運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

2003-02-26 第156回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十五年二月二十六日(水曜日)    午後一時一分開会     ─────────────    委員異動  二月十八日     辞任         補欠選任      神本美恵子君     榛葉賀津也君  二月十九日     辞任         補欠選任      榛葉賀津也君     神本美恵子君  二月二十五日     辞任         補欠選任      内藤 正光君     辻  泰弘君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         勝木 健司君     理 事                 魚住 汎英君                 北岡 秀二君                 中島 啓雄君                 円 より子君                 西山登紀子君                 森 ゆうこ君     委 員                 加治屋義人君                 山東 昭子君                 田村耕太郎君                 伊達 忠一君                 月原 茂皓君                 藤井 基之君                 松山 政司君                 山内 俊夫君                 池口 修次君                 神本美恵子君                 辻  泰弘君                 加藤 修一君                 渡辺 孝男君                 畑野 君枝君    事務局側        第二特別調査室        長        村松  帝君    参考人        九州大学大学院        人間環境学研究        院教授      小川 全夫君        サントリー株式        会社不易流行研        究所部長     佐藤友美子君        社団法人コミュ        ニティネットワ        ーク協会常務理        事        岡本健次郎君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○国民生活経済に関する調査  (「真に豊かな社会構築」のうち、都市と農  山漁村との交流世代交流等新たなライフス  タイルの実践課題について)     ─────────────
  2. 勝木健司

    会長勝木健司君) ただいまから国民生活経済に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨二十五日、内藤正光君が委員辞任され、その補欠として辻泰弘君が選任されました。     ─────────────
  3. 勝木健司

    会長勝木健司君) 理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 勝木健司

    会長勝木健司君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事円より子君を指名いたします。     ─────────────
  5. 勝木健司

    会長勝木健司君) 国民生活経済に関する調査を議題とし、「真に豊かな社会構築」のうち、都市農山漁村との交流世代交流等新たなライフスタイル実践課題について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、九州大学大学院人間環境学研究院教授小川夫君サントリー株式会社不易流行研究所部長佐藤友美子君及び社団法人コミュニティネットワーク協会常務理事岡本健次郎君に御出席いただき、御意見を承ることといたします。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人の皆様におかれましては、御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております「真に豊かな社会構築」のうち、都市農山漁村との交流世代交流等新たなライフスタイル実践課題につきまして忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず小川参考人佐藤参考人岡本参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、二時間半程度、午後四時三十分までの間、各委員からの質疑にお答えいただく方法で議事を進めてまいりたいと存じます。  この質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行いたいと存じます。  また、時間が限られておりますので、質疑答弁とも簡潔に行っていただくようお願いをいたします。  なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁とも着席のままで結構でございます。  それでは、小川参考人からお願いいたします。
  6. 小川全夫

    参考人小川夫君) 御紹介にあずかりました小川全夫と申します。お招きいただきまして本当に光栄に存じております。  私自身は、都市農村交流という問題につきましてはかなり以前からこれを政策的な課題として注目をいたしまして、現地で調査をしながら、そこに含まれている政策的な支援在り方、そういったようなことにつきましては、特に、時の国土庁あるいは農林水産省の方にいろいろな形で提言をさせていただいたり調査報告を出していただいてきた経緯を持っております。  現在、日本社会は豊かさに向けての再出発の時期を迎えていると思っております。食の安全性の問題を始めといたしまして、社会全体の中には非常に不安で不信の構造というのが蔓延しているような感じがいたします。安全で安心できて信頼できなければ豊かではないと思うので、その辺りのところについてどう進めていくかということが一つ課題であろうというふうに思っております。  最近、国際機関の方で、例えば世界の高齢化の問題に対して各国がどういう取組をしなければならないかといったようなことの話が進められているんですが、その中でキャピタルという、力のあるものというふうに考えた方がいいんでしょうが、そういうキャピタルというものについて、経済的な資本という概念ですね、お金あるいは、それは民間が使うお金にしても政府が使うお金にしてもそうなんですが、そういうお金だけではなくて、もっと違った面からキャピタルをとらえていこうという視点が非常に論議されております。  一つには、ヒューマンキャピタルと言われているもので、これは人の力をいかにして引き出すかということ、これには教育が非常に大きな影響力を持っていると思います。  そういうものに付けて加えて、最近は文化的資本あるいは社会的資本というふうに言われているカルチュラルキャピタルだとかソーシャルキャピタルと言われるものが注目されています。ソーシャルキャピタルといった場合には、日本では公共投資によりまして社会資本整備というようなことをいう、そういうものと混同されがちなので、日本語に訳す場合には社会関係資本というふうに訳している例があるんですが、要するに人と人との間の信頼がなければその社会での力は発揮できないということに対する注目です。こういうことをもう少し国の政策としても注目していかなければならないということに対する認識が高まっております。さらに、その上に環境の問題が非常に大きいということを言われています。特に、そういうような新たなものを考える場合の枠組みの変化というものの中で、ソーシャルキャピタルというところに私自身は非常に大きな関心を持っているわけです。  豊かさというものを考えていく場合に、そういうソーシャルキャピタルを考えていく場合の基本は、人々がどのような人間関係の中でどのような生活時間を費やしているかということのスタイルに注目しなければならないわけです。そこでは、ゆとりの時間と信頼できる知人、友人の数と質というものが確保されていなければその社会は豊かではないということです。そういう点からいうと、日本状態というのは極めて貧しい状態にあると言わざるを得ないと思っております。  そこで、都市農山漁村交流というのが一体そういうソーシャルキャピタルを高めていくためにはどういう役割を果たしてきたかということを少しおさらいをしてみたいと思います。  元々、こういう都市農山漁村交流のねらっていたものは、とかく物の移動というものが近代化されてくる過程で、物を作っている人、物を使う人の関係性が匿名的な関係になってしまったということに対する問題点を指摘しているわけです。もう少し顔の見える関係の中で、お互いの名前と住所が分かる関係の中ですべての関係性というものを見直してみようという動き一つとして、この都市農山漁村交流というのが展開したというふうに考えております。  その先行形態としましては、青空市だとか朝市だとかと言われるものが農山漁村の方から提起されてまいりました。さらに、生協が農協とタイアップをするという形で産直運動という形でも展開しました。さらに、一九七〇年代以降になりますとオーナー制度のような取組が始まりまして、リンゴの木一本オーナー制度といったようなものだとか牛一頭牧場といったようなオーナー制度の形で、新たな近代的な農産物流通ではない形でのつながりというのが求められ始めていきました。さらに、ふるさと特別町民制度だとか特別村民制度といったような形で、都会人間たちが会費を払って農村支援団体として登録をしていくというような制度も始まっていきました。こういう動きの中から、ちょうど技術革新の上で宅急便なんかが広がっていったこともありまして、ふるさと宅配便動きなんかが展開し、ついには郵便局までゆうパックという制度を展開したというのは皆さん御存じのとおりです。さらに、教育の面でも、これも長らくなかなか公には認められない形で細々と展開していたんですが、過疎の廃校になるような学校を拠点としましたところの山村留学というような形で、都会人たち農村における新たな価値を見いだそうというような動きも展開していたわけです。  これらのものがばらばらに、それぞれ別個の思いで始まっていたんですが、我々はこれを一括して都市農村交流現象というふうにとらえまして、これらが持っている政策的な課題につきましては、既に私の著作論文がありますが、その中で述べておりますように、国土庁農林水産省の方にこれらをどう支援していけばいいのかということについて提言をしてきたわけです。  その後、いろいろと国土計画の、国土を開発していくための計画の諸側面でこういう都市農村交流というのが有効な手段であるという認識は徐々に広がってきたとは考えられます。そして、その形態も様々な新しいアイデアを盛り込んで展開し始めました。  例えば、農村の物産を都市にアンテナショップを設けて売るというようなやり方だとか、あるいは道の駅という、非常にみんなが分かりやすく、非常に身近なところで認識できるようになった道の駅、これも我々が中国・地域づくり交流会を開きながら提案していったものの一つですけれども、あるいはその農産物の中でいうと、特別栽培米契約動きだとか市民農園動きだとか、あるいはグラウンドワークトラスト運動といったものがイギリスから紹介され日本型で展開しているといったような形、あるいは最近では農林水産省が進めておりますようなグリーンツーリズムというような運動、中には日本版ワークホリデーというような形の例えば西米良村なんかでやっているような動きだとか、様々な動きが展開しまして、教育の面でも、例えばハーブ留学とか織姫留学だとか、こういうような動き、さらには都会に近いところでは田んぼの学校なんという非常に手作り型の都市農村交流教育場面でも利用しようというような動きが展開しているということは皆さん御存じだと思います。  今後、こういったような都市農山漁村交流というのは、ちょうど食の安全問題等で提起された課題にこたえていくために新たな展開の可能性を秘めているものとして注目されます。最近では、地産地消という言葉が使われたり、旬産旬消という言葉が語られたりします。あるいは、身土不二、あるいはファーマーズマーケットを作ってみようじゃないかとか、原産地表示をもう少しきちっとしていこうじゃないかとか、認証制度をきちんとやっていこうじゃないかというところで、新たに都会の側からも改めて自分たち生活の一部としてそれを支えてくれている農村に対する非常に大きな関心が芽生え始めている段階だと思います。これらをどのような形で形あるものに持っていくのかというのがこれからの課題だと思っております。  アメリカでは、既に日本のこういった動きとも呼応してのことだと思うんですけれども、コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャーというような、地域住民が支える農業というような新たな試みも各地で展開し始めております。日本でも農園付き田園住宅についてのニーズは非常に高まっておりますし、様々な形で契約栽培をして、生産者消費者なんという枠組みを超えてお互いに協力し合ってお互い生活を支え合うという仕組みづくりが展開したりしてもおります。  また、教育場面でも、インターンシップを農村で展開するとか、教育農場というものの取組であるとか、今まで福祉とはなかなか結び付かなかった分野で、園芸福祉だとか園芸療法だとかあるいは動物療法といったような形で、いろいろな農山漁村が持っている力を福祉的に活用するようなプログラムも試行されているわけです。  こうした新たな動きがあるんですけれども、現行の地域政策の上では様々な問題点をまだ抱えているわけです。  一つは、農村振興策の中で、今までのような農産物をただ合理的に作ればいいというような考え方ではなくて、農業が持っている多面的な機能というものを評価すべきだという論議がだんだん出てきたんですけれども、しかし、それを本当の意味で、農村に住んでいる人たちがそのことを担っているということに対しての負担をどのようにしてほかの人たちが支えていくのかといったような費用負担原則論議というものはまだ不十分だと思うんですね。言うならば、ただ乗り論でこういう多面的機能論を語っているだけだと思っております。こういったところをもう少し政策的にも考えていただきたいなと思っております。  また、実際の地域生活というのは、省庁の横断的な規制緩和というものをしていただくことによってその地域での活動が様々な動きが取れるということがたくさんあるわけです。その典型的にいい例が道の駅だったと思うんですね。今までは迷惑施設であった道路が地域住民とドライバーの交流の場として光り輝き、そこでいろいろなビジネスチャンスも出てきたというこの成果をもう少し評価しながらそれを展開する、そういう手法を展開するというやり方を考えていただきたいということです。  それから、農村を考えていく場合に、どうしても今までの農業的な考え方が強いものですから、そこでの経営という考え方あるいはマネジメント考え方のときに、どうしても農業者以外のところについての配慮が欠けている点があります。しかし、これからの農村は決して農業者だけの農村ではなくてすべての国民にとっての農村という考え方を取れば、その中での新しいマネジメントの組織をどう立ち上げるかということが一つ課題になると思います。  また、交流ということを言う割には、我々が今使える官庁統計というのはなかなか基礎統計としてその面で整備されているとは言えません。観光統計一つ取ってみましても、各市町村ごとにその推計の仕方はまちまちであります。こういったようなことから、もう少し人と時間とに注目をした新たな交流人口基礎統計整備を考えるということも一つ課題として提起しておきたいと思います。  また、計画におきましても、こういう移動が起こるということになりますと、今のような人口フレームで、定住人口あるいは国勢調査人口あるいは住民登録人口だけを基礎的に考えるような人口フレームでいいのかという問題があります。どうしてもその辺りのところを考えていきますと、流動していく人間たち動きをどのようにとらえて自分たち地域計画の中の人口フレームにそれを反映させるのかということが必要になってまいります。  また、こういう交流時代になってきますと、もう少しITリテラシーを高めて、市町村職員人たちにもこれらをもっと活用できるようなことをやっていただかなければならないというふうに思っております。今の例えば学校教育在り方なんかにつきましても、今の枠組みの中だけでやっていたんではなかなか合理化が図れないんですが、ITリテラシーを入れることによって全く違った地平が切り開かれるんではないかなと思っています。  また、これからの、農業振興ということだけではなくて農村振興をしていく場合には、EUでやっておりますLEADER計画というやり方があるんですが、こういうような、そこの地域で芽生えがあったものを力付けていくというエンパワーメント型の支援策日本でも展開していただきたいと思います。  また、これまでの事業計画個々ばらばらに行われているというのではなくて、新たなコラボレーションのありようというものを行政的にも支援していくようなやり方を考えていただきたい。農村にあっては、特に所有権が余りにも強過ぎて経営しやすい条件整備に欠けるというような問題点も出てきております。退蔵的な所有を乗り越えた経営活性化を展開していただきたいと思っております。そして、場合によってはエコマネーの活用だとか、あるいは周縁からのもう少し活性化を図るために、その地域に即した様々なプログラムというものを国の方からもピックアップしていくぐらいの考え方が欲しいと思いますし、技術の面でも、今までのようにスクラップ・アンド・ビルド型の技術ではなくて、ミチゲーションテクノロジーと言われるような、あるものはできるだけ残していくという開発技術というものを展開していただきたいというふうに思っております。  基本的にこういうようなことを皆さんに取り組んでいただきたいんですが、一つのこれからの方向性としまして私が考えているのは、今のような日本社会専門家ばかと言われるような魂のない専門人社会になってしまってはいけないんではないか、日本が目指すべきは偉大な素人社会ではないのかと。そういう面での努力をちょっとかじ取りをしていかなければいけないんじゃないかと思います。同じような意味で、単一機能分業社会ではなくて、多面的機能が統合している社会というイメージを豊かな社会の中で求めていただきたいと思います。何事も人にお任せするような社会ではなくて、手づくり能力を訓練していくというぐらいの社会仕組みであってほしいと思います。命が枯れていくような少子高齢化社会ではなくて、絶えず次から次にと新しい命が輝く社会であってほしいと思っております。金の切れ目が縁の切れ目社会ではなくて、農的暮らしが可能な社会になってほしいし、エイジズムと言われているような年齢差別のある社会ではなくて生涯現役の社会であってほしいというのが私の意見でございます。  どうも御清聴ありがとうございました。
  7. 勝木健司

    会長勝木健司君) ありがとうございました。  次に、佐藤参考人お願いいたします。
  8. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) サントリー不易流行研究所佐藤でございます。今日は報告の機会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。  私は、企業の中の小さな研究所で十四年ばかり生活研究をしております。生活者一人一人の気持ちに立ってこれからの社会がどうなるかということを考えております。企業の中にはおりますけれども、企業活動とは一切かかわりなく好きなことをするという立場で、いろいろ自分問題意識を持ったことを研究しております。  今日は、世代交流等新たなライフスタイルということで、世代間の問題、若い世代の問題について少し御報告をしたいというふうに思っております。  今、戦後もう六十年近くたつわけですけれども、今の昭和時代に生まれた人たちというのは、この平成時代を一緒に生きておりますけれども、かなり違った価値観というものを持っているのではないか、それが自分価値観に根差して他を評価しているというか、なかなか全体というものが見えない中でいろいろなことが決められたりとかしているのではないかという問題意識を持っておりまして、今日は、事前資料として配らせていただきました、時代気分世代気分とかロストプロセス・ジェネレーションというような世代間の問題というのをいろいろ調べております。  今日は、資料としてレジュメ資料をお持ちしているんですけれども、この参考資料の方をちらちらとごらんになっていただきながらレジュメの方をごらんいただきたいというふうに思います。  世代、十歳ずつぐらいに分けておりますと──、資料は行っておりますでしょうか。
  9. 勝木健司

