○
参考人(
水島朝穂君) お
手元に
資料がございまして、私の
資料は十八ページからでございます。それと、事務局からの指定どおり、A4一枚に私の話の筋をまとめてございますので、それに即してお話し申し上げます。
本
調査会において
参考人として発言するに当たり、冒頭に一言申し上げます。
国会法百二条の六で、「
日本国憲法について広範かつ総合的に
調査を行う」という立場に立つのであれば、
憲法九条の規範とそれに反する
憲法現実との
矛盾を安易な規範変更によって解決するのではなくて、長期的な視野に立って、違憲の
憲法現実を違憲でない方向に近づける地道な努力をしてこそ、これは真の現実主義ではないか、こう私は考えておりまして、
日本国憲法前文、九条の積極的な
平和主義を高く評価する私の立場からすれば、軍を含む執行権力に例外的な権力集中を図る
緊急事態法制、あるいは
憲法そのものに緊急権条項を導入する一切の試みに対して
基本的に批判的な姿勢を取っております。こうした立場から、私は与えられた課題について
意見を述べたいと思います。
このテーマは、講学上、大学の授業では
国家緊急権の問題として論じます。
国家緊急権は、執行権に一時的に権力を集中する権能を意味します。それは裸の権力
行使を正当化される専制
国家や独裁
国家では問題になりません。立憲主義を取る国においてこそ実益を持ちます。一般論ですけれども、立憲主義の秩序の中で緊急
事態と向き合う仕組みをどのようにデッサンするか、これは立憲主義を取る国においては非常に重要なテーマと言うことができます。
緊急
事態は、
戦争や外部からの
武力攻撃を典型的なものとする対外的緊急
事態と、大規模災害、内乱、ゼネストなどの国内内乱を内容とする対内的緊急
事態とに二分する方法や、時には大規模災害を
独立させる三分類法などがあります。ただ、緊急権は、それがいったん
憲法秩序にビルトインされますと、常に濫用の危険を伴い、立憲秩序そのものを傷付け、時には葬りかねない劇薬としての性格を持つことは、各国の、あるいは歴史上様々な局面における実例が示すところであります。
講学上、
憲法的な緊急権、制度的な緊急権と超
憲法的な緊急権、不文の
国家緊急権とを区別する場合がありますが、ここ
国会の場では、私は、いわゆる
憲法の定めがなくても例外権能の
行使を正当化する不文の緊急権の
議論には立ち入る必要はないと考えております。
そこで、
日本国憲法はこのような
国家緊急権とどう向き合ったか。端的に言えば、
日本国憲法は緊急権について、あるいは緊急
事態について何も書いていません。端的に言えば、緊急権に対して沈黙をしています。そのことの意味を、
憲法の欠缺、欠けていること、あるいは不備というのではなくして、
日本国憲法が大
日本帝国
憲法とその運用実例に対する歴史的反省の上に立って制定されたことを忘れてはならないと考えております。
御
承知のとおり、帝国
憲法の緊急権システムは、緊急命令権八条、戒厳宣告権十四条、天皇
非常大権三十一条、緊急財政処分七十条という形で
憲法上の明文規定を持ち、立法レベルでも包括的な緊急システムを持っていました。それが危機の克服に役に立ったどころか、新たな危機を作り出す装置として機能し、
戦争への道を進んだことは歴史の示すところであります。このような帝国
憲法の歴史的経験は、間違いなく
日本国憲法が緊急権に対してネガティブな姿勢を取るに至った背景にあると考えております。
欠缺ないし不備かという点でいえば、このような不備というふうな考え方を取るのではなくして、私は、
日本国憲法が緊急権に沈黙している意味は、
憲法前文及び九条の徹底した
平和主義との関係抜きには理解できないだろうと思っております。
つまり、軍事的手段を対外関係において選択しないことを明示した九条の下では、対外的緊急
事態に対して軍事的な手段を含む包括的な権能を国に与える仕組みは想定されていないだけでなく、積極的に否定されていると解せます。
