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参考人(
尾木直樹君)
教育評論家で
臨床教育研究所「虹」を経営しています
尾木直樹と言います。
僕は、お二方の先生のように専門性が高いというわけではなくて、ここ十年ぐらいで全国千数百か所、講演に回ったり、いろんなシンポジウムに参加したりとか、あちこち駆けずり回っている泥臭い現場からの
報告というような感じで、ちょっと今の
教育状況を俯瞰的にとらえながらお話ししていきたいというふうに思います。
お手元にレジュメ、簡単なのがあるかと思いますけれども、
一つは、今なぜ個の
確立を促す
教育あるいは
学習というものが求められているのかという、その必然性の問題なんですね。
これは、端的に言いますと、日本
社会の歴史的、時代的な変化の必然としてこれが
教育現場でも、あるいは
社会的にも話題になってきているんじゃないかということを思います。それは四つの柱から整理することができるかなというふうに思います。
一つは、御承知のとおり、日本型企業
社会、終身雇用制、年功序列を柱とした、それが崩壊しました。学歴
社会が揺らぎ、安定した企業、組織体やあるいは集団に
所属していくことが幸せの担保にならないような
社会に変化してきたと。言葉を換えて言えば、非常に労働力が流動化してきているという問題。
こういう中では、いわゆる一流大学へ、一流高校から一流大学へ進んで、そして一流企業に勤めれば、先ほど出ました、
アイデンティティーが
確立していなくても何とか職場の
人間関係で十年、十五年たつうちに一人前に育ててもらえるという発達のプロセスというのがあったかと思うんですけれども、それが今は保障されない状況だと。そういう中では、
個人が自らのキャリアイメージを作らなきゃいけないというような、キャリアデザインが必要な
社会に、時代に入ってきたという問題ですね。つまり、個の時代というかしら、評価は別にしてですが、が到来してきたということは認めざるを得ないかなというふうに思います。
それから二番目ですけれども、市民、学校レベルでいいますと、保護者が非常に高学歴化しました。今、大卒が四九%に達していますので、そういう中で、高学歴化とそれから
価値観が非常に多様化してきた成熟
社会あるいは知識
社会の要求として、これまでのような、単純なという言い方はちょっと語弊があるか分かりませんけれども、人材育成としての
教育から、それぞれの
子供たちの個の
確立を目指す
教育、これは市民的な
社会ではよく言われますけれども、共生時代の地球市民としての子育てや
教育をやってほしいというような表現で親たちはよく言いますが、そういうものが求められているような変化というのが二つ目です。
三つ目は、国際化、情報化の進展の中での
個人の
生活が激変してしまったという問題です。これは、御承知のとおり、メール、携帯メールでの出会い系サイトでの事件に
子供たちが巻き込まれるというのが相次いでいて、いろんな、私たちが悩まされていますけれども、そういうインターネット
社会やメール、携帯の普及とか、あるいは大人とボーダレス化した消費主義的な
社会の変化ですね。この中では、瞬時の自己
判断能力が要求されてきます。
自分で決定しなければいけないし、結果に対しては
自分で責任を取らざるを得ないような、学校や
家庭で
教育を受けていないにもかかわらず、
子供たちはそういう
社会に投げ込まれているという状況があります。
それから四番目の問題です。先ほどからも随分強調されていますけれども、
家庭の崩壊という問題ですね。これは、今、実は小学生の
子供でもお家に帰らなくちゃという表現を使わないというのが話題になっています。特に高校生は家に帰るという概念そのものが非常に弱くなってきていて、今の女子高生なんかは何て表現するかといいますと、お部屋に、私の部屋に帰るということで、
家族という
意識がないところで
家庭教育の重要性を私たち年輩者が強調しても前提がない状況になってきたと、そこまで深刻だというふうに思っています。
それで、
地域が崩壊し、