    会長勝木健司君) 配られています。
  10. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) はい。かなり違いが見られます。  大体上の二つの世代というのは人のためとか大義名分とかそういうものを大事にした世代でございまして、昭和三十年代生まれぐらいから大きく変わってきております。そこに一つの大きな断層があるという問題と、それから、徐々に選択肢が増えておりまして、その選択肢の増える中でいろいろな迷いというものが生じているのではないかというふうに思っております。  それと、大体大きくはそういうことなんですけれども、じゃ、その豊かな時代の新しい世代の台頭というのは古い世代といかに違うかということを少し考えていただきたいと思います。  実は、旧世代と言われるのは進歩とか発展の中で育った人たちでして、新しい新世代というのはもうそういうものが既にもうでき上がった時代に生まれた人間だというふうに考えていただくと分かりやすいと思います。そうすると、旧世代に属する人たちというのは、私も含まれると思いますが、欠落感から豊かさを志向していたと思いますが、今の若い人たちはもう既にそういうものがあるというところからスタートしております。その中で、もう外に目標を求めるのではなく、自分の中に目標を求めるという傾向が顕著でございます。  それと、上の世代は、やはり努力したら幸せになれると、実際日本はこれだけ繁栄したわけですから、その幸せ観というのを持ってずっと暮らしておりますけれども、若い人たちは先がそんなふうに明るいとは思っておりませんので、どちらかといえば今を楽しみたいという享楽的な傾向が出ております。  それと、目標達成という、目標があったからこそ達成感もあったわけですし、手続というものも大事にしてきたわけですが、今の若い人たちはもうそういうものは既にお金で手に入るという状況の中で暮らしております。何にこだわるかというと、自分気持ちがいいというものに対して価格とか全く関係なく手に入れるというような状況が生まれております。  上の世代というのは子供扱いされて随分家の中でも大事にされていないと思うんですが、それに比べて今の若い人たちは、子供部屋もあるように、子供が主役という状況でずっと育っております。その中で、保護されるのが楽だというような気持ちもあって、パラサイトシングルなどという言葉がもてはやされておりますように、結婚するとかそれから外に出るというようなことがないような人たちもたくさん増えております。  上の世代はどちらかといえば世間の評価というものをもって自分の軸というのを決める傾向にあったと思いますが、若い人たち自分らしさをいかに表現するかというところに重きを置いているように感じられます。  こういう大きな違いがあるわけですけれども、この中でいろいろ問題点も実は起こってきております。  例えば、上の世代は、自分が意識するしないにかかわらず、例えば家族が多いから我慢しなければいけないとか、社会に貧富の差があるとか情報がないとか、いろいろそういうことがあったわけですけれども、もう今の若い人たちは一億総中流と言われてから生まれているようなものですから、差がない状況の中で暮らしています。その中で、いろいろ学校などでも問題になっているいじめとかもございますように、想像力、人の気持ちを察するとか、それから全体を見る、これは情報化の中で自分の必要なものだけが手に入るような状況の中でずっと暮らしておりますのでバランス感覚がないとか、それから、言われたことはできるけれどもそれ以外のことはできないというような応用力を失った面というのがあるのではないかというふうに思います。  それともう一つ、最近、成人式なんかでも非常に話題になりますように、社会の中の自分という感覚というのが大分変わってきているのではないかというふうに思います。  本の方には細かく書いているんですけれども、どちらかといえば、モバイル、もう情報機器を持って自分社会をそのまま外に持って歩いているような感覚、友達との感覚も同質の世代人たちが集まってその中で仲良くやっているだけで、社会というものとはかなり隔絶した状況の中にいるのではないか。その中で、時々社会の方がその人たちに対して注意を与えたりすると切れるとかむかつくとかいうような、自分社会からそういうものを出そうというような、そういう動きになっているのではないかというふうに思います。  このパブリックの意味というのが変わってきたということは、もう大きくこれからの社会を考えるときに考えないといけない条件ではないかというふうに思います。  こんなふうに世代が大きく変わってきておりまして、ライフスタイルを考えるときに、じゃ、今の人たちは何を考えて暮らしているんだということを考えないといけないわけですが、これは若い人だけでは必ずしもなくて全体の傾向としても言えるのではないかと思いますが、上の世代が、例えば日本的に言えば晴れと褻というような言い方がございますように、非日常と日常というところのギャップの中で暮らしているのに比べますと、もうそういうものは日常の方にぐっと寄ってきておりまして、異日常というふうに私たちはちょっと言葉を作っておりますけれども、日常だけどちょっと違うというような、日常性があるんだけれども少しふだんと違うというような、ずらした感覚というものに興味を持っているというか、満足感を得ているのではないかというふうに思います。  物はたくさんあってももう満足できなくて、その物が提供する気分だとか、それからそれによって自分が豊かさを感じられる時間だとか、自分がちゃんと居場所があるだとか、そういうものに対して非常に興味を持っているのではないか。多分、これが市場の変化という形でいろいろ現れているのではないかというふうに思っております。  それと、人間関係にも大きな変化がございまして、組織から個人へということはかなり顕著になっているのではないかというふうに思います。  これは企業社会にいると非常にはっきり分かりますけれども、縦という関係企業は成り立っておりますが、それではなかなか動かなくなってきております。一人一人の個人としていかに評価されるかというようなところにみんな気持ちが行っておりますし、それから、若い世代は特に、オン・オフで切り替える、仕事の時間とそれからプライベートの時間をはっきり区別を付けて暮らしたいというような気持ちがございます。  それから、ユニット感覚というのも、今までの私たちの感覚でしたら、非常にアナログ的な人間関係の中でネットワークができてそれで物が動いている、組織が動いているような状況があったと思いますが、今は一番最適な条件での組合せというもので動きたいというふうに若い人たちは思っておりまして、これは日常的な生活においてもこういう動き方というのは顕著になってきております。  生活価値観、全体で言いましても、公というものよりは私というものに興味が行きました。今、そこの極限にもしかしたら行っているかもしれませんけれども、その中で、社会の中の私というものを位置付けるということがこれから重要な、ライフスタイルを考える上でもポイントになってくるのではないかと思っています。  そのときにやはり考えなければいけないのは、今までのように経済の視点だけではない、経済の物差しではない物差しというものをいかに私たちが持てるかというところなのではないかというふうに思います。  なかなかこれは企業で今リストラなんか起こっていますと口で言うのは易しいんですが、どれだけ働いてどれだけ会社のためになってくれるんだということになりますけれども、実際、生活者の視点で見てみますと、やっぱり仕事とそれから家庭とそれから自分自身の時間というもの、三つぐらいはやっぱり持てて、そのそれぞれの中で満足感が得られなければ生きている意味がないといいますか、そういうところに来ているのではないか。  最近、子供たちの不登校の問題とかいろいろなっておりますけれども、そういうのも実は、この一本の物差ししかなかった、経済の物差ししかなかった。まだいまだにそういう傾向はありまして、いい学校、いい就職をするために塾通いの子供さんたちもたくさんいらっしゃるわけですけれども、そういう塾というものをやっぱり考え直して、バランス良く生きられるというのが実は豊かな時代を生きることなのではないかというふうに思っております。  選択肢はたくさんあるわけなんですけれども、どうも若い世代の迷いとかを見ていますと、選択することができていない。なおかつ、これは非常に問題だと思うんですが、上の世代選択肢をそんなたくさん持った時代を生きていないので、なかなか子供の教育という面で難しい状況があるのではないか。そういう意味では、日本の中で、今の世代間の関係性だけで解決できる問題ではなくて、もう少し制度としてそういう考え方を取り入れるということが必要なのではないかというふうに思います。  これから、じゃ、若い世代のことを考えたときに、若い世代が何を訴えているのかということ。なかなか若い人たちは政治のところにも出てきませんし、選挙にも行かないような状況ではありますけれども、若い人たちが今やっていることの中には、豊かな時代を生きるヒントが実はたくさんあるのではないかというふうに思っております。  将来のことを考えてどういうことをやっているかということを中心に今日はお話ししたいと思いますけれども、フリーターというのが非常にたくさんいるということはもう皆さんよくお聞きだと思いますけれども、フリーターだけではなくて、閉塞感のある社会に出ないためにいろいろ若い人たちは考えております。  ここに書いておりますように、例えば留学するというのも、昔のように語学を頑張ってやって、日本に帰ってきて何か大きなことをしようというのではなくて、取りあえず日本のこの閉塞感から数年間抜け出して、割と楽しい生活ができるんじゃないかというような軽い気持ちの方もたくさんいらっしゃいますし、大学院というのも、必ずしも専門を非常に極めたいというよりは、就職先の場所のような形で行われていることも多々ございます。  それから、資格取得というのもそうなんですが、専門学校に行っているのが、大学を卒業してから専門学校に行くという人がたくさんいるんですが、多分、かつてでしたら、最初から専門学校に行くとか、ある程度就業経験があって、必要だから行くというようなことがあったと思いますが、今は、取りあえず試験を受けるということを言っておけば親も満足するというか、取りあえず留保されるということで行くようなこともございます。  それから、問題になっているフリーターです。  これは、学校によっては、もう半分ぐらいが高校を出てフリーターになってしまうというような学校もあるようです。こういうのは必ずしも、マイナスの部分はもちろんありますけれども、今までの卒業して就職するという従来型のベルトコンベヤーに対するやっぱり拒否感というものがあると思うんです。もう少し迷っていたいという、そういう気持ちというのが表れているのではないかと思いますので、逆に、それは必ずしも悪いことかどうか分からないというふうに私たちは感じております。  従来でしたら、目標があったわけですから、ベルトコンベヤーに乗っていくのが正しいというのはそれはそれなりの説得力があったわけですけれども、今、目標がない時代にあって、一人一人が自分目標を決めなければいけないときには、やっぱりそういう迷いの時間というのは当然必要なのではないかというふうに思います。  ただ、問題もございます。  この①に根拠のない自信というふうに書いてありますが、若い方の中には、本当に勉強もしていないけれども司法試験を受けるというようなことを言っている人とか、努力はしないけれども何か面白いことができるんじゃないかと、そういう割と安易な、できる可能性だけを持っているような人はたくさんいますので、それはその思い込みというのをやっぱり一回は、つぶすと言っては言い過ぎかもしれませんけれども、反省して、自分を見詰めるような機会というのは作っていかなければいけないと思います。  それから、迷いの時期というものをフリーターという形で今は言っているわけですけれども、本当にそれでいいのかと。逆に言えば、そういう時期というのを容認してしまうというのも一つやり方ではないかというふうに思います。これは、イギリスなんかではギャップイヤーと言われて、この前、チャールズ皇太子もそういう制度を取られましたけれども、高校を卒業して、大学入学資格を取ってから、一年間遊学するような、そういう期間を設けているようなところもございます。直結で行くのが普通というような価値観をひとつ変えてみるというのも一つの手ではないかと考えております。  それから、社会経験を評価する仕組みというのも大事ではないかと。一直線に行くのではなくて、就業経験を経てから大学に行くと。スウェーデンの場合などは、これをちゃんと大学の入学の評価にも入れております。やっぱりそういう、それは逆に言えば、大学にただ親のお金で行くのとは全く違う効果が、もしかしたらその大学の教育の現場で行われる可能性というのも有しているのではないか。  それと、なかなか日本の場合は、失敗したりとか一回フリーターになってしまうと立ち直れない、失敗に対して非常にシビアな社会ですけれども、やっぱりその失敗を評価していくような、迷いを評価していくような、そういうリターンマッチが許されるような状況というのも作っていかないと実はいけないのではないかというふうに思っております。  このように閉塞感のある社会に出ないわけですけれども、閉塞感のある社会ですけれども出ようという人たちがたくさんそれはおります。この方たち、若い世代百人ばかりにいろいろヒアリングをしました結果、どの方も異口同音にサラリーマンにはなりたくないという表現をなさいます。それは、労働者、例えば時間を売って自分の成果が見えない仕事をしたくない、もっと自分で管理できて自分の努力とか能力というものがちゃんと仕事の上で反映されるような仕事をしたいということを言って、それが一部フリーターのように見えているところにもかなりいらっしゃるのではないかと。  目標をはっきり持った方というのは、実は今の社会でも非常に努力もしていますし、頑張っているなというふうに思いました。その中には、専門職、例えば看護師さんだとかお医者さんだとかいう人もいますし、それから職人さんという人たちの中にもそういう人たちがたくさんおりました。それから、Iターンでも、今言われていますように、農林漁業の世界にもそういう若い人たちが今たくさん入ってきております。それから、アートの世界、芸術文化の世界にも同じようなことが言えると思います。それから、地域のやっぱり活性化というところにも入ってきているのではないかと。この人たちの仕事というのは、自分のやったことが目に見える形でコントロールできる仕事だという評価、これは実は非常に豊かなことなのではないかというふうに私などは考えております。  そのときに、やっぱり幾つか問題があるのではないかと。  例えば、職人になりたいといってもなかなか日本の場合、職人自体がまだ今難しい状況にある中で、入っていけない。ただ、京都伝統工芸専門学校のように、非常に伝統工芸の社会で実力のある人たちを先生に迎えているような学校も少しずつは出てきておりますので、そういうものも一つですし、それからワーキングホリデーのような、先ほどもちょっとお話がありましたけれども、Iターンで最初からもう覚悟を持って農家に来いということではなくて、もう少しトライアルをするような仕組みというのがいろんな分野であってもいいのではないかというふうに思っています。  それから、多様な就業形態。これは林業なんかでもそうなんですけれども、三百六十五日働かなくてもかなりの部分が兼業的にいけるという分野がございますので、例えば林業と家具作りのようなものをセットにするだとか、それから、ヘルパー制度というようなものが農家なんかでも出てきていますように、やっぱり休暇が取りやすいような制度にするとか、そういう形で多様な就業形態を担保することによってより就業しやすくなるのではないかというふうに思っております。  それと、一番問題なのは、こういう若い人たちが意欲的に新しい分野、古くて新しい分野と言った方がいいかもしれません、そういう分野に行こうとしているときに、なかなかこれが経済的に難しい状況にあるということです。例えば、年間二百万ぐらいの収入にしかならない場合もありますし、文化芸術分野ではもっと厳しい状況にあると思います。こういうものを実際は産業としてちゃんと活性化しないと、フリーターのままきっと終わってしまうと思うんです。  ただ、今豊かな時代というのは、実はこの人たちが今食べられないところが産業化して初めて豊かな社会と言えるのではないか。例えば、文化なんかでいいますと、男性はほとんど演劇とか音楽とか行かれなくて女性だけが行っているような状況ですけれども、こういうところに男性、国民の半分が行くようになれば多分ロングランということも可能でしょうし、美術館だってもっと人が来るし、絵だってもっと買ってもらえるかもしれない。林業なんかもそうで、外材の安いのを買って経済的に安いからということで家を建てるのではなくて、国産材を使ってやっぱり豊かに、自分たちの国の中でできたものを使うという意識改革があって、そこが産業化すれば、逆に言えば、十分食べていける、すごいもうかることを意識しなければ、生活としてはやっていけるような状況というのがあるのではないか。これをやっぱり産業化して、ちゃんと認めていくというのが若い人たちに夢や希望を持たすことなのではないかと。その辺りが今、現状では食べられないところに参入するということに対して非常にシビアな評価をしているのではないかと。やっぱり少し長い視点というのを持つ必要があるのではないかなというふうに思っております。  実は、交流ということなんですけれども、交流というのはこういう場で実は生まれるんだと。今御紹介させていただいたこの二つの事例の中に、実はたくさんの交流の機会というものがあるのではないかと。交流というのは上の世代が何か下の世代に教えたいというところで交流が多分多く考えられがちなんですけれども、若い世代、二十一世紀を担う豊かな時代に生まれた人たちが望んでいるところに私たちが一緒にやっていくことというのが実は交流が始まるきっかけなのではないかなというふうに思っています。  この辺りは後でまた御質問があったらいろいろな事例を御紹介したいと思いますが、最後に、交流のスタンスということで少し、これはかなり情緒的な言葉になっておりますけれども、書かせていただきました。これは、箱を作っても魂入れずということがよくあったように、交流の設備はたくさん今もあると思うんです。仕組みもたくさんあると思うんですけれども、実際、そこに大事な要素というのが幾つかあるのではないかというふうに思っております。  若い人たちはやはりかなり情報検索能力もあって、テーマ性というのを重視して自分の趣味、嗜好にこだわっておりますので、共通のテーマというものをちゃんと立案できているかということと、それからみんなが引かれているのは志なんですね。お金をもうけたいとかじゃなくて、認められないけれどもこれにこだわるような、そういう志に引かれている人たちがたくさんおりますので、そういうものを持った人たちがそういう交流仕組みの中にちゃんと入っているかどうかということと、それからこれは大人から一方的に言うのではなくて影響し合う関係というものがちゃんと存在し得るか、これも非常に大事なんじゃないかと。一緒に交流することによって、若い人たちが大人世代の情報を得るだけではなくて、上の世代にとっても非常に新しい時代の変化に触れる機会を持ち得るのではないかというふうに思っております。  この辺りで、今日の世代交流と新たなライフスタイルということで、私の御報告を終わらせていただきます。
  11. 勝木健司

