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鹿取政府参考人 まずは、メルカード書簡にある、一家族当たり三百タレアまでの土地を供与する等の表現と、募集要領において、「一世帯当三百タレアの土地が無償譲渡される。」この表現の
関係でございますが、これは、先ほど御
答弁申し上げましたように、三月二十七日に至る……(
川内委員「募集要項と言っていますよ」と呼ぶ)失礼いたしました。募集要項に、「一世帯当三百タレアの土地が無償譲渡される。」この記載との
関係でございますが、この記載との
関係につきましては、先ほど御
答弁申し上げましたように、三月二十七日のメルカード書簡に至る過程で、
日本政府とドミニカ
政府との間でいろいろな
議論がございましたし、協議がございました。これはもう繰り返しませんが、先ほどのような、節目節目の協議をもとに、我々としては、当時、
政府としては、「一世帯当三百タレアの土地が無償譲渡される。」ということを要領に書いた、こういうことであると思います。
次に、
調査の話、先生御
指摘になりました。
調査の話については、昭和三十年九月に、吉岡移住第二課長、林屋当時メキシコ大使館補、農林省の
近藤農林技官がダハボン、コンスタンサ等を
調査いたしました。これは九月の一日から二十八日、昭和三十年でございますが、一カ月弱でございます。
次に、先般申し上げましたのは、昭和三十二年九月七日から二十九日、これは農林省の中田技官それから海協連の横田支部長、この二人でネイバ、ドベルヘ、ハラバコア等を
調査いたしました。
そのうち、ネイバ及びドベルヘについての事前
調査というものは、移住者の募集の後に行われていることは事実でございます。しかし、そのネイバ及びドベルヘについて、それがなぜ後に行われたか、事前
調査の前に募集要項が出されたか、何によって募集要項が書かれたかということを申し上げますと、その段階では、当時、
政府は、ドミニカ
政府等からネイバ及びドベルヘについての情報を得て、それを踏まえて募集要項をつくったわけでございます。その後、中田技官がネイバ、ドベルヘ等を
調査いたしましたけれ
ども、実際の移住の開始というものは中田技官の
調査の後でございます。
次に、先生はブラジルの
調査について御
指摘になりました。
このブラジルの御
指摘の報告書は、先生より御
指摘のあった予算
委員会の
議論やこれまで裁判における原告とのやりとり等を踏まえて、原告側が提示していた昭和六年のブラジルに関する
調査、これを念頭に述べたものでございます。これは、アマゾナス州
政府から百万ヘクタールの原始林地域の無償譲渡を受け、
日本側でこれを測量し境界を画定する必要があったことなどから、
調査団がこの地域を踏査測量して地図を製作しなければならなかった、こういう事情があったものと理解しております。
ただし、これはもう七十年以上も前の
調査であって、現
時点で我々としてその
調査報告自体を確認することはできませんので、大変恐縮ながら、その詳細については存じておりません。
しかし、それとの比較で、先生が御
質問になりました吉岡
調査団につきましては、先ほど申し上げましたように、約一カ月にわたってダハボン等を
調査した、こういうことでございます。(
川内委員「何人」と呼ぶ)吉岡
調査団、これはたしか合計三人で行ったと思います。
吉岡
調査団の項目につきましては、ドミニカ移住適地
調査団報告書ということで、概況、政治及び政情、資源及び産業、ドミニカの移民政策、入植候補地の概況、ドミニカ
政府との交渉経緯、結論、こういうことで書いてあります。(
川内委員「いや、聞いたことに答えてください、一つ一つの項目について記載があるかないかということを」と呼ぶ)先ほど御
答弁しましたように、アマゾンの
調査については、私
ども、詳細は承知しておりません。(
川内委員「だから、どういう国か、地理、気象条件、農業構造、全部
質問通告しているじゃないですか。なぜ答えられないんですか」と呼ぶ)
恐縮でございます、ドミニカについてでございますか。(
川内委員「全部
質問通告してありますよ。何でそんなことを今僕に聞くんですか。答えるまで動きませんから」と呼ぶ)ドミニカについては、その概況、それから政治及び政情、資源及び産業、それからドミニカ国の移民政策、対スペイン政策、対
日本政策、入植候補地の概況、ドミニカ
政府との交渉経緯、これがドミニカの吉岡
調査団の報告書の
内容でございます。