○鈴木寛君 その点、是非、裁判実務の経験者が、少なくとも制度論としてはあるいはスキームとしては
法科大学院により多く
派遣する道だけはきちっと付けていただきたいというふうに思います。
それで、今日の主たる議題であります、正にこの
裁判官、
検察官の
派遣の問題について、少し、実務経験者が
専門職教育、正にこの
法科大学院のような場で活躍をしていただくことの
意味ということを少し掘り下げて
考えてみたいんだと思います。もちろん、そのことは院、
委員会含めて、附帯決議で決議をしたように、あるいは今回の法律を出してこられたように、
関係者の皆様方は意義深いことだということで推進をしていこうと、こういうことなんだと思いますが、どうもその
目的とか意義というところが少し若干きちっと押さえておかなきゃいけないのかなということを思いますので、以下の議論をさせていただきます。
優秀な法曹を養成をするために実務家が関与するということなんですが、その優秀な法曹の
意味ですね。私は、きちっともう一回とらえ直したいと思います。優秀な法曹というのは、単に実務がきちんとこなせるということだけではないんだと思うんです。それはもう当然のことでありまして、むしろ優秀な法曹というのは、午前中も正に名古屋
刑務所の問題が議論をされました。要するに、どんな政策分野でもどんな実務分野でもそうでありますが、百点ということはないわけであります。必ず現場にはいい点と悪い点があって、そして現状の実務あるいはその根っこになっている制度、その問題点がどこにあるのかということをやっぱりきちっと把握をしてそれを不断に
改善をする、あるいは改革をすると、こういう人材を私は優秀な人材だと言うわけでありますし、正に司法の現場で現在の司法の実務あるいはそれを支える制度、そこに、どこに不備があるんだろうか、どこにまだ
改善点があるんだろうかということを事前事前に自発的に見付け出して、そしてそれを改革をしていこうと、こういう人材を私はこれは養成をしなければいけないというふうに思っております。
そういうことからいいますと、もちろん実務がよくできるということも重要なわけでありますけれ
ども、一番ベーシックになるには、やっぱり法曹人としてのリーガルマインドということを私
たちもう、学生時代もうしつこく言われました。そのやっぱりリーガルマインドということをきちっとできているのかと。それから、やっぱり基礎とか基本とか、そのベーシックにある、あるいはバックにある思想とか体系とか、そういったものを裏付けがきちっとできてこそ、そうした創造的な法曹というんでしょうか、イノベーティブなローヤーというのが私はできるんだというふうに思っておりますから、法律の世界というのはイノベーションのないというふうに世間に思われているかもしれません、とんでもなくて、一番私はイノベーティブであるべきであると。特に、司法制度改革を行っていくというのは、正に今、法曹の世界にこそ、この司法の世界にこそ、イノベーションあるいはイノベーティブな人材が求められているんだろうというふうに思っております。
そういう
意味では、やっぱりそういう人材を養成する教員というのは、教員自体が正にリーガルマインドを持ち、そして基礎、基本ができて、そしてそれをきちっと制度論に打ち立てられて、そして制度論の不備を見付けて新しい制度論を提案し、そしてそれをさらに実務に具現化していく、こういった人材でなければそういう人材を育てることはできないわけでありまして、私は、
検察官、
裁判官といえ
ども、やっぱりアカデミックなバックグラウンドというものが必要だと思いますし、アカデミズムというのは、正に批判的精神と科学的な実証あるいは検証に基づく分析ということがやっぱりアカデミズムの基本にあるんだと思います。
そういう
意味で、
検察官、
裁判官の皆様方の、個人として見れば非常にイノベーティブで、そして自分のやっているお仕事にも非常にそうした科学的な分析的な批判的な目を持ちながら取り組んでおられる方が一杯いらっしゃることは私も
承知をしておりますし、大変に敬意を払っておりますけれ
ども、果たして今回のいわゆる
派遣のスキームというものが、そうした個々人の
裁判官、
検察官も含めてですよ、そうした個人のそうしたアカデミックな素養とか、あるいはリーガルマインド、あるいは正義を本当に愛するといいますか大事だと思うそうしたマインドが本当に存分に引き出せる、あるいは、そのことが大学で学ぶ、大学院で学ぶ学生に伝わるフレームワークになっているのかどうかなというところを少し危惧をするわけでございます。
もちろん、そういう
意味で、更に申し上げますと、この
裁判官あるいは警察官の
方々も、非常に純粋な学生の前に立って、今まで自分