    会長勝木健司君) ありがとうございました。  次に、岡本参考人お願いいたします。
  12. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 岡本健次郎でございます。社団法人コミュニティネットワーク協会というところに属しておりまして、そのほかいろんな活動をしております。  私の立場は多分、今お二人の参考人がおっしゃいましたような理論的なことではなくて、実践的、運動的な立場からだと思うので、そんなお話をさせていただきたいと思うんです。  私は今社団法人コミュニティネットワーク協会におりますが、そこで「ゆいまーる」という雑誌を出しております。コミュニティー創造誌というふうに言っておるんですが、それを出しております。  それから、共生型すまい全国ネットというネットワークを作っております。さわやか福祉財団とかいろんな諸団体が入りましたネットワークでございますが、このごろ時々新聞にも出してもらいまして、今朝の毎日新聞にも出ているようですけれども、そんな団体もやっております。  それから、農村都市の共生と対流を進める市民会議という、ちょっと長いんですが、略して農都市民会議と言っております。農村都市を略して農都と言って、農都という言葉が現代用語の基礎知識に載らないかなというような感じで頑張っております。  そんな団体もやっておりますし、それからグリーンハビタットの会というのをもう十年ぐらいやっております。これは、お米を作りまして、お酒を酒造メーカーに頼んで造って、みんなで配って飲む、こういう楽しみの会でございますけれども、そういうところでの交流の経験をお話ししたいというように思っておるところでございます。  そんなことで、いろんな諸団体の活動をやっておりますし、それ以外にNPOの関連でいろんな理事だとかいろんなことをやらせていただいております。そんなふうな、ちょっといろいろ雑多にやっておりまして、早く言えばフリーターのはしりかなというようなあれこれの活動をしておりますけれども、そんなことをいろんな形で申し上げて、それで今日のテーマでございます農村都市交流ということについて私なりの運動の経験をお話しして、参考にしていただけないかなと思う次第です。  私の後ろにはというか、私の仲間はたくさんおりまして、そんな仲間の人たちのいろんな希望やら、なかなか進まないなといういろんな思いがございますので、そんな辺りもお話しさせていただいて、仲間の代わりにお話ししている、こういう気分も持たせていただいて、話させていただこうと思う次第です。  それで、最初に「ゆいまーる」という雑誌、コミュニティー創造誌という、コミュニティーづくりをいろんな角度から提案したり情報をお知らせしたりという雑誌を出しております件についてちょっと申し上げたいんですが、レジュメといいますか、提出資料と書いているものがございまして、そこの中にいろんなコミュニティーを書いております。  私どもの考えでは、それから、このごろ一般的にかなりそうですけれども、コミュニティーという場合に地域コミュニティーに限りませんで、テーマコミュニティーといいますか、いろんなテーマについてコミュニティーを作っている、こういう考え方もございます。それで、ここに書きましたのは、そのテーマコミュニティーの方でございます。  いろんなテーマコミュニティーがございまして、実は三年前に「ゆいまーる」という雑誌を出すときには、コミュニティーの雑誌なんてできるかなと思いました。そんなにいろんなコミュニティーを書くことがあるかしらと思ったんですが、取材をしてみると出てくる出てくる、いろいろございます。全国各地にいろんなコミュニティーがある、その辺をこれからのコミュニティーづくりの希望としてどうやってとらえていくことができるかというふうに思った次第です。  ここに書きましたのは、医療のコミュニティーとか福祉介護のコミュニティーとか、高齢者、障害者、それから子供、教育、文化活動、共生住宅、町づくり、環境づくり、農村都市、川、健康のため、死に対する、そのほかというようにざっと掲げましたが、これは実際に記事になったもの、いろんな活動があるものについての整理のし直しをしてみたものでございます。本当ですともう少し見出しを掲げて御参考に供したいと思ったんですけれども、ちょっと間に合わないのでざっと分類だけ今ここに掲げましたけれども、この後ろには一杯記事がございまして、つまり一杯いろんな活動を全国でなさっている方々がいらっしゃる、そういう方々を中心にしてコミュニティーができているというふうに見ていただけたら幸いでございます。  コミュニティーというときの考え方というのは私ども素人が申し上げることではないんですが、定義はもう物すごくたくさんあるようです。恐らく学者一人について一つの定義があるぐらいたくさんあるそうでして、そのことについて私が口を挟むようなことではないと思うんです。  ただし、今言いましたように地域コミュニティーとテーマコミュニティーがある。そして、そのテーマコミュニティーは、もちろん地域の中で展開されますと一つのコミュニティーとして活用できるというか、いろんな方々がその利益に供するというものだと思うんです。例えてみれば、お医者さんの医療のコミュニティーとか介護のコミュニティーなどといいますと、高齢者の方がいろんな場合に困ってくる、そうすると、それをコミュニティーとして活用していけば一つ地域コミュニティーとして展開できるというように思われるわけです。つまり、昔のように向こう三軒両隣、仲良くしましょうといってもなかなか難しい。ところが有意の、意識ある人たち活動に取り組んでいくと、そこを中心にしていろんな渦ができていく、いろんな組織展開が起こっていくというふうに僕らは取材をしていて思ったことでございます。  中心にはやっぱりコアメンバーが必要です。どうしても中心の人たちがいないとコミュニティーも起こってこない、運動も起こってこない、どうしても中心が必要です。それで、その周りにこれをサポートといいますか支援していく人たちが必要だと思うんです。そういう中心があって、サポートのグループがあって、それに更に賛同したり協力したりするグループがあって、それで更にその外には利益を享受するというか、便益を享受する人たちがいるというような何重かの渦になっている、こういうのがコミュニティーじゃないかと思うんです。その中心にNPOがあることも多いというふうに御理解いただいたらいいんじゃないかなと思うんです。  NPOは、このごろいいNPOと悪いNPOがございまして、変なNPOもたくさんございますが、今申しましたように、人間の渦ができているとするとそれは基本的にいいコミュニティーである。いろんな人が協力していくわけですから、当然にいいコミュニティーだというふうに思われるんじゃないかと思うんです。そんなことで、いろんなコミュニティーがある、テーマコミュニティーとしての活動がいろんなところで起こっている、それが地域的にも展開されていって、老人や子供や、いろんな人たちに役に立っていくというようなことが見えてくるのではないかということを是非御理解いただければうれしいなと思います。  本当をいうと、コミュニティーケアということについて少し申し上げたいんですが、時間が少し足りませんので先へ行かせていただきます。  それで、先ほど言いましたように、共生型すまい全国ネットというのをやっております。これは早く言えば未来長屋だと僕らは言っております。長屋の形態を考えていただければ分かるんですけれども、それぞれお家はございます。ところが、一歩外へ出ると助け合う関係がある。ですので、何かが起こったときに、あの人は今日どうしているんだろうというふうに気が付いてもらえる。それから、子供が困っていたら助けてもらえる。場合によったら、子供が余りいたずらしているとしかるというように昔ながらの状態があると思います。それを更に未来的に考えると、当然になかなか快適でなければいけない。昔の長屋は人間関係は良かったかもしれないけれども、やっぱりちょっと粗末でした。それをいい関係にしましょう、いい快適な環境にしましょうというような未来長屋を作っていきましょうよという提案をしておりまして、調査もいたしました。  今度、三月中ぐらいに会員同士で取材して回りまして、本を作ります。大分、共生型住まいが全国にできてきております。僕らの調べたところでは、百余りはあると思います。千人以上は住んでいらっしゃると思います。そういう中で見てきて、いろんな住人の方に私も大分見て話を聞いてきましたが、高齢者の方は、こういう住まいは安心だからいいとおっしゃいます。それから、子供たちにとっては、つまりお母さん方に聞くわけですが、子供たちにとっては交流があるから、コミュニケーションがあるからいいというふうにおっしゃいます。そういうような共生型の住まい、未来長屋を作っていくということがコミュニティーの拠点になるんじゃないかと。そういうことが今日のテーマである新しいライフスタイル一つの本拠地になるんじゃないかというように私は考えておりまして、それを進めている次第です。  これについても、余り詳しく今申し上げますと時間がなくなりますのですが、住まいを作るための参加性、共同性、福祉性というようなことを基本的な要件として、それがいろいろ、濃淡いろいろあります。もちろん非常に密接な場合もあるし、ほとんどごくわずかずつということもあるかもしれません。一つが欠けている場合もあるかもしれません。しかし、こういうような要素があって共生型の住まいができていくというような、そんな考え方でございます。  それからその次に、農都市民会議に入る前に、グリーンハビタットの会について申し上げたいんですが、先ほど言いましたようにお酒を造っております。酒米を作って、これも酒米をわざわざ手植えをやって、それで雑草取りをして、収穫を手でやる。どうしてもできないときはお手伝いを、機械を入れる。こんなことでございますけれども、そんなことをやっております。もう十年ぐらいになります。大豆を作ってみそを作ったこともありますし、野菜を作ったこともございます。最近はお酒を造ることにしまして、それをかれこれ五、六年ぐらいやっております。  これは何でそんなことをやるのかというと、この間もあるところでお話しして、それじゃ採算が合うんですかと言われましたが、もちろん採算は合いません。酒屋さんでお酒を買った方がずっと得です。しかし、何でこんなことをやっているかというと、やっぱり農作業の楽しさがあります。それから、みんなで語らい合っていろいろ計画を立てるという楽しさもございます。いろんな楽しさがある。そんなことで、高いのに、割が合わないのにやっている。  これについての多少の原則がございまして、必ず私どもは農家の指導を受けます。田んぼを探すのがなかなか大変です。そこら辺は後でもし機会があれば申し上げたいんですが、必ず農家の指導を受ける。それで、農作業をいろいろお手伝いしてもらったり教えてもらうようにしようと。その場合には必ず対価を払う、お金をお支払いする。それから、先ほど手作業と申しましたが、やっぱり有機農法でやっております。ここら辺は何となくみんなの基本原則になっておりまして、どうしても駄目なときも有機系の農薬を入れようよと、こういうような感じで、有機で基本的にはやっております。どうしてもできないときには機械を入れます。  それから、地元の農家の人たち交流をしようということでいろいろ工夫しております。ところが、余り交流がしにくいです。その辺もまた後で申し上げたいと、時間が、機会がありましたら申し上げたいと思うんです。  それから、お酒造りですから、当然に酒造所、杜氏といろいろお話しさせていただいて、こういうお酒を造りたいなどと言います。杜氏の人は、余りいろいろ言っていても、じゃ私にお任せくださいというような形で、なかなかそんなにこちらの注文がすぱっとうまくはまりませんが、いろいろ希望を申し上げます。それから、どんなときに造るかなどというようなことを決めて、それで杜氏にお願いをすると。大体僕らのお酒はタンクが空いているときでございますので、今ちょうどできたばかりですけれども、大体一月に、つまり暮れには、本当なら暮れにお酒が入るといいんですけれども、暮れには手に入りませんで、今ごろできてきます。タンクが空いたときなんです。そのときにお酒を造ってもらうということで、言い忘れましたが、二反ぐらい今やっておりまして、お酒の数で言うと七百本ぐらいできますので、これをいろんなふうな方に宣伝をして、このお酒はすばらしいと言って自慢ができるわけです。また人にも上げます。そうすると、やっぱり自慢ができるわけです。自分のお酒です、名前も付いておりますと。玉梓という名前で今お酒をやっておりますが、いずれにしても自分の名前を付けます。そうして、自分のと言ってグループのです。グループでお酒を名前を付けましてみんなで楽しんでいると、こんなことでございます。  グループづくりについてもちょっと書いておりますけれども、いずれにしてもコアメンバーでやるんですけれども、基本的にはみんなでやりましょうねというのが原則です。何のことでもみんなでやると。  それから、お酒造りだけじゃなくて、いろんな会をやって楽しみましょうねということも原則です。つまり、先ほど言いましたようなテーマコミュニティーに近いような感じでやっております。ただし、テーマコミュニティーというよりは、もうちょっと、グループだけというふうにお感じになっているのは、この広がりがもう一つ広がりにくいからです。お酒をみんなに売ったりするわけにもいかないので、どうしてもちっちゃくなっているというようなことはございます。  問題点を書きました。最も難しいのは、借りる田畑を探すことです。それから、家を借りたいとかいろいろ、時にはそこで泊まり込んでやろうといっても、なかなかいい家を探すことができません。それから、地元は、農家の人は、田んぼを借りている農家の人は別にして、地元は余り協力的ではありません。ここら辺も問題点だと思うんです。協力農家とはお付き合いしますけれども、周りの農家は逆にあの農家は何をやっているんだろうというふうに見ているという可能性があります。だから、都市農村交流というのは意外に進みにくい。行政が協力して、町長なんかは呼んできてくれます。だけれども、町長もどうしたらいいのか分からないのでちょっとごあいさつ程度になる、何かのときに出てきてくれると、こういう感じのことでございます。もう一つ難しい点があるというようなことでございます。  それで、そんなふうなグリーンハビタットの会をやっているような経験の中から農都市民会議というのを作りました。農村都市の共生と対流を進める市民政策会議という長ったらしい題名で、農都市民会議と略称して、こちらが本題にならないかなと、本名にならないかなと思っているんですが、いずれにしても、そんな会議をやっております。ここでは、図をかきましたようにいろんな交流をいろいろに考えていきたいというようなことで、あれこれあれこれ工夫しております。簡単には進まないんですし、非常に難しい点がありますけれども、先ほど言いましたような自分ブランドを作るとか、それから、そういうことでの農学校みたいな、間に入ったステップができないかななどというようなことを企画しているところです。  それからもう一つ、その次の、どんな形でということのこれは構想でございますけれども、基本的にはコーディネーターがあって、いろいろ農村との関係を進めていくという以外にはなかなか方法がないんじゃないかなというような感じで思っているところでございます。  そうした活動をしながら、デュアルライフということを五、六年前に提案いたしました。最近農水省でもデュアルライフという言葉を使っていただいておりますけれども、なぜこんなことを言い出したかということをちょっと簡単にだけ申し上げたいんですけれども、基本的には日本人はふるさとをなくしちゃったというふうに思われるわけです。最近、田舎へ帰るという言葉も余り聞かなくなりました。帰省しますという言葉も余り聞かなくなりました。基本的に日本人はふるさとをなくしている、帰るところを失ってしまったという感じがいたします。その結果何が起こったかというと、農村都市関係意識が非常に薄くなった。農村で食料を作るという場を子供たちは余り気が付いていないというか、大人もふだんは忘れているというようなことになっていると思います。そういうふるさと喪失の状況を見直してみる必要があるんじゃないか。その場合には、僕らのようなグリーンハビタットの会をもう少し発展して、農村都市の両方の拠点を持つデュアルライフというのができないかと。そうすることで、もう一度新しいふるさとづくりになるというふうに考えられないかということでございます。  問題はいろいろございまして、そんなふうな指向性というか、希望は都市民の中に非常に多いと思うんです。いろんな統計を見てもかなりあると思います。ところが、問題はいろいろありまして、特に大きいのは、やっぱり農村の側の、受け取る側でそういうふうにオープンマインドではない。是非来てくださいと口では言いますけれども、実際はお家を貸してくださいというと探すのに苦労します。町役場の人に頼んで、どうでしょうかと言ったら、幾らでもありますよと言うので、じゃお願いしますと言っておいて、しばらくすると、どうでしょうかと言ったら、やっぱりないですねと言います。なぜかといったら、やっぱり人に貸したくないわけです。近所にいろいろ言われたくないわけです。それから、子供たちも帰ってくるとか、そんなふうなことを考えているようですが、もう少し、農地の方についてはもっとです。なかなか借りられません。これは多分、考えてみると、遊休農地さえたくさん出てきているのに、やっぱり戦後の改革のときの自作農ができてやっと自分の土地になった、農地になったという思いが非常に強いんじゃないかなと。だから貸したくない、自分でどうしても持っておきたい。したがって、別に僕らは所有しようと思っているわけじゃないので、ほかの方法がないかと、ここら辺を考えてみる必要があるんじゃないかなと思うんです。  こんなふうなことで、都市側の希望を一杯羅列しておきますと、農村側の方では、というか農業関係者なんかでは、そういうのは都市農村に対する侵略だというような言葉を使う人さえいます。そんな侵略などというようなことはほとんどだれも思っていないはずですが、非常にそういう、何というか被害者意識というか、強い受け止め方をすると。何かもう少しオープンマインドで交流ができないかと。そのためには、先ほど言った農地の所有意識とかそこら辺をやっぱり考えてみる必要があるだろうなという感じがいたします。  それから、コーディネーターが必要だということを申し上げましたが、どうしてもコーディネーターがいなかったら進まないという感じがいたします。  先ほどもお話が出ましたけれども、そういうようなことを進めるのにCSA、コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャー、アメリカで、欧米でコミュニティーが支える農業というのが広がっております。アメリカでは十万人ぐらいが利用していると思うんです。全量を買い取るとか、非常に友好関係でやっていくわけです。そういうようなものが広がっておりまして、ここら辺は実は日本が出発なんです。日本の産消提携、生産者消費者の提携というのが原型でございます。それがアメリカやらヨーロッパの方で広がっていて、日本の方は忘れられようとしていると。もう一度見直しておく必要があると思うんです。それをうまい形にする必要があると思うんです。  それで最後に、農都共生、対流、進展へのインセンティブというのを、僕のというか我々のというか、いささか行き過ぎかもしれませんが、ちょっと感じたところを幾つか挙げました。  一つは、NPOなどをこのごろいろいろ注目していただいておりますけれども、NPOの中には農業関連の、こういうライフスタイルを推進するための例えばコーディネーターの活動とか、そういうようなことについての位置付けはありません。NPOは御承知のとおり十二分類ありまして、その中には入っておりません。その位置付けがどこかにあるとやりやすくなるんじゃないかというようなことが一点です。  それから、コーディネーターがいないとやっぱりなかなかうまくいかないと。個人で探していくのは大変です。田畑にしろ、地元側にもコーディネーターがいると、こちら側、都会側にもコーディネーターがいると。そういう人たちで話し合うというような関係を作ると進むんじゃないかと。  それから、コーディネーターのついでにというか、拠点が何かあって、たまり場があると大分やりやすいと。何でもそうですけれども、こういう時代でもやっぱり口コミが大事でして、人の交流が大事です。そういうときに拠点が両方に、農村にも必要だし、都市にも必要だと。たまり場です。それを何もわざわざ建設する必要はありません。空いている場所は農村にも一杯ありますし、都市にも一杯あります。そういうものをうまく使うということができないかと。  それから、先ほどもお話がありましたが、コラボレーションで進めることが進めやすいと。  そして最後に、市町村が協力しないと農家の人たちはどうもスムーズにいかないと。だから、市町村がうまく協力して進めると。ところが、市町村は、先ほど言いましたように、協力をお願いすると町長があいさつに来るという程度で終わっちゃうと。これを何らかの形にする、制度化にするというようなことが考えられないかと。  それで、付け加えまして、公的資金の流れと書きましたけれども、これは補助金も同じでございまして、農水省関連のお金はみんな市町村経由、農協経由でございます。都市には来ません。都市側に例えばファーマーズマーケットを作りましょうと提案すると、そのお金は出ません。市町村を経由するので、都市側にファーマーズマーケットを作りようがないわけです。ところが、人が少ない農村にファーマーズマーケットを作るより、都会の空き店舗でもいいですから、そこにファーマーズマーケットを作った方がずっと有効なことは明らかだと思うんです。  そんなことで、そこら辺の流れを変えていくという、そういうことを検討する時代なんじゃないかなと。議員の先生方の前ですので、ちょっとそんなことも御検討いただけたらいいなと思って申し上げました。  失礼いたしました。
  13. 勝木健司

    会長勝木健司君) ありがとうございました。  以上で参考人意見陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑はおおむね午後四時三十分までをめどとさせていただきます。  なお、時間が限られておりますので、発言は質疑者答弁者ともそれぞれ一回当たり三分程度でおまとめいただくようお願いいたします。また、各委員におかれましては、質疑時間は質疑及び答弁を含め十五分以内とし、追加質問がある場合には、答弁を含めこの十五分の範囲内で行っていただくようお願いいたします。質疑の御希望は挙手をもってお知らせいただくこととし、質疑会長の指名を待って行われますようお願いいたします。  それでは、質疑を希望される方は挙手をお願いします。
  14. 加治屋義人

    加治屋義人君 私は農業農村に住まいをしておりまして、今、三人の先生方のお話、大変興味深く聞かせていただきました。ありがとうございました。  都市の発展とともに失われたもの、これはたくさんあろうかと思っているんですが、私ども農業農村にまだ残っている良さというのはまだたくさん残っているわけでして、例えば花であり緑であり澄み切った水であり空気である、そしてまた大地と自然、そしてそこから生まれるものは農作物であって、人情であって、そしてまた文化であると、そういうふうに思っているんですけれども、もしこれらが農村から衰退をする、そういうことになれば、大げさなのかもしれませんけれども、日本は没滅してしまうよねと、こういう気持ちでいるんですけれども。  お伺いしたい一点は、都市農村交流、共生、そういう方向に対して国や行政はどのようにかかわっていけばいいのか、あるいはどういう役割を果たすべきなのか、御見解を、これはもうずばり御指摘いただけば有り難いなとそういうふうに一つは思います。  それから、このテーマに対して、今、岡本先生の方から市町村の協力とかあるいは農都市民会議とかいろいろお話しいただきましたけれども、農業協同組合の果たす役割、これについてどうお考えなのか。  まずこの二点について伺いたいと思います。それぞれ三人の先生方、御意見あれば伺いたいと思います。
  15. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 難しい御質問でございまして、うまく答えられるかどうかちょっと分からないんですが、先ほども申しましたように、交流につきましては市町村が何らかの役割を果たさないと、個別個別では信用がないというか、農家の受け止め方がきちんと受け止めにくいという感覚になっていると思うんです。したがって、望ましいのはある程度制度化が必要であると。都市の人が農村へ行って農地とか農家とかいろんなものを、空いているところもたくさんあるわけですし、別に貸してもいいですよというところもたくさんあるはずなんです。その辺を何らかの形で制度化できないかと。  ただし、農地を売買するというのは大変議論になっておりますように簡単にいかないだろうと思うんです。それがいったら大分話は一挙に進展するんですけれども、今度は農地の荒廃の問題が心配になるということでございますので、何らかの利用権みたいなことができないかと。それも、その市民農園みたいなちっちゃなものじゃ困ると。それから、五年間とかそういうような制限があったら困ると。それから、木を植えてもらったら困ります、五年後には全部抜いて戻してくださいとか、そんなことを言われたら意欲が全くなくなってしまいます。全然とにかく余り面白い形がありません。  ここら辺のことも含めて、ちょっと農地を市民農園ではなくて利用するような方法がないかなと、それが何らかの制度化ができないかなというように思われます。その制度化も、何かちょっと制限が多過ぎて、一年ずつですとか、五年で元に戻しますとかというより、もう少し当事者同士で納得できる形であれば何年でもいいですとか、木を植えてもいいですとか、何かもう少し自由な形で利用できる。それから、住む場所ですね。住む場所も何らかの形で確保できれば、デュアルライフができると。それで、空いているところもたくさんあるわけです。ところが、なかなか貸してもらえないのは、先ほど言いましたような事情でございますので、ここら辺も市町村が間に入って、それで利用できるような形態がないかと。  こういう利用的な考え方というのが成り立てば一気に広がる可能性があると。その場合に、個人個人じゃない方が僕はいいと思うんです。それでいろんなふうなことを、コミュニティーのことなどを申し上げたんですが、グループとかコミュニティーとか、コミュニティーというのはいろんな団体とかいろんなものがございますが、そういうところと契約できるとかいうような形になると非常に広がりができると。個人個人でやっていると、また財産だとか何か妙なことになっちゃう。ある程度グループ単位で対応できるというような、そういう制度的な配慮がある方がいいだろう、そうするとコミュニティー形成に役立つというような。ただし、最初にコミュニティーを作ってくださいと言わなくても、後からコミュニティーができるということでもいいと思うんですが、そんな方法がどうかなということでございます。  それからもう一つ、これもまた大変難しいんですけれども、農協のことでございますけれども、悪く言うとすぐ怒られるので困っちゃうんですけれども、農協の信頼というか、農協の役割は最近非常に低く見られておりまして、農協を嫌っている人も多いと。正直に、端的に申し上げさしていただきますが、このごろは農協に対する批判やら信頼の欠如やらが非常に大きくなっているというのは、どこかで生産主義に陥ったからだと思うんです。今、やっぱり頭を切り替えてもらって、生産ばっかりで農協が存在するのじゃなくて、別の役割があるんじゃないかと。  正に今言いましたような、先ほど市町村が間に入ってほしいと言いましたけれども、農協も間に入ってうまく機能するのであれば、農協の信頼があるのであれば、農協がそういう間に入ってもらうということはもちろんあり得るわけです。多分、戦後の改革のときに自作農ができて、それで庄屋さんというものがなくなったときに代わりに民主主義的に農協というものを配置して地域コミュニティーを維持しようという構想になったんだと思うんですが、その地域コミュニティー維持の努力を、生産の方ばっかり考えられて、やってこられなかったのではないかと。もう一度地域コミュニティーを形成するという役割とか都会のコミュニティーとお付き合いするとか、こういうようなことで農協の役割があるとすれば、それが本来の役割だったんじゃないかなと、戦後民主主義の出発点のときの協同組合の役割だったんじゃないかなと。  それで、もう一つは、ちょっと長くなって恐縮です、ちょっと脱線するかもしれませんが、協同組合というのが日本の場合には生活協同組合と農業協同組合というふうに生産と消費に分かれておりますが、ここら辺が今は非常にやりにくくなっている理由だと思うんです。したがって、この辺が、じゃ、生協とうまく連動してもらうとかいうこともありますでしょうし、農協の役割としても、生産のことだけじゃなくてそんなふうにやるとともに、生協だとか都市の団体とお付き合いをしていただくというようなことを少し積極的に進めるために、国会の先生の方々、行政的に、法的にできれば法的な、あるいは何らかの制度的な方法があると進むんじゃないかなと、そんな感じで思いますが。  ちょっと僣越にいろいろ申し上げ過ぎたかもしれませんが。
  16. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 農業のことはちょっと余り分からないので、林業のお話で少ししたいと思うんですけれども。  林業は今、CO2の問題とかでいろいろ話題になっておりますけれども、そのときに、労働力として都会の人を考えるというのがやっぱり国の施策なんかには非常にあるんじゃないかと思うんです。ただ、今日もお話しさせていただいたように、都会の人というのはライフスタイルとしての林業のある生活というか、そういうものにあこがれているわけですけれども、そういうものにこたえるような制度になっているのかどうかというところがかなり問題があるのではないか。例えば補助金は一年しかないとか、やはり地域に根付くためにはかなり時間が必要だと思うんですが、その辺りで、労働力としてではなくて地域に住む住民としてどういうふうに育てていくのかというような視点というのが行政には必要なのではないかというふうに思います。  それと、顔の見える状況というのが多分地域に行ったらあると思うんです。それはなぜかというと、町役場の人は町民なんですね、ほとんどの場合。なので、それを今までは割と役場の立場というのだけでやっていたかもしれませんけれども、これは町民としての立場というのでも人間関係は作っていけるのではないか。地域の中の、何というんでしょう、コーディネーターの役というのはそういう人たちが結構担えるのではないかなというのを実際に地域に入ったときに非常に感じるところがございます。  その辺りをもう少し強化していけないかというのと、それから、農協の話は余り分かりませんけれども、林業でいうと、やっぱり今までの林業だと、木を切って流通に流して、自分たちは何を作っているか分からないような状況の中で自分たちの作ったものが流れていくというような状況があったと思うんですが、最近私が行ったのは高知県の檮原なんですけれども、ここは林野の、何というんでしょうか、認証を受けて、ブランド化しようというようなことを今やっておりまして、ブランド化するのと一緒に、それからパレット方式というんでしょうか、今までだったらベルトコンベヤーでみんな自分が何をやっているか分からずに木を切っていたわけですけれども、一軒の家をイメージして工場の中で価値を作っていく、一軒の家を作っていくような木の切り方をして、直接建築士の人に売っていくようなことをやっておりまして、だんだん顔の見える状況というのを作らないと働いている人の意欲というのがわかなくなってきているんじゃないかと。  そのときに、さっきちょっと申し上げたみたいに、その価値をいかに評価するか。ブランド化するというのも一つでしょうし、そういう国産材で家を作る場合、檮原の場合でしたら地元産の木で地元に家を作れば補助金が出るような制度もしております。やはり幾つかそういうインセンティブを与えることによって実際に動いていくという面があるのではないか。その辺り、かなりきめ細かいことが実は必要だし、制度だけでやるということではできないと思いますけれども、そういう意味では、町村だったら町村の単位でできることはなるべくやっていくような地方分権的な感覚というのも必要なのではないかというふうに考えております。
  17. 小川全夫

