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参考人(
野村茂樹君) ただいま紹介にあずかりました
野村茂樹です。
私は、三十年前に目を患いまして、右がゼロで左が〇・〇三です。テレビ式の拡大読書器という機械を用いまして文字を二十倍に拡大して読み書きをしております。
それまで
日本では、裁判官とか検察官とか
弁護士になられた方が途中で目が悪くなられた方はおられたわけですが、視覚に
障害がある者として司法試験に合格した者は、私ともう一人の弱視者が初めてであります。
その後、全盲の点字受験者も合格して
弁護士をやっているわけですが、こうした
弁護士の集まりである
日本弁護士連合会は、一昨年の人権擁護大会で
差別禁止
法制定を求めるという大会宣言をいたしました。そして、そのシンポジウムでシンポジウム実行
委員会の試案に係る
差別禁止法要綱案も発表いたしました。今日お
手元に配付しております
差別禁止法の制定を求める決議案、決議ですね、その提案
理由、それからあと
差別禁止法の要綱案は今お
手元に配付したとおりでございます。
それを基に、日弁連では、これはまだ要綱案はあくまでたたき台でございまして、それを日弁連としての案に高めるべく、
調査研究会を設けまして、現在その
調査研究活動を続けておるところでございます。私はその事
務局長をしているわけでございます。その
委員の中では、私自身も視覚
障害者ですが、
委員長は全盲、それから耳の不自由な
弁護士あるいは
車いすの
弁護士も仲間に入って一生懸命
研究をしているところでございます。
さて、世界に目を転じますと、既に国連の
委員会は
日本が
差別禁止法を制定すべきであるということを勧告しております。また、国連のアドホック
委員会は
権利条約化についても議論を始めております。諸先生方も御存じのように、既に四十を超える国で何らかの形で
差別禁止を、
障害のある者に対する
差別を禁止するという
法律を作っておりますし、ADA、DDA、アメリカ、イギリスのように民事法のレベルにおいて
差別禁止法を制定している国はもう二十を超えておるわけであります。
日本は大変立ち後れていると言うほかありません。
そこで、今日のテーマである
障害のある人の
自立と
社会参加というテーマについて、選挙権の行使ということで考えていきたいと思います。今日お
手元に配付しました投票の機会の保障を求める
意見書、日弁連の
意見書、これつい最近出たばかりでございますが、これも御参照ください。
これはもう釈迦に説法でございますが、投票というのは、
原則として投票当日投票所に赴いて選挙人が投票用紙に書いてくるということが
原則とされています。その例外として不在者投票
制度と代理投票
制度があるわけです。
不在者投票
制度としての郵便投票は、しかしながら選挙人の
範囲を一定の身障者手帳、戦傷者手帳の交付を受けた者に限られております。したがいまして、妊婦であるとか、病気した、風邪を引いた、けがをした、あるいは引きこもり症の方は投票したくても投票できないという現実がございます。
また、郵便投票は、自分で書かなきゃいけないんですね。代理投票が認められていない、自分で書かなきゃいけませんので。ALS、これはイギリスの著名なホーキンス博士を思い起こしていただければいいと思うんですが、本当にまぶたとか眼球運動で意思表示をする大変すばらしい、意識は大変はっきりしているんですね。そういう
方々はもう投票所には行けないということなんですが、投票できないという現実がありますし、それから点字使用者はただでさえなかなか行動不自由なんですが、年を取られて足腰不自由になったときに本当に投票所に行けなくて、自分で書かなきゃいけないから投票ができないという現実がございます。
次に、代理投票を申し上げたいんですが、諸先生方は耳が不自由な方は字が書けるからいいじゃないかというふうに思われるかもしれませんが、耳が不自由な方は実は文字情報が大変苦手なんですね。したがって、代理投票は非常に重要な有効な手段であるんですが、ところが、代理投票に当たっては、投票管理者が補助者を二名選任して、一人に代筆してもらって一人に立ち会わせるという、そういうシステムなんですが、選挙管理者が必ずしも手話通訳ができる人を選任できるとは限りません。
それから、
障害のある人は本当に個別の大変すばらしいコミュニケーションの手段を持っている方がおられまして、そういった個別の、何といいますか、コミュニケーションの手段をできる、そういう補助者を選挙管理者は選任できるとは限らないんですね。そういった問題があって、結局どうなっているかといったら、やっぱり棄権を生み出しているわけですね、選挙の棄権を生み出している。
