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参考人(
渡辺治君) こんにちは。
今日は
憲法調査会という場で私が
発言をさせていただくんですが、時間も限られておりますので、三つのことだけ私は
発言したいというふうに思います。いろいろ言いたいことあるんですけれども、三つのことを今日は問題を提起してみたいと思います。
第一番目は、
西参考人も少し触れられましたが、そもそも
憲法第九条の平和構想というものは、その起草者はどういう
国家構想といいますか
安全保障構想といいますか、どういう構想に基づいてこの九条を作ったのかという問題について考えてみたい、私の考えていることを提起したいというふうに思います。
これは起草者意思ということでありますが、起草者意思というのを私たちが今改めて検討する
意味というのを
最初に触れておきたいと思うんですが、これは今の九条の
解釈で
自衛力を持てるんだとか、それからそういうようないろんな
解釈を直接起草者意思から持ち出すということは余り
意味のないといいますか、非常に不毛なことだと。むしろ、起草者意思を私たちが今確認することは、
憲法九条あるいは
日本国憲法というのはどんな
国家目的で、どんな構想、平和と
安全保障の構想に基づいて作られたのかということをきちんと復元して、それを今改めて評価するということだと思うんです。評価というのは、それをプラスの方向で考えるのか、それはやっぱり間違っているから変えていこうと考えるのかという、そういう起草者が考えた平和
安全保障構想というのは何だったのかということを復元するということではないかと思います。
結論から言いますと、私は、起草者意思って何だったのかというと、
憲法九条というのは、
日本が
世界の中で、戦後
世界の中でどういうふうに安全で平和に生きていくことができるのかということを考えたものではなかったというふうに思います。
そうではなくて、
世界とかアジアの
安全保障を実現するために
日本をどうやって封じ込めるのか。
日本という平和の破壊者、当時の
侵略戦争の
責任者と思われた侵略大国である
日本、今のイラクよりもはるかに凶暴だったんですね、その
日本をどうやって封じ込めるのか、ここに、つまり
日本に対する
安全保障という考え方が実は
憲法九条というものの中にあったというふうに私は思います。
つまり、
日本の、そういう侵略大国
日本の復活を防ぐことによってアジアと
世界の平和というものは保たれるんだという考え方が当時あった。だから、そういう
意味では私は非常に具体的な平和保障の構想であったというふうに思います。
日本人は、その後、当然のこととして、九条で
日本は安全は守られるのかという議論をずっとやってきたわけですけれども、今もその傾向がありますけれども、私たちがきちんと考えなければいけないのは、当時の
日本というのはそういうことで
世界に見られていたわけでもないし、当時の現実的なアジアの平和というものは、
日本の軍事大国化をどうやって防ぐのか、これを達成することによって、その後冷戦の問題が出てきますのでこれではできなくなりますけれども、軍事大国化をどうやって防ぐのかということについてのかなり切実な問題関心があった。
特に、第一次
世界大戦後の
ドイツの国防軍の復活によって
ドイツは十年を置かずして軍事大国として復活したわけですね。あれだけ厳しく軍備制限をしたのに復活した。そういうふうにしないためには、どうやって
日本の軍事大国化を防ぐのかというのが問題関心としてあったというふうに思います。
その点で三つぐらいの点を指摘しておきたいと思うんですが、
一つは、当代のアジアと
世界の
安全保障というのは、今言ったように
日本が軍事大国でなくなればアジアの平和は確保されるという構想があった。二番目に、その構想の中で非常に重要なのは、決して九条というのは当時ひょうたんからこまのようにぽんと出てきたものではなくて、具体的に例えばアメリカの国務省なんかの中でも、これは秘密の構想でありましたが、四大国、当時の四大国の
安全保障によって
日本を非
武装化すると。これを、ただし
日本国憲法のように
憲法九条という形でやるんじゃなくて、条約という形で四大国が
安全保障を作ると。例えば、イラクの非軍事化というのを達成するために四大国がやっていくと、こういう構想が実際に行われていて、
憲法九条というのは構想としてはそういう構想なんですね。この大国としての
