運営者
Bitlet
姉妹サービス
kokalog - 国会
yonalog - 47都道府県議会
nisalog - 東京23区議会
serelog - 政令指定都市議会
hokkaidolog - 北海道内市区町村議会
aomorilog - 青森県内市区町村議会
iwatelog - 岩手県内市区町村議会
miyagilog - 宮城県内市区町村議会
akitalog - 秋田県内市区町村議会
yamagatalog - 山形県内市区町村議会
fukushimalog - 福島県内市区町村議会
ibarakilog - 茨城県内市区町村議会
tochigilog - 栃木県内市区町村議会
gunmalog - 群馬県内市区町村議会
saitamalog - 埼玉県内市区町村議会
chibalog - 千葉県内市区町村議会
tokyolog - 東京都内市区町村議会
kanagawalog - 神奈川県内市区町村議会
nigatalog - 新潟県内市区町村議会
toyamalog - 富山県内市区町村議会
ishikawalog - 石川県内市区町村議会
fukuilog - 福井県内市区町村議会
yamanashilog - 山梨県内市区町村議会
naganolog - 長野県内市区町村議会
gifulog - 岐阜県内市区町村議会
sizuokalog - 静岡県内市区町村議会
aichilog - 愛知県内市区町村議会
mielog - 三重県内市区町村議会
shigalog - 滋賀県内市区町村議会
kyotolog - 京都府内市区町村議会
osakalog - 大阪府内市区町村議会
hyogolog - 兵庫県内市区町村議会
naralog - 奈良県内市区町村議会
wakayamalog - 和歌山県内市区町村議会
tottorilog - 鳥取県内市区町村議会
shimanelog - 島根県内市区町村議会
okayamalog - 岡山県内市区町村議会
hiroshimalog - 広島県内市区町村議会
yamaguchilog - 山口県内市区町村議会
tokushimalog - 徳島県内市区町村議会
kagawalog - 香川県内市区町村議会
ehimelog - 愛媛県内市区町村議会
kochilog - 高知県内市区町村議会
fukuokalog - 福岡県内市区町村議会
sagalog - 佐賀県内市区町村議会
nagasakilog - 長崎県内市区町村議会
kumamotolog - 熊本県内市区町村議会
oitalog - 大分県内市区町村議会
miyazakilog - 宮崎県内市区町村議会
kagoshimalog - 鹿児島県内市区町村議会
okinawalog - 沖縄県内市区町村議会
使い方
FAQ
このサイトについて
|
login
×
堺屋参考人(堺屋太一)
○
堺屋参考人
私は、さまざまな形態、例えば
鎌倉時代
のように、鎌倉と
京都
に両方ある、
政治
、
行政
からいうと鎌倉だったんでしょうけれども、そういうような形態、あるいは
江戸時代
の前半期、元禄までは確かに
大阪
、
京都
も大きな都市でありましたが、後半になると
江戸
一極集中
がかなり進みます。そういうような事実認識の問題がございます。 私は、
首都機能
のあり方が、形が変わった、少なくとも
京都
一極集中
から鎌倉に
政治
、
行政機能
が移った、あるいは室町という
京都
の貴族
社会
にあったものが、安土という、いわば今でいうと田舎でございますが、そういうところへ移った、こういうことが大きな
変革
になって、その途端に変わっている。
平安時代
四百年ぐらいの間に、やはり一色なんですね、
平安時代
というのは。ところが、鎌倉
移転
から数十年の間に、
文化
から宗教まで大きく変わった。 問題は明治維新と昭和でございますが、明治維新の場合も、やはり歴史を詳しく見てみますと、
首都機能
の
移転
がないとき、いろいろと幕府は
改革
を試みますけれども、ほとんど成功していません。そして、五年間に大きく
変化
した。 また、昭和の場合、これはいろいろな人が論じておりますけれども、昭和の戦後の
体制
には、昭和十六年
体制
、あるいは一九四〇年
体制
というものが引き継がれている。これこそ
官僚主導
の一番重要なところで、占領軍が参りまして大きく変えました。けれども、どんどんとまた