社会的モラルも崩壊していると、そういう中でいかに、
家庭の復権ということも重要なことは言うまでもないんですけれども、ダイレクトに個をいかに
確立していくのかということを独自に考えなきゃいけないような、そういう変化というのがあるんじゃないかなというのが四番目です。
そういう大きな変化の中で、じゃ、あちこち駆けずり回ってみますと、今日の
教育改革の実態や方向性にはどんな問題点やあるいは特徴があるのかということでちょっと整理してみます。
全体見ていまして思うことは、非常に私たち大人や
社会が
子供の
教育あるいは子育てについて
自信喪失の状況に今なっているんじゃないかと。過度の
自信喪失を感じます。それによる迷いというのがそのまま
教育政策、地方、中央を問わず出ているんじゃないかと。
それから、それにしては、地方を回ってみますと、今、規制緩和の影響というのもあるんじゃないかと思いますけれども、非常に実態に即しながら地方は努力しているというか、実績も上げているんじゃないかなと、地方に活力が出てきたというような感じがします。
一つは、これまで、
教育と学校の伝統とか常識とされてきたものがことごとく今覆されるような矢継ぎ早の目新しい
教育改革というのが進んでいるんじゃないかというふうに思うんですね。
これは、もちろん法的な整備が、裏付けが伴って進んでいるわけですけれども、例えばそこに列挙しました、思い付くままですけれども、今までは考えられなかったことですが、民間人校長ですね。この間不幸な事件もありましたけれども、民間人校長の登用とか、あるいは予備校・塾講師が授業をダイレクトに担当をするとか、東京や今度は福岡でもありますけれども、あるいは学区の自由化の問題とか、あるいはエリート
教育が進んできた問題とか、
小学校での英語
教育が非常に広がっています。東京なんかは八割です。小中一貫校の構想、中高一貫というのはお聞きになったことあると思いますが、小中一貫ということも今話題に上ってきたと。あるいは、大学の独立行政法人化の問題ですね。それから、これは一昔前だったら大変な事態になったことなんですが、習熟度別授業がもう当たり前のことにして今行われています。
小学校では半数ですね。中学では七割を超えています。それから、
小学校の教科担任制が行われたり、あるいはチームティーチングが導入されたり、それから今話題になっている
教育特区構想を見ますと、非常に斬新な目新しいのがたくさんあります。
というふうなことで、現場の校長やあるいは平場の先生方は、九十数%が現場の声を無視してどんどん進んでいくというので悲鳴を上げている状況です。
そういう中で、とにかく新しいことをやっていこうというのが
一つのトーンであるのと同時に、もう
一つ重要な柱として、何かやっぱり、僕自身もかなり年を取ってきたものですから、体の中にあるんですけれども、昔は良かったなという思いはやっぱりあるんですよね。昔はこうやっていたのにとか、昔の先生はこうだったとか、昔はもっと丁寧に教えてくれた、昔の教科書は良かったと。何か、言葉はこれ失礼があってはいけないんですけれども、非常に回顧的な傾向が強くなってきたなと。なぜなのかという分析が弱いまんまで昔はこうだったからというのに安易に、安易ではないんですが、おやりくださっている先生方はね、そこを非常に思います。
例えば、日本語ブームなんていうのはもう典型ですね。日本人としての
アイデンティティーが非常に確認されますから、それも身体論を通してやるなんていうのは非常に単純明快で、僕は国語の教師でしたから、えっと思うんですけれども、日本語ブーム、御承知のとおりに大変な状況です。誤解のないように、大野晋先生の「日本語練習帳」なんかは全く別の非常にすばらしい本だと思いますけれども。
それからもう
一つ、
教育基本法の改正問題、今ちょうど話題に上っているところですけれども、これなんかも、中身の問題というよりも、改正すれば何か良くなるんじゃないかなという思いがやっぱり市民レベルに相当あるんですけれども、果たしてそうかという問題があります。
それから、心の
教育というので、僕も心の