日本の非軍事化というものを全体として保障していく。その際に
日本の
国家規範としてそれをやっていくんだという考え方が打ち出されたところに非常に重要な考え方がありましたが、そういう特徴がある。
それからもう
一つは、アメリカは、起草者であるアメリカは、この軍事大国化構想を復活させない決め手として、セットになって
日本の
国家を考えたと私は思います。九条だけじゃなかったと思うんですね。九条についての非
武装、それから天皇制の改革若しくは廃止、これ、
マッカーサーは、
基本的に天皇を
政治から隔離して、天皇を象徴に持っていくことによって、天皇制を改革することによって
日本の
国家システムというものを平和化すると。
それから、三番目に重要なのは、専制主義の温床である社会的、経済的な改革を行うと。この三つがセットになって作られた。
このセットは、一言で言えばどういう
国家だったかといえば、私は非
武装平和と自由主義的な
国家だと思うんですね。非常に市民主義的な
国家というものを
日本に作ることによって
日本の軍事大国化としての復活を防いでいく、
憲法というのはその
国家構想を具体化する極めて現実的な私はガイドラインだったというふうに思います。それは、抽象的な
言葉で書かれていますが、そういうものがなぜあの時点で非
武装というような理想というものが打ち出されたかということは、
世界の平和というものを実際に考えていくときのかなり具体的、現実的な構想だったということをきちんと見る必要がある。
その場合の、その九条のそれでは構想という、今言った三つのセットの中で九条の構想というのは何だったのかというと、これは極めて厳格な非
武装構想だったと思いますね。
西参考人とはここが
意見が非常に違いますが、厳格な非
武装構想を持っていた。
これは様々な立証をすることが必要ですが、時間の
関係で一、二の点だけしか触れることができませんけれども、
マッカーサーは、先ほど御紹介にありましたように、この
憲法の起草者というのはその運営
委員会というものを作って、
ケーディスとかラウエルとかハッシーとか、そういう人たちがこう作っていくわけですね。御存じのように、
マッカーサーは、三原則出して、
最初に非
武装ということを言っているわけですね。それを具体化するんだけれども、当時の法律家とかその運営
委員会の人々にとってみると、こんなものを
憲法の中に入れるというのはおかしいわけですよね。
常識から言ってちょっと考えられない。
そこで彼らが考えたことは、これを前文に持っていこうと。理想として前文に持っていこうじゃないかということに対して、
マッカーサーとホイットニーはそうではないと。もう一回、元に戻すわけですね。そして、
マッカーサーはそのときに、前文から本条にもう一回戻せと、前文に持っていっちゃいかぬということと同時に、それを第一条に持っていったんですね。結果的には現行の
憲法は九条にありますが、元々の素案の中では第一条にこれを持っていく。つまり、
日本の平和
国家、非
武装完全平和
国家というものを最もこの
憲法の重要な制度としてはめ込もうとしたということがあります。
自衛のための
戦力を持てるかどうかということは、その後、議論になりますが、当時、この
極東委員会でも、先ほど
西参考人が言われたような
極東委員会でも様々なこの議論が行われますが、
自衛のため、
日本が
自衛のために
戦力を持てることができるかどうかなんという議論じゃないんですよね。
日本の軍事大国化をどうやって防ぐのかと。
芦田修正なんかが起こって、また再び
日本は
自衛のためと称しておどろおどろしい
軍隊を作るんじゃないか。それを防ぐためにはどうするか。あれは、軍部大臣の現役武官制というようなものをなくして、
日本が専制主義的なところに走らないようにするための歯止めとして文民
規定を入れる。だから、そういう
意味では、徹頭徹尾、
極東委員会も総司令部も、
日本の軍事大国化をどうやって防ぐのかという具体的な方向性として考えたということを御
理解いただきたいと思います。
自衛のための
戦力は放棄されなかったという
ケーディスとか芦田見解というのがあります。私はこれは取ることができないというふうに思います。それはなぜかというと、詳しい話はできませんが、芦田さんも
ケーディスさんも、実際に占領政策が転換され、冷戦の中で、
日本の、
日本国憲法の非
武装構想というのはアメリカの