もと
へ戻って、
官僚主導
の業界協調
体制
になって、これで
日本
は工業が発展した。もちろん、軍事、思想、そういう点は変わりましたけれども、
経済
、
文化
の点では非常に継続性があるんじゃないか、こう考えている次第であります。ここはいろいろと昭和史の
意見
が分かれるところかもしれませんが、私と同じ認識を持っている者も結構多いのではないかと思っております。
kokalog - 国会議事録検索
2003-02-26 第156回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第4号
公式Web版
会議録情報
0
平成
十五年二月二十六日(水曜日) 午後一時一分
開議
出席委員
委員長
中井
洽君
理事
佐藤 静雄君
理事
田野瀬良太郎
君
理事
棚橋 泰文君
理事
蓮実 進君
理事
玄葉光一郎
君
理事
永井
英慈君
理事
塩田 晋君 荒井 広幸君 石田 真敏君 金子 恭之君
後藤田正純
君 高木 毅君
松本
和那君
宮澤 洋一君 八代
英太
君 吉田 幸弘君 吉野 正芳君 渡辺 喜美君 大谷
信盛
君
河村たかし
君 小林 守君 齋藤 淳君 中山
義活
君
松本
龍君 西
博義
君 矢島 恒夫君 山口 富男君 菅野 哲雄君
江崎洋一郎
君 …………………………………
参考人
(
エコノミスト
元
経済企画庁長官
)
堺屋
太一
君
衆議院調査局国会等
の
移転
に関する
特別調査室長
五十島幸男
君
—————————————
委員
の異動 二月二十六日
辞任
補欠選任
石井
啓一
君 西
博義
君 同日
辞任
補欠選任
西
博義
君
石井
啓一
君
—————————————
本日の
会議
に付した案件
国会等
の
移転
に関する件 ————◇—————
中井委員長(中井洽)
1
○
中井
委員長
これより
会議
を開きます。
国会等
の
移転
に関する件について
調査
を進めます。 本日は、
参考人
として
エコノミスト
・元
経済企画庁長官堺屋太一
君に御
出席
をいただいております。
参考人
に
一言
ごあいさつを申し上げます。 本日は、極めて御多用のところ本
委員会
に御
出席
をいただきまして、まことにありがとうございました。
堺屋参考人
には、
先国会
におきましても本
委員会
に御
出席
をいただき、現下の厳しい
社会経済状況
を踏まえ、
移転規模
、形態や新たな
移転手法
などのコンセプトの見直しについて貴重な御
意見
を賜りましたが、本日は、その際の議論をさらに深めるため、再度、忌憚のない御
意見
をお述べいただきたいと存じます。 なお、議事の順序についてでありますが、まず
堺屋参考人
から三十分
程度
御
意見
をお述べいただき、その後、
委員
からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。 それでは、
堺屋参考人
にお願いいたします。
堺屋参考人(堺屋太一)
2
○
堺屋参考人
首都機能移転
の問題につきましては、私、二十年ぐらい
研究
をしてまいりまして、十年ほど前に、この
移転
に関する
法律案
も作成していただきました。ところが、その
趣旨
が徐々に変わってまいりました。 そもそも、この
首都機能
の
移転
は、
日本
の
経済
、
社会
、
文化
の各面を抜本的に変更しようという大
国家事業
として考えられました。 戦後、
日本
は、
規格大量生産
型の
近代工業社会
の確立を目指して、
官僚主導
、
建設優先
、
東京集中
の
体制
をとってまいりました。この結果、八〇年代には、
日本
は
世界
一
規格大量生産
の上手な国になり、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこともございます。しかし、その八〇年代のうちに
世界
の
文明
が
変革
をいたしまして、多様な
知恵
の
時代
になってまいりました。それにふさわしいものに
日本
を
改革
しなければならない、そういった
発想
から、この
首都機能移転
の問題が不可欠であるという
考え方
が生まれてきたわけであります。この
考え方
は、現在の
世界
、
日本
の
情勢
に関して、全く正しいものだと考えております。 ところが、九〇年代も後半に入りまして、
首都機能移転
の問題が
政府
、
審議会