教育の本を書いているんですけれども、心の
在り方というのはすごく重要で、今、親御さんたちにアンケート
調査をしますと、人の痛みが分かる豊かな心を持った
子供になってほしいというのが断トツです、学力問題よりもはるかに高いんですね。だから、これの重要性というのは言うまでもないんですけれども、例えば心のノートを配って、そして授業をやっていけば心が豊かに育つかなというふうに、もちろん現場の教師が一面的にとらえているわけではないんですが、ややもすればそういう傾向があるということですね。
それから、
家庭教育の強調、これは強調し過ぎることはないんですが、どうも、これを言われるたびに
家庭の若いお母さん方はプレッシャーを感じて、どうしようと焦るような雰囲気での
家庭教育の強調というのがないだろうかという問題です。
それからもう
一つは、
数値目標が大流行です。これは、
数値目標というのは、例えば高校でいいますと、京都大学に何人合格させる、阪大に何人とか、あるいは英検二級、卒業までに、中学校、生徒、中学三年生の三%、五%という
数値目標を出して、そして年度末の三月に親御さんたちに評価をしてもらうみたいな、それがすべてにわたって
数値目標が大流行しています、今現場の方では。
それからもう
一つは、学力低下論争の中で、百升計算などトレーニング主義が大流行してしまっているということ。もちろん、間違いじゃないんですが、確かな学力というのは重要です。基礎、
基本も重要ですけれども、それがかなり形にとらわれた、一面化している傾向があると。個の
確立だとか個を尊重する
学習の
在り方とはちょっと縁もゆかりもない方向に進んでいるというようなことです。
それから、進学重点校を指定するというようなこと、これはどこかの県でやっていますけれども。それから、全体的に
子供への抑圧傾向が非常に強まっていて、問題を起こしたら
出席停止処分にするとか、この間も出た学校があります、九州の方でですけれども。かなり抑圧的な傾向が強まってきたなというふうに僕なんかは思います。それから、受験学力の復活の兆しも感じます。
それから、レジュメには書いていませんけれども、現場は、学校五日制の中で、授業時数をいかに確保するかというのにきゅうきゅうとされています。それから、教える量を、昔の量をどう教えるかというので、これは文科省、僕なんかは第二教科書と呼んでいるんですけれども、補充のテキストをお配りになって、あれをやらなければ親たちには信頼されない状況になっていて、結局、内容は削減されたと言われて批判を受けたわけですけれども、復活しちゃっているんです、今、現実問題としては。大変だろうと思います。枠が小さくなった中で中身的には同じだと。
全国、北海道から
沖縄まで、高校に至ってはゼロ時間目をやっている学校が圧倒的に多いです、普通科の学校では。それから、七時間目もやっています。つまり、一日八時間授業をやっているんですね。授業をたくさんやれば学力が付くのかというのは、これは私たちの経験を振り返れば、下手な先生が下手な授業を一杯やったら余計嫌いになっちゃうんですけれども、それが、そういうところの丁寧な研修を抜きにもう現場の先生が、やる方も大変ですけれども、生徒も大変、親たちも朝、昼、お弁当を作るのに早起きして大変な思いをしています。
ところが、三番目ですが、地方の方を見てみますと、意外といいのもあるんですね。現場の実態に根差した地方からの改革にはいいものがあると。
例えば、今、全国で、最新のデータですと、二十二の県にわたってですけれども、少人数学級を自前の、
自分たちの財政負担でやっておられます。極端なところは二十五人学級をやっているところもありますけれども、すごく急速に増えています。それから、先ほども出ましたけれども、体験
学習ですね。これが、兵庫県のトライアルウイークというのはお聞きになったかと思いますが、有名ですが、これのそれぞれの県版あるいは市版というのがあちこちに広がっていて、
社会体験、自然体験ではありませんが、
社会体験
学習とか進路
学習が広がっていて、非常に面白いと思います。