世界政策としても
日本の政策としても
取り得ないということがはっきりして、五一年に
マッカーサーが上院の軍事外交
委員会で
発言したときに、あの九条というのは実はおれじゃなくて
日本の幣原の起草なんだというようなことを言って、弁解せざるを得なくなった後の考え方なんですね。
確かに、そういう、当然、法律家ですから、
自衛のための
軍隊どうなるのかなということを考えていたことは事実ですが、あそこの時点での最高意思決定というのは、明確に一切の
戦力を放棄するということがはっきりとしたその当時の起草者の
意見だったということになりますし、芦田の新
憲法解釈というのが四六年に出ておりますが、それを読みますと、実際には芦田は一言も
自衛のための
軍隊を持てるんだということは書いてありません。それじゃ、当時の本で、
憲法解釈の本で書いてあった本はあるのかと。あるんですよね。つまり、芦田は言おうと思えば言えた。それを彼は言っていないんです。彼が初めて言ったのは五〇年代に入ってからなんですね。実はおれは、前項の目的を達するためということで、
自衛のための軍備を持てるということで入れたんだよと。それは、私は後からやった後知恵であるというふうに思いますし、これは証明できるというふうに思います。
起草者意思は大きく言って二つあった。それじゃ、九条の起草者意思って何だったんだと。もう一回確認しますと、アジアの平和を、殴る側の大国の
自己規制、あるいは大国の規制によって平和を維持するという考え方ですね。これは、私は
国連憲章の考え方とは違うというふうに思います。大国の力を規制することによって、アジアの中で最も侵略的な大国である
日本の力を規制することによって平和を実現するという考え方、現在にまでつながる、現在復活してしかるべき考え方が
一つ出ている。もう
一つは、
武力によらない平和というものを実現することによって平和を実現していこうという考え方です。これは、現在、ブッシュ政権の行っているような
武力による平和、大国による平和という考え方と真っ向から対立する構想というものが当時の
日本国憲法の構想の中にあったということを確認したい。
二番目。二番目に言いたいことは、こうした考え方というのは戦後
政治の中でどうなったのかという問題ですね。リベラルな学者の人たちや市民運動の中では、
憲法九条は死んだと、あるいは
憲法九条は空洞化したと、ヴォルフレンという有名な人が
日本国憲法の
改正案を書いて、
日本国憲法は茶番だと、この九条なんというのは茶番だと、こんなでっかい
軍隊があるのに、何でこんな
憲法九条を今どき
日本国民は持っているんだと、これはもうさっさと
改正するしかないと、こういうふうに言っているように、
日本国憲法の九条というのは、結局のところ、いろいろ
憲法学者や革新的な人たちはこれがすばらしいと言うけれども、実際の
政治の中ではちっともこういうものを反映しなかったじゃないかという見方がありますが、私は二番目に言いたいことはそうではなかったというふうに思います。
こうしたアメリカの起草者意思は確かに急速に転換しました。したがって、一番簡単な、もしそういうことで保守政権がその
憲法の構想というものを否定するのであれば
憲法改正をするのができたし、また実際に民主的な手続の下でできるわけですね。しかし、
憲法改正は実際には行われなかった。
それから、それでは、戦後
政治の中で保守党は、自民党は一貫して
憲法九条を
改正するために頑張ってきたのか。私は、そういう側面、そういう人たちがいたということは認めますが、そうではなかった。戦後の
政治、自民党
政治も含めた、自民党も含めた戦後の
政治というものが
国民の動向というものを見ていく中で、私は
憲法九条というのは、ある限界の中で具体的に実現されたし、それが戦後
世界の中で、こういうような経済大国でありながら、こんな形の軍事大国にならないような
日本を作っていく上で非常に大きな役割を果たしたというふうに私は思っています。
ですから、私は、
憲法は空洞化した、
憲法と現実が乖離したというような
意見については、現実の戦後
政治というものを子細に検討するならば、そういうことは言えない。これは必ずしも保守
政治の望んだものではなかった。
国民の平和意識とか、それを背景とした他の野党との攻防の中で実際に戦後の
政治が作られたという点でいえば、戦後
政治はこの九条というものについてある種の、ほかの国では見られないような実体的な体系というものを作っていき、これがやはり戦後の大国の中での