で議論されるようになりますと、
場所
の選び方と
費用
の問題に話題が
集中
いたしました。このために、話が徐々に、
東京
の
過密防止
と
地震対策
に矮小化されてまいりまして、
公共事業
の一種と理解されることが多くなりました。これが
最大
の問題、間違いの始まりであります。 このため、
東京
の
過密防止
ならば
移転
する
人口
が一定以上多くなけりゃいかない、大
規模
でなければならないという
考え方
が生まれてまいりました。 また、
場所選び
ということから各地が立候補なさいまして、そのために
地域運動
と考えられるようになりました。これは、六〇年代、富士山のすそ野がいいとかいろいろ言われたときはまさに
地域運動
であったんですが、そこへ戻ってしまった。
文明
の
変化
に対応した
事業
ではなくなってまいりました。これに対して、
東京
の
不動産業者
及び
東京
で受注の多い
建設業者
が組織的な反対をし出したことは、むしろ当然であったと思います。 ここで重要なことは、
首都機能
の
移転
問題の本質に立ち返りまして、
経済
、
社会
の
構造変革
の
国家的事業
として正確な
審議
をお願いしたいということでございます。当
委員会
が新たに
人数
をふやし発足されましたことに、非常に期待しているところであります。 これから申し上げようと思うことの
趣旨
を、
一言
にしてまず最初に申し上げておきたいと思います。
東京
一極集中
は、一九九〇年以降の
日本
の
経済
が停滞し、
社会
が混迷しております重大な原因であります。これは、あらゆる検証で証明されているところであります。
知価社会
が深まるにつれまして、諸
外国
では、
政治
と
行政
の中心と
経済
や
文化
の中核とが分離分散する方向にあります。その中で、
日本
だけが全
機能
を
東京
に
一極集中
して、
規格大量生産
型の
構造
の強化をしております。このために、多様な知識、
知恵
が
創造
されない。そして、迅速で安価な
通信情報
は発達しない。いつまでたっても
対面情報
、人に会わないと
情報
が交換できないという困った
情勢
になっております。 特に近年に至りまして、過去二十年余、
地方分散
、
地方分権
が熱心に唱えられてきましたが、現実には、
官僚機構
が非常に強力に
東京
一極集中
の
政策
をとっておりますために、
地方
は
空洞化
いたしました。
東京
一極集中
は自然に行われているのではなくして、後に述べますように、
官僚
の大変な努力によりまして起こっていることでございまして、
日本特有
の
現象
であります。 特に、九六年以降、
経済
、
文化
、
情報発信
、
国際関係
の
一極集中
が非常に急激になりまして、
地方
の
経済
、
文化
が危うくなるばかりか、
日本
の
文化
的多様、
創造性
というものが失われてまいりました。 したがいまして、
通信情報社会
の発達、これがこの十年間の大変な
世界
の
流れ
でございますけれども、この
世界
の急速な
グローバル化
、
情報化
に対しまして、
通信情報社会
の迅速、公平、正確、透明、安価な
情報交換
が必要になっています。こういったことを
日本
も行わないと、
日本
飛ばし、
日本
の国際的な
地位
の低下が猛烈な
勢い
で進んでおります。 そこで、私がこれから提案したいのは、実は一番本音のところでございまして、
立法
、
司法
、
政府
の
機能
を三つに分割して
移転
するのが最良であるということでございます。 まず、
国家
の
機能
の中には、
立法機能
と、それに
関係
の深い
行政府
の
政策
の
企画審議機能
、これを
A機能
あるいは
企画審議機能
と申してもいいでしょう。そういうものと、第二番目に、
行政機能
のうちで、
統計
、
調査
及び基礎的な
研究
を行う
機能
、これを
B機能
または
統計調査機能
と呼べると思います。そして、
司法
と、それにかかわりの深い
行政府
の
記録
、
保全
の
機能
、
保記機能
、
C機能
との三
種類
の
機能
があります。 この三
種類
の
機能
をそれぞれ別個の
場所
に
移転
する。そのことによりまして
日本
の
通信情報社会
を徹底させるとともに、
財政
の抜本的な
改革
、
文明
の大幅な前進を期待したいところであります。また、そういたしますと、
地震
やテロに対する
