常に強い
独自性、第
一院と異なる投票行動が予想される。しかも、権限が対等ですので、第
一院の
決定が第
二院によって阻止されるということが当然予想されるわけです。したがいまして、冒頭で申し上げましたように、なぜ第
二院にそうした権限があるのかという第
二院の
正当性の問題が生じてまいります。
そこで、この種の
二院制をとっている国としてどういうものがあるかといいますと、これはレープハルトの
分類に従いますと、筆頭は
アメリカでございまして、基本的には
連邦制を採用している国ということになろうかと思います。この場合には、第
二院が第
一院の
決定を阻止することについて、ある種
憲法上強い
正当性が見出されるということになります。
これに対して、この対極にありますのが弱い
二院制ということでして、権限の面から見ますと、不対等型、つまり第
二院の権限が弱い。それから、
構成の面から見ますと、両院の
構成は似通っている。これは、人為的につくられる場合もあるでしょうし、事実上そうなっていくという場合もあろうかというふうに思いますけれども、
構成が似通った
議院で、しかも第
一院より権限が劣る第
二院ということになりますと、なかなか
独自性が発揮されにくい、こういうことになろうかと思います。
もっとも、この種の
二院制に
存在意義がないかどうか、この点はやや検討の余地があるように思われますが、これも後でまたお話をいたしたいと思います。
日本との
関係で一番問題になりますのは、この中間ということになるわけです。事実、レープハルトも
日本をこの中間に
分類しております。これは、
日本で一般になされております
二院制の認識とはやや違うように思われますけれども、ここには実は二つのパターンが区別されております。
一つは、両院の
構成をまず異ならせる。こうなりますと、当然
独自性が発揮される余地というものが考えられるわけです。しかし、
独自性が発揮された上で、両院の意思をどう調整するかというレベルでは、基本的に第
一院の意思を優越させる、つまり第
二院の権限を劣らせるということで不対等型を採用する、こういう型が考えられます。これには
幾つかの国がございますけれども、後に述べますように、
単一国家では
フランスがここに
分類されております。
これに対して、中間的強度のもう一つのパターン、ここに
日本が実は
分類されているわけですけれども、こちらの方は、両院の
議院構成は似通っているということが前提になっております。どうやってその
独自性を発揮するかということになりますと、こちらは、
構成の違い、
議院構成の相違ではなくて、むしろ強い権限を第
二院に付与する、対等な権限を第
二院に付与することで
独自性を考えていく、恐らくこういう方向性ではないかというふうに思われます。
通常、
日本で
参議院の問題を議論します場合、両院の
構成が似通っている、したがってその
独自性が発揮されないのだということをよく言われますけれども、実は私、きょう一つ申し上げたいと思っていた点が、
構成が比較的類似しているということが果たして第
二院の
独自性を阻害するような
決定的な要因となり得るのかどうか、この点でありまして、ここは少しまた後で詳しくお話をしていきたいというふうに思っております。
以上、
二院制の
分類をいろいろお話ししてきたわけですけれども、当然これ以外にも、
二院制を採用しない国、つまり
一院制を採用している国というのがあるわけです。単純に数の面だけで申しますと、
二院制を採用している国よりも
一院制の国の方が多い、こういうふうに言われております。
ただ、これには若干注釈が必要でして、特にやはりレープハルトが指摘をしていることですけれども、ある一定以上の人口規模を持っている国では一般に
二院制が採用されている例が多い。具体的に申しますと、人口規模一千万人という数字を挙げていたかと思いますが、一千万人を超えますと
二院制が採用される例が多い、こういうことであります。
もちろん、
一院制が採用される場合であっても、
二院制に類似したメカニズムが政治機構の中に組み込まれている場合は多いわけです。例えば、比例
代表制を採用する、少数
代表的な機能を強調する、あるいは地方分権を進めるとか、あるいは議事手続で少数派を優遇する、さまざまなメカニズム、
一院制の中でも考えることができます。しかし、人口規模がある一定の限度を超えると
二院制を採用する例がふえてくる。
これは経験的な問題でありまして、理論的に
