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鈴木(恒)
委員 私も
総理と同じように、
加害者の罪はもちろん、未成年といいますか、十一歳、
刑法犯には問われないわけでありますが、むしろ我々
自身が
責任を感ずるべき
事件だ、我々の問題だ、こう
考えております。
今度の
事件に限らず、犯罪の多発それから
凶悪化、低
年齢化、あるいは治安の乱れ、風俗の乱れ、あるいは礼節をたっとぶ気風の喪失、
日本の
社会は本当にすさまじい今
荒廃の中に向かいつつあるように思えてなりません。私はもともと
楽天主義者だったんですけれ
ども、日を追うごとにペシミストになっていくような
自分が悲しくてなりません。
私は
昭和十六年、一九四一年生まれ、
総理は一年私より後でございますが、我々は、戦後の
荒廃の中で、本当に食べるものもない日々の中で育ちました。
日本社会全体が戦後の
荒廃の中で、
貧困の中をどう生き延びていくかということは、何とか
国民一体の意識を持ってしのいでまいりました。だから、
貧困の中を生きる
哲学というものは我々は身につけているはず。
しかし、
高度成長経済があって、豊かさの中をどう生きるかということをもう少し我々は、その
生きざまについての国全体の
哲学みたいなものがあってよかったのかもしれない。随分、物の豊かさの陰で失ったものも大きい。その豊かさの中の
生きざまの
哲学を見出せないままに、我々は数年後に人口が減るというこの歴史的な
日本の
転換点に立って、今度は停滞の中でどういう
哲学でこの国を生きていくかということを迫られている。全く海図が見えないわけであります。
そうした中で、我々がやはりなすべきは、
教育をどうこれから立て直していくか、
教育を国の礎としてどう充実させて健全な
社会を目指すかということに尽きる、
最後はそこに行き着くと私は思っております。
子供たちを育てる場合に、私は二つの
ポイントがあると思っております。
一つは
自立、つまり、
自分が強い個人を目指して、
自立心を持った、強い個性を持った
人間をつくると同時に、一方で、
自律心、
自分を律する力、
忍耐力も含めて。
自分で立つ力と
自分を律する力、これが両面育っていなければならない、こう私は
考えております。
子供のころ、我々は、強い
人間になりなさい、そして
世間の役に立つ
人間になれ、そして
他人に迷惑だけはかけるな、おやじからさんざん言われて育った世代であります。それは、
言葉をかえれば、一人はみんなのために頑張れ、しかし、みんなは一人のためにまた頑張らなきゃいけないという、ヨーロッパ、欧米に根底をなしている精神と同じだと私は思うのであります。
一言で言えば、
人間力をどう
回復するか。これは
総理の
言葉でありますが、
人間力の
回復、これを
教育の原点に見据えて進めなきゃいけない。
そこで、我々は実は、
世間は余り
御存じないのでありますけれ
ども、ここ十年、二十年の間に物すごい
教育改革を続けてきているのであります。
例えば、週五日制の導入なんというのは画期的なことでありました。あるいは、
指導力不足教員の追放、あるいは
教員の十年
研修制度を新たに設けるとか、あるいは
一般社会人の
経験のある方に
校長先生になっていただこう、こんなこともやりましたし、
教員採用についても、面接を重視して、頭だけで、学力があるだけで
先生じゃない、
人間的な魅力を
子供が感ずるようなそういう
教師を採ろうということも
努力をしてまいりましたし、
習熟度別学習あるいは絶対
評価制度などというのも入れました。あるいは
学校評議員制度、さらに言えば
読書活動、物を読む力、物を読んで頭脳のバランスをとらせるということもやってきましたし、
御存じのように、
国立大学の
独立法人化も、
日本の
大学史上、
国立大学始まって以来の大改革をことしの四月からやったわけであります。
COEプログラムあるいは
環境教育法という
法律も実は、私は手前みそで申し上げるのではありません、命を手にとって見詰める、生きとし生けるもののとうとさを体で感じ取らせる必要があると
思いまして、作業の
中心を努めさせていただいて、超党派で去年の
国会で成立をしたのであります。
いろいろな工夫をしてきたけれ
ども、残念ながら、まだ
日本の
教育は立ち直ってはおりません。
そこで、
総理に
三つ、
四つの
ポイント、幾つも
教育の問題はあるわけでありますけれ
ども、このうちで