災害対応力
も非常に高いものになると思います。 さらに、
首都機能
の
移転
の
コスト
がよく問題になりますが、この方式でございますれば、総
事業費
大体三兆円、
公的負担
が一兆円前後ということになります。 これに対しまして、現在、
東京
にございます
首都機能関係
の
行政財産
の
土地評価
が四兆七千億円ございますから、これの二分の一を売っても二兆三千億円の
収入
があります。残り二分の一は
東京
の開発、安全のために使用するといたしまして、二兆四千億円。そのほかに、
公務員宿舎
の
土地
など約七千億円がございますが、そういったものを活用して
東京
を活性化していく。 そういたしますと、
費用
が一兆円少々、
収入
が二兆三千億円以上でございますから、
財政
には一兆三千億円以上の
収入
があります。
首都機能
の
移転
は、まず、そういう
移転
による
財政
の
収入
が非常に高まる、これが第一であります。また、その後の
運営費等
、かなり細かい
計算
でございますが、
財政
の抜本的な
改革
の現実的な唯一の
方法
ではないかと考えております。 以上のように、
首都機能
の三
機能分離移転
はいろいろな効果があります。 まず、
通信情報社会
を形成して、
日本
の国を公平で迅速で安価で正確で、そういう
情報社会
に変えることができます。 二番目には、清潔な
政治行政
ができます。そもそも、
日本
の
政治行政
にさまざまな問題がありますのは、何よりも
対面情報
、つまり、
人脈
を通さないとなかなか
情報
が得られない。
東京
に出張してきて、あるいは
東京
に
居住
や本店を移しまして、常に
官僚
と顔を突き合わせていないと
情報
が得られない。この不公正さが
もと
でございます。これが完全になくなります。 また、多様な
知価
の
創造
が生まれます。いろいろな
地域
、いろいろな
環境
の中から新しい
知価
が
創造
される。
東京
一極集中
によりまして
頭脳機能
が
東京
のごく狭い範囲に閉じ込められている、この
状況
が打ち破られまして、開放的なことになるでしょう。 そして、
地方分権
、
地方分散
が確実に実行されます。 また、
災害対応力
が非常に強まります。 そして、先ほど申しましたように
財政
が大幅に改善できます。 以上のことから、
首都機能
の
移転
は非常に必要かつ重要な仕事だと考えております。 さて、改めて
首都機能
の
移転
を申し上げますと、
東京
一極集中
では、
日本経済
の
復活
、
日本社会
の
復活
はあり得ないだろう。これまで、
平成
になりましてから十五年間、十一人の
総理大臣
がいろいろな
改革
を宣言してまいられました。しかし、依然として十分なことはできておりません。それというのも、
日本
の
社会
というのが、
東京
一極集中
、
官僚主導
、そして
建設優先
という
日本
の戦後の形に完全にはまり込んでいるからであります。
日本
の歴史をひ
もと
きますと、あらゆる
時代
が
首都機能
の
場所
で呼ばれています。
飛鳥時代
、
奈良時代
、
平安時代
、
鎌倉時代
、
室町時代
、
江戸時代
、そして今、
東京時代
でありますが、この
状況
を見ますと、すべて、
首都機能
が
移転
したら必ず
時代
が変わった、
首都機能
を
移転
しない限り
時代
は変わらなかったことを示しています。 例えば、
江戸
から
東京
に移るとき、黒船がやってまいりましたのは、
嘉永
六年、一八五三年ですが、それから十年間は何の
変化
も起こっていないんです。安政の
大獄等
いろいろございましたけれども、行ったり来たり、むしろ
保守化
が進んだだけであります。 ところが、文久三年、一八六三年に、
将軍家茂
と、その
後見役
でありました後の十五代
将軍慶喜
が
京都
に
移転
します。それに伴って、諸
大名
、
有力大名
もことごとく
京都
に
移転
します。したがって、このとき
首都機能
は完全に
京都
に
移転
したんです。それからの五年間、
明治元年
までの五年間にすべての
改革
が行われました。 そして、改めて
改革
した
明治維新政府
が、
東京
と名を変えた
もと
の
江戸
の地に来たのでございまして、
江戸
で
改革
をしようとした間は全く
成果
が上がっておりません。同様に、今もなかなか
改革
の
成果