たちがやってきた実務というものをもう一回検証し直し、整理し直し、そして体系化し直し、ということは、更にもう一回現場に復帰されたときに、より良い司法現場を実現するという
意味で、恐らく御本人にとっても物すごくいいことだというふうに思うわけであります。
それで、問題は、やっぱり
派遣のされ方、繰り返しになりますけれ
ども、それで、特に私は何を問題視しているかといいますと、今回の法案では、
検察官の場合も
裁判官の場合も、いずれも身分を保有したまま
派遣をされるわけですね。更に申し上げますと、
裁判官の場合はお給料も全額、その親元という表現がいいのかどうか分かりませんけれ
ども、
派遣元が見るわけであります。それから、
検察官の場合も足らない分は親元が出すと、こういうことでありますので、身分も
派遣元に残っている。そして、更に申し上げると、給料の負担も全額ないし一部、
派遣元が支給をされながら
派遣をされると、こういうことになっているわけであります。
幾つかの身分上、身分保障上、憲法上、
裁判官の場合は憲法上、それから
検察官の場合も
実態的に給与が下がってしまうと。そういう中で、なかなか本人の同意を取って
派遣をするということが厳しい現状の中で、やむを得ない制度設計になっているということはよく分かるんではありますけれ
ども、実は、このことを私は大変危惧いたしますのは、私自身、行政官でありました。
ちょうど十年前辺りから総合政策学部という正にポリシースクールというものができ上がってまいりました。ポリシースクールでも正に実務、政策形成経験のある人材を欲しいということで、いわゆる
一般公務員の大学現場、経済学部とか法学部とかあるいは行政を教える学部などへの
派遣というものはどんどんこの十年間進んでいたんだというふうに思いますが、そういうふうないわゆる役所がコントロールをする人事と、それから、私の場合はちょっと特殊でございまして、私自身、行政官をやりながら学会にも所属をいたしておりまして、個人の立場で様々な共同研究を行ってまいりました。
そういう中で、お付き合いのありました中央大学の総合政策学部にまずはパートタイムで行くことになりました。私が所属しておりました通商産業省というのは非常に人事に寛容でございますので、行きたいと言ったら、ちゃんと
国家公務員法百四条の許可を取ってくれまして行かせてもらいました。両方からお給料を、数万円でありますけれ
ども、いただきました。
〔
委員長退席、理事荒木
清寛君着席〕
しかし、そのときに痛感したのは、私は、たまたま、経済産業省、昔の通産省でありますが、すんなりとこれを認めてくれたわけでありますが、そのときに、やや細かくなって恐縮でありますが、中央大学総合政策学部はいろんな省庁の人に来てほしいというようなオファーを、かつ個人を指名をして、それは要するに共同研究会のメンバーのより多くの、複数のメンバーに来てほしいと、こういう
要請があって、そして人事当局に諮りました。私以外の省庁に所属している若いメンバーもそのことを諮りましたけれ
ども、結局、制度的にすんなりと認められたのは通商産業省だけだったわけですね、であります。
それから、ちょっと話が長くなって恐縮でございますが、そこで若い研究者と、それから若い行政官と集まりまして、「中央省庁の政策形成過程」というプロジェクトをやりました。そして本をまとめました。これは今、行政学の教科書にもなっておる本で、いい仕事をできたと思っているんですけれ
ども、そのときに、その共同研究に参画をすること、あるいは中央大学に出入りすることを差し止められたといいますか、やめさせられた省庁が何人か、何省庁かございます。これは要するに、同じ霞が関の中でも一番通産省がルーズというか寛容というか、なわけでありますけれ
ども、あえてここでは名前は申し上げませんけれ
ども、ここに来ておられる役所の中でもそういうところに出入りしてはいかぬという御指導を受けて、これは中央省庁の政策過程の第一巻に出ていない省庁というふうに御理解をいただいたらいいと思いますが、続編が出まして、その省庁は今、名誉復活されていますが、しかし当時は全省庁に声を掛けて、あそこに出ていない省庁というのはそうしたことに対して非常に消極的だった省庁であります。
そういうことからかんがみますと、結局、身分を残して、当時であれば
関係省庁の、当然これ、学問的研究でありますから、各省庁の政策形成過程の問題点を
指摘せざるを得ないわけであります。そして、ここに、当然、通産省もこういうところに問題があると、大蔵省もこういうところに問題があると、しかしこういうふうな
改善点があるんだと、こういうことを本でまとめたわけでありますけれ