説明することはなかなか難しいのですけれども、私は、それがゆえに非常にこれは重要な事実ではないかというふうに思っております。
つまり、
一院のみでは酌み尽くせない民意というものが存在するのではないか。人口がある一定規模を超えた場合、ある一定規模の政治共同体を考えますと、民主的に選挙された一つの
議院だけですべての民意を
代表するということにはやはり限界が生じてくる。そういう中で経験的に生み出されてきたシステム、これが
二院制ではないだろうか、こんなふうに思うわけです。
いずれにしましても、その上で
二院制を考えてみますときに、重要なのは、これも先ほど申しましたように、第
二院の
独自性と同時に、その第
二院の持っている
正当性、特に民主的な
正当性ということになろうかと思います。
第
二院が民主的にやや劣る制度によって選挙されて
独自性を発揮するということになりますと、最終的には、やはり第
一院に強い権限を与えて、第
一院が最終的な
決定権を持つ、こういうシステムをとらざるを得なくなるだろうというふうに思うわけです。
この場合、両院の対立ということは頻繁に生じるかもしれませんし、最終的に第
一院が独自に
決定をするということになるんですが、果たしてこういった対立型といいますか、正面衝突を繰り返すような
二院制が本当に好ましいのかどうか、これは一つ考えてみる余地のある問題ではないかと私かねがね思っております。
それから、その裏返しになりますけれども、両院の
構成が似通っているということが本当に第
二院の
独自性を阻害する要因になるのかどうか。当然、これに答えるためには、第
二院の
独自性というものをどういう意味で考えるのかということを考えざるを得ないわけです。
以上、
二院制一般についてお話をしてまいりましたけれども、今度は、それを踏まえて少し具体的な例を考えてまいりたいというふうに思います。
まず
参議院をということになるわけですが、
参議院に入る前に、もう一つ、
日本と同様に
単一国家における第
二院を採用しております
フランスの例を挙げてみたいと思います。これは、たまたま私が
フランスのことを研究してきたということもございますが、
日本との
関係を考える上でも、
フランスの第
二院というのはなかなか興味深い素材になるのではないか、かねてこう考えているわけです。
一枚物の簡単な
選挙制度に関する
資料がございますので、そちらをあわせてごらんになりながらお話を聞いていただければというふうに思います。
現在の
フランス憲法のもとでは、第
二院、これは元老院と普通訳すようですけれども、この元老院には地方公共団体の
代表、つまり先ほど申しました
地域代表としての地位が付与されております。
問題は、その
地域代表、つまり人ではなくて、人口ではなくて、地域を
代表するということをどう実現するかということでありますけれども、この点で
フランスは実は非常に独特な制度をとっております。つまり、間接選挙ということになります。具体的に申しますと、各県ごとに、その県選出の
国会議員、それから各種の地方
議会議員が集まって、選挙人団を
構成して元老院議員を選挙する、こういうシステムであります。
フランスの地方自治制度というのは、若干複雑なところがございます。三層制になっておりまして、一番下に基礎自治体であるコミューン、これは
日本でいうと市町村に当たるでしょうか、それからその上に県があり、さらに広域自治体として地域圏というものがその上に存在しておりますが、数の上から申しますと圧倒的多数を占めるのがこの基礎自治体であるコミューンでして、総数では恐らく三万六千程度、これはヨーロッパのすべての基礎自治体を集めたより多い、こう言われております。
日本の基礎自治体の十倍以上ということになりますが、数の上ではこのコミューンが圧倒的多数を占めるわけです。
地方公共団体の
代表を保障するということになりますので、少なくともそれぞれの自治体に最低一定数の選挙人を配分しなければならない、こういうことになります。そうなりますと、コミューンの
代表が選挙人団に占める比率というものが非常に高くなってまいります。三万六千基礎自治体がありますと、当然人口の不均衡というものも非常に大きい。一番大きいのはパリで、二百万を超える人口を持っておりますけれども、小さなところですと百人を切るようなコミューンもたくさんあるわけです。それらに人口に比例した選挙人を配分するということは事実上不可能ですので、実際には人口比例という観点から見ますと非常に大きな不均衡が存在しております。
