○
参考人(
和田光弘君) ただいま御紹介いただきました
社団法人アムネスティ・インタ
ーナショナル日本の
理事長をしております
和田です。
本日は、私
どもアムネ
スティ・インターナショナル日本として、貴
調査会におきまして
基本的人権について
意見を述べる機会をいただきまして、大変ありがとうございます。
市民団体として、「アムネ
スティ・インターナショナルの活動とめざすもの」ということで簡単な
レジュメを用意しましたが、アムネスティは、国境を越えて一人一人の
人権を保障していこうということでできた市民団体ですが、
日本支部は一九七一年から活動を開始しまして、私でちょうど七人目の支部長ということになります。特別顧問になっていただいているイーデス・ハンソンさんは御存じの先生方が多いかと思いますが、私も職業は弁護士ですけれ
ども、元々は学生のときにアムネスティと出会いまして現在に至っているということです。
少し古い話ですが、一九七五年五月、私、まだアムネスティに入る前に、韓国の詩人で死刑判決を受けていた金芝河さんという方の良心宣言、獄中からという文章を「世界」で読んだことがございます。それは拘束される前に自分の良心に懸けて非転向を誓い、体の自由を奪われているときに公表された調書類などはすべて無効であることをあらかじめ宣言しておくという内容でして、これに強く引かれた覚えがございます。
その後、一九七六年にアムネスティに入会しましてキャンペーンに参加しましたが、七八年、当時学生で訳しましたアルゼンチンは今というレポートを今でも覚えております。
アルゼンチンで約二万人に近い人々が失踪したというもので、若い夫婦が子供ともに失踪しまして、子や孫の行方を求める母親、祖母たちがブエノスアイレスの五月広場で毎週デモンストレーションを行うと。当時アルゼンチンで行われたワールドカップとともにそのニュースが世界じゅうに広がり、その後、国連でも強制失踪に関する作業部会が設けられまして、この
国家が行う汚い戦争と呼ばれた、ダーティーウオーと呼ばれていましたが、
人権侵害こそ、一人一人の
個人である市民が間違っている、やめるべきだと声を出すことで変えていく必要があるんじゃないかということで、私も今日に至っているわけです。
簡単に今日はアムネスティの活動の特色を
お話ししながら、
日本のどのような
人権分野が問題になっているかについて、ここ数年の実情を踏まえながら指摘させていただければと思います。
まず、アムネスティを始めた方ですが、この方はイギリスのピーター・ベネンソンという弁護士さんです。軍事政権下のポルトガルでレストランで学生が自由に乾杯というふうにやって七年の懲役刑を受けたという記事に彼が憤りまして、独りでポルトガルの大使館に抗議に行って相手にされなかったということで、友人の人たちと酒場で議論しながらナプキンにアムネスティの目的を書き付けて原型ができ上がったと。そこから、忘れられた囚人たちという
意見広告をロンドンの日曜新聞のオブザーバーに出します。今、掲げているものがそのコピーです。
その中に、自分の
意見だけを理由に捕らえられた人の釈放のために運動しようとか、公正な裁判を求めようとか、政治的な難民の
権利を拡大しようとかという目的が記されています。一九六一年五月二十八日でした。二か月後、ヨーロッパ五か国に広がり、六二年に七か国の活動となり、六四年には、非常に早いんですが、国連の
経済社会理事会の
人権委員会の諮問機関となります。七七年、ノーベル平和賞をいただき、現在では、百四十以上の国と地域にまたがる百万人の会員と四十億円の国際予算と三百人以上の国際事務局という陣容で、
調査並びに活動をやっているということです。
日本支部は少し減少傾向で、六千五百人の会員と年間約一億六千万円程度の規模であります。
元に戻りますと、一人一人の
個人のために一人一人の
個人が動こうという呼び掛けで運動は始まりました。良心の囚人という言葉とともに今日も続いているわけです。
良心の囚人の定義は、暴力を行使せず、ないし唱導しないにもかかわらず、自らの政治的、宗教的、その他良心的な信念を理由として、若しくは民族的出自、性、肌の色、言語を理由として、人が刑罰としての拘禁、身柄拘束、その他身体的自由の制限を加えられることとしておりまして、現在、