ども、そういうことができなかったわけですね。
こういうことを私は痛感をしたものでありますから、やはり身分を残したままの出向は難しいなということで、その次は今度はフルタイムで慶応大学へ行ったわけでありますけれ
ども、その実績に、あるいはその経験にかんがみますと、今回の
検察官、
裁判官というのは、大学にとって、ロースクールにとっては正に生殺与奪の権能を持つ、もう本当に雲の上の人といいますか、大変に怖い人なわけですね。そういう人から
派遣をしてもらうと、しかもその身分を残したまま
検察官あるいは
裁判官が来るといったときに、本当に正常ないわゆる研究とかあるいは正常な教育というものが、どことは言いませんけれ
ども、
一般の省庁ですらああだったと。まして、検察庁ですから、本当にまず
派遣された教官の学問と教育の自由というものが果たしてきちっと
確保されるんだろうかどうかと。
それから、これは二つ論点があると思いますが、
法科大学院、私
たちのグループのように、まず勝手に大学と話を付けてきて人事課とか秘書課に言うというのはやっぱりレアケースでありまして、現在、行政庁から各、特に国立大学の
派遣の状況を見てみますと、ある
意味では固定ポスト化しています。例えば、経済産業省が何とか大学経済学部に固定的に人事ローテーションの一環で人を送り出していると。何か、出張所というか島があるわけですね。何とか省が東大にポストを作ったから、うちもよこせとかといって介入をしてきたりという話も現に起こっております。
これは、決して私は検察庁の出先機関、教育機関をロースクールに作るということではあってはいけないんだろうというふうに思っておりまして、今長々と私の実体験に基づく今回の法律の懸念を御
紹介あるいは御
質疑をさせていただいているわけでありますけれ
ども、そういう
意味で、
法科大学院といわゆる
派遣先の
法務省あるいは裁判所、あるいはそれを仲立ちするといいますか
文部科学省、この
関係者が、条文の書き方は、
派遣の
要請に対し
相当と認められるときは法科大学設置者との取決め
内容を
裁判官ないしは
検察官に明示して、同意を得られたら、期間を決めてそして
派遣できると、このように書かざるを得ないということは分かります。分かりますけれ
ども、
実態上として、これは十二分に、十分に、普通にやっていたら、向こうは萎縮していますから、ロースクール側は、これは
検察官を受け入れて何か、
検察官にもいろんな方がいます、教育のお上手な方、そうでない方。
それから、こういうこともあります。行政庁からある大学に
派遣をされていた方で、最近は大学は教員の評価というのをやります。教員の評価をやりますと、しかもそれがある程度公表されます。人気のゼミとかそうでないゼミとかというのはホームページ見れば一目瞭然とか、こういうことになるわけですね。ある省庁から
派遣された
先生が、もうこれは私は教育のあるべき姿だと思いますが、どういう理由かよく分かりませんが、学生からの評価が非常に悪かった。それが怒ってしまって、もうおれは帰るとかという、こういう出来事もあったりして、いろんなことがこれ起こるんだと思います。それから、いろんな理由で、
派遣されてきた
検察官あるいは
裁判官を任期途中でありますが、いろんな事情でやっぱり取り替えてほしい、替えてほしいというようなことも、これやってみないとよく分からないところもありまして、恐らく両方が手探りだというふうに思います。
そういう
意味で、私が申し上げたいのは、大学側のそういう教員
派遣についての、まず
派遣の前段階における事前の選択権というものがどれだけ
確保されているんだろうかどうかと。この方はどうも、どうもといって、ちゃんと、よりこういう方を
派遣していただけないでしょうかということを大学側がちゃんと言えるのかどうかですね、そういう選択権。あるいは、今までは送っていただいたんだけれ
ども、内部でそういう検察
関係あるいは
裁判官関係の人がかなり
人員の手当てができたので、もう結構ですと、あるいは取りあえずちょっと検察庁からの
派遣はお休みをさせてくださいというような、拒否権と言ったらおかしいんですけれ
ども、そういうことが、あるいは途中変更の申出とか、こういうことは
相当役所側が注意をして、留意をして聞いてあげないといけないんだというふうに思います。
〔理事荒木
清寛君退席、
委員長着席〕
そういう
意味で、
関係省庁と
法科大学院当事者とのコミュニケーションの在り方と、これはどういうふうに今現状なっていて、かつ今のような懸念というものがどの程度あって、あるいはそういう懸念がないようにどういうふうな具体的な手当てが行われているのかということについてお答えをいただきたいと思います。