日本の独特の位置というものを作っているというふうに思います。
詳しいことは言いませんが、例えば自民党政権の下で繰り返し
憲法九条の具体化ではないよ、これは政策なんだよと言いながら、自由民主党政権の下で防衛費の対GNP比一%枠というものが作られる。あるいは、佐藤政権の下で非核三原則というものが打ち出され、これが沖縄返還の中で国会決議として承認される。どこの大国に核を持っていない、核を自分のもので保有しないという国がありますか。
確かに、
日本はアメリカの
世界戦略の中に入っているという重大な限界があります。しかし、これだけの経済大国の中で、
世界の中で核を兵器の中心に持っていない国というものの持っている
政治的な
意味というのは私は非常に大きいというふうに思います。どんな
政治家の閣僚でも、例えば
解釈上は
核兵器は持てるということはもう五六年以降言っているわけですね。これは、御存じのように、
解釈上は
自衛のための最小限度の兵器ならば、その兵器が
核兵器であろうと通常兵器であろうと持てるんだということは言っています。
しかし、今の段階で、例えば官房長官が、あるいは官房副長官が講演の中で核を持てるんだという
解釈を言えば、大きな議論が出るような形での
国民的な合意をやっぱり私たちは作っているということをきちんと見る必要がある。これは、いかに非核三原則は政策の問題であって
憲法九条の問題ではないと言っても、こういうものが保守政権の中で提起され、そして国会決議になる背景には、明らかにそうした
憲法九条の力というものがありますし、武器輸出禁止三原則についても、これは私は二十一世紀の
世界の武器輸出の規制という問題を考えていったときに、
日本の通産省から経産省が持っているノウハウというのは非常に大きいし、こういうものを
世界的なガイドラインにしていくということは、私は大国の
自己規制としては非常に重要だというふうに思います。
攻撃的兵器の保有の制限、集団的
自衛権の
解釈、海外派兵に関する制限、国連軍への
参加の制限、特に六〇年以降四十年にわたって作られた
政治の中で、私は、九条体系といったようなものが
日本の戦後
国家というものを作ってきたというふうに思います。今問われているのは、これを継承しもっと強化するのか、それともこれを否定するのか。新しい
国家体系というものを作っていく、そのためには
憲法改正、改悪が、私は改悪だと思いますが、
改正が必要だと思います。しかし、そういう方向に行くのかということが今問われている。
それじゃ、四十年間のこうした
政治というものはどんな役割を果たしたのか。少なくとも私は、大きな、戦後アジアの平和に対して大きな役割を果たしたと思います。
一つは、
日本は戦後五十、六十年近い間、少なくともアジアの
紛争の策源地にならなかった。これは戦前を見てみたらはっきりしています。十九世紀末葉から一九四五年までのアジアにおける
戦争、大きな
戦争だけでも七度ありましたが、そのすべてに
日本は
参加しておりますし、
一つ二つを除けばすべてが
日本の単独の、つまり侵略です。これは明らかにアジアの
紛争の策源地は
日本だった。これが劇的に転換したのは戦後
憲法の強力な規制力のおかげだったと見て恐らく自然だろうというふうに私は思います。第一番。
二番目として、
戦争の発火点、当事者にならなかった、その結果
日本は戦火を浴びなかった、これも戦前とは劇的な転換です。十年をおかずして
日本の
国民が戦火を浴びた、その戦前の
歴史が劇的に大きく転換するというのは、私は戦後
憲法の非常に大きな、戦後
憲法と戦後
政治の非常に大きな力であったというふうに思います。
アジアは
紛争がなかったわけではありません。
日本はいずれの側にも軍事的には少なくともかかわらなかった。こういう点が、こうしたアジアの平和というものを、例えば
日本が
憲法九条を持たずに、またこれを
改正していたならば、朝鮮
戦争のときにアメリカは既に
日本の
軍隊を派遣しようと思っていたし、ベトナム
戦争のときには恐らくベトナム
戦争のアジアにおける展開はかなり異なった形になっていただろうし、湾岸
戦争にしても、ソ連のアフガン侵略に対しても、中・ベト
戦争に対しても、
日本は恐らく軍事的な形で介入し、アジアの平和というのは違った形になっていたと思います。
最後、第三番目ですが、それじゃこの九条というのは、おまえの言うように