それから、市独自、町独自でカウンセラーを配置するという、文科省の施策とは別に独自に負担しながらやっておられる。それから、
学習支援者、学校ボランティアなんていうのも、これはお金が付く場合も付かない場合もありますけれども、全国に広がりました。そういう
意味では、様変わりしたなというふうに思います。
こういう中で、じゃ、個の
確立を促す
教育や
学習の
在り方とは何かということで、ここにたくさん時間を取ろうと思っていたら、あと五、六分になっちゃったんですけれども、ここで、今、僕、非常に気になっていること、間違いという
意味ではありませんが、例えば習熟度別授業だとかあるいは少人数授業というのが現場では努力されているんですが、形からいいますと、非常に個別化、分断化されていっています。少人数授業なんか大きな成果が上がっていることは言うまでもないんですけれども、果たしてそれだけだろうかと、学校というのは。せっかく大勢の
子供がいるんですから、いわゆる昔の団体
行動とか集団主義的なという、これは僕は間違いだろうと思いますけれども、新たな二十一
世紀の個の
確立した時代にふさわしいような協同とか連帯とかコミュニケーションというのをいかに
確立していくのかというのを抜きにしてしまったら、これは学校は塾とか予備校に負けてしまうと。
塾や学校の先生方はそれのプロフェッショナルですから、先生たちにかなうわけないわけですよね。だから、それが蔓延してしまうと、東京のある区のように、
地元の塾の先生を正規のお金を払って、給料を払いながら教壇に立たせると、それを数学の教師がみんな授業参観して研修させてもらうだとか、この四月から始まる福岡の高校のように、土曜日の授業は予備校の講師がやる、教師がやると。こういうふうにしてなってしまっては違うと、教師の専門性、学校の専門性とは一体なんだろうというのを僕は大事にもう一回見詰め直すべきだろうというふうに思います。
それから言いますと、七つか八つのにちょっとずらっと並べてみたんですが、
一つは条件整備、何か中身とは
関係ないようなことであれっと思われるか分かりませんけれども、意外や意外、この二十人学級や二十五人学級、これは学会の
調査なんかではここら辺が一番いいだろうということが出ていますけれども、世の中一般には三十人学級という言い方で言われていますけれども、これをやっぱり全国レベルで実施する必要があるだろうと。そこら辺の、実施してほしいというのは、資料にも添付しました。汚らしい資料ですけれども、これの二枚目なんかを見ていただきますと、全国のこれは三千二百二十の市町村、それの
教育委員会にアンケート
調査をしたものですけれども、この
教育委員会のアンケートでも、学級規模をもっと小さくしてほしいというのが九二%ということでなっています。それから、国のお金でやってほしいというのも、やっぱり各
教育委員会、九〇、政令指定都市では九七%に達しているという状況ですね。
で、ここら辺、学級規模が小さくなってくることは少人数学級とはまた違います。少人数学級のメリットというのはもちろんあるんですが、実は現場の先生方に聞いてみますと、少人数学級はまた独特の問題や困難を抱えているんですね。ちょっと時間がないのではしょりますけれども。
で、そのことによって学力や
生活や心豊かな
教育ができていくんじゃないかなというふうに、つまり一人一人の個性をしっかり発見できるし、
子供たち同士も個性を認め合った学級
生活あるいは
学習生活みたいなものを送れると、これがすごく重要だと思いますね。
僕も全国歩いていますと、やっぱり少人数学級を実現している県や市の
教育長にお会いすると、気のせいか分かりませんが、目が輝いています、少年のように。この一年ぐらいですね、
教育長や現場の校長の目が輝き始めたのは。そうじゃない、苦労されているところは落ち込んでおられますけれども、極端に二つに分かれてきました。で、目が輝いている
教育行政のところは、もうすべて間違いなく少人数学級を自腹を切ってやっておられるところですね。で、それだけの価値ありますかと僕も質問するんですが、いや、いいですよ、先生方が喜んでくれている、で、
