○石毛
委員 現在の状況というのを二〇〇〇年データで見ますと、
合計特殊出生率は一・三六、これは
低位でとれば一・三三というとらえ方をする場合もありますけれども、初婚の
年齢、
平均初婚
年齢が二十四・四歳、夫婦の完結
出生児数が二・一四人、生涯未婚率が四・九%です。
九七年推計で二〇五〇年を推計した値を見ますと、実は
合計特殊出生率は一・六一。これは、一・六一というのは、恐らく現代のスウェーデンの
合計特殊出生率よりも高いと思います。そのときに、今、
水田政府参考人が触れられましたけれども、夫婦の完結
出生児数は一・九六人ですね。現在が二・一四で若干減っておりますけれども、この完結
出生児数という一・九六人が、前回推計では一・九六人、今回の
中位推計では一・七二人に減っているという、ここが大きな意味を持つということ。
私は、今回新しく出た点だけを触れたというふうにおっしゃられましたけれども、とりようによって
説明の仕方は違ってくるのかと思いますけれども、二〇〇〇年の生涯未婚率が四・九%で、九七年推計での生涯未婚率は一三・八%、今回の二〇〇二年の推計では一六・八%、三%推計値が違っているというのはかなり大きいのではないか。二〇〇〇年、現在と比べて最も大きな変化があるというのはこの生涯未婚率ですよね。現在と比べてです。推計は九七年と二〇〇二年で三ポイントほど違っているけれども、現状から二〇五〇年を
見通していった場合に、最も大きな要因の
一つは生涯未婚率ということがある。それに加えて、この五年間の国勢調査の間に変化したことを加えるならば、夫婦の完結
出生児数が減っているということ。
私は、申し上げたいことは、今なぜこの質問をしたかといいますと、九九年に立法化された、それ以前に議連がつくられて策定されたこの
法案の内容は、個別の条文で、繰り返しになりますけれども、産めよふやせよと危惧される面があるというその側面と同時に、九五年、二〇〇〇年この方、変化してきている
子供の
出生をめぐる
社会の状況をビビッドに受けた内容にはなり得ていないのではないか。つまり、不足してきたものが出てきてしまっているのではないか、こういう思いがしております。
きょう、新聞やら何やらいろいろと読んだんですけれども、例えば、これは五月二十六日、ごくごく最近のですけれども、「増えるフリーター」という、今フリーターの存在が
一つの
社会的な課題として分析されるようになり、昔のように好んで若者がやっているというよりも、この
経済的な不況の中でそこに追い込められているというような分析がかなり出されるようになってきております。こうした新聞記事、あるいは、
大学でも、例えば千葉
大学の宮本
先生とか、青年分析をされているというようなことがございますし、それから、この
少子化現象に関しましても、
厚生労働省の中で調査をしている、これは東京学芸
大学の山田昌弘助教授ですけれども、
少子化進行の主因というのは若者の雇用不安ではないだろうかと。これを、実際のヒアリング調査をベースにして、新しい知見といいますか認識として出されているというようなことがございます。
読んでいきますと、いろいろありまして、それから、きっと
提出議員の方もお目通しになっていらっしゃると思いますけれども、私は、大変興味深く読みましたのは、これも
情報として得たものですけれども、国立公衆衛生院保健統計
人口学部長の林氏が「わが国の
出生率低下にもう
一つの背景」というタイトルで「既婚者は出産間隔を延ばす
方向」という、こういうことを書かれておりまして、いろいろ丁寧に
説明がしてありますけれども、これは先ほど
水田政府参考人が
指摘されましたことと一部重なりますが、「バブルの崩壊が出産行動に
影響を与え」というふうに書かれております。それで、推計人数を出しているんですけれども、バブル崩壊の
経済的
影響で人工妊娠中絶をされた方が十年間で約五十七万件、年間五万七千件。これは、バブルの崩壊
影響ではなく人工妊娠中絶された方と、
影響を受けたと答えられた方の
比較をして、その差を出しているわけですけれども、十年間で五十七万人ということになります。
そうしますと、先ほど
水田政府参考人が晩婚化とあわせて、今回、夫婦の
出生力の低下というふうに言われましたけれども、この夫婦の
出生力の低下は、二〇〇〇年の国勢調査だと、ちょうどバブルがはじけ始めたころを表現しているのかもしれない。そして、日本の
経済、これからどんなふうに推移していくのか、あるいは
経済政策をどういうかじ取りをしていくのかということも大いに密接に
関係するわけですけれども、もしかしたら、バブルから崩壊した
経済が復興して、安心して
子供を生み育てるという
経済環境が整えば、これは、一・三九というこうした二〇〇二年の
中位推計ではなくて、もとの推計に戻るということも予測されないことではない。これは、いろいろと価値判断もあるでしょうし、
経済政策がどのように
機能していくかという
見通し、評価もあると思いますから、例えばの表現にしかすぎないということを私も認識しておりますけれども。
申し上げたいことは、先ほど少し触れましたけれども、九五年と二〇〇〇年の
人口統計の変動の中で、九九年
法案といいますのは、九五年の
人口推計をベースに判断されたのではないか。それは、そうした判断がおありになったからこそ、
子育て支援の方にウエートが置かれていて、
子供が誕生するという前提になる結婚ということ、これは私は、法律婚、事実婚どちらも含めて、
子供が生まれるというそのこと自体に注目をしまして、結婚ということに関して、これも自己決定、自己選択のことではあると思いますけれども、
社会的環境が結婚ということに関して非常に劣化しているという、そのことに対する分析がないのではないか。
そこから一点申し上げたいのは、やはり
基本法であるからには、実情をきちっと調査分析するという
機能も
法案の中に
位置づけられるべきではないかということと、それから、やはり、もう
一つは、肝心の主張になりますけれども、
法案をもう少し膨らませて検討をし直されて、機を改めて
提出されるということを申し上げたい。
質問も含めて申し上げることになってしまいましたけれども、私の別の質問の中には、条文を読んでまいりますと、ほとんどの条文の冒頭の一行目の書き出し、そこは「
子供を生み育てる者」という、そうした構成になっております。
ですから、繰り返しになりますけれども、これは、
子供を生み育てる者に対する
支援策の意味はあるとは思いますけれども、
子供が生まれるということに対する
社会環境の
整備、そのことが欠如している大きな問題点があるのではないか。そのことに、すごい長い質問になって恐縮ですけれども、御見解を伺いたいと思います。