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阿部正俊君
表現すればそういうことなのかもしれませんけれ
ども、だが、もう
一つ、
国民に訴えるというような言い方はちょっと不遜かもしれませんけれ
ども、その瀬戸際的な
状況にあるということについての
認識の共有というのが必ずしも
国民と行われていないのではないかなという気がするわけでございますが、それは理屈というよりも心構えみたいなものが、私、これからのこの
難局を乗り切っていくために是非共有することが必要なのではないかなという気がしますので、紙で将来の
展望とかというと何となくうまくいくようにすぐ見えちゃうんですけれ
ども、そういうことよりも、何というんでしょうか、
覚悟というと非常に、
塩川大臣のあれにしても、我々の、少し
年代が古いのかもしれませんけれ
ども、そういう
心掛けみたいなのがもう
一つ欲しいなという
感じがするし、ある
意味は、昔、「男子の本懐」という本に出ていました何人かの我々の
政治家の先輩の
方々の軌跡その他を見ますと、今の
状況はそれに類する
状況なのかなという気もしないでもありません。
それだと、正にあのときにそれを担当された
政治家である
方々、あるいは
井上準之助さんなんかも含めて、正に命を懸けた、結果的に、残念なことですけれ
ども、なったわけですけれ
ども、それはいいとは言いません。だけれ
ども、そうしたふうなことにつながるようなくらいの
心掛けで今取り組む必要があるんじゃないかなという気がいたします。
よく、
痛みを伴うというふうな
表現がございますけれ
ども、私は
痛みというのはちょっと違うんじゃないのかな。僕は、むしろ
痛みではなくて、いろんな
構造が
脱皮しなきゃいかぬと、変えることによって
脱皮していくんだということ。
脱皮というのは、痛いかどうかではなくて、その
作業を止めればそこで終わりということだということではないかなと、そんな気がするわけです。
お産もそうです。出産のときに陣痛があります。大変な
作業です。途中でやめたら
母子ともに死にます。
日本の置かれているような
状況というのは、そうした
表現にむしろふさわしいのではないのかなと。
脱皮というのは、さなぎがチョウになるとき、あるいはセミが抜け殻を抜いて飛び立つとき、必ず行わなければいけません。大変な
作業です。これを私
どもはもっと
責任を持って、次の
世代に対する
責任を持ってやっていかなきゃいかぬのじゃないか。それは、私
どもも含めた大人の
世代の
責任ではないのか、そんなふうに私は思います。
それが、何か将来の
展望がないとかいろんなことはありますけれ
ども、
バラ色のものを示すことではなくて、そうした
覚悟と道筋を、しっかり見通しの立つものを
国民に示すことによってこの
難局をともに乗り切っていこうではないかという呼び掛けこそが今私
ども、特に
責任政党である私
どもに課せられた責務ではないのか、そんなふうに思っております。
そういう
精神論だけで終わるつもりはありませんけれ
ども、どうか、そういったふうな
認識について常日ごろから
国民と共有できるようにしていってもらいたいな、改めてお願い申し上げたいと思います。
そういう
意味で、時間もありませんのではしょりますけれ
ども、どうかひとつ、ほっておいて何か
インフレターゲットだとか、あるいは一%、二%の
成長だとか、何とか
手練手管でうまいことやればうまいこといくんじゃないかというふうな
感覚が最近少し出てきているような気がしてなりませんけれ
ども、それじゃないだろうという気がするわけです。というふうなことで、どうか、うっかりするとそういうふうに流れがちでございますので、そこは、
塩川先生、昔の
金解禁のときの
財政当局の
緊縮財政のことを言うわけじゃありませんけれ
ども、そのときの
覚悟のようなものを是非共有していってもらいたいなというふうにお願い申し上げておきます。
先、進みますが、今、
竹中大臣から全体の
状況についての御
説明がありましたけれ
ども、
国民から見れば、端的に言えば、私はいわゆる
サラ金地獄というのとどこが違うんだろうかと。たとえ
プライマリーバランスと言われたとしても、回復したと、それもしかも二〇一〇年、後でちょっと触れますけれ
ども、二〇一〇年という話だし、それでもせめて、やるのは、
利子はそのままにしていて増えていくわけですよね。それも
サラ金地獄とどこが違うのかなと。
プライマリーバランスを回復したとしても、その辺、何かもう少し
国民と、
感覚で、家計とは違うんだと思いますけれ
ども、何か
サラ金地獄とどこが違うのかなというようなことをちょっと御教示いただきたいと思います。