日本と
関係のある数名の良心の囚人の方がおられます。
今年一月二十三日仮釈放されましたが、二年を超える期間拘禁されてきたロシアのグリゴーリ・パスコさんという方がおられます。この方は、先生方も覚えておられると思いますが、九三年、
日本海にロシア海軍が放射性廃棄物と弾薬を投棄したという映像を
日本のジャーナリストに提供しました。メディアはこれを使いました。しかし、その後、彼はロシアで
国家反逆罪ということで捕らえられまして、二〇〇一年十二月に四年の強制
労働判決を受けます。しかし、
日本のメディアはこれを報道しませんでした。海外からは、なぜなのか、
日本のメディアは債務を支払っていないという批判もありました。アムネスティは、二〇〇一年十二月以後、三回ほど国際的ニュースで
意見を発表していますし、釈放要請の手紙書きをしています。
お配りした資料の中にニュースレターが入っていたと思いますが、その中にこういうはがきがあります。これを全世界の人たちが書いて、釈放を求めると。彼のケースは、今、欧州
人権裁判所でケースとして取り上げられて、決定待ちです。
そのほか、現在、東大の大学院に学籍のあるトフティ・トゥニヤスさんという方がおられます。彼は、九八年二月にウイグル地区の歴史的研究を行っただけにもかかわらず、
国家機密にかかわる罪状ということで中国ウイグルの刑務所に拘禁されています。この方は、国連の
人権委員会第五十八会期の恣意的拘禁作業部会の報告書で取り上げられ、はっきり中国が世界
人権宣言や国際
人権規約に反するという結論が出されている方です。
日本でも救援運動が始まっていますが、一九九九年に十一年の刑を受けたままです。そして、今示しましたこのはがきの、全世界のはがきキャンペーンの対象になっている人物です。
それからさらに、中国出身で
日本人の配偶者と婚姻した佐渡の女性で金子容子さんという方がおられます。この方は、昨年、法輪功という宗教団体のリーフレットを北京で配ったということで一年六月の矯正
労働の判決を受けています。その後、この方のお姉さんも理由なく捕らえられており、アムネスティとして後で述べる緊急行動の対象となっている方です。
そのほか、
日本の中で起きたケースとしては、ゴヴィンダ・プラサド・マイナリさんというネパール人、殺人事件で一審無罪になったにもかかわらず、検察側控訴の段階で東京高裁が無罪の人を勾留し続けるという決定をした事件がございます。その後、二〇〇〇年十二月において高裁で無期懲役刑の判決が出て、現在、最高裁係属中ですが、アムネスティとしては検察による迫害ということで勾留
制度の濫用という批判をしております。
次に、アムネスティの活動の特色として、世界じゅうから一斉に一人一人の声を動員して騒がしい声にして、これを届けるという
方法を取ることがございます。
先ほど申し上げた緊急行動ですが、最初に行われた緊急行動は、一九七三年、ブラジルのルイス・ロッシさんという大学の歴史学の先生のケースでした。家族が閉じ込められた家の中から裏窓を通じてメモを渡して、それがアムネスティの
調査員のところまで行き着くという幸運を得て、緊急行動が始まります。
現在でも、その人の命が奪われるおそれがあるとき、拷問が行われるおそれがあるとき、行方不明になるおそれがあるとき、確実な事実
調査に基づいて情報が配信され、世界じゅうのメンバーからの行動が始まります。
日本では、難民や死刑の執行の問題で、数回にわたりこの緊急行動の要請が行われています。先ほどの金子さんは難民、死刑ではないんですが、この行動要請がなされたケースです。
少し死刑の問題に触れますと、アムネスティは当初、自由に
意見を言うことで捕らえられる人々の釈放を大きな柱としていたわけですが、一九七七年にはストックホルムで会議を開きまして、
国家の死刑も人道に反するとして死刑廃止のための活動に力を入れてきました。こうした活動拡大の中で、
日本は死刑と難民の問題でアムネスティのターゲットになり続けています。
難民の関連でいいますと、二〇〇〇年八月、成田の上陸防止施設で起きた
