○大仁田厚君 ありがとうございます。
これを、皆さん、これが学校
教育なのか、しつけというのは家庭でするものだという
認識があって、そしてまた学校に行くと、やっぱり怖い先生がいて、やっぱりある程度
社会の中でこれはやっちゃいけない、これはやっていいみたいなところのこの区別という、めり張りというのがはっきりしていた時代と違いまして、
本当に、ただ僕、最近発見しました。
ある
女性のライターなんですけれども、たまたま車いすに乗って都内を一日じゅう実験してみたらしいんですよ。それで、あるデータが出まして、じゃ、普通の、普通の大人と言われる年齢の方々がちゃんとそのハンディキャップの人にヘルプしたりしたかというと、逆に、逆に若い
人たちがちゃんとこうやってくれたというデータが出たんですけれども。
不思議なことに、若い人が若い人がと言われますけれども、最近の若いやつはと、こう言われますけれども、逆に、僕は逆に大人の姿勢も問われているんじゃないかなって。何かもう最近、非常に僕、感じるんですけれども、最近、
選挙応援とか行くじゃないですか。で、こうやってお願いします、お願いしますと、こうやっていて壇上からこう言っていると、おば様と言ってよろしいでしょうか、ある程度の年齢をいかれている
人たちの元気のある方々、こういう表現でよろしい、そのおば様と言われる方々は元気あるんですよ。わあ、頑張れよと、元気あるんです。
ただ、こうやって遠目で見ていて、通勤列車がこう来るじゃないですか。三十代、四十代、五十代のサラリーマンの方々がこうやって、何かもう世の中に疲れたなあ、おれはもうだめだなみたいな感じで、何やっているんだみたいな感じで、何でこの
人たちがもっともっと熱くなり、何かを語ろうとする、コミュニケーションを自分から、自ら取りに行こうとする、そして悪かったら悪かったと言えるような、言えるような何かそういったものがなければ、どんどんどんどん活性化していかないんじゃないかなと。
これ、
一つの僕のあれなんですけれども、僕は三年前までは高校生だったんですけれども、高校生だったんです。高校生で、やっぱり僕みたいな、二十六年ぶりに高校に入ったら、やっぱり僕みたいな男でもへこむわけですよ。出てきたのが因数分解、微分積分だ、何やこりゃみたいなところがあって、解けないわけですよ。やっぱりそうなると、じいっと静かになっていきますね。だけれども、何がそれは助けてくれたかといったら、友達なんですね。友達が逆に、大仁田君とは言わなかった、大仁田さんと言っていましたけれども、みんなが教えてくれるわけです。それで僕も力強くなってくるわけです。人間て独りじゃないなと、そういうとき感じるじゃないですか。先生、そうですよね。独りじゃないなと物すごく感じるんですよ。それで、何か同級生が、もう年は倍以上離れているのに、その十七歳、十八歳の子
たちが
本当に友達になってくるんですよ、これ不思議な現象なんですけれども。そうなると、逆にその友達が僕にパワーを与えてくれるんですよね。
それで、僕らは夜間ですから、一時間目終わったら、こうやって学食食べに行くんですよ。こうやって学食、カツどんだったんですけれども、そのとき。太一という友達とカツどん食べていたんですけれども、カツどん食べて帰ろうかと言ったら、ちょっと何というのかな、ぽちゃっとした、こういう場で言っていいのか分かりませんけれども、これは実際存在します。先生方が否定されようと存在するんですよ、いじめられるタイプというのが存在するんです。これは
本当なんです。それで、その子が元気がないから、僕はどちらかというと、おい、元気出せよと肩をたたこうとしたら、ぱっと見たらカツどんの中身が唐辛子で真っ赤っ赤なんですよ。そうしたら、僕の友達の太一が、大仁田さん、これいじめられているんですよと言うんですよ。それで、もうそうなると僕と太一はかっとくるタイプですから、百人ぐらい御飯食べていたんですが、だれだ、こんなことをやったのはと言った途端に、隣の席で座って食べていた教師の、あの政経の西谷先生と化学の大沢先生が、大仁田やめろと、おれを止めるんですよ。ちょっと待ってください、おれの問題じゃなくて、これは先生、生徒の、教師の問題じゃなくておれら生徒の問題ですから、生徒に片付けさせてくださいと僕言ったんです。それで僕は言ったんですよ、だれだこんなことをやったのは。ちゃんと一人立ちました。やっぱり僕が怖かったんだろうと
思いますけれども。それで、四人ぐらいがこうやって立ったんです。
ちょっと聞いてください。これは先生方、申し訳ありませんが、これ
政治家になる前の話ですからね。僕は悪い
言葉を使ってしまいました。これは
政治家になる前の話ですからね、
大臣、副
大臣。僕はちょっと、これは正式に削除するかどうかは分かりませんが、僕はそのときの状況を正しく説明いたします。その子
たちに僕は言いました。おい、面かせ、表に出ろ、今だったら多分、お面をおかしください、表に出てくださいと多分言うと
思いますけれども。
いや、だけれども、
考えてみてください。じゃ、何もしないで、その現状を何もしないで、じゃただ見ているだけで僕が大人のふりをして、あいつら、ああ倍ぐらい違うのにというんじゃなく、僕は何を感じたか。前例のように、僕は友達から、倍ぐらい離れた友達から問題を教えてもらったりいろんなことをしてパワーを逆に与えられました。じゃ、僕にできることは何なのか。おせっかいかもしれません。おせっかいかもしれません。だけれども、そのおせっかい、何かを
行動すること、何か動くことによって何かが得られるんだよ、そこから何かが変わるんだよということを大人が教えていかなければ何も変わらないんじゃないでしょうか。僕が言いたいのは、僕が言いたいのは、子供に元気を出せよと言う前に、大人が元気がなければ子供が元気になるわけないじゃないですか。
僕は、
教育というものは何だって、分かりません。多分、答えは多分出ないと
思います。僕、
大臣があと三十年ぐらいやっても多分出ないと
思います、答えは。いや、だってそうです。かのアントニオ猪木が、かのアントニオ猪木が、多分江本先生は御存じだと
思いますけれども、かのアントニオ猪木さんでさえ、多分、プロレスとは何ぞやと言われたとき、永遠に答えは出ない。
教育とは何ぞやと言われたときに、多分
遠山大臣でも、これだけ
教育を長くやっていても、
教育とは何ぞやと言われたときに多分答えは出ないと思うんです。だけれども、じゃ、僕らが、僕ら大人が何もせずに、何もしないでじゃなくて、やっぱり気付いたことに対してチャレンジする、何かをしようとする
行動を見せなければ何も、何も変わっていかないんじゃないかなと。
副
大臣に御質問なんですが、やっぱり僕は、大人自ら姿勢を正し、今のこの二十一
世紀を生き抜くために、
子供たちに、失敗してもいいじゃないか、何かをやろうよ、そしてまた、悪いことを見たら、何かそういうものを見たら自分から胸を張ってでも止めてみようよという姿勢というのを、やっぱり
教育の中からどんどんどんどん掘り上げていかなきゃいけないと思うんですが、それについてどう思われますか。