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岩本荘太君 国会改革連絡会の
岩本荘太でございます。
おととい三宅島
視察させていただきまして、私も初めての島で、大変自然に恵まれているといいますか、こういうところも日本にあるのかなと、何か心の安らぐ思いもしたことも事実でございます。
そんな関係で、今日、先日の今日ですから質問が随分三宅島に集中するのかなと思いましたら、それほどでもなかったような印象が受けるんですが、これは決して三宅島を軽視しているということじゃなくて、見方によってはそれだけたくさんの
災害が最近日本を襲っていることじゃないか、襲っているせいじゃないかとつくづく感じるわけでございまして、よく昔は
災害は忘れたころにやってくると言われますけれども、最近は忘れないうちに随分やってまいりますので、これは
鴻池大臣も大変じゃないかなという気がいたします。
〔
委員長退席、
理事風間昶君着席〕
この
委員会の宿命でしょうけれども、いろいろお話聞くたびに何か心の痛む思いがするわけでございまして、今日も冒頭に
黙祷をさせていただきましたし、またたくさんの
被害を、
被害者の方にお
見舞いを申し上げる次第でございますけれども、この
災害と、幾ら考えてもやっぱり絶対になくなることはあり得ない、人間の歴史上あり得ないんじゃないかと。これは当たり前のことかもしれませんが、人間自身が文明を求めて自然を征服しようとしているわけですから自然が黙っているわけないわけで、文明が進めば進むほど、またその文明によって引き起こされる
災害というのも当然出てくるんじゃないかなと。
したがって、それに対して我々がやれることは、いかにその
被害を少なくするかということではないかと思いますが、その点では、
大臣もよく言われております、逃げるが勝ちという表現されたか分かりませんが、要するに避難をすることが大事だということでありますし、言うなれば危うきに近寄らずということだと思うんですが、そういうことができるためには、できるためにはやっぱり予知をしっかりして、
情報公開といいますか、
情報を迅速に伝えるということがまず大事だと思うんですが、その点はかねてからこの
委員会でもいろいろ議論されていて、私、今それを取り上げるつもりはございませんけれども。
同時に、やっぱり
災害を受けたら、それをいかに早く
災害復旧するか。
災害復旧といえば原則原形
復旧ですけれども、
災害がなかったときの
状況にいかに戻すかということではないかと思います。
そういう考え方といいますか、私はそういうふうに思っているわけですが、そういう面から、先日、三宅村を
視察させていただきましたら、皆様の、
関係者の御苦労でいわゆる
災害復旧という面ではかなり軌道に乗っているといいますか、進んでいるような印象を受けました。先ほども谷
委員の方から御紹介あったと思いますが、砂防ダムを計画五十一か所のうち二十八か所できていると。周回
道路も今年度一杯で貫通すると、開通すると。我々も結局周回したわけですから一応もう既に回れるのかなという気がいたしまして、あれ回ってみますと非常にもう便利になって、これなら何でもできるんだなというような感じもするんですけれども、恐らく少し前は、あれがつながっていなけりゃ相当御苦労があったんじゃないかなというような感じがいたします。それが一応ほぼ完成間近になって、ライフラインの方もいわゆる整ってきたというようなことでございますが。
そこで、いよいよこれからが私が考えますには
復興の本番だと思うんです。一応今までは壊れたところを直そう直そうと、これはハードの面でいろいろやってこられたわけですから、これからはいかに島民の、生きているソフトな面の島民の
生活をいかに原形に戻すかということが大きな仕事になる。これはハードの仕事と比べてかなりいろんな面の要素が入ってきて難しいことではないかなというふうに感じているわけです。
とはいえ、私もいろいろお話聞いて、人為的に、いつ帰せばいいかということはこれは分からない。相手がSO2の火山ガスの濃度がどうなるかということですから、これはなかなか人為的にどうしたらいいか分からない。測定値では減っている傾向にあるということですけれども、いつ
生活できるところまで行けるのかどうかということが、そういう人為的にはできないという要素もあるかもしれません。
それと、お話を伺いますと、地域によってガス濃度が随分違う、
被害濃度も随分違う。西側で見た木というのはほとんどシラカバ状態だったんですけれども、
北部とか東側で見る自然は、本当にここで
災害あったのかなと思うぐらい豊かな自然に恵まれておりまして、そういう地域差があるわけでございますね。そういうこともだんだん分かってきた。
それと同時に、お話聞いていますと、やはりこの三年間ずっと島を離れて仮住まいを余儀なくされていた、その精神的な限界がもうそろそろ来ているというようなお話を伺っているわけでございまして、大分この
状況が変わってきている。私は私なりに考えますと、精神的な限界が来ているということは、逆に言えば、じゃどうするかと問われたときに、もうおれはこうするんだと、こっちに行きたいという準備がある程度できているんじゃないか、精神的にできているんじゃないかと。最初に
被害に襲われたときはまだ分かんない、どうなるか分かんないけれども、今
状況をずっと見て、それぞれの人がかなりそういうことがもう分かりつつあるんじゃないかなというような感じがしているのが現実でございます。
それともう一つ、これは
災害と違うんですけれども、実はおととい行ったときに警報が発令されるような
大雨に遭いまして、川が、
道路が瞬時にもう急流
河川になるような
状況でございまして、それとまた砂防ダムなんかも、私はそういう関係の仕事を今までしてきましたけれども、今まで見たこともないようなすごい激流が、濁流が渦巻いていると。恐らくあれは設計上考えられた流況かなということを疑問に思うぐらいなすごい、これ今日写真持ってこなかったのは残念なんですけれども、一緒においでになった方は皆さんそのことを同意してもらえると思います。そのような非常に自然環境と
生活環境としても大変なところと。いろんな要素がここで浮かび上がってきたと思うんです。
したがって、この先この島をどうするか。これはまあ国だからといい都だからといい我々だからといってどうせよということは言えないかもしれませんけれども、少なくとも
災害を受けたときと今と
状況が変わってきている、その変わったところで次の新しい方向に進み出す手だてをしなきゃいけないんじゃないかなと。そういう意味では、やはり
内閣府といいますか、
鴻池大臣のところがイニシアチブを発揮していただかなければいけないんじゃないかなというような、こんな思いを持ったわけでございます。
〔
理事風間昶君退席、
委員長着席〕
私自身、じゃ国としてあそこで何をしたらいいのかなというとなかなか分かんないわけですけれども、そういうような
状況でこんな質問するのは失礼かもしれませんけれども、やはり、私も地方行政やってきたことございますけれども、いわゆる
災害復旧というのは、これ、何といいますかね、一歩先んじると、イニシアチブといいますか、担当部局が一歩先んじると何の問題も出てこない、皆さん従う。しかし、一歩後れるともう一〇〇%の非難が出てくると。したがって、そういう思いで進んでもらわなければいけない。
そういうことから、まずこれ、事務当局で結構ですけれども、今までの
状況をどのように把握されて、この先どんな動きを、今現実にやっておられるのか。
それと、
大臣、その後で結構なんですけれども、要するに、今申しましたように、不満が出てからではもう遅いわけでございますので、リーダーシップを発揮されてこの先進んでいかれる、その御決意のほどでも聞かせていただけたらと思います。