その次に、若干、議席配分の表がありますので、こちらもごらんいただければというふうに思うのです。
いずれにしましても、
独自性を出すために
フランスでは
地域代表という原理を導入する、それから、その具体化の手段として、人口比例を犠牲にした間接選挙というシステムをとっております。したがいまして、これは最初に申しましたように、しばしば第
二院が第
一院の
決定を阻害するということが起こり得るわけです。
フランス憲法はそれをどう解決しているかといいますと、これも先ほどから繰り返し申し上げておりますように、第
一院の権限を第
二院に優越させる、つまり、両院の
決定が対立した場合、一応両院協
議会を開きまして、その上で最終的には第
一院が
決定をする、こういうシステムを採用しております。ただ、不対等型とはいいましても、実際上の機能の面から見ますと、第
二院の権限は実際以上に非常に強いように私には思われます。
なぜ、こうした
地域代表としての第
二院が置かれているのか、これも興味深い点でありますけれども、
幾つかの
説明が可能であろうかと思います。
一つは、これは
日本でよく言われることですけれども、第
一院とは異なる角度から民意を
反映しているのだ、こういう
説明であります。地域を
代表するというのが表立っての
説明でありますけれども、この
地域代表というのは、実際の機能の面におきましては、中央に対する地方の
代表といいますか、あるいは、さらに言いますと、都市部に対する農村部の
代表といったイメージでとらえられることも多いようです。
それから、そういった
選挙制度をとりますと、当然
議会構成の面では保守派、あるいは中道派、保守派という言い方をする方が正確かもしれません、が常に
議会では多数を占める、こういうことになります。ですから、特に
下院の方、左翼、
フランスですと社会党ですけれども、社会党が議席の多数を握った場合、両院の衝突ということが非常に先鋭化してあらわれるわけです。
いま一つの
説明、これは
日本でもよくなされるところでありますけれども、第
一院に対する均衡といいますか、あるいは熟慮の
議院といったらいいでしょうか、こういった役割分担であります。
これは、特に
選挙制度ともかかわっておりまして、間接選挙がとられているということがあって、比較的
議会構成の変化が第
一院に比べると少ない。それからさらに、議員の任期が、最近少し改正がありましたけれども、従来は九年と非常に長い。そういう中で、比較的、中道右派に偏ったような安定した
議会構成が続いている。そこで、第
一院の行き過ぎに対するある種のブレーキをかけているのだ、こういう
説明が伝統的になされてきたわけです。
さらに、加えて、地方の
代表ということもあって、その地方の問題ですとか、あるいは文化的な問題ですとか、こういった特定の領域で第
二院は一定の成果を上げてきたのだ、こう言われることもよくございます。
ただ、実際の機能ということを眺めてみますと、必ずしもそういった熟慮の
議院といいますか、中立的な役割ではない部分が随分ございまして、一番最後に簡単な表を準備いたしました。ちょっと最新のデータが入っておりませんけれども、一枚物の一番下のところですね。
フランスの政治制度というのは、大統領と首相が併存しておりまして、ちょっと複雑なんですけれども、特に一九八〇年以降、国民
議会で社会党が多数をとり、大統領に社会党のミッテランが選ばれる。その左翼政権があらわれた局面で、第
二院の政治化ということが非常に顕在化してまいりました。これは、どういうふうにつかむかというのはなかなか難しいのですが、一つの指標として、
議会に関する統計を使うことができるかと思います。
右の方にCMPと書き出してある、これは
日本風にいいますと両院協
議会、つまり、両院の意思が対立した場合、調整の場として両院協
議会がどれだけ設けられたかという数であります。期間にばらつきがありますし、扱われた立法の数も違いますので、単純な比較はできないのですけれども、八〇年代初頭を見ていただきますと、両院協
議会の開催は非常にふえている。しかも、そのうち、かなりの事例では、最終的に第
一院が単独で
決定をする、両院の対立が非常に先鋭的にあらわれる、こういう場面が出てまいります。
それから、一方、その数年後、一九八六年の半ばに選挙がありまして、
下院の多数派が入れかわりますと、今度は元老院、上院は、