憲法七十六条二項の特別裁判所の禁止、これは軍法会議の禁止、十八条の意に反する苦役の禁止、当然、徴兵制その他の役務
義務の禁止は、対外的緊急
事態の様々なバリエーションの仕組みの否定に連動いたします。
このような
日本の仕組みというのは、では、各国には様々な緊急権の仕組みがあるではないか、
日本だけが異常ではないかと指摘がございます。
私は、お
手元の事務局が整理してくれた大変詳しい各国
条文にメンションすることはいたしませんが、ただ、
戦争と大規模災害を一律に対応して包括的な権能を与えた場合も、どのようなマイナス効果を生んできたかということについて各国それぞれ歴史的段階において多くの教訓を積み重ねてきました。各国がどのような緊急権システムを取るかは、それぞれの国の歴史的背景を無視できません。
条文だけを並べて
日本も同様のものを新たに導入しようというのは、言わば
条文フェティシズムとも言うべき姿勢であり、緊急権濫用の歴史と現実を見据えた主体的な姿勢を欠くものと言わざるを得ません。
世界的に見れば、冷戦崩壊後、緊急権の規定を見直し、
憲法から除く動きさえあります。例えば、フランス第五共和制
憲法十六条は大変広範な大統領の非常措置権を認めていますけれども、御
承知のとおり、六一年のアルジェリア危機の際に濫用されました。ドゴール大統領は、内乱が終息した後、五か月も非常
権限を解除しませんでした。八六年、ミッテラン大統領はこの十六条の見直しの検討をしようとしたことがありました。
私は、専門がドイツの
憲法ですので、ドイツに即して考えると同時に、最近、韓国の学者との共同研究の成果を踏まえて、韓国の緊急権の問題についても触れたいと思います。
十九世紀、ドイツにおける
国家緊急権の歴史は、その制限の試みと濫用の交錯によって特徴付けられると著名なドイツ法学者が言いました。ドイツは、御
承知のワイマール
憲法の教訓が重要であります。大統領の非常措置権、これを言わば、一番の問題は、緊急
事態の認定権と緊急
事態の執行権が同一の機関に集中した場合、言わばそれをチェックすることができないということであります。もちろん、ワイマール
憲法四十八条五項にはそれを統制する
法律が想定されていました。しかし、それはついに制定されませんでした。のみならず、ワイマール
憲法四十八条二項には、集会の自由など七つの
基本権の停止条項がありました。そして、
最高では一九三二年に六十件の緊急命令が乱発されて、最終的にはこのワイマール
憲法は自己自らの弱点によって崩壊していったのであります。これは緊急権システムの重要な失敗例であります。
このようなワイマール
憲法の教訓から、一九四九年のドイツ連邦共和国
基本法は、軍及び緊急
事態に関する規定を一切持っておりませんでした。先ほどのお話にあった
日本と同様、ドイツも
占領下、しかも三か国占領軍の下で、大変細かい
条文上のあれこれの指示まで受けながらアデナウアーはドイツ
基本法を作っていきました。その過程でも、この軍に関する規定は当初は置いておりませんでした。その背景には、ヘレンキムゼー草案と呼ばれるドイツ
基本法の最初の草案にあったワイマール
憲法のような緊急権規定を削除したことにも表れるように、その
憲法の立ち上がりにおいて緊急権に対するネガティブな評価が基礎にあったことは明らかであります。
ドイツが緊急
事態に対する包括的な規定を導入するのは、制定から十九年たつ一九六八年、第十七回目の
憲法改正であります。この
基本法改正によって、私の計算するところ、約三分の一の
憲法の
条文に緊急
事態の影響が及びました。そして、そのような
緊急事態法を称して緊急
事態憲法という場合があります。そして、
日本の論者たちも、
日本の
憲法を
改正しようという人々も、この
緊急事態法、ドイツの
緊急事態法をモデルにしながら、それを言わば導入する根拠に使ってきました。