    参考人小川夫君) 一つ考えておかなければいけないのは、今、市町村合併が非常に進められておりまして、核になる都市の周辺にあって、それに統合されてしまうような農村にあっては、うかうかするとその新しい行政体の中に農業農村の仕事を専門とする部署が置かれないような場所が出てくる可能性があります。そういった点で、自治体を対象にして農林行政が農村振興を図るという形で都市農村交流の振興を図っていくという、大体そういう流れの中でやられていたことが実際ストップしてしまう可能性があります。  そういう点からいいましても、もうそろそろ、国と都道府県、市町村は、対等の自治、政府として考えるならば、現地に起こってくる様々な新たなローカル・アクション・グループに対して契約を行いながら支援をしていくという新しい行政の仕組みをそろそろ考えていただきたいというふうに思っています。そういうバイパスがない限り、こういう広域的な取組をするようなローカル・アクション・グループはよりどころになるところを失ってしまうという可能性があります。この点を是非国としては、これからの農村政策というのは地球環境の問題でもあり、国土経営の問題でもあり、そして人々が豊かに過ごす、暮らすその社会づくりの上では欠かしてはならない、そこに住んでいる人たちだけの問題ではなくて国民全体のものであるということの確認を、もう一度考え直して、果敢に社会実験を行っていただきたいというふうに思っております。  第二の点の農協に対する考え方ですが、農協はやはり今もうデッドロックに乗り上げた状態にあると思います。その上でもう一度、農協が持っていた、農業多面的機能を持っていたと同じように、農協が持っている多面的機能というものをもう一度再評価して、新たな時代に何が農業生産の向上や流通の合理化以上に大切なことであるかということについてしっかりと研究し直して、地域共同体としての蘇生を図っていただきたい。このことをお願いしたいと思います。
  18. 加治屋義人

    加治屋義人君 一点だけ。  株式会社リコーという会社があって、ここの浜田社長さんの私は本を読んだことがあるんですが、前にも農林水産委員会でこのことを紹介したことがあるんですけれども、これは国民皆農という提案をされているんですね。なかなかいい考え方なんですけれども。国では、平成十五年度の今度の予算案の中に、四億円掛けて子供の農業農村体験学習推進事業、こういうものを新しくスタートさせようと、こういう計画なんですけれども、これらの動きが実効的に推進、展開をどうしていけばいいのか、先生方のお知恵があればひとつ教えていただきたいと思います。
  19. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 実は、僕もリコーの会長が言う前から、大分前から国民皆農制ということを主張していた人間でございます。どうやったらいいかなと思って役人などに話したら、それは役人からはできないから何か議員立法でも働き掛けたらどうですかなどと言われましたが、基本的に、農業とか福祉とかそれから教育とかについては一種の公的な義務があるというような位置付けが必要だろうなと思うんです。  つまり、例えばドイツなんかで徴兵制があって、今徴兵制などと言うととんでもないことになりますけれども、ある種の公的な義務というものを国民が果たすということの中に考えなければいけない点があるんじゃないかと。それで、ドイツの場合にも、徴兵を拒否する場合はボランティアが認められております。  だから、全然別の観点に立って、国民が二年間何らかの公的な、今言ったような福祉教育農業とかというふうに、そういうようなものに尽くすというようなことを認めるようなことになれば、それは世の中は一気に変わるんじゃないかと。それをやるのは、それはもちろん行政じゃないので、国会議員の先生方だろうと。ただし、それを徴兵制などというようなものと結び付けるのはもちろん全く不可能だし、ナンセンスだと思いますので、国民がどのような公的な義務をある程度果たすのかという議論の中から生まれるんじゃないかなと。  今、リコーの考え方は、神奈川県の松田町で市村自然塾か何かというのでやっておられます。そこはNPOでやっておられます。NPOで、学校の場合には農地の利用が認められているようです。したがいまして、そんなふうなものがたくさんできていくといいんですけれども、なかなかそういきにくい事情があるので、子供のその先ほどのお金は僕は知りませんでしたが、そんなものが使えるとか、何らかの形でインセンティブができないかなと。そういうようなインセンティブがたくさんできていって、子供の教育とかほかのいろんなことに農業が活用される、農業をこれから国民で支えていくんだというようなことになれば、それこそライフスタイルは全く変わる、国民生活の流れもお金の流れもかなり変わるというふうに思われますので、是非よろしくお願いいたします。
  20. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 農業体験したいという人は、若い人は今すごく増えているんじゃないかと思うんですね。農学部のない学校にもそういうクラブができたりしているという話はよく聞きますので、みんな興味を持っていると思います。  そのときに、今までの体験学習というと、もう与えられたものをただ植えるとか刈るとかそういう形だったと思うんですけれども、やっぱりこれから子供たちのことを考えると、もっと農業的な生活といいますか自然のサイクルみたいなものを、それから一年だけではなくて何年も掛けて、例えばこの学校とこの村がセットになるというような形で、人間関係を作りながらそういうものが体験できるような、ふるさとづくりみたいな形で行われれば、多分子供たちにとっても非常に有意義なものになるのではないかというふうに思います。
  21. 小川全夫

    参考人小川夫君) 国民皆農というのは、ユートピア論という、トーマス・マンの中にもあるような発想で、昔から教育の問題とこういう理想郷の中では考えられてきた古典的なテーマでありますけれども、今日それをどういう形で行政がかかわってやるかというのはなかなか微妙な問題があるんだろうと思っています。それは、やはり先ほどのお話にありましたように、全員を動員をするというような形のイメージがありますと、それをもう嫌う風潮がありますので、これが一つ問題点です。  それからもう一つ、一体だれがそれを指導するのかという指導者層の決定的な欠落です。これは、学校の先生では絶対にできません。今の農家の人たちでも、語る言葉を持たない農家の人たちはやっぱりうまくいかないことが多いんです。  そういう意味では、そういうことの構想をこれから進めるとしても、これはやっぱり百年の大計に基づいて徐々にやっていかなきゃいけないだろうし、そういう意味では、先駆的なところに対していろいろな実験を積み重ねていくということしか方法はないのではないかなと思っております。  そういう点では、例えば今の田んぼの学校のような試みというのは、正に自主グループがその地域に生まれて、自分たちの指導者を探し出して、そこで体験しながら、非常に小さな芽生えとして、しかし全国的に広がっていっているわけです。その形態も様々です。その中で得られたものも随分と波及効果が出てきているところもあります。もう少しそういったような今ある実験形態をしっかりと見ながら、その中からデータを集めて、どういう形でならできるのかということを考えていかなきゃならないと思いますし、それは今の学校教育の子供たちに対してのプログラムというよりは、今一番食に対する常識がなくなってしまったのは中年ですから、この中年層の再教育という点でも、もう少し社会教育の点からプログラムを作っていく必要があるのではないかなと思ったりもしております。
  22. 加治屋義人

    加治屋義人君 ありがとうございました。
  23. 山東昭子

    ○山東昭子君 その食に対しての余り知識のない中年の代表でございますが、それぞれの参考人の皆様方に観点を変えて質問をさせていただきたいと思いますので、後ほどまとめてお答えをいただきたいと思います。  まず小川参考人には、今魚の問題、輸入魚が五〇%を超えている、金額にすると二兆円も買っているというような話を聞きますけれども、今都会に住むヤングママあるいは子供たち、もちろん中年も含めてかもしれませんけれども、魚に対しての知識が全くなくて、そして魚本体というよりも切り身しか見たことがない、そしてその料理の方法もない、あるいはひどい人は包丁も持っていないというような世帯があるというような話も聞いております。  そこで、近隣の千葉などから漁村の主婦たちが東京の学校へ出掛けてきて、そして、課外授業というんでしょうか、お母様も含めて子供たちに魚を料理をしてそして食べさせてというような方法を取る活動をしている人たちと私も親しいんですけれども、ところが、それを受け入れる学校側というものが、校長先生を含め教師たちも、包丁を振り回すなんてとんでもない、もしけがをしたらどういうことになるんだ、責任はどこにあるのかというようなことを言われてなかなか受入れができないというような話を聞いたことがございますが、もちろんそれをかいくぐって少しずつやっているのでございますけれども、小川先生からごらんになって、そうした事なかれ主義の教育者の姿勢というもの、あるいはそうした教育の現場でそうした食、あるいは農村、漁村の中でのそうした食というものを多くの都会人たちに伝えるためにはどういうことが必要かということ。  それから佐藤参考人には、私たちの子供のころにはやはり地域人たち、先輩や何かとのつながり、おしゃべりをする機会、あるいはいろんな人生体験というもの、そうした交流が非常に盛んだったわけですけれども、最近は非常に、それぞれの地域に住んではいるんだけれども若者たちが余り交流をしない、子供たちもそうですけれども、そういうこと。あるいはまた、豊かになってきたためか少子化が原因かどうか存じませんけれども、お互いに親離れ子離れしない人たちが出てきたわけですけれども、そうしたことを含めて、親離れ子離れをして本当に人間としてたくましく生きていくためには、それぞれが考える必須条件というのを、大げさなんですけれども、どういうことが必要かということを、佐藤参考人がお考えになった御意見をお伺いしたいということ。  そして岡本参考人には、私はMORIMORIネットワークという、都市とそして山に住む人たちとの交流、大人も子供も含めて、そうした活動をずっと続けているんですけれども、最近は本当に子供たちもストレスあるいは不登校というようなことがありますので、そして親に余り本音を漏らさないというような子供たちも増えてきていると聞いております。そういう中で、岡本参考人が今まで活動されてこられた中で、そうした不登校やストレスの子供たちをそうした運動に参加させて具体例としてこういうことで成功したんだというようなことがおありになればお伺いしたいなと。  それぞれの皆さん方にお伺いをしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
  24. 小川全夫

    参考人小川夫君) 農産物だけじゃなくて、魚の問題になるともっと事態は深刻であるということは僕自身もつくづく感じております。  これをどういう形で教育するかといったようなところで、学校の先生たちの安全志向というのがいろいろな冒険的なことを避けるということになって教育効果を上げていないという話がありましたが、逆に少し参考になる、発想の転換をした例をお話し申し上げますと、島根県に美都町というところがありまして、そこで父兄の方から一つの問題が出されたのは、給食の食器の問題です。  プラスチック製の食器を使っていることについて、これだけマスメディアが危険だと言っているものを使っていいのかという話があって、教職員組合がそれについていろいろと論議をし合って、自治体の職員も一緒になってその辺りのことを論議して、やっぱり使うのをやめようということになったわけです。軽くて丈夫で割れない安全一本やりのそういう食器ではなくて、多少割れる可能性もあるし、危険かもしれないし、重労働になるかもしれないけれども、この町は木のたくさんある町なので木で食器を作ろうという、学校用の食器を職員組合や教員組合が一緒になって開発をしたという例があります。  そういうようなことを考えますと、問題は、そういう問題意識を今の学校の現場の人たちがきちんと受け止めているかどうかというところによるんだろうと思うんです。だから、むしろこれからの学校の教員は学校の外に出て、地域の人々やあるいは海外や、そういう水産物のありようを子供たちに知識として教える前に自分たちがその経験をしてみるというぐらいに、学校の先生たちの実地体験をプログラム化していただくことがまず手始めかなというふうに思ったりしております。
  25. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 自立のための必須条件というんですが、なかなか難しいテーマなんですけれども、日本の場合は自立が非常に今遅くなっていて、これは必ずしも日本だけではなくてフランスとかアメリカでも言われていることだと思うんですが、豊かさの中でやはり自立する時期というのはどこの国でも遅くなる傾向はあると思います。  ただ、幾つかの国を調べた例でいいますと、やはり国の制度としても親が子供を保護するという時期を非常に早く終わらせていて、例えばスウェーデンだったら十五歳ぐらいで多分保護の義務はなくなって、子供は、何というんでしょうか、学校へ行くにしてもお金はただですし、それから自分お金を借りて、国から安い資金を借りて自分学校へ行くようなことをしております。そういう意味では、日本の場合は親と子というのは非常にセットになった考え方というのが非常に根強いんじゃないかと思います。  やっぱり、そうすると、親がお金持ちだったら子供は何も努力しなくてもそのまま行けるような、今もう日本全国豊かになっておりますから、結局そのまま子供が努力しないでも何とか行けるんじゃないかというような安易な自信というか、そういう気持ちを持っていると思うので、ここはやはり、子供に自立をやらそうと思うと、自己責任であるということをかなりはっきりと言っていくということが大事なのではないかというふうに思います。  その前に、親としては、例えば本音の会話でちゃんと会話ができているかと。もう非常に基本的なことなんですけれども、海外のどの国に行っても会話を非常に大事にしていると。これは親子だけでなくて夫婦もそうなんですけれども、日本の場合は、私たちはちょっといい家族という言い方をしているんですけれども、何となく家族を演じてしまっている。表面的なところで終わらせてしまっていて、全然深まるところがない。逆にそこはぶつかるところもないわけですね。そうすると、越えていくという感覚もないし、何かを責任を持ってやるという感覚もそこではなかなか生まれない状況になっているのではないか。やはり会話をすることによってそれぞれが自分意見を出して、そこの中で主張をして、自己決定し、自分の責任を取るという、そのことがまずは大事なのではないかというふうに思います。  ただ、自立するというのは必ずしも独りで生きるということではなくて、ほかの人といかにうまくコミュニケーションしながら自分がその関係性の中で生きられるかということだと思うんですね。それを含めて、家族の中での教育力のようなものが外との関係とも非常に強く連動しているのではないか。家の中での平和な、一見平和な環境が外に出ると摩擦回避傾向になって、自分意見を言わないとか、逆にいじめになったりとか、そういうものと絡んでいるのではないかなというふうに思っています。  そういう意味では家族というものの見直しというのはすごく大事で、そのときに今の状況、例えば塾に行くために小学校四年から行き出して、晩御飯はいつも家族じゃない、一緒じゃないというようなそういう生活のこの今の国の状況というのは、非常にそういう意味では憂うべきものがあって、これはかなり特殊な例だと思います。  韓国とかは似たような状況がありますけれども、欧米の先進国でこれほど家族の時間を大事にしない国というのはないのではないかというふうに思いますので、かなり根本的なところからの改善、制度でできるものではないかもしれませんけれども、意識の改革を含めてやらなければこの自立という問題は実は解決しないような根の深い問題なのではないかというふうに認識しております。
  26. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 具体例とおっしゃいましたが、余り具体例存じませんが、スタートプログラムというのがたしか市川にございます。あそこは、去年、おととしまででしょうか、イタリアにブリケッラ共同農場というのがございまして、そこに不登校の子供たちを連れていくということをやっていたようです。この二年ほどやめて別の先生がそれを続けておられますけれども、僕、去年ちょっと見に行こうと思って見に行けなかったので余り詳しいことは申し上げられませんが、共同農場で共同作業をする、それから料理も作る、いろんなイベントを子供たち自身でやらせると、こういうようなことをやっているケースがございます。  それから、不登校というか、いろいろ問題が起こってフリースクールを、各地でできております。朝日の「天声人語」にも出た沖縄のケースとか、それから東京のフリースクールをやっている、かなり、だんだん広がっているフリースクールをやっておられる方もあります。そのフリースクールの場合には、やっぱり田舎に、つまりいろんな農業とか林業とかの作業をするような場所も設けて時々そこへ行くというようなことで、子供たち自身にプランをさせる、運営をさせるというようなことをやっているケースもございます。  全体的に言って、子供が不登校とかストレスがあって引きこもってしまうというようなことについては、もちろんいろんな原因があるんでしょうけれども、一言僕の意見を言わせていただくと、先ほど、僕は住宅にかかわっていると思います。今のように非常に閉鎖的な住宅で地域交流しない住まい方をしていることが非常に大きな原因じゃないかと。したがって、僕は共生型住まい、地域交流する住まいが必要だというふうに申し上げたんですが、仮に子供たちが自然の中にいるとそんなふうなことが起こらないんじゃないかという気がします。今は自然に触れない、自分の自宅の部屋の中に引きこもっていれば済むということで引きこもりが起こっているんじゃないかと。  逆に言いますと、子供たちからすれば、勉強しなさい、しっかりしなさい、ちゃんとしなさいみたいなことを言われると、自分の部屋に引っ込むしかないと。幸いなことにこのごろ子供部屋がありまして、昔はなかったものだから引っ込もうと思ったって引っ込めなかったんですけれども、このごろはうまいこと子供部屋があって引っ込みますので、出てこなくて済むわけです。そのうちに、だんだん大きくなりますと、今度は引っこもるだけじゃなくて、もう親を入れなくなります。思春期になると、幾ら交流のあるような子でも親と余り話したくないと、だから部屋の中に引っ込んでしまうと。こういうような住宅問題があると思います。  それで、やっぱり交流をできるだけ自然の中でやらせるようなことが大事なんじゃないかと。武蔵野市で一週間の農村体験をやらせておりますけれども、ああいうようなこととか、それから僕らが農都市民会議で去年の六月と八月と十月に東京の江東区の小学校の五年生の子供を信州の美麻村というところに連れていきました、一クラス。一クラスといっても、南砂小学校ですけれども、あそこの団地はもう五年生一クラスしかないんです。町の中でも一クラスになってしまいました。その子供たちを連れていきました。そうすると、例えば蛇を見たことがない子供がいたり、いろんな不思議なことがありました。そんなふうなことで、返ってきたお父さんやお母さんの感想は、いや、随分元気になってよかったというような感想です。  ですから、やっぱり子供をどこかに、そういう体験をさせるというようなことが非常に重要なんじゃないかと。それについて農業とか、そういう林業とか、森ですね、そんなふうなことの交流体験を是非子供にやっていただくようにしたいなと。それは、しかもできるだけ自主的にやらせる必要があるんじゃないかと。僕らも、できるだけ自主的に子供たちでプランをしてもらって、行動をできるだけ自分たちでやってもらいました。そうしないと、全部お仕着せじゃやっぱり駄目なんです。できるだけ自主的にやってもらうということで、子供たちは地元の子供たちと交流をして非常に楽しい日々を過ごしました。  しかも、しばしば、そういうときにはどこかのまとまったところに泊めるんですけれども、僕らの場合には民家に泊まってもらいました、子供たちに。僕も行きましたけれども、ボランティアの大人がお世話をしつつ、子供たちがいろんなお手伝いをするということをやってもらいました。そうすると、やったことがないことばかりです。おふろもまきでたきましたとか、羊の世話をしましたとか、いろんなことが初めての体験ばかりだというので、喜々として子供たちは頑張ると。あしたはもう自分でできることは自分でやろうとか、日記に書いたりしております。  非常に面白いことでしたので、そんなことがあちこちでできるようになっていかないかということをむしろ是非お願いしたいと。せっかく予算が付いたんですから、そんなのをどんどん使っていくし、もっと広げるような形になっていけばいいなというようなことで、MORIMORIネットワークも多分地域通貨を使って、たしか森林との交流をやっていらっしゃったんだと思うんですけれども、そういうような大人の交流も含めて、できるだけ子供を誘ってもらうというのがいいんじゃないかなと。  先ほどの僕のグリーンハビタットの会も子供を連れてくる人がいます。そうすると、子供は非常に楽しそうに、大人に交じって楽しそうにしております。そんなふうなことが人間交流に、やっぱり自然を介して解放されて豊かになるんじゃないかと、そんな気がしますので、是非よろしくお願いいたします。
  27. 山東昭子

    ○山東昭子君 ありがとうございました。
  28. 勝木健司

    会長勝木健司君) 質疑を希望される方は挙手をお願いいたします。
  29. 西山登紀子

    西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。  今日は参考人の三人の皆さん方、本当にありがとうございます。  この調査会は三年間という非常に長い期間を持って調査を行うという委員会でございまして、そしてそのテーマというのが「真に豊かな社会構築」ということでございます。  問題意識というのは、日本の国というのは非常に経済大国になったんだけれども、国民が本当の豊かさを感じることができない、それは一体なぜなのだろうか。そしてまた、それはどういう社会になれば本当の豊かさを感じながらこの社会、この国で生きていくということについて満足できるようになるんだろうかというような問題意識で、これはもう与野党を問わずにそのテーマを今大いに台座としながら今年で二年目になるわけですね。  昨年は外国にも行ってまいりまして、ニュージーランド、オーストラリア、私も行かせていただきまして、つい最近は、離島の状況も見てこようということで、先週ですけれども石垣島にこの委員会で行ってまいりました。私も石垣島は初めてなんですけれども、日本列島の最南端ということで、今日本の中では観光に行きたいところのトップは石垣島だそうです。オーストラリアのケアンズというところにも行ってまいりましたけれども、人によってはケアンズよりもずっといいよ、石垣の方がというぐらい、すばらしい地域ですね。私も行って、正にそのとおり、ケアンズよりずっといいよというふうに私自身も思ったところです。  そこの市長さんにもお会いしたんですけれども、最近人口は増えているということをお聞きしました。四万五千ちょっとほど、増えているんですけれども、少子化傾向というのはやはり本土というか日本全体の平均と同じくあるんだけれども、緩やかだと。データを見ても非常に緩やかにずっと、そんなに極端に落ち込むということなく、そして全体の人口は上がっているんですね。結局どこが増えているかというと、高齢になってそういう暖かい自然の豊かなところで住んでみたいなということで人口が増えていると。これはもう観光人口はすごく増えておりまして、ここ四、五年で一・五倍ぐらいに増えて六十万人年間来られるというように、観光産業も非常に石垣市としては頑張っているところなんですけれども、人口の動態からいいますとそういう状況になっているということでございました。  しかし、私が向こうへ行って聞いてみると、確かに石垣を求めて来られる方もいるんだけれども、石垣に生まれたじゃ若い人はどうかといえば、外へ出ていってしまうという傾向もあるんよだというようなことで、本当に豊かさとは何なのか、人々が求める豊かさは何なんだろうかというようなことをいろいろ考えながら帰ってきたようなところでございます。  そこで、三人の参考人皆さんにお一言ずつですが、この真の豊かさとは何か、新しい二十一世紀の日本社会にとって、それぞれの参考人皆さんが豊かさとは何というふうにお答えになるでしょうか。まず、それを一言ずつ、短くで結構ですから、小川参考人から順次お願いをしたいと思います。
  30. 小川全夫

