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参考人(
東澤靖君) 御指名いただきました
東澤です。
私は、一九八六年から
弁護士として外国人の
権利をめぐる事件に取り組んでまいりました。いわゆる外国人労働者が増大した、急増した時期には、外国人労働者弁護団というものの結成に参加したこともあります。また、現在も人種差別など、外国人の
権利にかかわる事件を担当しております。そのような
立場から、本日は、
憲法の下での外国人の
権利、実際の運用の発展、国際
人権条約の役割、そして人種差別の撤廃などの新しい課題についてお話しさせていただきます。
日本の
憲法の下で、外国人について
権利性質説という考え方が判例、学説上定着していることは御存じのことと思います。これは
権利の性質上、
日本国民だけに認められるべき
権利、例えば国政選挙権などを除いては
憲法上の
権利は外国人にも等しく保障されるという解釈です。その
意味では、
憲法上の
権利を享受することについて外国人は、本来何ら欠けるところはないはずです。しかしながら、最高裁判所の判例は、こうした原則に対して幾つかの例外をこれまで設けてきました。
その一つが一九七八年に出されたマクリーン事件判決というものです。これは政治
活動を理由にビザの更新を認められなかった外国人に対して、最高裁が、外国人に対する
憲法の
基本的人権の保障は外国人在留
制度の枠内で与えられているにすぎないとして、その訴えを退けました。言い換えれば、政治
活動の自由は認めるが、それを理由に法務省が外国人を
日本から追い出すことは許されるというものでした。
もう一つの例外は、外国人に対する
政府による
社会保障等の差別に関するものでした。難民
条約を批准する前の
国民年金法あるいは戦傷病者等援護法、恩給法などには国籍条項というものがありまして、外国人は排除されておりました。これによって在日コリアンなどの定住外国人は
社会保障などから一律に排除されていたものです。こうした国籍条項による排除が
憲法十四条一項の平等原則に違反するのではないかという多くの訴えに対し、最高裁判所は、そのような
権利を外国人に与えるかどうかは国会、立法の裁量による、あるいは不合理な差別ではないという理由で退けてきました。何が合理的で何が不合理かという基準は、現在に至るまで明確なものは示されておりません。
このように、外国人にも
憲法上の
権利は保障されるという原則はあるのですけれ
ども、最高裁が設けてきた二つの大きな例外によってその保障は不確実なものとされてきました。そのような例外は現在に至るまで続いております。例えば、マクリーン事件判決の法理は、指紋押捺拒否をめぐる事件においても同じように適用されてきました。指紋押捺拒否を理由に再入国を拒否されたり、あるいは在留期間を短縮されたりというような当時の法務省の扱いに対して、最高裁はマクリーン事件判決を引いてそれを合法なものとしました。あるいは、最近の外国人の生存権、とりわけ在留資格を持たない外国人の
社会保障の
権利などについても、
国民保険の適用あるいは
生活保護の適用などについて、これは不合理な差別ではない、立法裁量の問題であるというような判断を維持しております。
このような
憲法的な
状況の中で、一九八〇年代後半、
日本は外国人労働者の大波を受けることになりました。外国人労働者の大半は在留資格を持たず、あるいは在留期間を徒過したまま
日本に滞在しているという
状況にあり、そうした人々の
権利は極めて危ういものでした。つまり、外国人の
権利は在留資格
制度の中でのみ認められるというマクリーン事件判決の考え方がありますので、この考え方が外国人労働者に対しては極めて過酷に適用されたのであります。
外国人労働者が急増していった労働現場では、賃金のピンはね、不払、こうしたことは
日常茶飯事でした。あるいは事情の知らない外国人をタコ部屋に押し込める、あるいはパスポートを取り上げて強制労働を強いるというような事態が横行いたしました。外国人労働者は、様々な
人権侵害を受けても、強制退去を恐れて公に
救済を求めるということはなかなかしませんでした。さらに、公に
救済を求めても、
救済を受ける前に入管当局に発覚し、強制退去を受けるという事態がありました。
当時、きつい、汚い、危険の三K労働と言われた外国人労働者において最も深刻だったのは、実は労働災害の多発です。安全