下院に対して非常に協調的になる。場合によると、
審議権を放棄してまでその
審議の促進化に協調するということで、非常に政治的な動きがあらわれてまいりました。
その意味で、よく非政党化ということを
日本の
参議院についても言われるわけですが、普通選挙を前提とします限り、特に間接選挙をとっていてもなかなかこれは難しい問題ではないかと私は考えているわけです。
こういった、
選挙制度で選ばれて、しかも、時々、第
一院の
決定と激しく衝突する、場合によると、それを阻害するという第
二院の存在がありますので、
選挙制度の
あり方というのが従来からずっと問題になってまいりました。特に、左翼政権にとってはこれは悩みの種でして、一九九七年に誕生した社会党のジョスパン政権のもとで、
選挙制度の民主化、これは括弧つきの民主化かもしれませんが、試みられております。
具体的には、先ほど申しましたように、選挙人の配分に非常に大きな人口上の不均衡があったわけですが、ここに徹底して人口比例の原則を導入しようということを考えたわけです。ところが、この改革については、
憲法院から、
憲法裁判所ですが、
憲法違反という判断が一部下されております。
なぜそうなったかといいますと、人口上、非常に大きな不均衡が基礎自治体であるコミューンについては存在しております。一番人口規模が小さいところに最低限一人の選挙人を配分するということになりますと、人口規模が大きい、例えばパリのように二百万を超えるような人口規模を持っているところにそれに比例した形で選挙人を配分するということになりますと、これは膨大な数の選挙人を配分しなければならない。二十人、三十人という数ですと、
議会の議員全てを選挙人にすることで対応ができますけれども、人口比例を徹底しますとそれが難しくなる。
議会外から、いわば普通選挙によって選ばれていない人たちを補助的な選挙人として加えることでしか人口比例というものが成立しない。ここが非常に問題になったわけです。
その意味で、大きなジレンマを抱えた
二院制だ、一方で高い評価もございますけれども、そういうことが言えるかと思います。
それから、もう一つ、
フランスの
二院制について指摘したいと思いますのは、今、両院の
構成が違った場合の話をしていたんですけれども、両院の
構成が似通っていた時期、実は、この時期に、比較的有益な役割を第
二院が演じていたのではないか、こういう評価があります。
これは、私も実は同感でありまして、先ほど見ていただいた一番下の表をごらんいただくとわかるんですが、具体的に申しますと、一九七〇年代の半ば以降、大統領も、それから上下両院も、それぞれ保守中道が多数を占めるという時期がございました。両院の
構成が一致しまして、しかも、権限でいいますと不対等ということになりますから、さっきのレープハルトの
分類からいきますと、これは弱い
二院制だ、こういうことになりそうなんですが、実際は必ずしもそうでありませんで、
構成は似通っておりますけれども、両院の意思が食い違う場面というのが結構生じております。それからさらに、その上で両院が協議をして一定の合意に至るというケース、これは両院の
構成が似通っていますので、当然そうなるかと思うのですが、これがかなり生じているわけです。
そういう意味で、最初にもちょっと申しましたように、両院の
構成が似通っているから
独自性が発揮されないのだと本当に言えるのかどうか。この点は、改めて検討を要するように思われます。特に、そこでの
独自性ということをどういう方向に求めるのかということともこれはかかわってくると思います。
そこで、最後になりますが、以上の話を踏まえまして、今度は
日本の
参議院についても簡単にお話をさせていただきたいと思います。
制定の経緯という項目を設けましたが、時間の
関係でここは割愛させていただきまして、まず、前提として、一つ確認したいと思います点が、
日本の
参議院あるいは
二院制についてよく言われます、
衆議院の優越あるいは不対等型の
二院制という認識についてであります。
これも繰り返し申してきたところなんですけれども、本当に
日本の
二院制というのは不対等型なのか。これは、実は、ここにいらっしゃる
国会議員の
皆様方がよく御存じの点ではないかというふうに思うのですが、私は必ずしもそう思っておりません。
特に、
法律ということに限ってみますと、再議決のためには