こうした状況の中で、相次いで判決が出されました。東京地裁についてはALS患者の起こされた訴訟に対して、大阪地裁については引きこもり症の患者の方に対して判決が出されました。記憶に新しいことだと思いますが、ALSの訴訟につきましては、こういった
方々が投票できないことは憲法の定める平等に違反すると、違憲状態であるとはっきり判決が明示しているわけでございます。
大阪地方裁判所で言い渡された引きこもり症のことに関しましても、憲法は投票の機会をちゃんと保障しているんだということを前提として、そうしたことからすると、現行の不在者投票
制度の拡充が図られてしかるべきであるということをはっきり指摘されているわけでございます。
それで
意見書の、投票の機会に関する保障を求める
意見書の二十二ページ以下をごらんください。及び後ろに、その
意見書の最後の方にあります要綱案をごらんください。
日本弁護士連合会は、こうした事情を踏まえ、まず郵便投票
制度において選挙人の
範囲を拡大すべきである、それから代理投票を認めるべきである、そして点字投票も認めるべきである、あるいは巡回投票の
制度を創設すべきである。それから、代理投票にあっては、補助者二名のうち一名は、つまり代筆をする人は選挙人が選任する、立会人は選挙管理者が選任すると、そういう
制度に改めるべきだということを具体的な
改正案を示して提案している次第でございます。是非とも御
検討いただきたいと思います。
投票につきましては、最近の新しい動向として、電子投票
制度があるということは御存じのとおりだと思います。まだ新見市と広島市で
実現しているだけでございますが、これを導入したいと考えている
市町村は数多くに及んでおりますし、それから総務省は国政選挙の方に導入をするということを考えているようですね。
総務省の
研究会の中では、この電子投票は、今、投票所におけて第一段階であるけれども、第二段階を経て、第三段階では自宅からコンピューター端末から投票できるようなシステムを考えようとしております。そうすると、引きこもり症の方とかALSの方が在宅で投票ができることが可能なんですね。
しかも、この総務省の
研究書によりますと、その操作の仕方について、肢体の不自由な方は指先だけじゃないと、操作するんじゃなくてそのほかの手段も考えるべきだということも指摘しているんですよ。正に、ALSの方がまばたきであるとか眼球運動であるとかということの中で自宅のコンピューターを使用して投票ができるということも技術的に可能であることを指摘しているんです。
ですから、
制度として
最初の、
制度のスタートとして是非ともユニバーサルデザインということを頭に置いていただきたいんです。こういったコンピューター化というのは、IT化というのは、
障害のある者にとって大変福音になります。情報バリアということについて非常にチャンスなんですが、ただ、これを
最初の段階で少し見失われますと、そのデジタルデバイドというのはもう回復不可能なんですね。
例えば、国とか政府はいろんなサービスを今提供しているんですが、画像ファイルをたくさん用いているために、例えば財務省のやっている官報、それから法務省のやっている登記情報サービス、それから郵政庁のやっている電子
内容証明郵便サービス、これはすべて画像ファイルなものですから、視覚に
障害のある人は今端末で、音声で出るそういう端末、それが使えないんです。これは、
最初の段階でコンピューター、すごくお金を掛けるんです、国が予算掛けて組む。そのときに、
最初にお金掛けるときに、そういった目でなぜ
障害のある人の
意見を聞いてくれなかったかと思うんですね。そういうときが大切です。
してみると、今の電子投票のシステムはどうかということなんですが、これも
意見書の二十二ページ以下を見ていただきたいんですが、特例法のこの電子投票機の選定は
市町村の選挙管理
委員会が行うわけですが、それは六条ですけれども、四条の条件を満たした機械を選定するとなっています。その四条の中にバリアフリー基準を満たしたものであるということがないんですね。
そのために、どういうことになるかと。ただでさえ今財政が厳しいです。一般競争入札になったら、安かろうという機械がもう行くわけですね。今すごいいろんな
企業が参入していますけれども、みんなバリアフリー基準とどうもうたっているようですけれども、それは音が出ればいいという問題じゃないんです。視覚
障害のある人が、音が出れば使えるというものじゃないんです。やっぱりいろいろテストをしてやっていくんですね。そういったことをテストやっているのは私の聞く
範囲では一機種しかありません。
是非、
最初の段階でこういったバリアフリー基準を満たしたことということを
制度のスタートの段階で