    参考人小川夫君) 豊かさというのは、これまで空間、時間、人間の数の多さ、それに対する自由度、要するに選択が多くできればいいということをもって豊かさだと考えていたと思うんですが、それが今日少しストップしたと。自由というものは選択の自由だけではありません。自由の中には創造の自由があります。これからは、自分がいてどれだけのことができたかという、その貢献できたかどうかということが体感できるかどうかということに一つは大きな豊かさというものがあるのではないかと思います。  現在のところでは、自分がおってもおらなくてもこの社会は存在するんだというような状態になっているのが豊かさを体験できない最大の問題点だと思っております。
  31. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 豊かさを感じるためには、多分、自分一人で生きるのではなくて人と一緒に生きるという、その人の温かみを感じていられるということが非常に大事なことにまずなってくると思います。それは、今、逆に言えば、機能的には一人で生きられる状況というのは世の中はできているわけですけれども、それが非常な不全感というものを逆に生み出しているのではないかと。  ですから、今失われつつある人とのコミュニケーションなんですけれども、逆にここをもう一回大事に見直さなければいけないというのと、それからもう一つ、若い人たちを見ていて、若い人たちが非常に自分本位になっているし、努力もしないように見えるんですけれども、そこの中でやっぱり満足しないものがあるのではないかというのも非常に感じておりまして、やっぱりその中で自分の意思で何かをして、それによって自分が成長する感覚みたいなもの、これは多分若い人だけじゃなくて年行っても同じだと思うんですね、常に自分を磨いて変化し得る状況にあるかということ。  これはヘルマン・ヘッセが、人は成長するほど、成熟するほど若くなるというような言葉を残しておりますけれども、幾つになっても人から影響を受け自分が変われるという、そういうものを持つという、この二つの点が大事なのではないかなというふうに思っています。
  32. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 難しい御質問で、とても私のような者に答えられるようなものではないんですが、ちょっと考えてみますと、やっぱり豊かな時間、豊かな空間といいますか、自分をうまく発揮できること、自分自身というものを何か自由にいろんなふうに発揮できると。それがいろんな決まり事の中にあるのではなくて、自由な時間、自由な空間の中で自分がうまく発揮できると。ぼんやりしているというのもその一つかもしれませんし、いろんな創作や芸術の活動ができるというようなこともそうかもしれません。  かといって、仕事をしないというわけにもいかないかもしれませんので、仕事はやっぱりあるかもしれませんが、それと同時に、別の時間と空間があると。それを毎日毎日はできなくても、土曜、日曜日にはできるとか、休みにはできるとか、つまり今日のテーマのような、農村都市と両方の生活を享受できて、豊かな時間と豊かな空間が持てると。そして、それが自分の仕事も生きがいになっていると。こういうことがいいと思うんです。  仕事が束縛だというともうそれだけでストレスなので、仕事というものにある程度ストレスがあるのは当然ですけれども、それはそれで、自分が非常に豊かであれば仕事もまたエンジョイできると。こういうようなことになると思うので、やはりその裏側には自由な時間、自由な空間が豊かにあると、そして仕事を自分で発揮して、それ自身の納得をしながら仕事ができると。こんなふうなことができればいいなと思いまして、それが真に豊かかなと思いました。
  33. 西山登紀子

    西山登紀子君 短い時間で、もちろんなかなか一言では言いにくいことかもしれませんけれども、ありがとうございます。  次に、小川参考人にお聞きしたいんですけれども、このいただいた資料などを読ませていただきまして、魅力ある田園づくりというようなことを、本格的な農の、農村における事業の立ち上げの問題などもずっと書いておられまして、大変興味を持ちました。  この都市農山漁村との交流というんですけれども、元々の農村とか山村とか漁村がもう疲弊してつぶれちゃってなくなってしまうと、これは交流ということはあり得ないわけで、私は今やっぱり大事なことは、農村をしっかりと支えていく、山村も、それこそそこに住んでいらっしゃる方がそこで生活ができていくようにしていく、漁村ももちろんそうですけれども。そういうことがないと、交流といっても本体がだんだんつぶれていってしまうようでは交流というのはないと思います。  そこで、先生がおっしゃっていらっしゃる、例えば事業を行う上で従来のような資産担保や保証人ではなくて、もっともっと事業計画そのもので融資するというようなことも必要じゃないかというような御提案がありますけれども、そういうふうな自治体が、やっぱりその地域の特徴をより生かして自治体が支援をしていくということで、自分たちの豊かな環境を守っていくということが非常に大事なことじゃないかなと思っています。  特に、先日、石垣市に行ったときに、石垣に新空港を造るということで、空港を降りた途端にいろんな陳情を受けて私たちもびっくりしたわけですけれども、これは、その空港というのは、市長さんの御説明を聞きますと、長い間いろいろ環境を破壊するから駄目だという意見もあったけれども、最終的にはそこで石垣が作っているパイナップルやマンゴーだとか、あるいはお魚が天候によって運べなくなったら腐ってしまうとか、そういういろんな問題もあるからやっぱり必要じゃないかということで、市民が長い間いろんな検討する中でようやく一致して、環境もしっかり守りながら新空港を造ろうよというようなお話になったということを市長さんからお伺いしまして、なるほどなというふうに思って、私たちもそういう方向での努力をしなきゃいけないなと思っているんですが、それも一つの自治体、石垣市という自治体が、どうやってその石垣というとても豊かな自然をきちっと守りながらそこに住んでいくかということの一つの選択の方向を今模索していらっしゃると思うんですけれども。  先生にお聞きしたいのは、そういう地方自治体が自分たち農村、山村、漁村といったものに誇りを持ちながらそこを生きていく、保障も含めて、そういう仕事に従事する人たちに対してどういう支援をされているか、そこで何かいいような教訓的なことをやっていらっしゃることを御存じでしたら、一つ二つで結構ですから御紹介いただければと思います。
  34. 小川全夫

    参考人小川夫君) 自治体がその地域住民のニーズに即して政策を立案し、それを実施していくという第一義的な責任を負っているということは当然のことではありますけれども、これができる背景には、やはり地域住民と自治体との関係性がどうなっているか、本当に信頼関係があるものになっているかどうかというのも一つ課題なわけです。  これまではどちらかというと、例えば新潟県の黒川村のように、村の直営事業として様々なことをやってきたようなところがあります。こういったところでは、もうそれこそ、その村自身が株式会社になろうとNPOになろうと一向、どんな組織になっても構わないと、地域住民生活を守るためにはこういう形でやるんだという、通常の自治体からは逸脱したぐらいに直営事業を展開するような動きを持っているところがあります。  一方、例えば鳥取県の東伯町のようなところですと、そういう役割をほとんど東伯農協という農協がやっておりまして、文化ホールまで農協が経営しているというふうな形でやっているところだってあるわけです。したがって、これも自治体をおしなべて一つのものとしてとらえることはできない。恐らくその地域住民と自治体との関係あるいはそのほかの団体との関係というのもかなり多様化してきているのが現状ではないかと思っています。  僕自身も、今そういうところで、これから先のことを考えた場合にはもう少しきちんと調査をしなければならないと思っておりまして、先ほど西山さんの方からのお話がありましたように、今新たな人口の移動注目されます。五十五歳から五十九歳だった人口は、次の国勢調査のときには五歳上になっているわけですね。通常は自然に人口が減るはずなんですが、それが増えている自治体があるということに注目をしまして、前回それから今回の国勢調査で今調べているんですが、その増えているところの自治体の数がべらぼうに増えちゃいました。半分ぐらい増えているところがあるんです。高齢者が今動いているということです。  じゃ、その動いている原因は何であるのかということを考えた場合に、この高齢者たちが求めている豊かさとは何か、アメニティーは何かということを考える一つのヒントになるのではないかと思っています。  現在その自治体に対していろいろと質問をしているところなんですが、アンケートで、ファクスで質問をしているところなんですが、明確にそれを自分たち政策課題として考えている自治体もあれば、そういう事実そのものについても全くとんじゃくない自治体もありまして、これは自治体の中での問題認識在り方というのもかなり多様になっているなと。もしそういうことになれば、本当に住民に信頼される自治体というものは恐らくこういう問題についてもしっかりと政策を立てていくんだろうけれども、もしかするとそういうことに対しての日ごろの認識を共有していないような自治体というのは、恐らく力を発揮できずに、何か事業があればやるけれども、それ以外のことについては実施、事業を展開するということができないで終わっていくのではないかなと、そういう危機意識も持っております。
  35. 西山登紀子

    西山登紀子君 どうもありがとうございました。
  36. 渡辺孝男

    ○渡辺孝男君 公明党の渡辺孝男でございます。  今日は、三人の参考人の方々から貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。  私の方からは、まず小川参考人の方にお伺いをしたいんですけれども、今、少子高齢化で高齢者の方々がそういう移動をされている、住むところを移動されているというようなお話もありました。  私も、地方で温泉の活用ということでいろんな地域を回ることがあるんですが、当然ながら山合いのところもあるし、農業と並行しているようなそういう農村でそういう温泉がある場合もあります。そういう中で、北海道を回りますと、旭川の方にいやし系の関係で大変有意義な地域といいますか、がありまして、それはやはり都会で最近アレルギーが増えているわけです。シックハウスとかあるいは化学物質過敏症があります。そうすると、なかなか都会では治そうと思っても環境的に難しいというのがありまして、旭川のきれいな環境ですと良くなるということで、そういう転地療法みたいなものですね、そういうものでログハウスを作ってそこに都会の方がおいでになっているというようなこともありました。  それから、洞爺湖温泉の方に行きましたところが、やはり、身障者の方が温泉においでになりまして、そこの温泉の御主人さんに実はやはり障害者の方々も植林をしたい、国有林を使いたいというようなお話がありました。ところが、なかなか規制があってできないと。今はそんなに規制ないのでできるんですが、当時そんなようなお話をしておりました。  そういう意味で、逆に、やはりいやしを求めていく、あるいは積極的に自分たち社会に対して何か貢献することで生きがいを見いだす、そういう場が農山漁村にはあるんじゃないかと思います。しかし、都会人たちはそういう情報というのを非常にまだ乏しくて、自分たちは求めているんだけれどもなかなか現場、受け入れてくださる現場の情報を知らないということがあります。  また、先ほどもお話がありました農山漁村農業あるいは林業、漁業の持つ多面的機能という面でもなかなか国民皆さんの御理解が十分でないということもありまして、そういう意味で、そういう情報発信ですね、農山漁村あるいは農業、林業、漁業の持つ多面的機能とかあるいはその地域で持っている資源という、すばらしい資源、文化も含めてですけれども、そういうものを発信するネットワークというのを作ることがやはり大事ではないかというふうに思うわけです。  その点に関しての御意見をお伺いしたいというふうに思います。
  37. 小川全夫

    参考人小川夫君) 例えば温泉の利用というのを考えますと、日本と同じように盛んなのがドイツです。ドイツでなぜ温泉の利用が社会制度として確立しているかといいますと、これは医療保険が掛かる温泉療法という位置付けにあるということです。医者が処方をし、またその処方に基づいてその患者とされた人はある温泉地に行って温泉療法を受ける。温泉療法を行うための専門的な職業者集団がその町にはいて、施設群があって、長期にわたる治療を行うという仕組みができ上がっているということです。  日本では、そういう温泉の利用について、そういうような健康づくりといったような形での仕組みづくりは決してうまくいっているとは言えません。これは、温泉については、今のお話のようないやしというところがようやく言われたぐらいなもので、そのリラクゼーション以上のものでいうと、今まではレジャーセンター的な役割しか果たしていないわけです。  少なくとも、こういうものを制度の中にきちっと乗っけていくためには、例えば公的介護保険の利用の中でもう少し温泉活用というものを入れて、地元でデイサービスを使うのではなくて、ショートステイを使うのではなくて、温泉地でそういうものが使えるような仕組み一つ作ることによって、かなりの程度その地域における温泉の活用の新しい道は開けるんだろうと思うんです。  しかし、そのためにやらなければならない制度的な様々な改善策、そこでやらなきゃならない様々な職業人の訓練、いろんなプログラムがそこにはあると思います。少なくともドイツ等でやっていることを参考にされるなら、そういったようなこともやっていかなければいけないんじゃないかなというふうに思っています。  事ほどさように、地域資源はないわけではありません。しかし、地域資源を活用できるようにするためには、それのマネジャー、コーディネーターという言葉もありますけれども、何がしか人間がそこにかかわらなきゃいけないんです。情報の発信というのも、最近ちょっと悪い傾向で、IT技術さえ入れればできると錯覚している人が多いんですけれども、情報については、人間がそれこそ心を込めてその地域資源というものの価値を見付け出すという基礎的な作業ができなければ動き出さないわけです。その人間が決定的に欠けているわけです。少なくとも、これから先の農村地域資源を活用した様々なプログラムを立てるためには、そういうことができる人間をどのようにして見付け出すか、あるいは育成するかというプログラムがまずもって重要な課題になるのではないかと思っております。
  38. 渡辺孝男

    ○渡辺孝男君 続いて、岡本参考人にお伺いをしたいんですが、岡本参考人の方は、いただいた資料で、市民農園ではなく共同農園が必要なんだというようなことをお書きになられております。  農村の体験学習みたいなのは、一過性に農村に行って、そういう農村の良さというもの、あるいは農業の良さというものを感じてまた都会に戻ってくるわけですが、また逆に、定年帰農みたいになりますと、ある程度残された人生を今度は田舎にずっといて過ごしましょうというようなことですけれども、その中間みたいな位置付けなのかなと思うんですが、おっしゃるような共同農園を実際やってみると、なかなか実現するのは難しい、受け入れる側のそういう理解も乏しいということですが、この共同農園というようなやり方を実現するためには、今まで御苦労されておりますが、今後、どういう点でいろんな改善をしていったらいいのか、政府としても何かこういうことをすれば更に進むんだがなというようなものもあればアドバイスをいただきたいと思います。
  39. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 共同農園と書きましたのは、別にソ連のコルホーズとかソホーズとかという意味ではありません。共同作業農園というような感じの意味でございます。共同でいろんな作業をして共同で収穫をして、その収穫物をどんなふうに使おうかというような相談をして、それで運営していくということを農家の方にも御理解をいただいて一緒にやると、こんなふうな感じでございます。  先ほどグリーンハビタットの会をやっていると申しましたが、それがそんなふうな意味でございまして、それはたったの二反でございます。六百坪ぐらいでございます。  ただし、それをどんどんいろんな人が広げていくということが望ましくて、その場合になぜ共同農園、共同作業農園と申し上げているかといいますと、一人ではなかなかしんどいと。それこそ市民農園ぐらいの大きさとか十坪、二十坪ぐらいなら一人でできるでしょうけれども、二百坪、三百坪とか六百坪とか、そんなふうになってくると、それこそやっぱり機械を使わなければいけないと。機械を使って農作業をするというよりは、自分の体を動かして手を使い足を使うということに本来の趣旨があると思いますので、したがって共同で作業するのがいいんじゃないかと。その共同作業するのは仲間を語らってもらうというような感じなんでございます。それをある程度仕組みにして、農村側にもお世話係がいる、こちら側にも一応連絡やら調整の係がいると。そうして、できれば市町村とか受入れ側でそんなことをどんどん広げていきましょうというような感じになっているといい形になるんじゃないかと。そうしないとなかなか難しいということで申し上げております。  それから、田園住宅法という、優良田園住宅促進法という議員立法がございますが、これも一区画ずつ区切っております。それで、区切ってそれぞれに家を建てなさいというようなことになっておりますが、ここら辺もややナンセンスじゃないかと。  共同で、先ほど僕が言いましたような共生型住まいのようなものを作って、農園は、仮に区切ってもいいですけれども、共同でやっていったらどうかと。共同で作業をするというふうにした方が、ずっとコミュニケーションがある、ずっとコミュニティーがあって楽しいと。コミュニティーがあるということは、その作業だけじゃなくてほかのことも一緒にやるということを意味しておりまして、困ったら何かいろんな相談に乗ったりお手伝いしたりするということができると思うんです。そんな意味で共同性が大事なんじゃないかというようなことでございます。  その辺をうまく政策的に市町村とか農協がお世話をしながら、一種の利用の形でコミュニティーを募集するというような形のことができないかなというような、そんなことで、情報の話も先ほどございましたけれども、やっぱりそれなりのコーディネーターがいて推進すると。それで、ある程度の固まりを作っていくというふうにしないと、今広がっているのは、田舎暮らしの本とか伸びております。それから、田舎暮らし情報センターみたいなのがありまして、利用が高まっているようです。しかし、そういうものは個人個人が購入したり扱っておりまして、結局のところは、うまく田舎に溶け込めるかどうか分からないということも含めて、やっぱり生活そのものを何か変えたいという願望だけで動いているような感じがあると。  やっぱり農作業をどうするかというようなことを地元の方と相談しながらやらないと、単に田舎の民家を買ったというだけで田舎暮らしができるというものではないと思うので、やっぱり新しい形態を市町村とか農協とか農家の方の共同、協力を得ながら、したがって一定の信頼のために行政が入りながら、何らかのバックアップもちょっとあったりして、それで推進していくというような、そんな意味での共同農場的なもの、共同作業農場のようなものをどんどん作っていくと、そして家とかそのほかの附帯的なことも考えていくというようなことにならないかなと思っておる次第でございます。
  40. 渡辺孝男

    ○渡辺孝男君 次に、佐藤参考人にお伺いしたいんですが、佐藤参考人世代間の交流とか持っている考え方等に非常にお詳しいのでお聞きしたいんですけれども、先ほどいろんな分析結果の方も見させていただきました。  私が一つお伺いしたいのは、最近、やはり経済が大変で、高校生の就職も大変だと。二十代後半あるいは三十代の方々よりもまたもっと若い二十代前後の方々の意識というのが少し変わってきているんじゃないかと。やはり厳しい環境にあって、自分の求めるものも求められないというような状況があるんじゃないかと思います。そういう方々の意識調査といいますか、そういうものもされていて、何か特徴等ありましたらお伺いをしたいと思うんですが。
  41. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 昭和五十年代生まれということで一応もうまとめてやってしまっているんですけれども、実はこの世代をよく見てきますと、基本的な意識というのは余り変わらない、十歳の年齢差があるにもかかわらず、割と物をはっきり決めて自分で意志的に動いているという人が少なくて、どちらかというと漂っているような形の人が多いのではないかと。それは、話しているとよく分かってくるんですけれども、自己責任で余り動いていなくて、世の中が悪いからこうだとか親がこうだからとか、常に言い訳のようなものが用意されているんですね。それは、多分ずっと過保護な状態にあるということを、この十歳ぐらいはずっと同じ状況にあると思うんです。  今、例えば孫の日なんというのが産業界では制定されて、百貨店なんかが作ってやっていらっしゃるんですけれども、すると非常に売上げが伸びるというように、もう親だけではなくて、おじいちゃん、おばあちゃんまでがこの世代に対して非常に投資をするというような状況です。常に自分たちは待っていればできるということで、例えば若い人たちが物を欲しがるときに、何か欲しい、何か買ってみたいな、ちょっとこれ大阪弁ですけれども、目的的じゃない。コンビニで育ったというせいもあるんだと思いますけれども、常に社会の方が用意された状況の中に自分たちがいるという、自分たち社会を作っていくというような意識というのは非常に薄いのではないかと。それが、例えば少子化なんかのときでも、世の中が不安だから子供を作らないみたいな、これも一種人のせいだと思うんです。  なので、日本の若い人たちを見ると、自分たちの力で何かやることで国が変わっていくというような、そういうエネルギーが全く感じられない。一部に、先ほどちょっと申し上げたみたいに、かなり意識的にやろうとしている人はもちろん見えるんですけれども、多くの人たちは割とそういう状況の中にいるのではないかと。  非常にここ、そういう意味では、上の世代人たちに再度過保護をせいというのではなくて、逆に突き放していく。税制なんかでも子供にどんどん与えられるような税制の解除をされていますけれども、そうやって子供にいい状況を与えることという、善かれと思ってやるような行動というのが果たして本当の子供世代の自立というような、生きるという力に結び付くのかどうかというような根本的なことを実は考えていかないと、現在の経済状況だけで動かしていくのは非常に危険なのではないかという危惧を感じております。
  42. 渡辺孝男

