○秀道広君 まず初めに、このような発表の機会を与えていただきました
中山座長以下
調査会の
委員の先生方に深謝申し上げます。
私は、世界で最初の被爆都市である
広島に被爆二世として生を受けまして、私も、そして私の妻も何人かの親戚の命を原爆で失いました。当然、私は、
広島で
教育を受けてまいりましたから、原爆資料館を初めとして、種々の原爆での被害というものを学びながら育ってまいりました。その
意味だけでも、
広島は今回の
安全保障に関して
発言するのにふさわしい都市だと思っておりますが、
広島にはまだ幾つかの要件というのがございます。
広島には江田島という島がありまして、そこには、旧海軍兵学校、現在、海上
自衛隊術
科学校になっておりますが、そこの
教育史料館には数々の遺書、遺品がありまして、人々の国や家族を守る気概とか生きざま、そして死にざまに触れることができます。
近くは、
北朝鮮に拉致されてその存否も危ぶまれております横田めぐみさんは、実は小学校
時代を
広島の小学校で過ごされておられまして、そのような
意味で、私は、本日、今生きている人と、それから既に他界した人々に思いをはせながら、
意見を
陳述させていただきたいと思います。
私の
意見陳述の立場は、
我が国が積極的に国際平和に貢献するために、
憲法の前文の
改正と九条二項の削除を求めるものでございます。
およそ人と
社会が生きて活動を営む限り、それが天災であれ人災であれ、予期し得ない出来事が起こるということは、だれも防ぐことはできないと思います。
心ある人であれば、だれもが平和を望みます。だれもが争いは避けたいと願っていると思います。しかし、人々にはそれぞれの利益や
考え方がございまして、
国家もまたしかりでございます。それぞれの国は、独自の
考え方と
利害があります。
イラク、イスラエルに代表されるように、今なお世界のあちこちで、
国家間の
意見の相違や
対立、それから
テロや武力紛争が頻発しています。その犠牲となられた人たちのことを思うと大変心が痛みますけれども、では、このような国際的な
対立ということが、未来、将来、完全になくすことができるかといいますと、
対立そのものがなくなるということは不可能であると思います。
したがって、武力衝突をなくすための努力は必要ですけれども、一方的に
日本だけが武力を放棄すれば問題が解決すると考えるのは余りにも楽天的であって、なおかつ、行
政府がそのような立場に立つということは、この上ない無責任だと私は思います。
幸い、
我が国は、戦後五十九年の長きにわたって、平和
憲法を掲げて、平和と個人の
権利、自由の拡大を享受してくることができました。しかし、それはむしろ僥幸というべきものであって、今後とも長く同じ状態が続くという保証はどこにもないと思います。
我が国の周辺では、
中国による
我が国の排他的
経済水域における不法な観測が行われておりますし、
北朝鮮船舶による覚せい剤の密輸、それから、
我が国の頭越しにミサイルの発射
実験が行われたことは、広く国民の知るところでございます。そして何よりも、昨今明らかになったことは、何人もの
日本人同胞の、
日本国民の
北朝鮮による拉致の実態でございます。
これらの事象に関して、一部には、
我が国が
憲法の精神を守らずに、それらの国への謝罪が足りないから起こるという
考え方を持った人もおられるようでございます。しかし、どれほどの人が本気でそのようなことを考えておられるのか、私は甚だ疑問でございます。
謝罪と補償が不足していると言われるのであれば、具体的に、どれぐらい不足しているのか、いつまでに幾らのお金を払えばよいのか、具体的な目安をぜひ示していただきたいと思います。少なくとも、
歴史的には、
我が国は、サンフランシスコ条約等で戦後処理というのは既に清算しておりますし、たくさんの犠牲あるいはお金を払ってきた経緯がございます。本来、不足しているのは、いつまでも
日本がそれらの国々に対して謝罪や補償を繰り返すことではなくて、既にやってきたことについての啓蒙も必要ではないかと思います。
一方、海外に目を向けますと、
経済は限りなくグローバル化を続けておりまして、現在、
日本人は世界じゅうに散らばって働いています。でも、一歩
日本を出たときに、
日本の国民の生命と安全を守るものは何かといいますと、その視点で、
我が国の国民は甚だ危険な状態にさらされていると言わざるを得ません。
イラクでは二人の
日本人
イラク大使が殺害されたことは記憶に新しいですし、湾岸
戦争のときには、在
イラクの
日本人は、戦時に際して国外避難をする必要がありましたけれども、そのときの輸送機すら
日本国内からは確保されなかったことも比較的記憶に新しいところでございます。
日本人が現在のような生活を、あるいは国際的な活動を続けるために、もはや
戦争あるいは国際紛争に巻き込まれることなく暮らしていくことはできないというのが現在の
状況であると思います。
また、
我が国は、好むと好まざるとにかかわらず、世界的に見て、人口、
経済活動、技術力などのいずれの面でも国際的に大きな影響力を持っています。ODA
協力のみならず、近年、多くの国際紛争の場にPKFあるいはPKOの形で貢献をしてきています。今般の
自衛隊の
イラク派兵については、アナン
国連事務総長は、二十四日の
国会演説で
自衛隊のサマワ派遣を高く評価しました。事ほどさように、
我が国は世界各国から種々の形で国際貢献を求められているということは逃れることはできないと思います。
私は医療の現場で働いておりますけれども、昨今の医療の現場で特に強調されていることの中に、リスクマネジメントという言葉がございます。それは