衆議院で三分の二の特別多数が必要になります。これは、現実的に見ましても非常に高いハードルでありまして、この点だけ取り上げても、
日本の
参議院というのは実は非常に強いのではないか、レープハルトが
分類するように、むしろ対等型に近いのではないか、こういうふうに思われるわけです。
そのことを前提とした上で、
参議院の
独自性をこれまでどこに求めてきたのか、
参議院の
独自性をめぐってどういう議論があったのかということについても簡単に触れてみたいというふうに思うのです。
最初に
代表原理という話を少ししましたが、一つの方向は、
政治代表とは異なる方向、つまり、例えば、利益職能
代表的な要素を加える。これは正面から導入することはできませんけれども、旧の全国区についてはこういうことが言われてきたわけです。それから、他方で、これは人口比例を犠牲にした上でのことですので、非常に問題がございますけれども、都道府県
代表的な要素を加えるんだということも言われてまいりました。しかし、にもかかわらず、両院の間には大きな相違は生じてこなかった、また、目立った
独自性が発揮されてこなかった、これが現実ではないかと思います。
それから、もう一つの方向性、これも
フランスとやや似通っておりますけれども、一言で言いますと、理性の府ということになろうかと思います。
つまり、数が支配する
衆議院とは異なる観点から、国政にそれとは違った視点を持ち込むのだ、こういう話でありまして、これとの
関係でよく言われてまいったのが、一つは、非党派性といいますか、非党派的な要素を
参議院に持ち込むことで
独自性を求めていこう、こういう話です。
特に、これもよく言われることですけれども、戦後初期の
参議院では緑風会という独特の
組織があったこともあって、
参議院は非党派的な
議院であるべきだということがよく言われております。
ただ、さきに御紹介しました
フランスの例からもわかりますように、普通選挙を前提といたしまして、どこまで非党派的な
議院が実現できるのか、私自身は非常に懐疑的でありまして、むしろ、目指すべきは非党派的な
議院ではなくて、
参議院らしい政党化ということではないだろうか、こう思っているわけです。
具体的にどういう
参議院らしい政党化があるのかということなんですが、一つの方向は、これは
憲法との
関係で申しますと、
憲法は
議院内閣制を採用して、解散と不信任というメカニズムをとっておりますけれども、
参議院は一応この外に置かれております。
そうなりますと、
衆議院が
内閣をつくる、あるいは、
衆議院が
内閣を維持するのに対して、
参議院は
内閣の批判に徹する。場合によると、
参議院から閣僚を出さないというような慣行を確立して、
内閣からは一線を置いたところに
参議院の
独自性を見出していこう、こういう方向性が一つ考えられるわけです。
ただ、実際には、解散と不信任のメカニズムの外にあるといいましても、例えば
内閣が
提出した重要な法案を否決するという形で
参議院は
内閣の存立に大きな影響を及ぼすことができます。そこで、こうした方向が好ましい効果を生み出すかどうか、あるいは有効かどうかということについては、私は若干疑念を持っております。
それから、
参議院の
独自性に関しては、もう一つ、特に一九九〇年代以降、
衆議院と
参議院のいわゆるねじれ現象といいますか、
構成が食い違った
状況が続いてきているということについても触れておきたいと思います。
本来ですと、両院の
構成が食い違っていますので、
参議院の
独自性が発揮されることが期待されるわけですが、必ずしもそうなってこなかったところがございます。
なぜかということですが、一つには、やはり一番大きいのは、
参議院の反対を見越して、
参議院を含めた形での多数派形成が行われる。奇妙な慣行と呼ばれたり、あるいは
国会内閣という言葉が使われたりいたしますけれども、
参議院も含めた多数派というものを事前につくって、両院の対立が起きないような
状況をつくるということが行われてまいりました。
なぜこうした方向がとられてきたのか。これはやはり理由があることだと思っておりまして、これは先ほどの
参議院が強いのかという話とかかわってまいります。
つまり、
参議院が法案の成立に非常に強い権限を持っている。したがって、その対立が生じそうなのであれば、事前にそれを抑えるような方策が必要になるだろう、こういう方向から、両院にまたがる形での
内閣の形成というものが考えられてきたのではないか。それに基づいて、
参議院の