    ○渡辺孝男君 ありがとうございました。  山形の方で大学生が雪かきで困っているお年寄りの庭を雪かきをしているというような、スノーバスターズみたいな、そういう運動もしているので、若い方々も社会貢献しようという意識はもう多くの例で表れているんじゃないかなと思いますので、そういうものに期待をしていきたいと思います。ありがとうございました。
  43. 中島啓雄

    ○中島啓雄君 自民党の中島啓雄でございます。本日は大変ありがとうございます。  三人の先生方にそれぞれ別々に質問させていただきたいと思いますが、まず、小川参考人に質問させていただきたいのは、このレジュメの中で社会関係資本ということをお書きになっておられますが、これは非常に広い意味で書かれているんだろうと思いますが、いわゆる公共事業といいますか、それに焦点を当てていった場合に、一つは、マスコミ的にいえば、公共事業、無駄が多いじゃないか、やめてしまえとか、いろんな話があると。それから、今、小泉内閣としては都市再生と個性ある地域というようなことを掲げておりますけれども、都市再生というと、今まで地方が取り残されるんじゃないかというような批判がありますし、個性ある地域とは何かというような課題もあるんではないかと思いますので、今後の社会資本というか、公共資本在り方というのはどういう方向に持っていったらいいか。特に個性ある地域の発展という意味で、今後、農村等の社会資本というのはどんなものに重点を置いたらいいか、御意見があったらお伺いしたいと思います。  それから、佐藤参考人にお伺いいたしたいと思いますが、今、個の時代になっていると。個人のいろいろなテーストなり個人の要求というのを広く受け入れていくというのも、これも非常に大事なことであると思いますが、同時に、前に参考に配っていただいた論文の中でも、一人一人が私に目覚めるとともに、社会的な存在であることにも目覚める必要があるというようなことを書かれておりますので、正に個という存在と社会的な存在とどうバランスさせていくかというのは非常に大事な視点ではないかと思いますので、個というものと社会的な存在という意味で、逆に言えば、社会的な存在であることを自覚させるというのも非常に大事な今後のポイントではないかと思いますので、その辺について御意見をお伺いしたいと思います。  それから、岡本参考人には、大変いろいろコミュニティーの積極的なお話を伺いまして大変参考になりましたんですが、先生も言っておられますように、コアのメンバーといいますか、いわゆる幹事役をどう育てるかというのは非常に難しい、しかしそれがポイントだと思いますので、いろいろなコミュニティーを作る際に、コアメンバーというのをどういうようにして育てるなり開拓していったらいいかというようなことについてお話しいただければと思います。
  44. 小川全夫

    参考人小川夫君) 日本ではどうしても社会資本という言葉に紛らわしくソーシャルキャピタルを使いますと、今の御質問のような公共投資の話と混同してしまうところがありますので、ちょっと整理をしながらお話しさせていただきますが、今のような公共投資の部分は公共資本として基本的に経済的な資本というふうにとらえております。  問題は、それがどれだけ整備されても、例えばよくある話ですが、道路が欲しいと言った地域のために道路を敷設したら、そこの奥に住んでいた人たちがそこには住み続けることなく町場に出てしまって、後はそこから通うような道の利用の仕方しかなくなったという話があります。  そうしますと、公共投資として造った道路が、真にその人たちがそこに定住し続けて、その地域社会活性化する形の貢献をしたかどうかということになると疑問が出てくるわけですね。少なくとも道路が敷設されたということになりますと、その奥のところが、住み続ける人たちもいて、同時にその人たちが外に出ていくのも便利だけれども、よそから人を迎え入れられるだけの、つまりよその人たちがその地域に来れるだけの魅力づくりをどれだけやれるかということが問われるわけです。そのソフト活動に当たる部分、そしてまた、そういう人の関係を紡ぎ合わせようというような努力のことを英語の方ではソーシャルキャピタルと言っているわけです。そういう社会的な信頼関係というものをいろいろな人間の間に結び付けていくという努力をどちらかというとこれまで怠ってしまったのではないか、道路ができれば便利になるということだけのことでしか事柄が動かなかったのではないかなということがあります。  それに対する一つの改善の努力が、例えば道の駅という努力だったと思います。鉄道に駅があってどうして国道に駅がないのかという問題提起から始まったこの道の駅という構想は、元々、人間がドライブをしていてトイレに行きたいという人間的な欲求を持ったときに、安全にそういう欲求を満たすことができるような道路の事情になってないじゃないかということの発見から、これを少なくともどこかにトイレ休憩場所を作ろうじゃないかということになったんですが、ただでさえ迷惑施設である道路が、そういうトイレだけを置くようなことになったら地域住民にとっては更に迷惑になってしまう。それを迷惑施設にするのではなくて、新たな交流の場として逆手に取って、いろいろな農産物も出せる、情報も出せるような仕掛けにしようというのが道の駅の我々が実験として始めた本来のねらいです。  そういうねらいをきちっとやっているところは今日でも非常に道の駅を拠点とした新たな人間人間の触れ合いが出てきまして、生産者消費者の信頼関係というものがそこを通じて展開しているという例も多々見られるようになりました。少なくとも、そういうところをこれからの公共事業は考えていかなきゃいけない。どうしても、建前としてのソフト活動というのは入れながら、そういうものはもう構想の段階では吹っ飛んでしまって、後は物づくりだけに終わってしまっていたのが公共事業の最大の欠点ではなかったかと。人間の知恵はもっとそれを活用できるようなところでのソーシャルキャピタルを、人間関係を紡いでいくという、信頼関係を紡いでいくというところに向けて、それがどれだけの貢献がなせるものであるかということの人間の知恵を問うているものであるということをしっかりと問題提起していかなきゃいけないんじゃないかなと思っております。
  45. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 社会的存在であることを自覚させるということなんですけれども、これは私は実は若い世代だけだというふうには思っていなくて日本全体の問題ではないかというふうに思っているんです。社会的存在であることが楽しければ若い人たちも十分社会的存在であり得ると思うんですが、日本の場合、本音と建前と、今も公共事業の話でそういうお話が出てまいりましたけれども、どうしてもダブルスタンダードになっているのではないかと。その中で、若い人たちはもう逆に心地よさを分かってしまったがために社会というものを認められなくなっているという認識の方をまずしておかなければいけないのではないか。そういう意味では、豊かになったのですから、もうちょっと本音と建前を一本化するということに全体として動くというのがまず大事なのではないかというふうに思います。  といっても、若い世代に何か全然しなくていいということではなくて、やはり過保護な状態というのからいかに脱却するかという、先ほども祖父母の話をしましたけれども、学校でもどこでもみんな過保護になっていると思うんです。例えば学校で、小学校からみんな仲良くしなさいというようなことを言われているわけなんですが、人間は全部違うわけで、そういう意味ではすべてと仲いいということはあり得なくて、そういういろんな人といかにうまくやっていくかということを教えるべきなのに、建前上はみんな仲良くしなさいみたいなところを言われてしまっていて、そこの中で自分の感覚と言われていることのずれというのが常にあるのではないか。  そういう中で、保護して、善かれと思ってそれを全部やっているんだと思うんですね。仲いい方がいいという前提でやっていると思うんですが、もう少し現実の社会というものとの接点を持たすということが大事なのではないか。そのときに、じゃ自分の力というのを自覚して過保護をやめるということ、さっきちょっと雪下ろしのお話なんかもありましたけれども、社会の中で自分がほかの人にも何かやってあげられるというか、ほかの人から期待されるとか、そういうことがほとんどない状況なのではないか。無理をしても社会の方が手を差し伸べている状況をやめて、若い人たちが若い人としてやらなければいけないということをちゃんと返していくというんでしょうか、そういう作業が実は必要なのでないか。その中からきっといろんな知恵というものが生まれてくるんだと思うんです。  例えば、学校制度なんかでも、スウェーデンなんかだったら、家族が少なくなってくると、兄弟が少ないと多年齢のクラスを作って、今、学校でもそういう日本でも取組が始まろうとしていますけれども、早い時点でそういう仕組みを入れています。その中で、家族は少なくても、お兄ちゃんとして下の子とどういうふうに接するかとか、そういうことを学んでいくわけですね。  今の状況の中でないものであれば、失ったものであれば、やっぱり制度としていかにそれを取り入れるかということを考えないと、このままではやっぱり済まないのではないか。そういう一つ一つ仕組みの中から多分一人一人が自覚していくようなものなのではないか。教えて、知識の範囲で教えて何かできるようなものでは全くないのではないか、体感することによって知恵になっていくようなものではないかというふうに考えております。
  46. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) コアメンバーをどう育てるかというようなお話だったと思いますが、御質問だったと思いますが、文字どおりに受け取れば、それはリーダー養成講座だとか、いろいろありますというようなことはありますが、多分先生がおっしゃっておられるのは、コミュニティーというのはどんなふうに作られていくのかな、その中心になる人物はどんなふうに育っていくのかな、作っていくのかなというような御質問だと理解してお話しさせていただきますと、問題があれば、そして人が集まれば、基本的にはリーダーが生まれ、コアが生まれるというようなふうに楽観的に言えば思います。草の根民主主義というのはそこら辺が基本でございまして、多分いろんな問題があると、それでいろんなのに呼び掛けて、それでそれをやりましょうよと言っていくということでだんだん広がっていくんだと思うんです。そこら辺が一つの基本でございますし、それをどうやってという場合に、問題を見付けるとか、そんなことも含めてどうなっていくかということはあると思います。  それで、最近はインターネットの時代でございまして、そういうところからいろんな問題提起も起こっていると。今日がだんだんコミュニティーがなくなったといっても、いい点もそんなところではあると思うんです。ですので、問題がいろんなところに存在していると。人間がどれぐらいどう集まっていくかということで、インターネットなんかは割合自由な動き方が起こっていると。そういうところからコミュニティーを作っているというケースが多摩センターの辺りには例えばあります。  それから、別に大きな動きでいいますと、介護保険制度ができてからいろんなNPOができたりお世話のグループができたりというような、この動きは非常に目覚ましかったと思います。目覚ましかったというか、過去形ではなくて今も続いていると思いますが、NPOが約今一万ぐらい全国にできておりますけれども、その六割から七割ぐらいは多分介護保険の関係福祉関係だと思うんです。  これは、介護保険でいろんなお世話をすると介護保険のお金が出る、それが活動にできるというようなことからだと思うので、そんな制度的なことも非常に大きかったと思うんですが、もちろんそういうようなマインドがみんなにあったと。介護を皆さんでやっていこうというマインドがあったからであって、制度ができたからだけではなかったはずです。つまり、そういう介護保険で起こったときに、じゃ、それの受皿として何かやっていきましょうよと、お世話をしていこうということが生まれた。  そういう意味では、行政の方からもコミュニティーを作ったりするというアプローチができるんだということだと思うんです。行政の方でそういう制度で民間を活用するというか、そういうコミュニティーづくりで、NPOづくりでやってくださいというようなことだったと思うんです。コアという場合に、今の場合にはNPO、それの中心人物というようなことになったと思います。  そういうようなこともありますし、それから、もうちょっとうまくいろいろやればできるなと思うようなケースはたくさんあります。  例えば、健康政策では、健康日本21でしたか、というようなのがありまして、これを活用してうまいことコミュニティーとかいろんな諸団体を作っているケースがあります。例えば、具体的に言うと、足立区なんかでは、それで保健婦さんが一生懸命働き掛けて、こういうようなことを考えませんかとか、子育ての奥さん方を集めていろんな教育をすると。そうすると、一緒になって子育てを考えるグループを作りましょうとか、いろんな形でグループができています。そういうような方法もあります。行政から、官製からというようなことかもしれませんが、基本的には民間でやっていくことで、民間からの工夫というのもNPOなどを通して非常に広がっていると。  それのコアはといったら、やはり基本的には問題を感じた人が数十人いればできると。大体、普通は三十人ぐらいあればどこかにだれかリーダーになるものです。子供の遊びを見ていても分かりますけれども、何人か集まったら必ずリーダーがいたり、何か起こりますと同じようにやっぱり人間が集まればリーダーができる、コアメンバーができていきますので、それは問題をどうとらえるかということだと。  繰り返しになりますけれども、一つは、やっぱり草の根民主主義というものを育てていこうというか、信頼しようという面があると思いますし、もう一つは、NPOとか、ああいう活動を是非育てていってほしいと。それで、まだまだ不十分で、その辺はここで議論することもありませんでしょうけれども、制度的にいろいろ不十分でございますが、あの辺が活発に動けるような制度になっていけばますますそういう運動は起こっていく、コアメンバーは当然に生まれてくると。そういうことで草の根民主主義が広がり定着していくんじゃないかという、今、発芽期というような感じだろうかと。まだこれからだと思うんですけれども、広い見方をしていただいて是非育てていただきたいなと。制度的にもいろいろ困難があるので、そこら辺を是非御理解いただきたいと。  いろんな問題が出ておりますし、NPOが必ずこのごろ問題になったりして、いろんな方が税制も同じにしろとかいろんなことをおっしゃっておられます。そんなことも、その議論は今日のテーマではありませんけれども、何らかの形でそういうものを育てていくことで草の根民主主義の基礎ができていくんじゃないか。という意味での信頼があって、コアメンバーはそういうようなことから必ず生まれるというふうに見ていただいて、いろんなふうに育てていただくのがいいんじゃないかなと思う次第でございます。
  47. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 ありがとうございます。  我々自民党でも、一昨年の末ぐらいから都市農山漁村の共生・対流を進める調査会というのが発足をいたしまして、いろんな検討を重ねさせていただいております。  そもそも、今日のテーマもそういうことなんだろうと思うんですが、今、日本の国、改革の真っただ中で、別の言葉で申し上げると、競争の原理を更に導入するとか、あるいは合理性、効率性を更に追求していくとか、行政の中でそういう部分がかなり叫ばれておる。  そのことに関連して我々一つ考えるのには、こういうことがどんどんどんどん進行していったら果たして田舎は一体どうなるんだろうなと。さらに、都会の方は、便利であるがゆえに、効率的であるがゆえに、産業も集積するし、人も集まってくるし、その結果、また大きな限界点も出てきておりますが、新たな意味で、農山漁村の生き方、農山漁村のあるべき姿を模索をしていかなければならない。その一つの大きな切り口として、共生、そしてまた対流を進めていかなければならないということから、今申し上げたように、もう約一年半ぐらいいろんな角度で取り組ませていただいております。  そこで、私もその中の中心メンバーの一人なんですが、一つの大きなテーマが、今日のお話でも大半がそうでございましたが、受入れサイドの地方の取組についてはいろんな、もう過去営々と取り組んできておる。それがいい部分もあるし、改めていかなければならないところもあるし、地方も変えていかなければならないところもある。  このテーマは横へ置いておいて、議論の中で、これも単純な言葉として、押す力と引く力という言葉が出てまいりました。今申し上げた地方サイドの引く力ということは、いろんな試みがなされながら、ほとんどが失敗したり有効に働いていない。この部分はいいんですが、我々今大きなテーマとしてとらえ掛かっておるのが、都市部サイドの押す力をどうやってすれば、どう工夫すればより有効的に、その押す力が有効に働くか、これがいかにマッチしていくかということを一つの大きなテーマで、どうすればいいかなということで、今暗中模索の状況なんですが。  押す力、これは非常に、ちょうどたまたま今日の三先生も福岡と大阪と東京と大都市にお住みになられて、今日の関連のことをテーマに関係されている方々ばかりですから、そういう面では御意見もあるだろうと思うんです。そしてまた、なおかつもう日本の人口からすると、大半がもう大都市集中していると。面積の上では地方が大きいんですが、どうしてもいろんな意味で、いろんな工夫しようがいろんな努力をしようが、どうしても都会の方々に届かない大きな限界点を感じておると。  ちょっと話が横へ飛びますが、先ほどの、質問されました加治屋先生が発言された、学校の子供たちを地方に誘致しようというような、農業体験や自然体験をある程度もっともっとしてもらうということもその中から出てきたことなんですが、今私申し上げましたように、都市側の押す力をどうやれば更に──かといって、さっきからの議論にありますとおり、強制もできない、そしてまた押し付けることもできない。我々、政治的に、行政サイドで施策的にどういうことに取り組んでいけばいいのかなという部分で非常に苦心をいたしております。  何か、各先生方、ヒントになるようなことがございましたら、それぞれのお立場でお教えをいただきたいと思います。  私はこれだけの、一点の質問でございます。
  48. 小川全夫