日本語では危機管理と訳すことができるかと思います。その精神というのは、医療事故は必ず起こる、どんなに防ごうとしても必ず起こるという前提に立って、むしろ、起こさないことよりも、起きてしまったときに、それが最小限の被害で済むように、また、一たん起きたことは二度と同じことが起きないようにしようという立場でございまして、それは、単に事故を起こさないという決意だけではなくて、具体的な対策を立てることを重視する姿勢でもございます。
同様に、
国家にとっても、
戦争、拉致、領土の侵犯といったような
国家主権の
侵害はあってはならないことではございますけれども、万一起こったときには
対応できるための準備をしておくということは、ぜひ必要なことであると思います。
目的は
戦争を起こさないということにあるのであって、軍隊を持たないということが目的ではないと思います。
憲法もまたそのための
手段であって、最終目的ではないと思います。
憲法が
時代に合わなくなってきているわけですから、
憲法の方を変えるべきであると思います。
以上のような現状の認識は広く国民の間に認識されていて、
我が国独自の軍隊及び関連法案の整備が必要なことは多く国民の同意するところとなっていると思います。
広島の市民、県民、あるいは被爆者が、私を含めまして、すべて
自衛隊の国軍化に反対していると思うのは誤った
状況認識であると思います。
政府は、
我が国の国防に関する事項については、過去何度も
アジア近隣諸国への配慮という言葉を使ってこられました。
中国、
韓国、
北朝鮮の行
政府は、自国の政治的
利害から、
我が国が軍隊を持つことには反対されるかもしれません。それは、行政的な立場からその国の主張の自由でございます。ただ、それがどこまで
アジア諸国の多くの国民の声を反映したものであるかということについては甚だ疑わしいのではないかと思います。
以上、軍隊を持つ必然性について述べてまいりましたけれども、もちろん、軍隊の設置に関しては幾つかの危険性や留意事項がございます。そもそも、軍隊というのは人の生命を殺傷する能力を持つ組織でございます。
歴史上、軍の暴走が悲惨な結果をもたらした例があるということは、だれもが認識していると思います。問題は、それをいかに正しく機能させるかということにあると思います。現状では
自衛隊というのは極めてあいまいな位置づけにございます。
では、国軍に必要なことはどういうことでしょうか。それは名誉と責任と可能な限りの安全対策を与えることであると思います。現在では、
イラクに派遣された自衛官は、名誉も自分自身を守る生命の安全も極めて劣悪な
条件にあります。遺書を書いてまで中東の危険
地域への任務につかれている自衛官には大変申しわけない思いでございます。
それから、シビリアンコントロール。これは当然、軍の横暴や暴走の可能性は意識して、それを防ぐためのシステムは必要でございまして、できる限り国民にわかりやすい
説明が必要であると思います。
そして、何よりも大切なことは、軍隊の守る
国家アイデンティティーの明確化でございます。
国家の
役割というものは、生命と財産及び自由を守ることだとよく言われます。しかし、それはいわば行
政府の
役割でございまして、軍は、独立した
国家の成り立ち、特にその国の
歴史を踏まえた誇りある理念に立脚したものである必要があると思います。軍隊が守るものは、国民の生命、財産、自由とともに、国民の名誉であるべきであると思います。そのような精神のないところからは、命がけで国民を守るという働きは生まれないと思います。したがって、
憲法の九条二項の削除と同時に、その点を明らかにすべく、
憲法の前文の
改正が必須であると思います。
我が国は、さきの大戦を通して、なかんずく
広島は、平和のための使命を帯びたと言ってよいと思います。多くの国民も市民も、平和に対して強い気持ちを持っていると思います。そして、高い技術力、
経済力を
背景に、国際
社会の中において名誉ある立場を占めたいという気持ちも、また多くの国民の共有するところであると思います。ただ、その気持ちは、現状のような交戦権の放棄と
戦争回避のための思考停止ではなくて、積極的な
平和活動として表現されるべきであると思います。
現在の
憲法の最大の問題点の
一つは、
戦争の開始、あるいは起きてしまった
戦争の被害を最小限にとどめるための方策を立てる気持ち、あるいは命がけで平和を守るための心すらも失わせたところにあると思います。
自衛隊が合憲か違憲か、あるいは
戦争があるかないかという
議論は、いわば不毛な
議論でありまして、平和で生きがいのある
社会をつくっていくための具体的な
議論が今後必要であると思います。
このような主張をいたしますと、おまえは
広島で生まれ育って、平和運動についてどのように思うのかということをしばしば聞かれることがございます。私のこの
憲法改正の
意見陳述を通して申し上げたいあるべき平和運動の姿というのは、他者に対する恨みや要求から出発する運動ではなくて、死者に対する悼みや感謝から出発する運動である必要があると思います。平和は、そのものが目的ではなくて、人々が生きがいを持って生きるための
手段であって、みずからをも犠牲にして守るという決意に裏打ちされたものである必要があると思います。
最後に、誤った平和運動、あるいは誤った
憲法によって、
日本は消えてなくなってしまった方がよいという気持ちになるような平和運動や
教育であるのは間違いであって、先人の志を継いで
日本をよい国にしていこうという気持ちが喚起されるような平和運動であり、
憲法あるいはその前文であることを主張して、私の
意見陳述とさせていただきます。
御清聴ありがとうございました。