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岡崎トミ子君 やっぱり当事者の納得が得られていない場合には、その検討
課題を整理しながら、決定されたものを出すのではなくて、市民と一緒に議論をしていってそして結論を出していく、この姿勢が大事だと思っておりますので、なお、その私的なものだそうですけれども、そうしたプロセスを設けてくださいますように、市民参加のプロセスを設けてくださいますように
お願いをしておきたいと思います。ありがとうございました。
さて、このほど、第二次大戦中にフィリピンの戦線で
日本軍の捕虜になり、有名なバターン死の行進を生き延びて、輸送船で
日本に送られて、九州大牟田の三井三池炭鉱で三年間労働させられたレスター・テニー・アリゾナ大学名誉教授が書かれました体験記が
日本語に翻訳されて出版されました。この本は、「バターン死の行進」ですか、
米国では一九九五年に出版されまして、クリントン前大統領も読んで感動したとの手紙を直接レスター・テニーさんに送ったということで話題になった本でございます。
フィリピンでは、
日本の炭鉱でどのように苦しく悲惨な目に遭ったのか、私たちが知らなかった戦争の歴史が記された大変貴重な本でございまして、私は一昨日、レスター・テニーさん、来日されましたのでお目に掛かりました。その言葉の中で、本当にこの方は苦しみを知ってもらいたい、認めてもらいたい、半世紀たって過酷な労働を強いた
日本企業を相手取ってカリフォルニア州で裁判を起こされたわけなんですけれども、テニー教授は
日本の
企業を訴えておりますので、米議会の上下両院の司法
委員会で証言したりもしておられました。その点をとらえまして、
日本の一部の心ないメディアが反日の旗手というレッテルを張ったりもしておりまして、大変にテニーさんは残念な、心の中では怒りを持っていらっしゃるわけなんですけれども、この方は本当に反日ではなく大変な親日家で、
日本から行きました留学生をホームステイをさせましたり、京都にいらしたり、
日本の温泉が大好きである、少し
日本語もよくお分かりになっていらっしゃるということで、八十二歳のテニー教授という方は何て穏やかな方なんだろうと。
しかも、この
日本に対して許したというふうに言っているわけなんですね。許したけれども、決して忘れないと。本当にそのことを許すこと、自分自身を自由にする、そのためには、
日本は、
企業は一言謝ってほしい、そして自分が奴隷でなかったという証拠に、お金は金額は幾らでもいい、奴隷でなかった証拠にお金も補償していただきたい、そんなことをおっしゃっておりまして、
日本側の知らないところで
被害者の方々の訴えは続いて、こういった戦後処理の問題はアジアの
被害国だけではなくて、アメリカとの間でも言わばのどに刺さったとげのように外交関係にも微妙な影響を与えていくものというふうに思っております。
米
政府でもこの問題で
日本政府と協議したと、昨年の九月、アメリカの下院司法
委員会補償小
委員会で国務省のスタッフが確認をしておりますけれども、これは新聞にもたくさん取り上げられているということでございますから、官房
長官もごらんになったことがあると思います。
従来、ほとんど国会では取り上げられることのなかった連合側の捕虜に対する
日本軍や
日本企業の虐待、それから過酷な労働の問題ですけれども、こういった問題について官房
長官は、一度捕虜の問題についてもこの
内閣委員会で一言触れられたことがございました。現在はどのようにお考えになっていらっしゃるでしょうか。