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参考人(
三井誠君)
神戸大学の
三井です。
私に与えられましたテーマは、
人身の自由と
刑事手続というものでございます。
人身の自由とは主として
身体拘束からの自由を指し、
人間の自由として最も根源的、基本的なものであります。
日本国憲法は、
個人の尊重を基軸に、
奴隷的拘束及び意に反する苦役からの自由を
保障しておりますが、この
人身の自由は特に
国家刑罰権との
関係で重要な
意味を持っております。
国家刑罰権の
行使は必然的に自由の束縛を伴うため、
人身の自由の
保障は
刑罰権行使に対する
制約と
相即不離の
関係に立つことになるからであります。
この
意味での
人身の自由、いま少し広く
被疑者、
被告人の
権利を軸とする
刑事人権を
手続法の
観点から簡単に述べてみたいと思います。
日本国憲法におきます
刑事人権に関する中心的な
規定は主に三十一条から四十条であります。
三十一条の適正手続の
保障規定以下、個別に
裁判を受ける
権利、逮捕に関する
保障、抑留・拘禁に関する
保障、住居等の不可侵、捜索・押収等に関する
保障、拷問及び残虐な刑罰の禁止、公平な
裁判所による公開
裁判、迅速
裁判を受ける
権利、証人審問権・喚問権、弁護人依頼権、自己負罪拒否特権、自白に関する法的規制、遡及処罰の禁止、一事不再理効、刑事補償等がそれらであります。
中でも、
憲法三十一条は、「何人も、
法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と
規定しており、これは
アメリカ合衆国
憲法修正五条及び十四条を受けて導入されたという沿革にも照らしますと、単に処罰の手続が
法律で定められている必要があるというだけでなく、実質上その手続
内容が適正であることを要求したものと理解され、
一般に適正手続条項と呼ばれております。したがって、この三十一条は、三十二条以下の
刑事人権に関する個別的
規定を総括すると同時に、個別の定めにはないものの、三十二条以下と同等の重要性を有する
刑事人権を補充的に
保障する役割をも果たしております。
このように、
刑事人権に関して、
日本国憲法は他領域には類例を見ないほど言わば総則、各則がそろった詳細な
規定を設けております。それは、
憲法全体の条文数の一割、第三章の
人権規定の三分の一に及んでおります。比較法的にも、刑事上の
人身の自由に関する条項は一から数か条程度が普通であるところ、国家基本法としては不釣合い、不整合なほどの数に上っているわけであります。
これは、旧
憲法と対比しますとその違いは一層際立ちます。帝国
憲法におけます刑事上の
人権に関する
規定は、わずか三か条でありました。
裁判を受ける
権利のほか、不当な逮捕、監禁、審問、処罰からの
保障及び住居の不可侵、不当な捜索からの
保障がそれであります。しかも、それらは、
法律によるにあらずして、あるいは
法律に定めたる場合を除くほかなど、いずれも
法律の留保を伴ったものでありました。
日本国憲法が豊富な刑事
人権規定を新設したことにつきましては、例えば牧野英一博士などは、その大部分は実は
憲法をまつまでもないところである、それは、あるは無用なものであり、あるはむしろ邪魔なものであるおそれがあるという厳しい見方もありました。しかし、大方は、戦前の
人権侵害多発の実態に対する反省の表れとして積極的にこれを受け止めたといってよいかと思います。例えば、団藤重光元最高判事はこのように言っております。新
憲法は、
人身の自由の
保障のために多くの
規定を設けた、それは第十八世紀末の
憲法であるかのような錯覚を我々に与える、しかしそういう
憲法を必要とするのが我々の現在の
社会状態であることを考えなければならないのであるということでございます。
日本国憲法の
刑事人権に関するこのような豊富な
規定の登場は、殊更、刑事訴訟法に影響を及ぼしました。刑事訴訟法は、法典は全面改正を余儀なくされました。全面改正に際しまして刑事訴訟法は、
憲法の理念を体して全く新しく生まれ変わることが要請されたのであります。
憲法を
基盤とするという思想は、上位法、下位法との
関係上、当然の事理ではありますが、先ほど述べましたように、
法律の留保を伴った帝国
憲法においてはその持つ
意味が乏しかっただけに、刑事訴訟法の場合、格別の
意味を持ったわけであります。他の
法律とは異なり、刑事訴訟法について往々、
憲法的刑事訴訟法とか応用
憲法といった形で
憲法の語が冠されるのはこのような理由からであります。
日本国憲法の登場、それは価値、理念の転換を
意味しましたが、それに伴って法典自体が全面的に改められたのは、結局、いわゆる六法の中では、