    参考人小川夫君) 今の問題指摘につきましては、私自身が一番共有したい問題意識です。  農村側にこれまで努力を求めてきたことをこれからも求め続けることは事実上不可能なぐらいに、交流についても負担は高まっております。むしろ、なぜそれがうまくいかなかったのかということは、それに連動する都市側の政策の不全にあると僕は考えております。例えばグリーンツーリズムというような問題があります。これもドイツなんかの農家で休暇でという動きは、労働政策都市政策とうまく連動したところにあの休暇政策があるわけです。ところが、日本の場合にはグリーンツーリズムはグリーンツーリズムだけでありまして、これが職場における余暇政策というものと結び付いていない、あるいは学校教育における様々な体験学習なんというものと、ようやく最近は総合学習という形で結び付きが始まりましたけれども、これまで結び付いていなかったという点があるわけです。  そのほかのことを考えていきましても、まだまだそういうところの問題点があるわけですね。例えば福祉政策を取ってみましても、福祉政策農村政策というのは、どことなく連携が取れそうなところでありながら連携が取れていないところがたくさんあるわけです。デイサービスセンターなんということになると途端に建物を建てることばっかりやりますけれども、青空のデイサービスがあってもいいというのは現場の声です。  こういったようなところの一つ一つを考えていきますと、今の都市政策あるいは労働政策あるいは企業政策というものが今のままでいいのかということについて、もう一段考えていただきたい。  例えば炭酸ガスの排出規制の問題で、森林を撫育することが炭酸ガスを吸収するので、各企業もそういうことに努力するということになりました。ところが、そのことの結果は何かというと、オーストラリアに植林をしているという姿です。これは安いからですね。しかし、そういうような形での環境政策というのは本当に日本のためになっていると言えるでしょうか。少なくともそういうことに対しては、お金の問題としてそれを考えるのではなくて、そこの、そういう活動をする会社及びその会社の従業員たちが生活時間を削って、そういう活動日本の中での森林の手入れをするというぐらいのことの歯止めを掛けないと、結局のところ、日本というのは工場ばっかりのところになってしまって、農村を求めるならオーストラリアに行けというようなことになってしまいかねないというのが今の問題点だと思います。  そういうところの一つ一つの建前はでき上がってきたんですけれども、それを具体化する戦略というのは、もっと農村政策というものは、ほかの都市政策や国家政策というもののいろんな面との接合点を詰めていただきたいというのが私自身の感想です。
  49. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 都市の方の押す力ということなんですけれども、今、小川参考人もおっしゃったように、やはりその休暇というのが非常にネックになっているのではないかというふうに思います。農業とか林業というのは、一泊二日とか日帰りで行けるようなものではなくて、やはりそこに長いこといることに非常に意味があるんだと思うんです。それによって得られるものがたくさんあると思うんですが、日本の今の休暇制度で、ハッピーマンデーをやったぐらいではなかなかそういうふうにはなっていかないのではないか。  これもスウェーデンに行ったときに気が付いたんですけれども、スウェーデンにはサマーハウスというのが一般の家庭にも普及しておりまして、自分で持っていなくてもレンタルするようなことはもう非常に簡単にできるようになっておりました。それは必ずしも農業体験ということではないんですが、そこの中に、サマーハウスに家族で行くということは、家族の中の文化の伝承だとか、それから生きる力、それこそみんなで協力してまきを拾ってきたりとか水をくんできたりとか、そういうものの体験の場に実はなっているんですね。  日本の場合のそういう休暇の設備というのは全部、何というんでしょう、遊びだけというか上澄みだけの部分になっているんじゃないかと。やっぱりその辺の発想を変えていかないと、そういう休暇村を幾ら作っても、ただ楽しいだけということではやっぱり身に付かないものがたくさんあるのではないか。その辺の発想を、やっぱり休暇の長さも必要だし、家族でそれをどういうふうに使っていくのかというような議論、それと農山村がどういうふうにかかわっていくのかという入口のところでまず問題があるのではないかということを非常に思っています。  それと、もう一つなんですけれども、今、多分農山村で非常に面白いことがたくさんやられているにもかかわらず、情報はもう一つ届いていないのではないか。それは、確かに農業誌とか、それはもう本当に好きな人のための情報というのはたくさんあると思うんですけれども、もっと一般の人の目に付くような情報の出し方というのがあるのではないか。例えば、ワーキングホリデーで女性が行ったような事例を読んでいますと、ある一般的な雑誌にその宣伝が載って、それで行ったと。行くと非常にいいから、それがまた話題になって、テレビや新聞に取り上げられると。そうすると、そこに去年より倍ぐらいの人がやっぱり来るようになるというような、そういう一般の人との接点をどう作っていくかということが一つ問題になるのではないか。そこはかなり田舎サイド、田舎と言うと怒られるかもしれない、農山村サイドではなかなかうまく作れないところかもしれません。そういうときには、やっぱりコーディネーター機能だとか、都市側のサポート機能のようなものが、行政なのかもしれませんけれども、必要なのではないかというふうに思います。  それと、もう一つなんですけれども、実は林業とか農業に携わるようになった人たちの、若い人をヒアリングしておりますと、一年くらい見て歩いておりますという事例があります。結構、ですから、私たちはノンプロセス、プロセス、ロストプロセス世代というふうに名前を付けたんですけれども、若い世代の中で新しいプロセスの積み方というのができてきているんじゃないかと。それは、この情報時代ですから、自分の目で現場に行ってちゃんと選択するということなんですね。一年間見て歩いた結果ここにしますというようなことを言っているわけです。そういう意味では、なかなかシビアな、ただ努力したからというだけではなくて、やっぱりそういう人たちをいかに感動させるかというか、そこに住まわそうというような、特殊なというか個性を持つかというところも大事になってきているのではないかというふうに思います。
  50. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 北岡先生のお話は非常に難しいお話でございまして、最大のテーマだろうと思うんです。  それで、これに名案があればそれをやればうまくいくということになるんですけれども、名案があるとも思いにくいんですけれども、ちょっと考えてみればいいというところはあるんじゃないかなと。僕、先ほどテーマコミュニティーと申し上げましたが、テーマとしては農村にいたり農村に行ったりする方がいいものが一杯あります。  例えば健康。それで、例えば生活習慣病、健康のためにいろんなことをやるというときに、都会にいて確かにアスレチッククラブに行くのも生活習慣病対策かもしれませんが、できれば農村にいる方が多分いいでしょうと。軽い糖尿病は歩いたら治ると言われておりますけれども、そういうようなことは都会ではやりにくくて、一生懸命走っておられる方もおられますけれども、やっぱり空気のきれいな農村の方がいいとか。  健康関連で、アトピーの人たちは、あれは結局脱化学物質療法しかなさそうなんですけれども、そうすると都会では容易に治らないと。農村で、できれば化学物質を使わない家とか何かにいれば済むと。先ほどたしか旭川のお話をされましたが、旭川で脱化学物質療法の建物を建ててアトピーの人たちがそこに住んでいると。牧場の中に家を建ててというのを北海道のある会社がやっておりますけれども、そういうようなことは都会では困難です。半径五百メートルぐらいは車も通らないというようなことが望ましいとかというような状況がありますので、それもやっぱり農村の方がいいんじゃないかと。アトピーとかああいうものは結局毒物の量がだんだんたまっていくわけですので、それをだんだん出していく、きれいなところで出していくというようなことで考えるとあちらがいいとか。  教育についても、それはやっぱり農村の方がいいんじゃないかという部分がかなりあります。それはここに、住んでいるところにいなければいけないけれども、農村に行ったら子供が喜々としているという話を申し上げましたけれども、昔は林間学校なんかがありました。このごろ余り聞かないんですけれども、そういうような自然の中、農業をやるとか、そういう体験の中で子供が育っていくということをもうちょっと大事にしたいと。  そうすると、このごろの考え方としてはデュオバーシティーとかデュオスクールとかいう言葉があります。デュオはデュエットのデュオですので二重という意味になると思うんですが、つまり、向こうにもこちらにも学校の施設がありますと。ただし、別に学校の施設をわざわざ今日建てる必要はなくて、廃校もあれば一杯あると思うんです。それを、時々行きますというのでは受入れ側の市町村の方も安定しないので、もうどこか決めちゃうと。自分学校の第二学校あるいは自然学校はどこそこにありますと。そうすると、そこに雇用も生まれるし、人がいつも行くということで、受入れ市町村の方もある程度安心した形ができると。デュオバーシティーで、大学もどこか提携して、自然の中にありますというと、受入れ市町村の方はいろんな研究やら何やら大学にお願いしたいということになって、いろんなお付き合いができると。そんなことの萌芽はあります。ちょっとやり始めている大学もあります。  だから、そんなふうに二重の大学があったり二重の学校があったりするというようなことも考えられるんじゃないかと。日本の近代の始まりはやっぱり学校でしたので、もう一度学校というものを見直してそんなふうにするということも考えられるんじゃないかと。  それから、職のこともあります。いろんなことがあると思うんですけれども、もう一つは雇用のことが考えられると思うんです。今こんな時代ですので、雇用を農村で開発できないかと。コミュニティービジネスというのが広がっておりますけれども、アグリコミュニティービジネスというのは考えられないかと。大いにあると思うんです。それを農村の方と都市の方で提携して起こしませんかと。  そのコミュニティービジネスに対しては、何らかの支援をしますというようなことが考えられると思うんです。その場合に、何でもかんでも補助金というのではなくて、例えばコンペ方式でやるとか、神奈川県でそんなことをやっておりますけれども、コンペ方式で入賞したところには一億円の保証枠を付けますというようなのがあります。そうすると、一億円を保証をしてもらってお金を借りると、いろんな活動ができます、いろんな事業ができます。そんなふうなちょっとした工夫で事業が起こる可能性があると。田舎の方に雇用を作るというようなことを考えられないかと。  もうちょっと硬い考え方でいくと、アメリカのニューディール政策のときには森林愛護隊というのを百万人作るといって、結局五十万人ぐらいだったと思いますけれども、雇用を開発しております。何かやっぱり農村を使うという、国土全体をもう少し使うような方法というのが政策的にはあるんじゃないかと。  それで、繰り返しますけれども、教育とか健康とか病気とか、いろんなことで悩んでおります。それの解決は都会よりも農村の方がいいというものがたくさんあります。そういうようなものをいろんな工夫で支援していくということでリードしていくことができるんじゃないか、そういうインセンティブがあったら押す力になると。受ける方も、農村の方も安定した形で来てもらえれば、それは安定して準備しますと、いろんな相談もしますし、いつも相談したり、いつもいろんな関係を作りますということができるんじゃないかと。そんなふうな工夫ができればいいなと思うので、先ほど言いましたテーマコミュニティー的に考えれば一杯テーマがあると。その辺を生かしていけないかなと思う次第でございます。こちらの方が是非よろしくお願いしますと言いたいところでございます。
  51. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 ありがとうございます。  もう先ほどから話にも出てまいっておりますが、潜在的な需要ということを考えてみますと、都市側の住人、私は田舎で住んでおるんですが、都市側の人たちももういろんな限界点に達して、コミュニティーにしてもそうですし、人間関係にしても、そしてまた物理的にも多分そうだろうと思うんですが、潜在的にもライフスタイルを変えなければならないという需要というのは私は非常に大きなものがあるだろうと思います。  その辺り、我々も引き続いて模索をしながら有効な施策を打ち立てていかなければならないなというような感じでおりますので、また今後それぞれのお立場で、またいろいろな御指導、是非ともお願いを申し上げたいと思います。  私は以上です。
  52. 勝木健司

    会長勝木健司君) 質疑を希望される方は挙手をお願いいたします。
  53. 円より子

    円より子君 民主党の円より子です。  今日はお三方から大変有意義なお話を聞きまして、私はずっと都心部といいますか、都会にしか住んでいないものですから、全く農村、漁村、林業、様々なこと知らないと言っていい人間なので、四十を過ぎて初めて娘と稲刈りをしたと、そういう体験しか持っていないようなものなんですけれども、いろんな今日はアイデアがわくようなお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。  お三方に二つ質問がありまして、最初の質問は、お三方が今まで研究なさり、そして行動してこられたことをもっとちゃんと実現していくために、多分様々な規制にぶつかられたと思うんですが、どういったものを撤廃し、また逆に規制すればいいのかというようなことを教えていただきたいんです。  といいますのは、例えば、私、この間、富山でデイケアハウスの「この指とまれ」というのと「にぎやか」というのを見せていただいたんですけれども、もうお三方とも御存じと思いますが、子供たち、それからお年寄り、そして障害を持つ人、いろんな方がその地域のニーズに合わせて集まれるという場所で、最初それを作られたときには、今、富山では補助を出しておりますけれども、全国ではまだ高齢者だけのデイケアハウス、障害を持つ人だけの、子供たちだけだったらもちろん保育園とか、そういう形で分けているわけですね。ですから、全く違いを持つ人たち同士の交流とか世代交流とかがないような形の行政がずっとされてきている。そこにもう省庁別、厚生省の中でも課別といいますか、そういう形でできているものですから、ニーズに合わなくなってきているというものがありますね。そういうものが多分農村都会との交流場面でもあるのではないかと、いろいろな規制がですね。そういうものは撤廃しなきゃいけないでしょう、それは世代間、今のようなものもあるでしょうし。  また、今、例えば田舎の方が健康にいいというふうなこともおっしゃいましたが、でも、今逆に川や海の水がいろいろな工場排水やそういったもので汚れてきている、環境ホルモンの問題が出てきている。また、学校も、せっかくいい学校があるのに、それを建て替えるときに新建材で子供たちがシックハウスになってしまうということがあれば、せっかく田舎に行ってもということもありますから、また逆に規制をしなきゃいけないものもあると思うんですね。  小川先生は、いただいた資料の中でもかなり行政に対する要望等も書いていらっしゃいますし、お三方それぞれ、そうした農村都市との交流を深める、交流というのはそもそもなぜするのかといえば、互いを知るため、価値観の違いを認め合うため、また自然環境を守るためでもあったり、農業や林業、漁業を守ることは都会生活を守るためでもあって、お互いが共存し合っているということを知るためでもあると思うんですね。  子供が保育園に行っていましたときに、無認可の保育所で本当に何もないようなところで、段ボールの中にうちの子はお座りまだできないところに座っているというようなところでしたが、大変いい保育園で、毎週、障害を持つ方たちのセンターに、一日そこへ行って遊んでいるというような保育園でした、泥んこ遊びもしょっちゅうしたし。初めて一歳のころに行ったときには泣いて帰ってきたことがありまして、何だろうと思ったら、初めて脳性小児麻痺の大人の方たちと会ったときに、今までそういう人を見たことのない赤ちゃんたちというのはびっくりするわけですね。でも、そこで何時間かすればもう即慣れてしまうというようなことがあって、人間というのは、やはり同じ価値観の者、同じ者たちだけで暮らすよりはいろんな人たちと暮らすことが大事だという、そういうのが一つ交流の原点かなと思いますので、撤廃と、逆に規制することについてお伺いしたいことと。  もう一つは、昔は教師の子供も自分が背負って教室で教えたり、保母さんも自分の子供を同じ保育園に連れていくことが可能でしたから働きやすかった。それから、家の、都会の中でも、お庭があって、台所の勝手口から出れば、そこのいろんな果実やお野菜を取って、それでまた作るというようなことができましたから、都会農村というふうな余り分け隔てがなく、わざわざそこへ体験学習に行かなくてもある程度都会でもいろんな自然との共生ができたと思うんですよね。それが今全くなくなって、マンションという箱の中で暮らすものですから、突然体験学習に行けと言われても、それが強制のように子供には映ってしまうというようなところがあって、もしかしたらいろいろ町づくり、住宅づくり、そういうものにも問題があるんじゃないか。  それから、例えば私は、阿仁町の特別養護老人ホームとかが大変うまくできているところに行ったときに、皆さんが年取ったらこういうところに住みたいとおっしゃった。そうすると、その地方の人は税金だけ使われるのでは困りますとおっしゃったんですね。年取ってからだけ来られたのではという、そういう税の問題もあるかと思います。  いろんな問題を考えながら共生とか交流を進めていかなければいけないと思いますので、そういう問題点もあれば、続けてお答えいただければと思います。
  54. 小川全夫

    参考人小川夫君) 二年ほど前に中山間地域の振興にかかわって、特区を作れというようなことをちょっと提案させていただいたことがあります。それでは規制緩和ということを念頭に置いていたわけです。中山間地域で何か仕事をしようと思う場合には、狭い土地しかありません。その周辺の地域というのは森林法が掛かったり農地法が掛かったりして、ほとんどそういうものに縛られていてはいろいろな活動ができないということであります。そしてまた、その中である産業振興を図ろうとした場合には、どうしても農林業関係の中からの第三次産業型の機能を展開するということでなければならないですし、それを担うのが農業関係の法人でなければならないというような縛りがあって、なかなかうまくいかないなと。もちろん、その点、かなり努力されて改善されてきたことはあるんですけれども、基本的にはそういう構造が中山間地域のように、あれをやろうとしてもこれをやろうとしても全部そういうところにぶつかるという問題がたくさんあるわけですね。それはもう枚挙にいとまがないということでありますので、それは一度点検してみてください。  それからもう一つ、それをしかし一方でやりながら、規制を完全に緩和することだけでいいのかということになりますと、これはやはり一番大きな問題は、例えば中山間地域を例に取りますと、これはやっぱり源流地域にあるところが多いわけです。源流地域は、山を守ることが水を守るということで、下流を守っているということでもあるということからいえば、かなり厳しい自己規制もやっているわけです。ところが、その自己規制をやっている山の民の人たちに対する下流の人たちの、何というんでしょうか、礼の仕方が今の仕組みだとうまくいかない。この辺りのところについては少しきちっとした、その努力に報いるというような礼の果たし方があるのではないかということがあります。  あるダムを造ることになった町が、自分たちがここのダムを造ったところで、結果として見れば、これで受益を被るのは下流の人であると。しかし、上流の方としては、そのダムの水を守るためにいろんなコストを掛けているんだと。そのことをどう発信するかというので、ダムの関連施設として水の博物館を造ることを提案したという例があります。こういったような努力というものをもう少し都会人間たちも、それこそ礼を尽くして報いるべきだというふうに思います。  その仕組みが基本的にどういう仕組みなのかというのは、税の問題、節税の問題、基金の問題、あるいは新たな都市農村交流を促進するような形での活動の促進策、いろんなローカル・アクション・グループに対する支援策という形で展開していくのではないかなというふうに思っております。  それから、実際、僕なんかもいろんなところでいろんな話を聞いておりまして、もう少しこういうことをやったらどうかというような話をすると、大概、法とか規制とかいろんなことにぶつかるんですね。  小さなところでは、例えばグリーンツーリズムのようなものをやるときにはどういう基準が掛かってくるかという、保健所の問題が一つ掛かってくるともうそれだけでも立ち行かなくなって、そんなに過剰投資をするんだったらこんなことやめたというような話が出てきて、すぐに水を差されてくるというようなこともあります。福祉の問題でもそういうことになるんですね。  いろんなところでいろんな活動が出てきていますけれども、それらを展開するためにもう少し、農業でも道路にしても都市計画にしても、自分たちが持っている資源を農的暮らしに生かすというところをやってみれば、その良さが分かるはずです。  例えば、アメリカのシアトルという町では、都市計画をやっていく場合に必ず余り地が出ます。その余り地を、Pパッチと言っているんですけれども、Pは何かパトリックさんとかという最後まで農業をやった人の名前を取って、それを記念してPにしているらしいんですが、パッチというのは切れ端ですね、つまり、都市計画の中で切れ端になったようなところを市民農園として提供するという、都市計画上の市民農園の提供です。それでグループができて、自分たちのコンポストに利用し、そして、そこで菜園活動をしたり花壇造りをしたりするというような、新たな人間の信頼関係を作り出す舞台にもなっているわけです。  こういうふうなことは、少しいろんなことを考えてみればいろんな可能性はまだまだあるんだろうと思うんです。都市だからできないというのではなくて、都市だからこそそういうことができるという部分もあるということを探し出していただきたいというふうに思っております。
  55. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 規制とかそういうことは余りよく分からないんですけれども、新しく何か作らなくてもいろいろ工夫はあるなというのは、震災復興の中で芦屋浜の公団住宅の中に畑を作ったんですね。それは「だんだん畑」という、一つのアートなんですけれども、その中で、そこにこれから住まおうとする人たちがコミュニケーションを図れる場として作られたということがあって、それは多分今までの都市公園の概念からいうと大分違うものだと思いますけれども、そういう新たな仕組みというのが少しずつやっぱり始まっているのではないか。それを、新しいことだからということでやめようということじゃなくて、面白いことがあったらどんどんやっぱり認可するという風土みたいなことが非常に大事なのではないかというふうに一つ思います。  それともう一つ、先ほど保育所と高齢者施設というお話もありましたけれども、それ以外に、若い人等のことを考えると、渋谷ファンインという、これは運動のようなものだと思いますけれども、無目的に子供たちがそこに寄ってこれる、そういう場というのが余りにもないんじゃないか。それぞれが機能分担していて、やっぱり何もない、だけれどもそこにいたいというようなことが一杯あるんではないかと思うんですね、都市の中に。そういう人たちがたまれる場所のようなものというのはこれから意識的に逆に作っていかないとなかなかないのではないか。この場合も、老人もいれば若い人たちもいるし、子供たちもいるし、使い方も全然規制されない。ボランティアのような人は少し英会話を教えていたりとか、ダンスをやったりする。そういう仕組みになっているようですので、そういうものが大事。  これは実は、町にカフェという形で一杯、産業的にはあります。ただ、カフェというのは非常に面白い仕組みだと思うんです。パブリックそのものでもないし、自由だけれども何かそこのある空気みたいなものに引かれてやってくる、だけれどもすごい目的があるわけじゃないという、そのあいまいさみたいなものをもう一回都市の中に作るということが逆にいろんな人が入ってこれるきっかけになるのではないか。余りにも今というのは目的的になっているがために人を排除するようになっているのではないかというようなことを感じています。  それからもう一つ、林業の地域に行ってちょっと気付いたんですけれども、実は山というのは、私たちは国のものだったりというふうに思っているわけですけれども、私有地というのはたくさんあるわけですよね、山の林の中には。そういうものが結構放置されている例というのがたくさんあって、日本の場合、割と私有地だともう官が手を出しにくいというような状況があると思うんですけれども、地域全体のものであるとかみんなのものであるというやっぱり認識を持っていかないと、なかなか国土というか、良くなっていかないのではないか。  その私有地の概念から、やっぱりもう一つ、パブリック、町並みにしてもそうだと思うんです。自分の土地だから何建ててもいいみたいなことがまかり通っている部分があるわけですけれども、全体の中でのバランスだとか、みんなのものという意識を醸成する必要があるのではないかというふうに思います。
  56. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 原則論で考えますと、多分規制というのは、最初に規制ありきじゃなくて、原則自由、規制一部あるというのが原則なのじゃないかと。それが今日、逆になっているような印象が非常に強いような気がします。  その辺が基本的にはあると思うんですけれども、今日のテーマの都市農村ということでいいますと、農村の方はやっぱり農地法の関係の規制が非常に強いと。それで、これは結局保護しているのと同じだろうと思うんですけれども、じゃ、だれか農業をしたい人が参入できるかというと非常に参入しにくい、農地が借りられるとか何かがないので非常に実は新規参入しにくいと。国が保護をしているのは農業のためなので、そうすると新規参入したい人は自由に参入できないのだったら職業の自由がないということになってしまう、ここら辺が非常に変なんじゃないかと。やりたい人には農地を提供するというようなことがあってしかるべきだと。今はその逆になっていて、とにかく守りますというふうになっていると。特区の場合に、遊休地についてNPOでもほかのものでも農地が使えますというふうになるようですけれども、特区で遊休地だけというのでは多分余りうまくいかないというか、十分じゃないと思うんです。もう少し何か使える方法が出てこないかなと。  それで、基本的に心配なのは、農業をやるといってやらないで放置するとか、大企業が買い占めるとか、何かそういう心配があるんだったらそれは別の規制じゃないかと。基本的に規制しておいて、それでちょっと認めますというんじゃなくて、本当言うと逆じゃないかと。やりたい人がやれる、企業も参入できる、ただしこういうことは困りますというふうな規制の仕方をすべきなんじゃないかと思うんですけれども、農地法というのはとにかく大変伝統があって難しいことですし、それから先ほども申しましたように、やっぱり個人の財産というか先祖伝来のことがあって、こちらの他人がというか都市人間が気ままなことを言っていたって通用しないのかもしれませんが、印象としてはそんなことがあります。  それで、もうちょっと別のふうに規制を考えると、都市計画法も変わりましたし、それからいろんな市街化調整区域の扱いも変わりましたけれども、もう少し広げられないかと。今は福祉施設はいいですとかいうようになっていますけれども、先ほど言いましたような共生型の住まいを作るというのに、いろんな規制というか、いろんなところで引っ掛かってきます。そういうようなこともできれば柔軟にしてリードしていかないとなかなかやりにくいと。つまり、今こうやって構造改革とか、そんなふうな新しい時代を作っていこうということであるなら、今までの規制の原則を見直すべきであって、規制をどう外すかということではないはずだと。だから、国民は自由にやりたいことがやれる、ただしこういうことは困るから規制するというのが原則じゃないかなと。  したがって、共生型住まいでいうといろんな問題点があるんですけれども、例えば市街化調整区域にはできませんとか、いろんなことがあります。そんなふうなことが特養ならできると。特養でできて共生型住まいができないという理由は何ですかと。それは恐らく福祉だから、こちらは違うからと。その辺はもう一度整理のし直しをしてみる必要があるんじゃないかというようなこととか、一杯あります。  一杯あり過ぎて言えませんけれども、とにかくやっぱり農村都市の共生・対流を進めるという上では、農地に参入しやすくして、それで参入でめちゃめちゃやったら困るというふうに見ていただいた方がいいんじゃないかと。市街化調整区域も別の目的であったはずなので、それはやっぱり別のふうに見直してもらった方がいいんじゃないかと。国土利用の見直しというようなことを何か別のふうに考えてもらいたいなという感じがしております。
  57. 円より子

