○中西
委員 今あなたが最後におっしゃったところあたりは、それがとめられていないんですよね。八〇年代から
大学改革という問題が論議され始め、特に九〇年代になってそのことが加速してきて、ここ数年の間における加速度というのは、また顕著なものがあるんですね。
そういう歯どめが、あなた
たちが自信を持ってやれるというなら、私
たちも安心できますけれ
ども、それができないんです。だからこそ、主張しなきゃならぬところをまだまだ主張して、足りないんではないかということを私は言っておるんです。ですから、先ほどから出ておりますように、今度は、
国立大学の公共性と条件の均等性というものは、これをやることによって本当に守られるのかどうか、維持できるのかどうかということを非常に
懸念します。
時間がありませんから、これについては余り言いませんけれ
ども、少なくとも、公共性と
教育の機会均等が重視されて初めて、
国立大学だからこそ、
競争原理によって自己の
大学のみの利益拡大、こうすることをやめて、あなたが最後に言ったように、共同
研究だとか、横の連携を強めてやりさえすれば、先ほど問題を出しましたけれ
ども、三十のそういうトップクラスをつくるとかいっても、どんどん尻をひっぱたくような発表をするじゃありませんか。本当にそういうことでできるのか。基礎的なもの、底辺の広いものでなくちゃ、
教育というのは私は実を上げることはできないと思うんです。特定の人だけをやるなんということは、私、今までずっと見てきておりますけれ
ども、それでそう成功したという例はありませんよ。
だから、やはり
国立大学としてのこの公共性というものをもう少し、でなかったら、もう
国立大学を放せばいいじゃないですか、あなた
たちさっきから言うように、自由にするとかなんとかというふうなことを言うんだったら。そして、
私立大学に全部して、そこに全額今の金を。
さらに、先ほどから出ておるように、最後に言おうと思っていたんだけれ
ども、
日本の予算というのは、外国に比べて半分あるいは三分の一なんですよ、
関係費、国のGDP比からいいましても。こういう国の中で無理をしてやるとすれば、なおさら公共性のあるものを生かしていかぬと、
国立大学の
意味というのはなくなると私は
思いますよ。そういう点が、これをつくるに当たって、あなた
たちの
視点の中にはもうなくなっている、そのことを私は言いたいんです。
もう
一つ大事なこと、先ほどから
大分問題になっておりました学問の自由と
大学の自治、
教授会自治、こういうふうなものは
大学によってすべてということを、大体、先ほどの言葉から聞き取ればとれるような発言をなさっておられます。果たしてそうでしょうか。
私が一番
心配しているのは、一番最初に言った、
目標だとか計画だとか、すべて許可であり、そして今度は学長を選ぶに当たってもそうだし、今度、外部から人を入れるにしてもそうだし、先ほど言った
教授会の位置づけというのは、先ほどお聞きしましたからわかりましたけれ
ども、いずれにしても、こうした点が、皆さんが最初に掲げた規制の緩和と
大学の自由裁量、これを本当に拡大できるということになるのかというと、私
たちがこの法律を読んでいくと、むしろ規制を強めるような
内容になっているんじゃないかということを、私
たちは危惧をした。この前からの論議はほとんどそうですよ、皆さん。ここが私は一番問題じゃないかと
思いますね。
ただ規制緩和でいいますならば、事務量の簡素化、効率化なんと言うけれ
ども、例えば、
経営協議会だとか、
教育研究評議会だとか分離しますね。あるいは、企業会計の原則を入れてやるとかなんとか、
目標、中期計画の
作成、そういういろいろなものから全部ずっとしていきますと、むしろ規制の方が強まっていきますよ、事務の簡素化はされません。これは
大学の
人たちがみんな言っているわけです。
ですから、そういう点からしますと、私は本当に、あなた
たちが、決意じゃなしに、結果はこうなるんだというものをぴしっと出していただいて、そしてここでみんなで論議をするならば、みんななるほど、それならいいじゃないかということになるし、
意見のある人もおるでしょう。やはりここがそういう場にならぬと、本格的なものにならぬと私は
思いますよ。だから、これは非常に拙速主義です。何かありますか。