憲法を別にすれば刑事訴訟法典のみでありました。ここに刑事訴訟法の性格は端的に示されていると思われます。
新しい刑事訴訟法は、明文上、
刑事人権に関する個別
規定を具現化するとともに、予審の廃止、起訴状一本主義の採用、訴因
制度の導入、控訴審の
事後審化、不利益再審の廃止など重要な
改革を
実現したのであります。
以上のように、刑事訴訟法はその中に
憲法の
人権条項を織り込んでおります。それだけでなく、
憲法は
刑事人権に関する最低限の
保障ですから、これを超えて刑事訴訟法をどこまでその
保障を広げるかは刑事訴訟法に任されていたといってよいかと思います。
その典型例は、身柄不
拘束の
被疑者にも弁護人選任権を与える、あるいは
判例上は一定の重い
事件に関する必要的弁護
制度を設けるとか、あるいは公判廷の自白に関しても補強証拠が必要だとか、こういったたぐいのものは
憲法の
保障をより広げたものと理解されております。それだけでもなく、見方によっては、家族等弁護人以外の者と
被疑者が接見する交通権、証拠保全請求権など、刑事訴訟法が定める
被疑者、
被告人の
権利の多くはこの拡大例に数えることができるかもしれません。
このように法規解釈が
憲法上の
権利を拡張する
方向でとらえられる場合には、
憲法三十一条の精神の敷衍とも解されますので、特に大きな問題はないかに思われます。しかし、中には
憲法の要請を刑事訴訟法が満たしていない条項があるのではないかというふうに
指摘されるものもあります。例えば、緊急逮捕の
規定あるいは検察官面前調書に関する刑事訴訟法三百二十一条一項二号の伝聞例外
規定、あるいは
無罪判決等に対する検察官上訴の
規定、さらには、弁護人と
被疑者との接見交通に対する指定を
規定する刑事訴訟法三十九条三項の
規定などであります。しかし、これらに対しては、
判例はいずれも違憲ではないと
判断いたしております。最後の接見指定に関しましては、平成十一年の三月に
最高裁大法廷がその趣旨のことを明言いたしました。
また、
憲法には定めているけれども刑事訴訟法には定められていないんではないかと
指摘されているものとして、起訴前国選弁護
制度というものがありましたが、この点についても、
判例はあるいは実務上は違憲だとは解されていないということであります。運用違憲等の問題は生じるかもしれませんけれども、
制度自体を違憲と解するのは確かに難しい面もあるかというふうに私自身は考えております。
ということで、
憲法の刑事
人権規定につきましては、特段に大きな改正等の問題というのはないかと思われますが、すると、問題は、
憲法の刑事
人権規定に沿った刑事訴訟法の運用あるいは刑事
司法の運用が行われているのかというのが次の問題になります。すなわち、
憲法の刑事
人権規定の運用状況がどうかという問題であります。これについては、次の三つの型を御説明したいと思います。
それは、立案者が想定していた刑事
司法像はどうであったかということであります。立案者が想定していた刑事
司法像は、ほぼ次のようでありました。
第一に、旧法下の自白獲得中心の
被疑者取調べには問題が多く、現行法はこれを
制度上規制するために種々の
制約を定めたので、捜査においては
被疑者取調べを中心に行うことができなくなるだろう。二番目に、しかも
被疑者の身柄
拘束には時間的
制約が課せられたので、おのずと証拠を十分に固めた起訴は困難となるであろう。第三に、その結果、公判でクロシロを決する公判中心主義が実質的にも要請されることになるであろう。伝聞法則が徹底し、証人尋問の手続の活用が図られるだろう。迅速な
裁判の趣旨に基づいて
裁判が迅速化するであろう。現に、刑事訴訟法規則には、その後、
裁判所は審理に二日以上を要する
事件についてはできる限り連日開廷し、継続して審理を行わなければならないという
規定を置きました。第四に、
有罪率はこれまでのような高率を確保することは困難になるであろう。第五に、起訴後の
被告人は保釈により身柄不
拘束のまま審理を受けるのが常態となるであろう。第六に、
被疑者段階にも私選弁護
制度が認められましたので、起訴前段階における弁護も充実するであろうと、こういうことであります。
これに対して、現実の五十年たちました刑事
司法の実態はどうであるかといいますと、かなり違った姿となっております。これが第二の型であります。
指摘しますと、第一は、捜査における
活動は依然、
被疑者取調べがその中心を占めております。第二に、公訴の提起は、通例、徹底した証拠固めを経た上で行われます。第三に、その結果、公判中心主義は十分には実質化せず、しかも、いわゆる自白
事件が九割を超えるために、公判は書面審理が中心となります。審理期間は短縮化傾向にありますが、地裁における開廷の間隔は平均一・一か月ということであります。第四に、