最初の構想は分かったと。次に、戦後四十年近くそれが大きな効果を発揮したのは分かったと、今後どうするんだ、今後これでいけるのかという問題について、三番目にお話をしてみたいと思います。
一九九〇年代に入ってから大きな、特に冷戦が終えんして以降、事態は大きく転換しています。この中で
世界の
安全保障をめぐって、あるいは
日本の
安全保障をめぐって、私は二つの構想が今台頭していると思います。
一つの構想は、その中で九条というものが
一つの焦点になっていると思います。
一つは、冷戦の終えん後唯一の覇権国になったアメリカと同盟して、軍事力によってグローバル秩序の障害物を排除し平和秩序を維持していく、つまり
武力による平和、大国中心の平和、こういう構想が行われ、
日本もその一員として軍事的、
政治的なプレゼンスを強めようという構想です。これは九条の
武力によらない平和、大国が
自己規制をする平和、こういう考え方と正面から衝突する考え方であり、この構想に基づいて、私は、
憲法改正構想というものが出ております。
参考文献でお示ししましたが、九〇年代にはたくさんの
憲法改正案が、しかもそれまでのような言わば
改憲おたくというような人たちの
憲法改正草案じゃなくて、具体的に
政治の中心になっている人たちが
憲法の
改正というものを打ち出し、特に九条の問題については、
自衛力を持てるんだというところじゃなくて、
自衛隊を海外に出動できる、この正当化
規定をどうやって入れるのかというところに焦点を合わせたのは、大国中心の平和、それからアメリカ中心の平和、
武力による平和秩序の維持というものを掲げたからだというふうに思います。
時間が参りましたので、あと少し、簡単にまとめますが、そういうものに対するもう
一つの考え方として九条の考え方があるというふうに思います。私は、後者の考え方、九条による平和の構想というものを支持するものでありますが、時間の
関係で、ごく簡単に四つの結論だけを指摘して私の報告を終わりたいと思います。
一つは、私は、初めに
憲法ありきという
態度は
取りません。
憲法がもし本当に平和な
世界、平和な
国家というものを保障するものとして障害物になって、
武力中心の、大国中心の平和構想こそが現実的であるとすれば、変えればいいんです。だから、
憲法を神棚へ掲げるというふうなことは私はしたくない。しかし、私の判断では、二十一世紀の平和と
世界の平和構想というものの中にこの九条の構想というのはかなり具体的な現実的な武器として活用できる、そういう制度と構想を持っているということを私はまず第一に確認したい。
第二番目に、これは未完であり、この実現を図っていかなければならないという構想なんですが、私は、今までのいわゆる
護憲運動やリベラル派の
憲法九条の考え方というものには、様々な
憲法政治を作ってきた大きな意義があるけれども、かなり大きな限界があったというふうに思います。
この点だけは、ちょっと時間の
関係で、触れたいと思うんですが、九条というのは、先ほど説明したように、元々アジアの平和構想であり、
世界が平和にするために
日本が何をなすべきかという構想だったんです。ところが、ずっとその後の
憲法九条というものを考えていくときは、一国
平和主義的に実現しようとするんですね。ブッシュさんが
戦争しているときに
日本だけが
武力によらない平和なんて言ったってナンセンスですよね。このブッシュさんの
戦争をどうやって止めるのか。
戦争が具体的に起こっている
世界というものの
戦争を減らし、軍縮を行い、その中で
日本がその一歩先の
憲法構想を具体化していくために歩んでいく、こういう考え方。つまり、一国
平和主義を打破してこの
憲法九条を
世界の平和秩序のガイドラインとして訴えていく点で
政治のイニシアチブはどうであったかという点を考えると、私たちは非常に不十分な力しか発揮できなかったんじゃないか、ここのところをきちんと考える必要があるというふうに思います。
三番目に、
憲法は、単に九条だけを云々かんぬんするのではなくて、先ほど言ったような平和
国家構想と九条以外の
憲法の全体の自由主義的な
国家構想、福祉
国家構想、こういったものをセットとして新しい二十一世紀の
国家構想として
憲法を実現するための構想というものを私たちは考えていくべきではないかというふうに思います。
最後に具体的な点についても触れたいと思うんですが、時間が参りましたので、私の話をこの辺で終わりたいと思います。