人権侵害の件、それから二〇〇一年十月、アフガン難民を強制収容したことに対する批判、東京地方裁判所がアフガン難民収容取消し決定を出したにもかかわらず、東京入国管理局が即時抗告したことへの批判、二〇〇二年九月のクルド人難民の再収容の東京高裁決定に対する批判、十月には森山法務大臣あての公開書簡の発表などを行いました。
とりわけ最後の公開書簡では、国連難民高等弁務官事務所が難民と認めて、マンデート難民と言っていますが、これに反する主張を繰り返しまして、当該難民が自殺まで
考えてしまう
状況の中で、十分な
医療の機会も与えていない、さらには強制送還禁止のノンルフルマンの原則を確立していないようだと
日本は条約違反になるとまで言われて質問されています。
この最後のノンルフルマンの原則について、国際法上確立された法原則であるにもかかわらず、法務省は国際法としては確立していないと
考えている書面を裁判所に提出しています。
死刑問題でも、夏冬の執行を予想して、これをしないよう繰り返し緊急行動の要請が出ています。何度繰り返しても執行が続く
日本の事態に対して、二〇〇二年十一月、アムネスティは、国際的に、
日本での死刑執行は恣意的であり、かつ秘密裏に行われる、
日本政府は
国会閉会中あるいは議会選挙や休暇期間中などに繰り返し執行を行ってきた、これは
日本政府が
国会内での議論や一般の目を避けるためにそうした時期を選んでいるためだとアムネスティは
考えていると発表しています。欧州評議会は議長声明で、強い怒りを覚える、これは間違っているというふうに述べております。こうした騒がしい声は日増しに強まっているわけです。
最近、名古屋刑務所の事件をきっかけに明らかになった革手錠などの拷問用具につきましてもアムネスティは批判しています。革手錠、拘束用のベルト、また割れズボン、保護房、これは国際的に
日本の拷問非人道処遇セットとしてやゆされ、規約
人権委員会の懸念をどう思っているのかといぶかしがられています。
それから、
人権侵害者の処罰を求める活動ですが、ピノチェトのケースはその
一つです。スペインのガルソン判事の国際刑事警察機構を通じての事情聴取、英国での逮捕、裁判、アムネスティはその場で
参考人団体として
意見陳述をしました。そして、いろいろあって、現在はチリに戻っているわけですが。
日本でも、アルベルト・フジモリ元大統領のペルーにおける
人権侵害について、アムネスティは次のように述べています。
日本の当局は、フジモリ政権下で起こされた人道に対する罪を含む大規模な
人権侵害に対し、裁きがなされることに協力しなければならない。
これは、現在、アムネスティの報告書では二つの事件を指摘しています。九一年、リマで起きたバリオスアルトスの十五人の人々の殺害事件と九二年、リマのラカントゥータというところで起きた学生九名、教授一人の失踪とその後の殺害、発見の事件であります。今、
日本政府の
対応が問われていると思います。
それからさらに、条約の
関係でいいますと、幾つか
日本政府が批准していない有名な条約がございます。
レジュメにも書いてありますように、自由権規約の第一選択議定書、
個人通報
制度を規定してございます。同規約の第二選択議定書、死刑廃止を決めている条約です。それから、女性差別
撤廃条約の選択議定書、
個人通報
制度が規定されています。子
どもの
権利条約の選択議定書、十八歳以下の子供兵士を義務的に徴募することの禁止です。国際刑事裁判所ローマ規程、これは先生方御存じだと思います。それから、拷問等禁止条約の選択議定書、拘禁施設の査察
制度を定めたものです。これらへの批准が期待されているところです。
今回、特に触れておきたいことにつきましては、拷問等禁止条約の選択議定書の件です。
日本政府は、この拷問禁止の実効を
確保するために査察
制度を盛り込むという議案書に対して、二〇〇二年七月の
経済社会理事会、十一月の国連総会第三
委員会でそれぞれ反対しました。そして、本会議では棄権しました。
これは、法務省はそうではないと言っても、
日本は拷問禁止のための査察が嫌だし、恐れていると見られることは必至です。そうでないと言っても、ほかの条約もそうですが、国際的な場で審査されることを避けているとしか思われない
状況を作り出しているということです。条約の
個人通報
制度もそうです。拷問等禁止条約の第一回報告書も出してございません。対話に基づいて解決していくという外交姿勢を