法制度にしていただいて、ユニバーサルデザインで設計していただきたいと考えている次第です。
そこで、今申し上げてきたようなことでもう一度、完全参加と平等とか機会均等ということを考えてみたいと思うんですね、投票を例にして。例えば、国
会議事堂の前に
一つ投票箱を置きまして、来られた方、あなた、納税額
関係ありません、どうぞ投票してください、女性、どうぞ投票してください。これは一九二五年、一九四六年にそうなっているわけですが、それで本当に、これで機会を与えたと、平等ですと言えるんでしょうか。これはもう多分、諸先生方は国
会議事堂に一個の投票箱じゃねえというふうに思われると思いますけれども、ちょっと考えていただきたいと思うんです。
沖縄の人が国
会議事堂の前の投票箱に来るのは大変遠いですよ。しかし、仮に沖縄にALSの患者の方がおられて、地域に、沖縄の地域の小学校の投票所に行くといっても、沖縄の人が国
会議事堂に来るよりはるかにはるかに遠いんです、命懸けですから。そのために郵便投票があるのにその郵便投票が使えない、おかしいんですよ。
それから、私は
小野清子先生の大ファンで何とか投票したいと思って、体操のマット運動をやっていたら、けがしちゃったと、できないと、何と皮肉なことかと、投票所へ行けないと。あるいは、赤ちゃん息づいている妊婦の方が、女の子だったら聖子と名付けて是非オリンピック出てもらいたい、だから
橋本聖子さんと名前を入れたい、でももうすぐ生まれそうだから投票へ行けない、投票できない。これは仕方がないことでしょうか。
WHOが、先ほどの先生も言われましたICF、国際生活機能分類ということも、今そういう
概念になってきているんですが、その中では健康状態という形で取り上げているんです。そうすると、年を取った人、けがをした人、病気をした人、それから妊婦の方、あるいはそういうことも全部含めて考えているんですね。そして、このWHO、いわゆる世界の考え方は、医療モデルということをはるかにはるかに過ぎて、もう今では人間と環境の相互作用モデルということで枠組みを考えているんです。
日本が今のように一定の身障者手帳、戦傷者手帳の交付者に限るというようなことを、もし
法律でそれにしがみつくとすれば、それは世界に対して恥をさらしていると言っても過言ではないと私は思っています。
それから、ITのことで述べましたけれども、結局
差別というのは二つの側面があるということですね。合理的配慮義務ということで
説明しやすいと思うので、先ほどの電子投票を例に挙げたいと思うんですが、皆さん方、例えば
障害のある人だからといって選挙権がないといったら、これは
差別であるとどなたも認められると思うんですね。だけれども、選挙権があるといっても投票ができなきゃ、ないと等しいわけです。
したがいまして、電子投票となったときに、手の不自由な人、目の不自由な人あるいは認識
障害のある人がそういった機械が使えなければ、あるいは
車いすの人がもう本当に遠くて、画面が高くて使えなければ全く意味がないんですね。それは、やっぱり投票を行う者がそういう方のために一定の配慮を負う義務がある。これは合理的配慮義務というんですけれども、合理的配慮義務があると。その合理的配慮義務に違反することが正に
差別なんだということを皆さんに分かっていただきたいと思います。
そう考えていきますと、例えば銀行のATMとか駅の券売機なんかもそうですね。私、銀行のATMに目を近づけてやりますけれども、もう知らぬ間にまつげがピッとやって、何か全然知らぬところが作動しちゃって、ああ、どうなっちゃったのかしらというふうに思うことがありますね。それから、一度いすに座られて銀行のATMへ行ったり駅の券売機に行ったりして、いかに画面が高いか、あるいは届かないかということを
車いすの
立場の方になって考えていただきたいと思います。
それから、銀行のATMなどは全盲の方などは自分の暗証番号を見ず知らずのお客に伝えてお金を出し入れする、そんなような現実であります。やはり電子投票機でも、今技術的には目の不自由な人、手の不自由な人もできるわけですから、そういったことを公共的な一定の事業者ですね、銀行であるとか鉄道旅客事業者とか、そういったものにやっぱり課すべきであると、そういう時代をもう迎えてきているんではないかと思うんです。
差別の二つの側面ということを申し上げましたが、例えば飛行機の搭乗拒否、これは今でもあるんですよ、随分あるんです。やれ、足の不自由な人はもう何人以上乗っちゃいかぬとか、あるいは
精神障害のある人は
知的障害のある人ということで航空機搭乗拒否というのが結構あったんです。だけれども他方で、搭乗拒否はしないけれども、例えば長距離の特急電車に
