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参考人(
八田進二君)
青山学院大学の
八田でございます。よろしくお願いいたします。
今日、私、
大学では
会計学の中でも特に
公認会計士監査論を専攻し、
授業科目も
監査論という
科目を持っております
関係上、今回のこの
公認会計士法の
改正に関しましては早い
段階から非常に関心を持っており、一、二、
論文の中でもこの
改正に関しての検討をさせていただきました。そういう
関係がありまして、今日こういった貴重な時間をいただきまして
お話しさせていただきますこと光栄に存じております。
日ごろ思っておりますことを幾つか
お話し申し上げたいのですが、時間的にも限りがありますので、私の
研究者及び学者としての
立場で三点ほどに限ってまず
お話をさせていただきたいと思います。
冒頭、
お話し申し上げる前に、今回のこの一連の
議論の中で、
公認会計士法の
改正がなされるということは、我々
監査論の
関係者から見るならば、昨年一月に十年
ぶりに
監査人の行動の
ルールである
監査基準が大改定されたということ、そしてそれを踏まえまして、その
適用がこの
平成十五年の三月期以降、今、正に
決算報告がなされようとしているこの
監査時点で新しい
監査基準の
適用になった
監査結果が世に発信されるということを考えますと、五十年を超える
我が国の
公認会計士監査制度の中でも、やはり今年は非常に重い
意味を持つ年ではないのかと。逆に申し上げるならば、私は、これをもって
我が国の
公認会計士制度の本来の姿、真骨頂が問われる
監査元年ではないかということを何度も申し上げております。したがいまして、今回のこの
改正は
時宜にかなったものとして高く
評価させていただきます。
ただ、後ほど申し上げますが、
監査だけが
一つ頑張っても、
我が国の
証券・
資本市場は良くならないのであります。まず、やはりその
主体である
企業あるいは
経済主体が健全な
仕組みを構えているということ、恐らくこれをもってコーポレートガバナンスと言うのかもしれません、そして厳格な
透明性の高い
会計の
ルールが用意されているということ、つまり
会計制度が秩序立って維持されているということ、そしてそれを
側面から
支援し、かつ公共の
利益に資するために、やはり一国の、ある特定の
経済主体や
企業に利するのではなく、
社会の人々の
利益を願って行われる
監査、この三点セットが機能しなければ、
我が国の
証券、
資本、
金融市場は健全かつ国際的に見てもとらないものとは言えないというふうに考えております。
ただ、そういうふうに考えますと、
会計、ガバナンス、それから
監査というのは、正しく
経済活動を後追いする形で機能するわけでありますから、
経済活動の変遷に伴って、
先ほど関委員の方からもありましたように、この
多様化、
国際化、複雑化する
企業社会の
環境に伴って常に
見直しが必要であるということですから、今回、このように三十七年
ぶりの仮に大
改正がなされたとしても、その
適用になったそのときから直ちに継続的な
見直しがなされなければならないというふうに考えております。
それから、正しくこの
会計監査の
世界は国境はないと言われております。後ほ
ども申し上げるかもしれませんが、
一つ会計の
ルールに関しましては、二〇〇五年というのは、
統一化の
方向に向かって
世界が大きく動き出しております。
監査の
ルールも
国際監査基準という形で大きく
統一化の
方向に向かいつつあります。ということで、
我が国のこの
改革の動きは直ちに国際
社会に発信されなければならない。恐らく、これは英語で表記されるわけですが、そのときに英語に置き直されたときに国際
社会から失笑を買わないような
規定条項でなければならないのではないかというふうに考えております。
それから、今回のこの
改正に際しまして、やはり一番大きな、途中、たまたまなのかもしれませんが、インパクトを与えたのは、御
案内のように二〇〇一年十二月に
アメリカで起きましたエンロンといういわゆる
会社不正の事案がきっかけで、翌二〇〇二年七月三十日に非常に短
期間の間に制定されましたサーベインズ・オックスリー法、
我が国ではこれを俗称
企業改革法と言っておりますが、この中での
改革案件、これがやはり
我が国の
制度改革に関しては一応
参考にしておかなければならない事案であろうと思います。
ちなみに御紹介申し上げますと、この
企業改革法は、正に
会計、
監査、コーポレートガバナンス、このすべての全面
見直しが盛られた十一章から成る大部な条文であります。そして、これが部分的には域外
適用ということで、米国の
証券市場で恩恵を受けている人たちにはすべて法の網を掛けるということで今日に至っておりますが、たまたま、
企業の問題に関しましては、例えば
監査制度の問題に関しましては若干
免除規定も盛られるようでありまして、その辺が今正に動いているところであります。
そこで、
我が国のこの
公認会計士制度の原点を振り返りますと、実は、御
案内のように、
アメリカの一九三三年の
証券法、三四年の
証券取引所法、この二法を基に、
我が国が戦後、一九四八年、昭和二十三年に
証券取引法として制定され、その年に
