○藤村
委員 民主党の藤村修でございます。
このたび審査にかかっております六つの
法案、それぞれが大変大きなもので、かつ、さっきからおっしゃっているとおり、明治そして戦後の新制
国立大学、それに次ぐ三つ目の大きな波で、まさに国家百年の計を方向づけようという
意味では、六つ一括審査はなかなか難しいので、私はきょうは、
国立大学法人法案、この主たる
法案のみ、なおかつ、さらに、これもまた読み出したり考え出したりしますと大変膨大な中身がありますので、ほんの
一つの切り口をもって
質問をしたい。つまり、人、物、金、情報とよく言われますが、その金というところに
一つ切り口をもって、以下、短い時間ですので、割にとんとんと
答えていっていただきながら、
問題点を明らかにしたいと思います。
しかし、その前に、一番のそもそも論はやはり一回はやっておかないといけない。
明治の旧帝国
大学ができて、それから大正に
大学令などができて、
私立大学な
ども入った
大学というものの像が大体固まってきた。そして戦後に大きな、これは現在につながる新制の
国立大学制度が、
国立学校設置法などとともにできた。
明治の旧帝大の当初の帝国
大学令などというのがありまして、ここに、「
大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究スルヲ以テ
目的トス」と、
大学とは何かみたいな、非常に難しい言葉でありますが、書いてある。次に、これは若干、
私立大学などができるとき、
大学令、大正七年に一部書きかえられましたが、基本的には同じようなことであります。それから、その後においては、戦後、実はもう学校
教育法において、「
大学」ということで、「
大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授
研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを
目的とする。」書いてある前半三分の二ぐらいまでは過去ずっと大体同じことを書いてありますから、そうなんだと思います。今回も、それが当然ベースにある。
しかし、私は、この際ここではっきりしていただきたいのが、
大学には大きく言えば
私立大学と
国立大学があります。
国立大学というのは、国費が私学助成とはけた違いにそれぞれに投入されている。であるからには、これは、国民の側、税金を払う側からすれば、その税金の使い道という考え方からすれば、数百の私学に私学助成を出すけた違いの額を百以下の
国立大学に出すわけですから、いわば、まさに国として出すその理由というか、そういうものが当然必要なわけであります。
つまり、
大学全般的にどうだということよりは、このたび、特にこの
国立大学を
法人化するというときにおいて、国として、
国立大学というのは一体何なのか、何を
目的として、あるいは国として何を期待するのか、そのことが実はどこにも書いていないんですね。今回、
法律の
目的は、その
法人をつくり、
大学を設置すると書いてあるだけです。
では、そもそも
国立大学というのは、
日本の今後の
高等教育の中で、国がどのように位置づけ、
国立大学に対してどのような期待をし、どのようなビジョンを持ってなされるものか、このことを先にお尋ねしたいと思います。