三つ、
四つの点で
総理の胸のうちを明かしていただきたいと
考えて、まず
一つは
教員の問題であります。
私は、
教育の
基本を立て直さねばならないという長い間の懸案に対応して、
自民党と公明党との間につくっております
教育基本法改正に関する
プロジェクトチームのメンバーの一人でありまして、およそこれで二十六回、毎回二時間、
教育基本法の
改正問題で
審議を続けてきているものでありますけれ
ども、そうした
議論の上に、まず
総理の御
見解を伺いたいのは
教員というものであります。
先生。
子供がどんな
先生にめぐり会えるかというのは、ある意味では
子供にとって決定的な要素になると私は思っております。
私は
横浜の
公立小学校の
生徒でございましたけれ
ども、本当は、今でも体、小そうございますが、人前ではとても話のできるような子じゃありませんで、この子は本当にちゃんと育つのかねと言われたような
子供でありましたが、
先生に恵まれました。
総理、この間、その
小学校の同窓会がありまして、もう八十過ぎた
先生でいらっしゃいますが、
師範学校出の非常に怖い
先生、いまだに怖い。十人ばかり集まりましたけれ
ども、同窓生にその
先生に教わってあこがれて
先生になったのがいるんです、
同級生に。女の
先生。
横浜の
学校で
工業高校の
先生を三十何年やって、今度定年ですから退職しました。
その女の
先生はなかなか男まさりでございまして、いろいろな
教師の話をしたんですけれ
ども、
自分が
思い出に残る
子供が一人いるんだ、
先生の前でこういう話をする。それはどうにも手のつけられないような不良だった、だけれ
ども、余りにも目に余るから、
自分は一回、
家庭訪問も何回もしたけれ
どもだめなので、いすに座らせて、その子の耳元で私の言うことを聞きなさいと言いながら茶髪の頭をバリカンで刈って、それで、いい子にならなきゃだめだということをさんざんやった。その子は涙を流しながら頭を刈られていたけれ
ども、
卒業式の日にその
子供が親と一緒に
自分の胸元に飛び込んできて、今日あるのは
先生のおかげだと言って慟哭した。これで、私は、この子のためにどれほど体力も使ったかわからぬけれ
ども、やはり
先生になってよかったと思ったという話をしました。
それを聞いていたその私の
先生が、みんな何言っているの、この
先生をつくった
先生は私よ、こう言ったので、みんなでだあっと笑ったんですけれ
ども、そういう
教師に出会えた
子供は幸せだ。
私の
恩師の一人に、
中学の
恩師は、いまだに、今お坊さんをされておりますけれ
ども、
横浜のお寺の境内に毎朝五時、六時に立って、集まってくるホームレスの
人たちに百円玉を、法衣をまとって配っています。私はこの
先生に
社会科を教わった、
中学のときに。人のために尽くせ、それは最澄の
自利利他、つまり、おのれを利するよりは
他人のために努めろという
言葉をまさに体現しているその姿、私の
恩師の姿であります。
二百円ずつ配ったんだけれ
ども、人数が多くなったので百円ずつになっちゃったと言っていましたが、そういう
教師の姿を見ただけで、ああ、
国会議員としてしっかり世のために尽くさなきゃいかぬ、改めて目覚めさせられる
思いをするのであります。
教師というものがどうあるべきか。
現行の
教育基本法の中に、では、
教師というものはどう書かれているかといいますと、
現行の
教育基本法というのは、
昭和二十二年にできたまま、五十数年間、一字たりとも
改正されたことはないわけでありますが、
現行法ではこう書いてある。「
教員は、全体の
奉仕者であつて、
自己の
使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。」
自己の
使命を自覚し程度の
表現で
教員が規定されている。
我々は、この
教育基本法をめぐる
議論の中で、もう少し
教師というものを、任務を自覚してもらわなきゃいけないということがありまして、私は、その場で、やはり
教師はもっと
自己の
使命というものに崇高な
使命を持っているということを深く自覚して
研修と修養を積んで
子供の
教育に当たらねばならないということを規定したいと
考えております。
この点について、
総理にも、もちろん
総理にまで育て上げた
先生方がいらっしゃったわけで、そういう
教師のことを
思い起こしていただきながら、
教師のあるべき姿について、まず
総理の
見解をお聞きしたいと
思います。