○大森
委員 私は、
大臣の今の御
答弁等を伺っても、今の国と
地方の財政の危機の
認識の度合い、あるいは、それが、
経済のさまざまな深刻な状況があるのはもちろんでありますけれども、公共
事業がどうそれに影響を与えたかという点で、やはり
認識が極めて不十分ではないかと思います。
お話がありましたように、七百兆円近い国と
地方の借金、残高ですね、これはGDPの一・五倍ですよ。ヨーロッパなんかでは大体六〇%前後、それの二・五倍の規模になっているわけですね。
地方の場合にも、例えば、公債費負担比率の警戒ライン一五%超が四十四道県ですね、わずか四都県以外は全部警戒ラインを突破しているような状況ですよ。これも、わずか五年間で一・五倍になっております。それから、市町村でいえば、二千八十三市町村が一五%超の警戒ラインを突破、これも五年間の間に約二倍になっているわけですよ。
公共
事業だけではないとおっしゃりたい気持ちはわかりますけれども、公共
事業が与えた影響は非常に大きい。例えば、これは九三年の数字でありますけれども、当時、九〇年代では最高の公共投資が注がれた、国と
地方で五十一兆円でありますよ。そのうち三十兆円を国と
地方の借金で賄う。こういうことの結果が、とりわけ九〇年代、こういう国と
地方の財政を大変危機的な状況に追いやったという
認識を、本当はしっかり持っていただきたいと思うわけですね。
そういう点は、これは実は国内でも、国際的にも有名になっているんですね。これは有名な言葉でありますけれども、ニューヨーク・タイムズで解説しているんですね、
日本の破産への道は公共
事業によって舗装されていると。これは数年前の論評でありますけれども、国際的にもそういうことは有名になっておるわけですね。
きょう私は、最初でもありますので、こういう肥大化してきた、なぜ肥大化してきたのかという点でお聞きをしたいと思うわけなんです。
やはり、この公共
事業がこういう肥大化してきたその大きな理由、
一つは、九〇年代、これはこの間の本
会議での
答弁でもありましたけれども、景気対策という形でどんどん際限なくほうり込んでいったこともありますけれども、同時に、この間、総額先にありきということがあると思うんですね。とりわけ九五年から〇四年までの十年間に総額六百三十兆円もの公共投資を行う、こういう公共投資
基本計画、これの問題があると思います。
きょうは
内閣府にも来ていただいておりますけれども、一九九〇年、日米構造協議で、このときは、アメリカからGDPの一〇%という要求がされ、そういう中で、過去十年間の五割増しの規模、これはちょうど四百三十兆円という数字になるわけですけれども、これがそのまま公共投資
基本計画の枠にされる。確かに、八〇年代の公共投資総額が約二百六十三兆円ですから、ちょうど一・五倍という数字になっているわけですね。
それがその後、九四年には六百三十兆円に膨れ上がった。この総額先にありきがその後の異常な公共
事業膨張の大きな理由、この要因となってきたわけですね。ですから、九四年前後、例えば大手ゼネコンなどの業界が大規模プロジェクト構想を次々と打ち出す。これは、九六年の
日本建設業団体連合会が出した日建連ビジョンでありますけれども、その中では、ナショナルプロジェクト等は、この期間を逃しては
推進が難しくなる、こう言って、みずからのビジョンを発表される。その中に、当時でも十五兆円からあるいはそれ以上と言われた首都機能の移転とか、こういう大プロジェクトが盛り込まれているわけですね。
ですから、こういう四百三十兆円あるいは六百三十兆円、初めに総額ありきというやり方が今日のゆがみの大きな大もとになっているのではないかと思います。
そういうことで、そういうやり方の
根本的な反省等はやらないまま、昨年の一月二十五日の閣議決定で「構造改革と
経済財政の中期展望」が出されて、公共投資
基本計画は廃止になりました。そこで一定の抑制の方針が出されましたけれども、しかし、実際にはそうなっていない。
大臣の縮減しているんだ、抑制基調に変えたんだというお話はありましたけれども、公共
事業の方も、物価が下がった範囲を余り超えないということだと思うんですね。
そこで、
内閣府の方に、副
大臣、お見えになっているでしょうか、お聞きしたいんですが、この六百三十兆円という総額は、これはもう公共投資
基本計画の廃止とともに廃止になるということと
理解してよろしいでしょうか。