しかし、私は、九九年にあるドイツの左派、社会民主党系の論客が、当時、これに対する徹底した批判の立場に立った論陣を張った人物が、それから三十年たって、実はこれは我々の勝利だったんだということを学会で報告した記事をお
手元の論文で紹介をいたしました。この「世界の「
有事法制」を診る」という論文で紹介したこのドイツの言わば
緊急事態法制反対の論客は、言わば
緊急事態法というものが通過し、
憲法は
改正されたけれども、そこにこのシステムが濫用されず動かないようにする様々な安全装置を言わばビルトインしていったんだということを述べたわけであります。
日本と違って、ドイツの場合、大変野党が重要な役回りをいたします。つまり、
基本法の──失礼いたしました。これは今のコンテクストで言いますと、
憲法の
改正に当たって言わばそれぞれ、言わば三分の二を取りませんとですね、そういう意味です。三分の二を取りませんと
基本法の
改正ができませんので、必ず最も対抗的な野党の言い分を聞かなくてはいけません。したがって、社会民主党の言い分をキリスト教民主同盟はたくさん聞かなきゃいけなかったわけであります。そして、最終的に大連立政権となって、圧倒的多数の政権の下でこの緊急
事態憲法が作られました。
ところが、この三十年後のこの学者の告白によれば、そのプロセスで、そこに、お
手元に書いたような三つの安全装置を巧みに組み込んでいきました。
一つは、ワイマール
憲法がやったように、緊急
事態の認定と判定を同じ人物、すなわち
総理大臣に置かないように、ぎりぎりまで議会に緊急
事態の認定権を留保したのであります。そして、もしもソビエトのミサイルが飛んできたら議会なんか一々集まっていられぬだろうというのに対して、あらかじめ連邦議会から三十二人、参議院から十六人の四十八人をポケベルを持たせて選んでおいて、君、ボンの近くにいてねということにしておいて、補助員まで付けておいて、そして、アールワインというワイン通で有名な赤ワインの里、バートノイエンアールというブドウ畑の下に地下六十メートルの核シェルターがありまして、そこに集まって、議会が認定をして、緊急
事態を認定するわけです。つまり、その四十八人で議会認定とみなすということをこの
憲法に組み込みました。
お
手元の
資料の三十四ページにある写真は、私が、この核シェルターが廃棄される直前、この中に
政府の許可を得て入って撮ってきた写真でございまして、この核シェルターは三千人が、
政府関係者が入ることのできる機関ですけれども、今は使われておりません。ある
政府機関研究者にベルリンにも作ったんですかと言ったら、にやりと笑って、もう必要はないだろうと言っておりましたので、今、ドイツは核シェルターをベルリンの議会の地下には持っていないと思います。
いずれにいたしましても、冷戦崩壊後、非常に大きな変化が起こってまいりました。
二つ目の大きな安全装置は、防衛
事態と差し迫った緊迫
事態においても、市民に何らかの
義務を課す場合、それは連邦議会の投票の三分の二を要求したことであります。つまり、
憲法改正に匹敵するような三分の二というのを常に議会に与えたこと、これが執行権の暴走を困難にしたというふうに評価されております。
そして三つ目の安全装置が、当然、社会民主党の主張を反映して、労働者のストライキ権やゼネストなどは緊急
事態にカウントしないんだ、つまり対内的緊急
事態という概念を草案から除いたことであります。現に、八十七a条四項という規定がありますけれども、これはかなり限定化されたものであります。
つまり、まとめて言えば、ドイツの場合、緊急
事態憲法を作るに当たって、大変鋭い緊張関係の中で、緊急
事態においても議会の
権限を
最後まで留保した工夫と、その言わば努力が見られるのであります。
同様に、韓国の
憲法はどうでしょうか。
韓国の場合、四八年の
憲法制定から八七年の
憲法まで、ある韓国の学者によれば緊急権濫用の歴史と言われております。