公認会計士法が制定され、翌々の昭和二十五年、
証券取引法の一部
改正がなされて、第百九十三条の二という
規定の中で
我が国の
公認会計士監査制度が始まったのであります。
ここで見落としてならないことがまず第一点あります。
アメリカの場合、一九三〇年代に同様に
証券取引法の中で、
証券二法の中で
公認会計士制度が
導入されるのですが、既にその
段階で
アメリカにおきましては、いわゆる
会計専門職、
公認会計士と申し上げるべきか、あるいは
会計プロフェッションと呼ぶべきか分かりませんが、
会計専門職の歴史はもう既に半世紀、五十年あったという事実であります。そして、そのときに、今後、公開
会社に対して第三者としての
監査業務をだれに担わせるかというときに若干の
議論がありまして、たまたま、歴史的な選択の中において、
公認会計士に
監査人としての
役割を担わせると、こういう
方向に来たのであります。そして、それを
監督官庁であるSEC、
証券取引
委員会が背後から常に
監視の目を光らせてきて、
アメリカ公認会計士協会の自主性を尊重しながら今日に至っているということでありまして、言うならば、SECは
アメリカ公認会計士ないしは
公認会計士協会を背中からガンを突き付けていつも見守っているんだと、こういう
関係にあって、
アメリカは、先進国、
会計監査先進国として
世界に冠たるものを誇っているというふうに言えるわけであります。
残念ながらといいますか、歴史的な状況もありまして、
我が国の場合には、昭和二十三年に生み落とされました
我が国の
公認会計士制度、あるいは昭和二十五年から始まりました
公認会計士監査制度は、
監査人イコール
公認会計士という筋書で始まったのです。したがいまして、今回のこの第一条の
規定にも必ず、あるいは
日本公認会計士協会の倫理規則にもあるんですが、
使命などを考える場合に、
監査及び
会計の
専門家という文言がございます。これは私から見ますと逆でありまして、
会計という大きな枠組みの職能の中に
監査という職能が入るのであります。つまり、
会計というのは、もっと申し上げますと、税務も入り、あるいは
会計関連の助言
業務、コンサル、こういったものも全部総括して
会計というふうに考えるべきと思っております。
したがいまして、今回は
監査制度の
強化あるいは
監査人に対する見方が中心になっておりますので、その辺を
議論されることは一向に構わないわけでありますが、
公認会計士という名の下に
議論されるならば、すなわち公認
監査人という
法律ではないわけでありますから、
会計とは一体何かという
議論をもう一回本来は考えるべきではないのかと思っております。
そして、
我が国の
公認会計士協会を中心とした会員の
方々は、恐らく、
個人的には、
試験制度の中で培われた知識と継続的な
研修の中において、まず
会計の
専門家であり、そして、その中で
監査業務に特化する
方々は恐らく
監査法人に御勤務になって
監査業務をされているというわけでありますから、これは
実態的にはそのとおり合っているというわけでありまして、文章上の言葉が少し問題かなという気がしております。
それから、
会計プロフェッションに対して、なぜ
アメリカが当時、
監査人としての、いわゆる公共の
利益を守るべき
社会の代表、国民の代表として
役割を担わせたかということの論点が二つございます。
それは、
一つは、彼らの質が均一であるということであります。つまり、同じ
資質を持った人たちの集団であるということ、そして、彼らが専門職ということで自分たちの規律を作って、自分たちの中で
自主規制を働かすことが可能であろうという強い期待と信念があったからにほかならないと思います。残念ながら、サーベインズ・オックスリー法はこの
自主規制という問題が若干後退しております。したがって、
規制強化の
方向に回ったと見られるわけですが、
我が国の場合には、逆にこれまで、昭和四十一年に大
改正がありました
公認会計士法の中で
公認会計士協会とあるいは
監査法人制度ができましたが、基本的には非常に
規制が強い中での
監査制度が構築されてきたということで、自主性をそいでいたのではないかと。
したがいまして、今回一部
改正になって、その自主性を尊重するような
方向、これは逆に
アメリカには逆行するという見方があるかもしれませんが、
我が国においては、今こそ、ここで自立する
公認会計士あるいは
公認会計士協会を期待すべきというふうに思っておりますから、私は、何も恥ずることではなくて、堂々と
我が国の
公認会計士制度を
世界に発信すべきではないかと思っております。
それから、
先ほど申し上げましたように、
監査人としての
役割は、これは
公認会計士に与えられた独占的、排他的
業務であります。したがいまして、その背後には、特定の
企業集団とか特定の
企業とかあるいは株主のみとか、こういった
議論ではなくて、広く言うならばステークホルダー全般あるいは
投資者集団全般、さらには、公共の人々といいますか、英語ではザ・パブリックと言いまして、必ず
公認会計士あるいは
会計プロフェッションの職能を語る場合には、彼らは、英語圏の人たちは、もう例外なく使う言葉は、我々はパブリックインタレストを守っているんだと、こういう
議論をいたします。残念ながら、
我が国の今回のを拝見いたしますと、一条にはその公共の
