○田
英夫君 全く私も同感で、この時代の変化の中で、最近は全く、むしろ
環境省、省になったことが示すように、大きな責任と役割があるんだろうと思います。
ちょうど
環境庁が十年たったときの十周年記念のときに、当時の
環境庁長官であった鯨岡兵輔さんが、残念ながら先日亡くなられましたが、庁内の訓示の中でこういうことを言っておられます。近時、世論の一部に経済の発展や
開発を急ぐ余り公害や自然破壊を軽視する傾向のあることを私は
指摘したい、これをかつての苦い経験を忘れ経済至上主義的な思想であると私は批判したいと、こういう意味のことを言い、また、この十年、諸君は、緊急の公害防止にとどまることなく、汚染の未然防止から更に進んで、より良い
環境の創造に心掛けというようなことを言っておられまして、この十年の間の変化と同時に、まだこの時代ではやはり経済至上主義というようなことが一般的になっていたというか、それに対して
環境庁はそれではいけないぞということを言われたんだと思います。
しかし、考えてみると、世界の方は既に
環境庁
発足以前から、自然を守るとか公害とか、そういう問題について
議論を始めていたと。
思いますのは、私自身の経験ですけれども、一九五六年、昭和三十一年に日本が初めて南極観測隊を送りました。実は、私自身がその隊員でありました、報道担当隊員であったんですけれども。これは国際地球観測年という国際的な国連を
中心とした行事で、その一環として、未知の世界である、地球上の中の未知の世界である南極大陸をもっと解明しようということで、日本も、まだ戦争終わって十一年という段階でありましたが、参加をしたと。
これは様々な成果を得ているわけですが、この中で、その
一つとして南極条約というものがその後結ばれておりますが、一番最初に地球観測年で南極観測に参加をした十一か国が
中心になって結んだ条約、今はもう世界の百数十か国が参加をしておりますが、これは一種のある意味では
環境省の、あるいは
環境問題の理想郷を描いたのではないかと。つまり、南極大陸というどこの国の領土でもない地球上の
一つの大陸、しかも人類は後発で、後で入っていったんであって、ペンギンやアザラシが先
住民だという、そういう
状況の中で、本当に理想郷を造ることができた、理想を
一つの条約にすることができたと言ってもいいかもしれません。
そこでは、一切の自然を破壊してはならない、生物は捕獲してもいけない、殺すことはもちろん。実は、日本の南極観測隊は一番最初でしたから、第一回でしたから、私も目の前でアザラシを一頭殺しました。それに至るまでは、団の中で、観測隊の中で大激論をいたしました。結局、一頭だけ殺したんですが、それは、もし観測隊が遭難をするような事態になって犬の食料がなくなったときに犬はアザラシの肉を食べるだろうかということをその担当者たちは考えた。一方で、やはり自然保護を主張する隊員はこれに反対をしたと。そういう
議論をわずか五十人の隊の中でやったような経過がありました。結局、条約がその後できたときには、一切の生物の命を奪ってはならない、捕獲することもいけないということに明記されることになりましたね。これはもう
一つの大きな示唆をしたんじゃないかと思いますが。
もう
一つ、ついでに申し上げると、非常に大きな示唆は、この条約の中で、南極大陸は一切軍事利用してはならないと、軍事基地を造ることはならない、軍事利用はいけないということを明記しております。実は、あの丸い地球の一角ですから、南極大陸にミサイルを配置すればどこへでも大陸間弾道ミサイルを撃つことができるという、そういう意味でいえば軍事的利用価値は非常に高いのですが、それを一切禁じて今日に至っている。これも本当に示唆に富んだことだと思いますが。
そういう時代に実はもうなってきていたわけですね、
環境庁が
発足したときには。そういうことで、世界でいえばもう今や
京都議定書ができる、アメリカが守らないと言っているのは誠に残念でありますけれども、そういう時代に変わってきたと思います。これからはむしろ、一切のことと言っては強いかもしれませんが、経済至上主義の逆さまになって、
環境を守るということが一番優先をして、そしてそれに背くようなことはしてはならないと、人間は、そういう方向を目指すべきだということがこの南極条約なんかも示唆しているんじゃないかと私は思っております。余りにも理想主義的かもしれませんが、それが人類の目指すべき道だということを教えてくれているんじゃないかと思います。
そういうことを考えながら国内を見ますと、今日、正に
議論を皆さんされたような問題が具体的にはたくさん存在していると、目の前にあるというふうに思いますが、鯨岡さんの
言葉で言われた経済至上主義、
中心主義というものについてさえまだまだ
議論が、賛否が分かれるんじゃないだろうか。
しかし、考えてみると、二十世紀というのは戦争の世紀だったわけですね。同時に、人類の進歩の世紀だった、科学の進歩の世紀だったと。じゃ、二十一世紀はどうかというと、残念ながら入った途端に戦争が続発しております。しかし、それは違うと。二十一世紀こそ、本当に先ほどから申し上げたような理想の姿を実現する世紀でなければならないんじゃないかと私は願っているんですが、
大臣、いかがでしょうか。