無罪率は一部
無罪を含めて地裁において〇・〇九%であります。第五に、地裁における保釈率は約二六%であります。第六に、起訴後は九割、十割近くの
被告人に弁護人が付いておりますが、起訴前段階は、正確な数は出ておりませんが、二割程度ではなかろうかというふうに
指摘されているということであります。
この二つの型をどのように見ていくかということであります。
この二つの型の対比というのはここではさておくとして、新たな第三の型として、今般、
司法制度改革審
議会の提案する刑事
司法の像が示されることになりました。それは、次のような
内容であります。
第一に、不適正な身柄
拘束の防止、是正を図り、
被疑者取調べの重要性を認めながらも、不適正な取調べを防止する方策を講じていこう。組織的犯罪への対処等、新たな時代に対応できるよう、刑事免責
制度、
参考人の協力確保、保護の方策、国際捜査を充実強化させよう。
第二に、現在の訴追
制度運用を是としながら、検察官の資質、能力の向上を図るとともに、より民意を反映させるため、検察審査会の一定の議決に法的
拘束力を付与しよう。
第三に、公判手続では、まず新たな準備手続を新設し、証拠開示等によって事前の争点整理を十分に行おう。公判は連日的開廷によって迅速性を図ろう。また、争いのある
事件とそうでない
事件とを区別し、争いのある
事件につき直接主義、口頭主義を実質化しよう。
第四に、刑事訴訟手続において、広く
一般の
国民が
裁判官とともに、責任を分担しつつ協働し、
裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる新たな
制度、すなわち
裁判員制度を導入しよう。
裁判員は
裁判官と協働して事実
認定と量刑を行うことにしよう。
第五に、刑事
司法の公正さを確保するために、
被疑者、
被告人の公的弁護
制度の整備を図ろうということであります。
以上示しましたのが、
司法制度改革審
議会の提案する型であります。
この三つの
憲法の運用に基づく刑事
司法の型をどのように見ていくかということであります。細かなことを紹介する、御説明する時間はございませんけれども、恐らく現在の刑事
司法制度についての問題点というのは四つに整理できるのではなかろうか。
第一は、刑事
司法を民主化する、あるいは
国民の
司法への主体的参加を積極的に行うということであります。
第二は、より弁護の充実化を図るということであります。一九九二年に当番弁護士
制度が図られ、起訴前段階の弁護はかなり充実しましたけれども、これ、依然、勾留者の二五%にとどまり、なおこれについては
限界がございます。
第三は、公正、迅速な
裁判の
実現に向けて、もう少しめり張りのある刑事
裁判の
実現というのが図られてよろしいだろうということであります。
第四は、捜査手続に、捜査段階がやや依然重く、その適正化というものが図られるべきであろうということであります。
この四点が仮に現在の刑事
司法の問題点だとしますと、現在提示されております
司法制度改革審
議会の提案というのはかなり私が申します問題点に対応したものだというふうに
指摘することができるかと思われます。
個別の問題点につきましては後の
議論に譲るとしまして、特にこの四点につきまして、なお
司法制度改革審
議会の提案を進めてほしいと思われますのは、やはり捜査手続の適正化の問題でございます。これにつきましては、かなり
被疑者取調べにつきましても記録の整備等の
改革は提案されておりますけれども、取調べ過程の録画等を含めた客観化、可視化の
方向がなお一段進められていいのではないかと
個人的には考えております。
最後に、簡単にまとめておきたいと思います。
一般的に言いますと、
憲法三十一条以下の刑事
人権規定の改正につきましては、一方で、
憲法上、起訴前国公選弁護
制度、起訴前保釈
制度、検察官上訴の禁止などを明確にせよという
意見は見られるかと思います。逆に、現在は
憲法制定時に問題視されました
社会状態とは異なるから、他の国と同様、刑事
人権規定をもっとスリムにしてもよいのではないかという
意見があるかもしれません。
確かに、
憲法の刑事
人権規定は不磨不朽ではありません。事実、整備を望みたい箇所は
幾つかあります。文言、表現の明確化が望まれるものもあります。しかし、他の
人権規定の動きと切り離して言えば、当面、刑事
人権規定はこのまま維持されてよいし、維持されるべきであろうと考えており、あとは
憲法のこれらの
規定に基づく刑事
司法の運用をどのように考えていくのかというのが中心課題になるのではないかと考えている次第であります。
以上で私の
意見を終えさせていただきます。
ありがとうございました。