独自性の発揮というものがなかなか果たされなかったのではないか、こう考えられるわけです。
そうなりますと、では、
憲法を改正して
参議院の権限を弱めたらどうか、不対等型であればそうした慣行は生じないのではないか、こういう話になりそうでありますけれども、これは繰り返し申しましたとおり、仮にそうした形で
参議院の
独自性が強く発揮される、最終的に第
一院が
決定を下す、こういう図式が果たして
二院制として本当に好ましいのかどうか、ここは私としては考えてみるべき余地があるように思っております。
そもそも、なぜ
憲法が三分の二という再議決の高いハードルを設けたのか、問題はここにもかかわってまいります。私が考えておりますのは、あえて高いハードルを設けることで両院の間のある種の妥協なり協調を促しているのではないか、こういうことであります。
日本の場合、両院は同じような民主的
正当性を持ち、似通った
選挙制度で選ばれておりますので、なかなか
構成の相違が生まれにくい、こういうことはあるわけです。しかし、それはあくまで大枠での話でして、先ほどの
フランスの例からもわかりますように、細かな点で、細かなというといささか言葉が悪いかもしれませんけれども、大枠とはかかわらない部分でさまざまな修正を第
二院が第
一院に加える、こういう余地は十分にあり得るのではないか。いささか地味な
二院制ということになるかもしれませんが、
二院制の
あり方としてこれはこれで有用なものではないだろうか、私自身はそんなふうに考えているところがございます。
時間も随分なくなってまいりましたが、その上で、
参議院の意味ということについて、私なりに最後に簡単に整理してみたいと思うのです。
やはり、一つ重要な役割は、
衆議院と異なる形で民意を
反映するということであろうというふうに思うわけです。
代表原理なり
選挙制度が大きく異なれば、確かに、異なった形での民意の
反映がなされたのだ、こういう評価があるかもしれませんけれども、最終的にそれが両院の対立をもたらし、最終的に
一院のみによる
決定を導くということになりますと、これはやはりいささか問題ではないだろうか。
そうではなくて、それほど大きな対立は生じないかもしれませんけれども、例えば法案の修正という形で
参議院がイニシアチブを発揮していく、ここに実は多様な民意の
反映という意味を一つ求めることができるのではないか、こう思っているわけです。
日本の場合、ヨーロッパに比べて国民なり世論が等質であるということはよく言われるわけです。社会学的に見ますと、確かにそういう面はあるのかな、こう思っております。しかし、世論が等質か多様かということは、これは所与のものとして決まっていない部分がある。特に、
代表の
あり方を通じて世論の多様性というものが具体化されてくる部分があるわけです。
世論の中に潜んでいます非常に微妙なニュアンスとか細かな表情といったもの、これを拾い出して、それから、例えば修正なり調整という形で国政に生かしていく、これは実は多様な民意の
反映を考える上でも一つ重要な視点なのではないだろうか、私はこう思っております。
では、どうしたらそれが発揮されるのか、では、なぜ現在それが発揮されていないのか、これは一つ検討を要する点でありますけれども、二つほど指摘をさせていただきたいと思っておりまして、一つは、さきに申しました政党化ということにかかわっております。
参議院の政党化を防ぐことはできないであろう。これは先ほど申し上げた点でありますけれども、政党化が防げないということは、
参議院と
衆議院が全く同じような政党化をするのがよいということではもちろんないわけです。特に、任期や選挙が違いますと、同じような政党や党派
構成を前提としましても、民意と
議院の
関係というものは大きく変わってまいります。
ところが、現在の
選挙制度を見てまいりますと、衆参で制度が似通っている、
代表原理に着目してこういうことがよく言われるわけですけれども、同時に、もう一つ大きな意味を持っていると思われますのは、特に政治改革以降、政党本位ということが非常に強調されてまいりました。これはさまざまな面にあらわれておりますが、他国と比べてもかなり強力な政党本位の制度が
衆議院、
参議院双方に導入されております。
ということになりますと、
議院と政党の
関係というものが
衆議院、
参議院双方で同じように固定化されているのではないだろうか。この点は、例えば
選挙制度に関しては一つ見直してみるべき価値があるのではないか、こう思っているわけです。