利益という言葉がないようであります。国民の、
投資者の
保護とかこういう言葉はあるかもしれませんが、もう少し、抽象的な言葉かもしれませんが、やはり国際的に共通の地盤で
議論をすべきではないかというふうに思っております。
それから、二つ目でありますが、
先ほど来から申し上げていますように、この
自主規制の問題、特に例えば合格後あるいは実務に就いてから、このように激しく変革する時代の中におきましては、やはり昔取ったきねづかというので、昔の陳腐化した知識、昔の陳腐化した
経験では対応できない。したがって、専門職たるものは必ずやアップデートするような
環境ということで、CPE、継続専門
研修と我々訳しますが、これが実際に移されていなければいけないということもありまして、
公認会計士協会の場合には、昨年からでしょうか、会員の会則の中においてこれを義務付けてきたということは、これは高く
評価すべきであり、
アメリカにおきましても、この
制度が始まったのは一九八八年からであります。したがいまして、それは非常にいい
方向に行っているというふうに考えられます。ただ、それを逆に国家的視点から
監視するならば、その
規定の一文ぐらいは
法案の中に織り込むことはやぶさかではないのかなという気がいたしております。
それから、
試験制度の問題でありますが、やはり
先ほど来からありますように、
我が国の場合、
公認会計士並びに
会計士補を合わせましても一万九千名ちょっとであります。
アメリカではよく三十数万人と言います。恐らく、これは
アメリカ公認会計士協会に
登録している
会計士の数が三十数万人でありまして、私が試算する限り、既に五十万人程度の合格者数はいるわけであります。
アメリカの場合には、いわゆる開業と
登録と、免許
登録とちょっと違った扱いをしています。
日本の場合には、
登録即イコール開業
登録でありますのでほぼ全容が把握できるわけでありますが、
アメリカの場合には、言うならば有
資格者という形で何人かいるわけであります。それは何も
会計事務所で
公認会計士たる
能力を発揮するのではなくて、
社会のあらゆるところで、例えば教育機関、研究機関、政府機関、こういったところで
会計を中核とした知識を持って幅広く活躍している、これがやはり
アメリカという国の
経済社会を支えている
一つの大きな根源ではないのかと。
残念ながら、
日本の場合には、
先ほども申し上げましたように、
公認会計士イコール
監査人、そして
公認会計士試験に受かりますとイコール
監査法人に勤務すると、このような非常に短絡的な図式が行われているために、どうも
会計というものが
社会のインフラであるという
理解がなかなかなされていない。幸いにも、最近やはり政治の場においても
会計が
議論されたということは、正しく
会計が
経済社会秩序のインフラ、基盤を成しているということがよく分かった事案でありまして、
是非こういった
理解もしていただきたいと思うわけであります。
もう一点、
試験制度の問題でありますが、どういう形で進めるかというのは、いろんな方法があると思いますが、
アメリカにおいて、従来ありましたいわゆる自主的な
会計士
業務から、
証券取引法の
適用を受けた公共の
利益に役立つような
監査にかかわるような
公認会計士に移行するときに彼らが言った言葉が、テクニシャンからプロフェッショナルへ、つまり技術専門職からいわゆる専門職業人へと、こういった高度な
倫理観を持ったものへ移行すべきであって、単なる、失礼ではありますが、いわゆる見習いの大工さんがずっとくぎの打ち方、かんなの掛け方を覚えても、それはプロフェッションではないんだと。
やはり正式の高等教育プロセスをちゃんと経たこと、そしてその中における
倫理観とかあるいは道徳性、こういったものをちゃんと植え付けたものとして
資格が得られるならば、それが正しくプロフェッションであるということで、このプロフェッションという言葉そのものの淵源をたどりますと、中世ヨーロッパにおけるいわゆる高等教育機関の教育プロセスとリンクした形で今日に至っているわけですから、今日、
日本であるところの高等教育機関とうまくリンクした形でこれを活性化するように、そして更に
会計専門職の母体を増やしていただきたいというふうに考えております。
それから、
監査法人に対する責任問題でありますが、余り従来どおり
監査法人の無限責任
制度を
導入しておきますと、これは国際的な視点から見ると国際競争力に負けるのではないか。つまり、聞くところによりますと、東京
証券取引所管内、このバブルがはじけた十年間の間に外国人
投資家はちょうど三倍になったそうであります。
個人投資家の確かに全体率はまだ低いわけでありますが、少なくとも
証券市場は国境がございません。
となると、訴訟
社会アメリカと言われるように、いわゆる
会計監査結果に対して訴訟が投げ掛ける場面は多分に想定できるわけでありますが、その場合に、かのアーサーアンダーセンという
事務所がエンロン事件をきっかけに八十九年の幕を閉じてしまったあの苦い
経験を思い起こすならば、
日本ではそういったことはあってはならないわけですから、しかるべきやはり対応をしていただく必要があるのではないかと思っております。
まだ申し上げたいことはありますが、一応この辺にさせていただきます。