とりわけ、八〇年十月以降、言わば非常措置権が、戒厳が濫用されて、議会以外の
国家再建
最高会議が二年七か月で千十五件も
法律を制定するという言わば非常
事態の日常化が現出しました。最終的に、一九八七年の
憲法は非常に限定された、制限された言わば緊急権しか持たないことになりました。そして、かつて持っていたような、言わば
国家の安全に脅威を受けるおそれであるとかあるいは交戦状態に準ずる非常
事態といった文言をすべて削除し、非常にシンプルな緊急権発動要件にいたしました。
私は、この間、韓国の若い
憲法学者、三八六世代と呼ばれる若い
憲法学者と、韓国と
日本の
緊急事態法と治安法制の共同研究を、文部科学省からお金をもらいまして共同研究をしてまいりました。そしてその結果、韓国側の若い研究学者たちが、権威主義的
体制の韓国の下で
憲法に緊急権を入れたことによってどれだけ濫用されたかということについて鋭い指摘をしてまいりました。そして、言わば
条文上あるいは何らかの形で緊急権を
条文に入れた方がチェックしやすいんだという
議論に対しては、韓国の若い学者は、それは全くの楽観主義である、様々な制度や裁判制度や、そういうもののチェックシステムがきちっとできない限り、そして
国会の統制がきちっとできない限り、
憲法に緊急権の
条文を入れたとしても、それは濫用されない保証はないんだということを韓国の学者が言いました。
そして、
武力攻撃
事態法案などの制定過程を韓国の学者に見させると、あれは余りにも楽観的であると。例えば、三条四項だったと記憶しておりますが、
基本的人権の保障を例えば二重にわたって尊重尊重、特にこれも尊重という人権尊重をうたった場合、これこそ楽観主義の極致であって、そのことが言わばこの
武力事態攻撃法案の致命的な弱点を治癒するものでないということについては、私と韓国の学者はその点では見事に一致しました。
もちろん、韓国の学者は軍隊を必要とする立場ですから、
憲法九条の評価では対立します。しかし、
憲法を
日本が
改正して緊急権を入れるのにどうだと聞いたとき、彼らは全員一致で反対をいたします。つまり、
日本にそれをチェックする能力があるのかというのが彼らの
意見であります。
私は、濫用された歴史へのまなざし、緊急権がどのように歴史的に濫用されたかということについて韓国の学者が書いた、私の本に収めてくれた宋教授の論文をそこに収めてございます。是非ごらんいただきたいと思います。
日本の緊急権の論議に求められているものについて入ります。
私は、先ほども
議論があったように、様々な緊張がこのアジア周辺にあることは否定いたしません。しかし現在、単独行動主義に走る特定の大国との軍事的
協力関係を過度に重視して、戦後
日本の歴代
政府の
憲法解釈からいっても到底正当化できないような、他国の領域内における
我が国武装組織の
武力行使を行うおそれすらある法案が現在本院でも
議論されているとき、私は是非とも軸足をアジアに置いて、アジア諸国との関係においてとりわけ
安全保障の問題を言わば軍事一極的な形で処理することにならないように、特に参議院の見識を求めるものであります。
とりわけ、
憲法は国の顔であります。このような緊急権の条項を
憲法に入れた場合、それが念のため、備えあればというレベルであっても、それがアジア諸国や対外的に過去の歴史を引きずる諸国に対しどのようなメッセージを発するかは明らかであります。私は、緊急権条項を入れることの付随的効果をそのように考えるだけでなく、現在のシステムの下における様々な問題についても、この際指摘をしたいと思います。
お
手元のレジュメにある
幾つかの論点についてはこれ以上立ち入れませんが、とりわけ大災害といわゆる
武力攻撃
事態のような
戦争事態とを区別する視点が重要であります。緊急
事態というものを一般的に否定する人間はいません。どのような緊急
事態の内容に対し、どのように