車いす用のトイレがなかったら、乗っていいですよと言ったって、結局乗車拒否しているのと同じですね。これはそういうサービスを、公共的なサービスを提供している者に対しては、やはりそういう
車いす用のトイレを設ける合理的配慮義務があるということを考える時代に来ていると思います。
不利益的
取扱いということになりますと、大きなのは、一番分かりやすいのは欠格条項ですね。それから
虐待、これは
虐待は絶えません。つい最近出た判決でサン・グループ
事件というのを載せておきましたけれども、
知的障害のある人が工場経営者に物すごく暴行を受け、あるいは言葉で
虐待、あるいは鎖で縛られ、そういう
虐待を受けてきたわけです。不利益
取扱いを受けてきたわけです。その責任を裁判所は強く認めると同時に、それを放置してきた職業安定所であるとかそれから労働基準監督署であるとか、
更生施設とか、そういったものについて責任を認めているわけです。やっぱりこういう不利益
取扱いということはまだ後を絶たない。
それから、今まで随分強調してきましたけれども、合理的配慮義務ということを考える時代に来たのではないかというふうに思いますけれども、これはやはりかなり一定の、失礼しました、各いろんな生活レベルにおいて個々具体的に決めていくことが必要ですね。法的安定で何が
差別かということですから、どの事業者にどの合理的配慮義務かと。これはやっぱり細かく定めていく必要があります。ADAやDDA、今日お配りした日弁連のシンポジウム実行
委員会の試案、あるいはつい最近の政策研、後で金さんが発表されると思いますけれども、政策研で作られたそういう
差別禁止要綱案はいずれもそういう各生活のレベルにおいて、雇用とか教育とかあるいは暮らしのレベルにおいて個々具体的に定めている
規定を設けております。
最後になりましたが、今、
人権擁護法案が国会に上程されていると聞いています。確かに、
障害のある人に対する不当な
差別的取扱いを禁止するということでございますが、じゃ、
差別とは何かということが全く
規定がありません。判例法国であるイギリスやアメリカではきっちり
法律の中で書いてあるんですね。
日本は国会が充実して
法律で定めるんだと、そういうことを誇りにしているはずです。そうした
日本がこういったことを、
差別の
定義を設けないと、後は実務の運用に任せるといった
法律を作るとは、私にはとても信じられません。
それから、
障害者基本法とか交通
バリアフリー法、
ハートビル法というのがありますが、これは基本的には国や
地方公共団体の
施策義務を定める
規定でありますし、それから事業者も多少ありますけれども、基本的には努力義務になっています。最近、措置から契約へということになって、
障害のある人も契約当事者ということで当然いろんな情報を知る、知らなければサービスを選ぶことはできないんですが、
社会福祉法七十五条は、そういった情報提供義務、これは経営者であるとか国とか
地方公共団体の情報提供義務は努力義務にとどまっているんですね。
私は申し上げたいんですが、こういう
障害者基本法であるとか
ハートビル法とかあるいは交通バリアフリーとか、そういう言わば社会のインフラ整備という
法律は非常に充実すべきだと思います。しかし、
日本の
法律の中で、こういう国とか
地方公共団体とか事業者から
障害者の方に矢印が向いた
法律はあるんですが、
障害のある人から国とか
地方公共団体とか事業者に向かって放たれた矢印を、矢印が定められたそういった
法律がないんですよね。先ほど話したICF、WHOのICFは人間と環境の相互作用モデル、相互に作用するわけですから、矢印が一方的であってはいけないわけです。双方でようやく
法律体系が成立するというふうに私は考えます。
確かに、
人権擁護法案は
障害のある人からの矢印が放てるようになっています。しかし、
差別の
定義も何もないままもしやるとすれば、私は、その
人権擁護法案で救済を申し立てた、その判断する人権擁護
委員の人は全員
障害のある人になるべきだと思います。それがバランスがもし失するのではないかというふうに先生がお思いでしたら、考えてください、サービスの
定義もなく、そういう救済を申し立てた中で
障害のある人が恐らく一人もいない、そういうもので判断されることがやっぱりバランスを失していると、そういうふうに思いを致していただきたいんですよ。
そうすると私は、結局のところ、
障害のある人から
意見を聞き、それから事業者から、いろんな人から
意見を聞き、そして将来のあるべき
共生社会というルールはこうだということをいろいろ議論して定められるのは、国会以外にないではないかと思うんです。是非とも、
DVと同じように、議員立法の形で
障害者差別禁止法制定をお願いしたくということを強調いたしまして、私の話を最後にさせていただきます。
どうもありがとうございました。