教育も受けず、言葉も通じず、防止措置も受けず、多くの外国人労働者が労働災害に遭って体の一部あるいは命すらも失ってしまうということが多数発生いたしました。しかも、雇用主が外国人労働者の無知や在留資格のないことを利用して労災の申請をしないという労災隠しがこれもまた多発しておりました。
私がほかの
弁護士とともに外国人労働者弁護団を結成して
被害の
救済を始めたのは正にそのような時期です。外国人労働者の
人権救済を求める
市民、ジャーナリスト、そして
弁護士たち、そうした
活動の中で事態は少しずつ変わっていきました。
当時の労働省は、当初は、外国人が労働事件について
被害を受けた場合に、その
権利を保護するよりもまず入管当局に通報しなければいけないという通達を当初出しておりました。しかしながら、外国人労働者に対する余りの
権利侵害の多さに労働省はその運用を変えました。そして、労働基準法や労災保険法は在留資格に
関係なく適用される。さらには、労働監督
行政としては、まずは法違反の是正や
権利救済に努める。そして、原則として入管当局に対する通報は行わないという
立場を取るに至りました。ここではマクリーン事件の判決の考え方とは異なり、外国人の
権利の保障が在留資格
制度に優先することもあるのだという実務の運用ができていったわけであります。
そのような例をもう一つお話しさせていただきます。それは家族
関係や
子供の保護という観点での外国人の
権利の発展です。
在留資格を持たないまま
日本に滞在し始めた外国人労働者も、摘発を免れて長期間
日本に滞在し、
日本人と結婚して家族を作る、そうした例も増えてきました。その中で、外国人の抱える問題も、在留や労働問題にとどまらず、家族、
教育、住居、
社会保障など広がりを見せるようになっていきました。
その中で、早くも九〇年代初めには、
日本人と結婚した外国人には、たとえこれまで在留資格がなくとも法務大臣が在留特別許可を与えるという運用が定着してきました。そのような例は、
日本人との結婚に限らず、永住資格を持つ外国人との結婚あるいは定住資格を持つ外国人との結婚に拡大していきました。さらには、一九九六年には、入国管理局は、外国人が
日本人と離婚したり未婚のままであっても、
日本人の実子を扶養する親である場合には定住者の在留資格を認めていくというような扱いを取り始めました。
さらには、最近のことでございますけれ
ども、一九九九年、在留資格を持たないまま長期間
日本に滞在してきた外国人同士の家族が在留特別許可を求めて一斉に集団で入管に出頭するという事件がありました。当初は無謀と思われたこの行動に対しても、入国管理局は
子供の外国人あるいはその両親に対して在留特別許可を認めざるを得ませんでした。
このような出来事が物語っているのは、在留資格
制度によっては奪うことのできない外国人の
基本的な
権利がそこには
存在するということです。家族がばらばらに引き離されない
権利、あるいは
子供の最善の利益を図る義務、そうしたものは在留資格
制度に優先するという考え方が実務の中で定着していったわけであります。
そのようなことは
日本の
憲法では細かく明確には書かれていません。しかし、
日本がこれまで批准してきた国際
人権規約や
子どもの
権利条約といった
人権条約の中にそうした詳細なものが書かれております。そのような国際
人権基準が、
国境を越えた通用性と豊富な国際的な先例を持って、
憲法を補完していくための法としてその
存在感を増しつつあります。特に、
日本の
憲法は、自由権以外の
権利、例えば
社会権やあるいは家族の
権利、
子供の
権利、そうしたものについては数少ない規定しか持っておりません。それを補うために、国際
人権条約というのは
権利の種類とそしてその解釈のための豊富なカタログを持っております。
しかしながら、他方で、
日本の国際
人権条約に対する履行
状況については、
国連の様々な
委員会から十分履行がなされていないという懸念がしばしば表明されております。
日本の
行政、立法、そしてとりわけ
司法において
人権条約がきちんと適用されていないという批判が引き続き
存在しているということです。
さて、残された時間で、私は、最近、事件や訴訟が増加している外国人に対する人種差別について述べたいと思います。
憲法十四条一項は人種による差別を禁じております。しかし、これまで
日本では人種という問題は余り自覚されてまいりませんでした。従来、在日コリアンや
アイヌの人々に対する
民族差別、あるいは部落差別という事件や訴訟は
存在しました。しかし、それらは人種差別という形では
認識されてきませんでした。そのような事情が最近になって変わってきております。そして、人種差別ということが