日本自ら実行しないで他国を説得することは容易ではないと思います。
それから、アムネスティは現在、様々に広がりを見せております。一昨年の世界大会決議では、規約第一条を、身体及び精神が保護される
権利、良心の自由・表現の自由に対する
権利、差別されない
権利が侵害されないように
調査、活動を行い、すべての
権利の促進を図るということになりました。これは、それぞれの
権利が実際に行使され、
人権侵害を受けた者が実際に救済される、そういう手続をすべて保障していこうという
考え方です。
経済社会権にも踏み込むということです。
現在、アイリーン・カーンという方が国際事務総長をやっておられますが、彼女が支部長を集めた会議でこういう話をされています。ひどい暴力を受けた南アフリカの女性に面会して、なぜ手続を取らなかったのかと聞いたと。南アフリカではドメスティック・バイオレンスの法
制度が整っていたにもかかわらず、女性は答えたそうです、バス代がなかったと。
経済的不平等、
権利を行使するための
人権教育の徹底など、今後求められる活動領域であります。
私たちは、実際に現地に行って
医療器具を運ぶ活動をしているわけでもなく、
生活物資を送り込む活動をしているわけでもありません。実に都合のいい、言葉のボランティアです。ただ、そういうボランティアとして九・一一の事件については様々に
考えさせられてきたわけです。
二〇〇一年十月二十五日、朝日新聞で加藤周一さんが「ソムリエの妻」という随筆を書かれていました。それは、九・一一事件で崩れ落ちたビルの最上階の料亭で働いていたソムリエの妻の話で、夫が殺された直後のインタビューで言ったというものです。
少し引用しますと、彼女は、死んだ夫がアメリカ
国民に伝えたかったことがあるという。えっ、それは何ですかと司会の女性が聞き返すと、彼女はカメラの方へ向き直って、「復讐とか報復とかいうことを彼は必ず拒否するでしょう。彼は犯人と話したかった。その死をさかさまにして、私たちが他の人間の血を流してはなりません」と、こう言ったそうです。司会があきれて、一方のほおを打たれたら他方を差し出せということかと詰問したら、ソムリエの妻は少しも騒がず、「夫は話し合いが暴力よりも実り多いものだと信じていました。私たちはこのような犯罪がくり返されるのを防ぐように努めなければなりません。それには、私たちを憎む人々と共通の理解に達しなければならないのです」というふうに言われたそうです。
私たちは、これが理想だとはいっても、言葉でボランティアをし続けるということとなります。
最後になりますが、
日本国憲法との関連で少しだけ触れておきたいと思います。
一つは死刑の問題です。
九八年の規約
人権委員会の勧告では、一般論としてではありますが、公共の福祉を理由に
権利制限をすることは認められないという指摘をした上で、死刑についても様々に勧告をしているところです。今後、世界
人権宣言や国際
人権規約第二選択議定書、様々な国際決議に照らしてこれをどう扱うかということは、政治の意思の問題だと思います。
二点目は、改善が求められている被疑者段階での
権利保障の問題です。
公設弁護人
制度の新設、それから取調べなどのビデオによる可視化や
規制の問題、代用監獄の廃止などを具体的にどうするかということが問われているわけです。
三点目は難民です。
憲法上の位置付けが不明確です。様々に概念が広がりつつありますが、まず難民の保護を確立するという位置付けが必要です。確立された難民の位置付けを前提にして、さらにそれから、人道的立場で滞在を保障するなどの問題を
検討する必要があります。現在の入管
法改正の視点としても、排除よりも、まず保護に力点を置く
方向で
考えなければならないものと思っております。
最後に、国際条約の受入れの問題ですが、確立された国際法の国内法的効力を認める姿勢を明確にすべきだというふうに思っておりますし、公務員を始めとして
日本国民全体が
基本的人権尊重をするという形を取っている以上、国際法、国際条約が
発展して
基本的人権が拡充されていった場合、それを
憲法としてどのように受け止めるのかということについても御
検討いただければと思います。
以上です。