対処することが最も効果的であるかということについて、
憲法は沈黙しているのではなくて特定の方向を遮断していると私は考えています。その特定の方向とは、言わば軍事力を用いた危機克服であります。
したがって、軍事力を用いないあらゆる可能性を
憲法は危機克服の
一つの方向として示唆していると考えています。その方向に立法府が、立法やあるいは自治体との
協力、あるいは市民の
協力の中でそういった対応を作っていくべきであって、阪神大震災後、例えば緊急消防援助隊など自治体レベルにおける様々な工夫や自治体レベルの努力などから、様々な言わば地震に対する向き合い方があの以前に比べれば大きく前進したことは明らかです。
もちろん、十分とは言いません。しかし、
憲法に災害
対処と
戦争と内乱のようなものを一緒くたにした緊急
事態条項を持ったからといって、それを運用する
政府がそれを的確に運用できる保証はありません。
とりわけ、韓国とドイツの場合、
憲法裁判所を持っております。
憲法裁判所は緊急
事態でも機能することは、それぞれ
憲法に明記されております。とりわけ韓国
憲法裁判所が九六年に出した判決は、緊急
事態においてもこれは統治行為にならない、国民の人権が問題になったときは審査できるという判例がございます。つまり、韓国とドイツの場合でいえば、そういう形の司法救済の道が残されています。
日本にはそれが期待できるか、甚だ私は悲観的でございます。
それともう
一つ。国際人権規約やヨーロッパ人権
条約には、緊急
事態におけるいわゆるデロゲーション条項と呼ばれる例外条項があります。しかし、このことを指摘して、
日本も当然のように
緊急事態法の問題では作るべきだという
議論にはなりません。これは、ヨーロッパ人権裁判所やそういった、今、ドイツやあるいは韓国と同様に、司法的救済の道と一体になっているからこそそういった言わばチェックの可能性があるわけであります。
日本の場合、そのようなチェックシステムとともに、そういったセットの
議論がなされているかどうかという点については、甚だ疑問とせざるを得ません。
最後に、
憲法に緊急
事態条項を安易に設けるべきではないというのが私の差し当たりの結論でございますけれども、しかし予想し得る
事態を、どういうふうに向き合うかということに対しては
幾つかの方法があります。
例えば、予測し得る
事態を全部
憲法に書き込むこと、包括的な緊急
事態憲法を作る道もあります。しかし、これはだれも考え付かない、実際不可能な道であります。他方、権力が濫用されないために
憲法に緊急
事態条項を導入して、それによってチェックすべきだという、先ほど指摘した点があります。これは一理あります。
しかし、逆に問いたいのは、このような緊急
事態条項を持つ国々が、それぞれの悩ましい体験に基づいてそれぞれの見直しや、場合によっては限定化の道を検討していること。とりわけ、韓国のそのような若い世代の
憲法学者などの
議論に耳を傾けて、言わばどこの国でもあるから
日本もという
議論はそろそろ卒業すべきではないかというのが私の
意見であります。
今、
憲法改正の問題として登場している様々な
議論、大規模テロや内乱
事態にどう対応するかという
議論にこの問題を故意に引き付けるよりは、第二院としての参議院がより高い見識を発揮して、
憲法九条を持つ
日本が、なぜこのタイミング、この時点において、今、世界から見られているような
武力行使を海外において行う方向に踏み出そうとするのか、その点に対し是非慎重なる見識を発揮していただきたい。
とりわけ参議院は、第二院として言わばそういった
議論に対してより長期的な視野から
議論をする、そういう院として期待されております。本
調査会は、とりわけ参議院としての第二院の存在意義とその誇りに懸けて、そうした方向について慎重の上にも慎重な御
議論をいただくことを
最後に期待して、私の発言を終わります。
ありがとうございました。