社会において、そして法廷において語られるようになってきております。
その原因は二つあると思います。一つは、八〇年代以降、
日本社会が多数の外国人を迎えるようになる中で、その反作用としての人種差別の問題が発生したと、発生せざるを得なかったということであります。そしてもう一つは、一九九六年に
人種差別撤廃条約が
日本で発効したことによって、人種差別に対する
日本の
社会の意識が高まってきたということだと思います。
特に、
人種差別撤廃条約は、単に公的
機関による人種差別を禁止しているだけではなくて、私人間の人種差別を禁止して、それをなくしていく義務を公的な
機関、国や地方自治体に負わせている点に特徴があります。さらに、経済のグローバル化、WTO体制という中で、内外人を平等に取り扱うということは、
人権問題であると同時に、国際経済の
基本的なルールとなりつつあります。
そのような環境の中で、人種差別に関する判決が最近になって相次いで出されています。
資料にも含めておきましたけれ
ども、その中では、
憲法と並んで
人種差別撤廃条約が大きな役割を与えられています。
最初に
人種差別撤廃条約が問題とされたのは、一九九九年十月十二日に出された静岡地方裁判所浜松支部の判決です。この事件で裁判所は、外国人の入店は固くお断りしますと張り紙を示して外国人を追い出そうとした宝石店の行為を、人種差別であり不法行為であるとして損害賠償を命じました。
その後も、永住資格を持たない外国人の住宅ローン申請を受け付けない銀行の取扱い、外国人の入浴を一律に拒否する公衆浴場、外国人による賃貸物件の問い合わせに対し、執拗に皮膚の色を問いただした不動産仲介業者の入居差別行為などが人種差別ではないかと訴訟が提起されました。
そして、入浴拒否に対しては、昨年十一月十一日に札幌地方裁判所が人種差別であるとして損害賠償を命じる判決をいたしました。また、不動産仲介業者の行為に対しては、今年の一月十四日にさいたま地方裁判所が、肌の色を直接問うという極めて明白な人格的利益
侵害行為であるとして、損害賠償を命ずる判決を出しています。
その
意味で、人種差別を行った者に対して損害賠償が命じられるというのはほぼ定まった判例になりつつあります。しかし、人種差別については、単にそれを行った業者に賠償を命じればよいのかということについては、そうではないというふうに考えます。むしろ、国や地方自治体が未然に防止するための積極的な措置を取る必要はあるのではないかということが問題になるわけです。
先ほどの事件でも、例えば小樽市の入浴拒否、これは一九九三年ごろから
存在し、小樽市もそのことは
認識していたことが訴訟の中で明らかになっております。埼玉県における入居差別においても、これは一九九八年ごろから、外国人から埼玉県に対して、入居差別をなくしてほしいという要望が繰り返し寄せられていました。
被告とされた業者は、自分
たちだけではどうしようもない、例えば外国人の入浴を認めると
日本人の客が来なくなるとか、あるいは大家さんが肌の色の濃い外国人には部屋を貸したくないから困る、そういった事情をこういった業者
たちは訴訟で主張していました。
何が人種差別であるのか、なぜ人種差別はなくさなければならないのか、このことは
日本の
社会が緊急に学んでいく必要があることですし、そのために国や地方自治体の果たすべき役割は大きいと言わざるを得ません。
さて、私の話をまとめると以下のようになります。
第一に、
憲法は外国人の
権利について特別のことを規定しているわけではありませんけれ
ども、通説的な
理解の下で
基本的人権を確保することには何の支障もないということです。しかし、第二に、そのような
憲法の本来の姿が、最高裁判所を始めとする判例によって不当に制約されているという残念な現状があります。そして第三に、そうした判例にもかかわらず、外国人労働者問題を経験する中で、在留資格
制度によっても奪うことのできない
権利というものが認められてきました。それには国際
人権条約が大きな役割を果たしてきましたし、その活用によって
憲法を補完していくことが十分できるということであります。
最後に、外国人の
権利、とりわけ最近新たに問題化している人種差別に対応するためには、
憲法や
条約のみならず、国や地方自治体が積極的な措置を取っていかなければならないということがあります。
このように、外国人の
権利は、
憲法の新しい側面そして課題を提起してきたのだということを訴えて、私の陳述を終わらせていただきます。