    円より子君 ありがとうございました。終わります。
  58. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 自由党の森ゆうこでございます。  今日は三人の先生方、ありがとうございます。  先生方のいろいろなお話を聞いておりまして、私も実は元々町づくりというような活動の中のコーディネーターのような役目をやっておりまして、自分の経験とも合わせて大変興味深かったんですけれども、最近、農業というものも、先ほど小川参考人からもお話がありましたように、新しい総合学習、総合学習に取り入れられて、また活用されるようになってきている。でも、元々は、私どもの地域の例で言いますと、本当に問題意識を持った住民が取り組んできた。  私どもは、先ほどお話ありました黒川村のある新潟県なんですけれども、チューリップを核にして、子供たちがチューリップの球根を植える、それを育てる、そして次の春になったら花を摘む、花を摘んでそれでチューリップ染めをして、また球根を掘り上げて文化祭でそれを売って、そしてそのチューリップ染めをした布でコサージュを作って卒業式に出るという、これ二年掛かりのプロジェクトでして、これは本当に地域人たちが始めて、いろいろな協力があって、学校の理解もあって、十年ぐらいやってきて、そしてそれがまた総合学習に取り入れられているというようなことで、本当にいろんな可能性を秘めていると思うんですが。  今までのはちょっと余談なんですが、結局、問題意識を持った市民、住民たちが何か取り組んできたこと、そしてそれがある程度岡本参考人のお言葉をおかりすればテーマコミュニティーというものが作られて、それをいい意味で行政が支援していくということによってようやくだんだん大きくなっていくんじゃないかなと思うんですが、ともすると、こういう行政の支援ということになりますと、どうしても過剰に介入しがちなんですね。  その辺のところをもう一度、佐藤参考人の方からは公と私、そして個という部分のお話もありましたし、その辺の公、それから官と民、その辺のところのこれからの関係在り方について、それぞれの参考人に、このことに気を付けてこんなふうにやっていったらいいんじゃないかというようなお話がありましたら、それぞれ伺いたいと思います。
  59. 小川全夫

    参考人小川夫君) コラボレーションという言葉、最近は協力の協に働くという字で表現するようになりましたけれども、これは基本的に官の部分と、それから市場活動を中心とする各企業、産業の担い手ですね、それと民間非営利的な地域集団であるとか、様々なボランティア組織であるとか、あるいは協同組合のような、一人がみんなのために、みんなが一人のためにという形で動いているような組織が、ともに自分たちの持てる力を出し合って共通の現場に立とうという活動だというふうに思っております。  そのときに、必ずしもそれぞれの考え方が完全に一致することはあり得ないと思うわけです。しかし、それぞれの良さを発揮しながら自分たちでやれるところをやるということを現場で考えるということが一番大切なわけだと思います。そういう意味では、現場感覚を持てるような動き、そしてそれに対する、何というんでしょうか、支援の仕方というのが一番重要なのではないかというふうに思います。  これまではどちらかというと団体を見ていたと思うんですね。団体が公共性というものを負託されていろんな事業をやるということをみんなが信頼して官は支援をしてきたと思うんですけれども、団体は今は信頼するに値しないと言えば語弊がありますけれども、そうではなくて、その団体がどの場所で何をしようとしているのか、どういうものと一緒に何をやろうとしているのかという活動計画、それが事業計画活動計画ということになるんでしょうが、そのことに即して審議されるべきだろうというふうに思っております。  僕はそれは失敗も認めていいと思います。社会実験として位置付けて、もうそれこそ支援するようなやり方を取って、逆にそこからいろいろなデータを得る、そこからいろいろな教訓を得るというような形の協働の在り方というものを是非進めていただきたいなと。これができれば、それこそ草の根の自治組織としての住民動きというのはもっといろんな形で展開するのではないかなというふうに僕は楽観的に見ております。
  60. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 官と民という意味で、なかなか農業とか林業で私は物を言うのは難しいんですけれども、これから例えば文化の支援なんかを考えるときに、大阪で今やられているんですけれども、官が場所を借りて運営は民でするというような、何かその役割分担といっても今までのように官が全部物も作って運営もするということではなくて、運営の部分はNPOなり個人なりに任せていくというやり方というのがこれからの一つの流れとしてあるのではないかというふうに思っています。  それから、地方に行って逆にいろいろ思うことがあるんですけれども、補助金が出ていて設備ができているなと思うときに、非常に一律的な、多分要件が決まっていて、こういう要素を満たすものに対して補助金を与えるということになっているからだと思うんですけれども、都会人間が行ったら非常に面白くない設備というのが多くて、やっぱりああいうのはもうちょっと個性的なものに対して、一律ではなくて、個性を発揮するものに対して支援するような仕組みに変えていかないと、まだ相変わらず一律になっているのではないか、それが逆に都会の人の田舎に行くののエネルギーを、何というんでしょうか、そいでしまっているようなそういう、道の駅もいいとおっしゃいましたけれども、道の駅も余りにも一律的になってしまうとやっぱり魅力がないわけですよね。この地域の道の駅はこうだけれども、この地域のは全然違うというような形がちゃんと担保できなければ支援する意味がこれからはないのではないかと。そういう意味では、地域人たちにも自分たちの個性というか売りをかなりはっきり認識していただいてやっていただかないと、結果的には全体として無駄なものを作ってしまうというのの循環から逃れられないのではないかというふうに感じております。
  61. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 森先生は町づくりコーディネーターをおやりなんだそうですが、正に町づくりこそNPOの分野じゃないかと思うんです。日本では行政の分野だと完全に思い込んでいるような気配が今まではありましたけれども、全く逆だろうと、町づくりこそNPOの分野だと。  というのは、アメリカなんかではそうなんですけれども、都市計画から住宅建設からそれの運営から何から、NPOや関連のものが非常に活躍しております。もっとも、アメリカの場合にはコミュニティーベースドオーガニゼーションみたいな言い方をしますので、コミュニティーがベースだという組織なんですけれども、ここの中にアメリカでは病院も学校も入ります。一部は入りませんけれども、かなりの部分がNPOの分類に入ります。そういうような分野がアメリカのGNPの一割ぐらいを占めておるとか何か言いますので、こういう分野こそが正にNPOと、コミュニティーベースの活動であるというような感じがいたします。  それで、行政支援のことをおっしゃいましたが、これはいろいろ考えたり話をするととてもうまいこと短時間でまとめることができませんが、いずれにしても行政との関係というのはうまいことやらないとそれはうまくいきません。というか、今のところNPOとか任意団体は行政に過剰に遠慮しております、現在は。それで、何かちょっとしたことですごく遠慮して本心を言わない、上手にお付き合いしようということだけが気になっていると。本当はもっと率直にやればいいんですけれども、行政の方ににらまれたら困ると、こういう感覚が非常に強いです、今のところまだ。その辺の意識的なところがやっぱり変わっていかなければいけないと。三鷹市は長期計画を民間の人たちで作りましたけれども、そういうようなところから、やっぱり基本のところから変えていかなきゃいけないという感じがします。  話し出したらこのテーマというのは数限りなくあるので、ちょっと短く幾つかのポイントを申し上げたいんですけれども、先ほどテーマコミュニティーということを申し上げたときに、いろんなテーマが地域の中に展開すると。そうすると、そこで受益者というか、おじいちゃんであれ子供であれいろんな人たちが助かるというようなことを申しましたが、実はこれには本当は調整役がある方がいいと。例えば、おじいさんなんかを取ってみて、余り動けないというときに、どのテーマコミュニティーを利用したらいいかという調整役が要る、コーディネーターが要ると。こういうようなことがまだこれからです。そんなふうな展開を考えていかなけりゃいけないと。そういう調整役みたいなコーディネーターがあったら非常にうまくいくというような感じのことが多くあると思います。  イギリスでコミュニティーケアというのが大体普及しておりますけれども、これなんかは正にコラボレーションです。官と民とボランティアと、何となくどこでどう区別するのか、我々はついつい癖だからどこで区別するのかばかり質問しますけれども、余りよく分かりません。それぐらい融合しております。  それで、それは要するにボランティアの、一般の住民の方がボランティアをやったら、あなたはコミュニティーケアラーです、こういうふうになって、いつでも言ってください、手続をいつでもやりますという受け付ける場所もある。そして、何かちょっと込み入ったことであれば、老人ホームというかスキームマネジャーみたいな人がいていろんな地域の手配をすると。  だから、一つのことについて老人ホームだけの窓口とかいうようなことではないし、行政だけの窓口ということでもない。行政から民間からボランティアまで含めて手配ができるという人がいれば、老人は助かります、子供もきっと助かります。全部をトータルするようなマネジャーが必要ですけれども、それがあればコミュニティーケアが可能になっていくというふうに思われるわけです。  問題点がいろいろあります。テーマコミュニティーについて言うと、例えばそれぞれに会費が要ります。そうすると、会費が重複します。一つ一つは安くて、こちらが三千円、こちらが千円、こちらが二千円とかにしても、もし仮に全部払っていたらたまりません。特に、老人とか子供とかそんな人たちにはそんな重複した会費が払えません。ここら辺の工夫があると非常に都合がいい。コーディネーターがいて、こういう会費の重複みたいなものを避けて、それで調整してもらえれば、それはコミュニティーというものが成立していく正に土台ができるんじゃないかというような感じがするんです。  そういうようなことで、進むときにもう一つ問題点として言いたいのは、資金力がありません。どのNPOにしろどのコミュニティー活動にしろ、いろんな事業をやろうとしてもなかなかできません。これを応援する仕組みがあると非常に助かる。銀行の方、信用金庫にしろ、ほとんど相手にしません。この辺を何か信用枠であるとか、何か新しい形でできないかなということは、行政か何かが応援すれば枠のような形できっとできるだろうと思うんです。  こういう形でやっているのでは、ムハマド・ユヌスという人の貧者のための銀行というのがバングラデシュにあります。これは要するに、ムハマド・ユヌスというノーベル賞候補の人が銀行の枠を自分で取ってきてみんなに、貧しい人たちに貸しているわけです。  何かそういうような、ある程度の枠があってお金が付くということがないとコミュニティー活動は発展していかない。その辺が是非、工夫、それほど行政のお金を使う必要もないし、それほど銀行が何か大改革をしなくてもできることなんじゃないかと、こんな感じがするんですが。
  62. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 ありがとうございました。  今の財政的な支援の面については、またその財政的支援をする市民バンクというようなものもまた生まれてきていますが、市民の側もお上意識、過剰なお上意識、お上に何でもやってもらえばいいという、そういうことを直していく、またお上の方も過剰な介入をやめていく。正にこれ、今、日本は新しいそういう生き方の転換点にあると思います。  どうも先生方、ありがとうございました。
  63. 畑野君枝

    ○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。  もう最後の時間になりましたので、手短に申し上げます。  今日は、都市農山漁村との交流世代交流等新たなライフスタイルについての御意見を三人の参考人皆さんに伺いまして、本当にありがとうございました。  小川参考人レジュメには、農的暮らしが可能な社会ということが言われておりましたし、佐藤参考人からは、若い世代ということでライフスタイルと仕事は一致させたいと、農林漁業についてもそういうことが触れられました。岡本参考人からは、農村都市交流のコミュニティーということで具体的なお話を伺ったわけですが、さて、若い人にとって農山漁村の役割というのはどのようにお考えになるのか、また、もし必要な施策などあれば伺いたいというのが質問でございます。  付け加えますと、日本学術会議が日本計画ということで特別委員会を幾つか作った中に、農業及び森林の多面的な機能ということで七つ出されておりまして、農業・森林は経済的観点からのみならず環境生活上の側面など多面的な機能を評価すべきとの認識が高まってきているとか、あるいは、生産機能のみではなく食料保障、環境保全、生物多様性保全、社会的・文化的価値の継承などの多面的な機能がある、しかし市場メカニズムを通じては発揮されにくいとか、そして今日のテーマになっている三つ目に、農村的なものへの憧憬も生まれてきており、多様な都市・農山村交流が行われ始めた等が書かれているわけなんです。  私は、特に若い人の体のことが心配でございまして、食の安全というのも言われるんですが、逆にスローフードが見直されているとか、私の住んでいる都市部ですと、貴重な斜面緑地が削られてどんどんマンションが建てられて何もなくなっていくという状況があるんですね。  一方、農村でいえば後継者問題というのが非常にありまして、自治体によっては、価格保証をするとか、それから生活費や農地や住宅施設のあっせん貸与をするとか技術支援をするとかありますし、私どもとしては青年農業者支援制度を国で作ったらどうかということなども提案させていただいているわけですが、そういう点を踏まえまして、何かあれば一言ずつお願いしたいと思います。
  64. 小川全夫

    参考人小川夫君) まず、農村についての考え方は新しい食料・農業農村基本法で大きく変わったと思います。その中にも地域政策として農村整備するという明確な目的は書かれたと思うんですけれども、それを実践していくための戦略がまだ完全に熟していないというふうに思っております。相変わらず農業に対する支援策あるいは農家に対する支援策あるいは農地を保全するための支援策という枠をなかなか超えられずにいるのが今の現状だと思います。もう少しEUの共通農業政策がどういう方向を目指して今環境政策等を考えているかということを少し検討して日本型で進めていただきたい。  そのときに、多面的機能というものがただ単に言葉としてあるのではなくて、それをどのような経済的な価値のあるものとして、どのような経済仕組みの中にそれを位置付けるかというところの仕組みがまだできていないわけです。これが私的経済の中ではどうしても駄目だと言うんだったら、やっぱり公共経済でやるべきだろうと思います。あるいはそれが金銭的な面ではできないのなら、少なくとも人々の都市農村交流に見られるような形の、人的な生活時間を掛けたところの現物経済という形でその価値を見直していくべきだと思います。  そういうことから考えていけば、農村が持っている魅力というのは青年たちの力を必要とする部分はたくさんあるわけです。それは決して農業だけではございません。そのほかの面でもっと青年たちが持っている多様な関心にこたえられるだけの度量の深さが農村にはあるわけです。しかし、それをきちんと磨き上げるための訓練が日本の中にはないんです。  僕はいつもエッセーの中で書くんですけれども、アメリカのケンタッキー州にはベリアというところがありまして、このベリア・カレッジというところはアパラチア山脈に生き続ける人たちのためにという建学の精神で作られた学校です。アパラチア山地で生活しようとする人たちは奨学金が付いておりまして全部無料です。学校の中では完全に実学教育でありまして、その中には牧場からコンピューター・ソフトウエア・ハウスから、あるいは様々な芸術活動ができるようなものまですべて作っておりまして、学生はそこで働きながら学んでいるわけです。そこにはホテルもあります。そのホテルで働いているのも学生です。教えているのはその先生なんです。  そういうような教育のありようについても、日本はたくさんの大学を作りながら、そうした形の地域振興型の大学はこれまで一つも作られなかったというところを文化の貧困として考えます。  少なくとも、そういうことを一つでも考えていけば、日本の中での中山間地域を始めとして漁村も、いろんなところでまだまだ人々の資源として見てくれる、あるいは価値を付加するための活動を待っているものはたくさんあるんだろうと思います。そういうところでの取組というものを是非活性化させていただく、これが都市農村交流、あるいは対流とかということのねらいではあろうかと思っております。
  65. 佐藤友美子

    参考人佐藤友美子君) 今、小川参考人がすべて言い尽くしてくださったような気もいたしますけれども、やはり若い人というのは、お金をもうけることよりは自分のこだわりのある暮らしというものを絶対求めていると思うんです。それはなかなか都市にいてお金経済的に裕福になることを目的とする人たちには分からないような心情だと思うんです。  なので、逆に言えば苦しい立場にいると思うんですけれども、そういう人たちが、話を聞いていくと、例えば一年に二百万あったら暮らしていけるという、そういう意味では、都会経済の流れ方とは全然違う流れというものがあるのではないか。物を作って、今までだったら農協に出さなければいけなかったけれども、自分たちで直接インターネットを通じて販売するとか、そういう意味では非常に新しい動きというのが出てきているのではないか。それは、逆に言えば若い人が村に入ったからこそそういう動きというのが可能になっているのではないかというように思いますので、これまで以上に多分若い人は村に入っていくと思います。  ただ、問題がないわけではなくて、やっぱりその中で孤立して、耐えられないで出ていくという状況も一方にはあるというふうに聞いておりますので、そういう入ってきた人のコミュニティーを、これは岡本参考人の御専門かもしれませんけれども、どうやって根付かすかというところにもう少し工夫や、その施設、学校というのも一つ在り方だと思いますけれども、そういう末永い仕組みというか、育成のための仕組みが要るのではないかというようなところはこれからの本当に課題になってくるのではないかというふうに思います。
  66. 岡本健次郎

    参考人岡本健次郎君) 若い人にとっての農山漁村というのは非常に魅力があることだと思うんです。若い人は実は多分農山漁村が好きなのではないかという感じがいたします。このごろの若者は非常に心優しい、そして非常に繊細で、自然の中に入ると意外にそこで溶け込み、いやされると。だから、その意味では正に若者の場所ではないかというふうにも思われます。もちろん都市にほとんど住んでいるんですけれども、若者に農村農山漁村を開放したらどうかと。ちょっと極端ですけれども、いろいろ工夫してみたらどうですかと。何かアイデアありませんかと言ってみたらどうかという感じがします。  つまり、若者は何をしようかといろいろ考えたりいろいろ試したいものですから、それでフリーターやっている人もいます。それから、いろいろ学校へ行き直したりとか、今までとは違う生活の仕方、人生の過ごし方をしようとしているように見えます。だから、農山漁村をインキュベーターにできないかと。農山漁村に、若い人たちにアイデアを募集して、来ませんかと。そうしたら、こうこうこういうふうにしますというような感じのことができるんじゃないかと。  若者に人気のあることというのはいろいろとあると思うし、それから、例えば研究所なんというのは入ったらすぐ何かノルマがあるわけじゃないので、例えば研究所があるとか、何かの芸術運動の拠点があるとか、例えば演劇をやるのに町の中ではやりにくいと、音楽をやるのも町の中で吹き鳴らすのも困難だと。そうしたら、農村にいかがですかと。ここに廃校がありますので利用してくださいとか、芸術活動どんどんやってくださいというので、芸術活動農村に行っている有名なケースも幾つもありますように、若者にとっては新しい人生を作る場というのが農山漁村の方には大いにあるんじゃないかと。  募集すれば来るんじゃないかと。今は募集していないだけだと。あそこはインキュベーターだと。市町村とか連合体で工夫して、インキュベーションにして是非来てくださいと。一年間は御自由にどうぞというような感じのこととか、いろいろ考えられると思うんです。そうしたら、若者はいろんな工夫をして、そこで働いたり芸術活動をしたり、いろんなことができると。  僕の知っている人で、そんなことでもう二十年ほど前に農村に行って、学校の廃校でいろんな活動をしておりましたら、次から次へと人が来て、今ではそこの人口の何分の一かは都会から来た人というような村もあります。  つまり、若者にとって農山漁村というのはなかなかいい場所なんです。それで、何か農山漁村に行くと何かやりたくなる。芸術活動をやりたくなる。それから何かちょっといろんな人との交流もしたくなる。農作業もしたくなる。いないからできないだけなので、インキュベーションとして考えて応援をするというようなことができれば、若者が農村を活用すると、若者が農村に行くということができるんじゃないか、そんなふうに希望しておりますけれども。
  67. 畑野君枝

    ○畑野君枝君 ありがとうございました。
  68. 勝木健司

    会長勝木健司君) 他に御発言はございませんか。  それでは、以上をもちまして参考人に対する質疑を終了いたします。  小川参考人佐藤参考人及び岡本参考人には、御多用の中、本調査会に最後まで御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。  本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の私どもの調査参考にさせていただきたいと思います。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。  本当にありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十分散会