それからもう一つ、これはきょうぜひ申し上げておきたいと思った点なのですけれども、両院の
独自性を発揮させる前提として、当然、それぞれの院の
自律性というものを考える必要があります。
日本国
憲法の場合ですと、例えばそれぞれの院に独自に
議院規則の制定権を認める、こういう規定がおかれております。戦前の
憲法には議
院法の存在というものが予定されておりまして、議
院法が決めた後で残りの細かな
事項を
議院規則が決める、こういう役割分担が考えられていたのだと思いますけれども、
日本国
憲法はこの種の
法律の存在を本来は予定しておりません。
現実には、
国会法等で、例えば
委員会等についても細かな規定が置かれておりますけれども、これが本来の姿なのかといいますと、私は必ずしもそうではないと思っております。
これは私の先輩の諸先生方が繰り返し指摘されてきたことでもありますけれども、本来からしますと、
憲法が
法律に留保している事柄を除いて、基本的に、両院の
組織に関する重要
事項、これはそれぞれの
議院が自律的に
議院規則という形で定めてもよいのではないか、こう思っております。つまり、みずからの院の
組織をみずから
決定することができない
議院に
独自性を期待するということは難しいのではないか、こういうことであります。
議院規則と
国会法の役割分担、ある意味では、
憲法改正にも匹敵するような大きな意味を持っておりますけれども、これはぜひひとつお考えいただければと思っている点であります。
こう考えた上で、改めて、
参議院の役割をどこに求めるかということになるわけですが、一つは、先ほどから申し上げておりますように、必ずしも
衆議院との大きな違いではないかもしれないけれども、ある種細かな世論の違いというものを
反映していく、こういう方向が一つあり得るのではないか。
それから、それと結びついてもう一つ、
憲法は
参議院に長い任期を保障しておりますけれども、こことの
関係でも、多様な民意の
反映を具体化する方向性というものが考えられていいように思われます。
衆議院と異なって解散がない、しかも六年の任期が保障されているということですので、当然考えられますのは、長期的な視野に立った
調査活動、現実には
調査会といった制度がございますけれども、あるいは
行政に対するコントロール、こういった方向性が、一つ、
参議院の好ましい機能として、あるいは役割として
憲法上考えられるように思われます。
本日のテーマの一つの、
決算ともこれはかかわってまいります。
時間がございませんので、簡単にここではコメントだけすることにいたしますけれども、
予算の事後的な統制というのは、かかる視点からいたしますと、当然、
参議院の一つの役割というふうに考えられるわけです。
ただ、これもこういうお話があるというふうに伺っておるのですけれども、例えば
憲法を改正して、
衆議院に
予算の議決権を与える、
参議院は
決算に特化したらどうか、こういう方向があるというお話を伺いました。これは確かに一つの方向性ではあるわけですけれども、それが果たして好ましい方向なのかどうかということにつきましては、私自身はやや疑問を持っております。
といいますのは、これはレープハルトの
分類ともかかわってまいりますけれども、
決算に特化した
参議院を考えるということになりますと、当然、
予算の
審議とは切り離した
参議院を考えることになる。例えば、
内閣とは一線を引いた形で
参議院を考える、それで
決算という形で比較的弱い権限を付与する、こういうことになりますので、そういった弱い権限を持った
参議院がどこまで有効なコントロールを行使できるのか、これは一つ問題になる点ではなかろうか、こう思っております。
きょうの私のお話は、基本的には、現在の
憲法を前提としても
参議院にはさまざまな役割を考え得るのではないか、こういうことでございましたけれども、さらにもう一歩踏み込んで申しますと、
憲法政策的に見ましても、現在の
日本国
憲法が想定している
二院制、これは方向として大きく間違っていないのではないか、むしろ問題なのはそれを生かすための前提条件なり、その前提となるさまざまな要素ではないだろうか、これが私なりの一つの結論でございます。
時間もございますので、足りない点は質疑の中で補わせていただければと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)