子供たちが落ち着いたとか、あります。そこら辺はやっぱりデータやいろんなもので実証していかなきゃいけないだろうと。それを犠牲を払ってやっておられるところは、今研究会開いたりしながら、おいおいデータを発表されていかれるだろうと思います。
それから二つ目、教師の問題で、いろんな教師バッシングもあるんですけれども、やっぱり教師、ゆとりがないともうどうしようもないと思いますね。むちゃくちゃ今、五日制の下で忙しいんですよね。だから、ゆとりを持たせるための例えば教員増をもっと大胆にやるとか、
経済的な問題ありますけれども、財政事情の。やってほしいなというふうに思います。
子供というのはやっぱり失敗するのが
子供の
特性ですから、それをおおらかに見詰めながら、付き合いながら、心も個性も豊かに育てていけるような学校環境を作ってあげたいというふうに思います。
それから三つ目は、スクールデモクラシーの問題です。
私たちの国の
子供たちは諸
外国に比べるとセルフエスティームと、自尊感情、自己肯定心情と言われますけれども、これが極端に弱いと。どんな国際
調査、比較
調査を見てもむちゃくちゃ少ないんですね。
で、これを上げるためにはどうすればいいのかということなんですけれども、あらゆる領域での
子供参画を拡大するということであろうと。これは
子供に権利があるからという
意味ではなくて、そういうことをすることによって、参加することによって自己決定をせざるを得ないと。そのことを通して
自信を持ち、自己達成感を持ちます。それは自己責任感を形成していきますし、セルフエスティームを高めていくと。つまり、個の
確立した確かな自己責任感が形成されるんじゃないかと。責任を取れという形での責任を追及する声というのは私たち大人によくありますけれども、そうじゃない、発達の
一つの結果としての自己責任感情豊かな
子供たちをつくるということは、これから個の
確立した時代の中では欠くことができない要素じゃないかと思います。
それから四番目は、授業観の転換、これも先ほど
報告があったようですけれども、
一つは、教えから学びへどういうふうにして転換していくのか。画一的な詰め込みから自ら問題解決型の
学習をしていけるようにするのかということ。
それから、評価が相対評価から絶対評価に切り替わりました。これを僕は革命的な戦後の
教育改革の
一つだと思っていたら、何とコンピューターを使わなければ出せないような複雑怪奇なものに変質しています、今現場は。それもあって悲鳴を上げているんですけれども、もっとシンプルで絶対評価の良さを出していけるようなものに切り替えることが必要であろうと。
それから五番目には、この間、四月に
報告が出るようですけれども、不登校問題ですね。政府は一生懸命減らそうと努力されていますけれども、ここを、学校への復帰路線だけではやっぱりうまくいかないなというふうに僕は感じています。ここら辺は、不登校が僕は個性だとまでは言い切りませんけれども、やっぱり学校外
教育のもう一本の多様な路線をどういうふうに確保するかという時代の要請だろうと。フリースクールとかあるいはホームエデュケーションですね、それをどういうふうにして、緩やかでもいいですから、制度として作るのかというのが問題だろうと。
それから六番目、学校をベースにした町づくりをどうするのか。スクールコミュニティーという言い方で言っています。これは生涯
学習社会をどう実現するのかという問題に正にかかわっています。
それから七番目の特徴として、最近の文科省のいろんな施策を見ていて非常に不思議なのは、他の省庁は必ず国際的な子どもの権利条約ではとかいうように引用が入るんですが、なぜか一番大事な文科省の文章ではこれがほとんど出てこないと。国際的な視点からとらえるべきだろうということを思いますね。どうしたんだろうというのが非常に疑問です。
それから
家庭教育、八番目、
家庭教育の支援策をどうするのかと。これ、支援に徹しないと、非難視するようだとますます幼児虐待が増えるんじゃないかなというようなことを思っています。
以上、ちょっと焦点が拡散していましたけれども、
報告を終わらせていただきたいと思います。