は上がっていないと言わざるを得ないと考えております。 次に、
東京集中
は自然に起こっているんだ、これは
経済
の
流れ
であると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。 戦後、昭和十六年
体制
、あるいは一九四〇年
体制
と言われる中で、
官僚
が猛烈な
勢い
で
東京
一極集中
を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、
産業
、
経済
の
中枢管理機能
を全部
東京
に移す。そのために、全国的な
産業団体
の
事務局
は
東京
都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。 だから、
もと
もと
大阪
にありました
繊維業界
の
団体
も、強引に、あの
日米繊維交渉
のときに無理やり
東京
に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました
陶磁器工業会
も移しました。
京都
にあった
伝統産業振興会
も
東京
に移しました。 かくして、主要な
企業
の
本社
は
東京
に移らざるを得ない。
団体
が
東京
に移りますと、
団体
の長になるような大
企業
の社長は、何々
工業会
の
団体長
になりますと週に三回ぐらい
東京
に呼び出される
仕掛け
になっていますから、
地方
に
本社
を置いていられない。これでどんどんと
移転
した。これが第一であります。 二番目は、
情報発信機能
を、
世界じゅう
で
類例
がなく、
日本
だけが
東京
一極集中
いたしました。 例えば、
印刷関係
で申しますと、
元売
を
東京
一極に
集中
しております。今これがまた問題になっておりますけれども、
東京
にしか日販とかトーハンとかいう
元売会社
はございません。したがって、
関西
で出版していた
エコノミスト
やPHPは発行が一日おくれる。
大阪
で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず
東京
へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、
雑誌
の場合は締め切りが一日早くなる。これで
東京
以外で
雑誌
をつくることができなくなりまして、全部
東京
へ無理やり移しました。これは
国土政策懇談会
でも何回も問題になりましたが、
政府
、
官僚
の方は頑固に譲りません。香川県や長野県でも
元売
をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。 また、電波につきましては、
世界
に
類例
のない
キー局システム
をつくって、
キー局
は
東京
にしか許されていない。そして、
キー局
でないと
全国番組編成権
がございませんから、すべて
東京
都スルーの
情報
しか
流れ
ないようになっています。 さらに、
文化創造活動
も
東京
に
集中
いたしました。だから、
特定目的
の
施設
、例えば歌舞伎座でありますとか
格闘技専門体育館
でありますとかいうのは、
補助金
の
関係
で
東京
にしかつくれないようになっています。これで
歌舞伎役者
は
全員東京
に住むようになって、
関西歌舞伎
は一人もいなくなりました。あるいは
プロレス団体
も、
東北地方
に
みちのくプロレス
、
大阪
に
大阪プロレス
があるだけで、四十
団体
はことごとく
東京
に集められました。 さらに、最近は、
BS放送
七局を全部
東京
にしか許可しないという
制度
になっています。 こういった
官僚
の強引な、
コスト
を無視した
集中制度
によって
東京
に集まっている、このことも重要なことだと思っております。 したがいまして、
日本
全体が一律の
情報環境
になり、
大量販売
、
規格大量生産
には向いておりましたが、
没個性
、
均質社会
になった。
対面情報
を重視するために、
人脈重視
、選別的な
官僚主導
が行われるようになりました。また、
文化創造活動
も、もたれ合いの
社会
になって、世論が一色になってしまいました。こういったことは、新しい
知価社会
においては大変不利なことであります。このために
日本
の
地位
が、この十年間、
世界じゅう
が
知価社会
が進むに従って、猛烈な
勢い
で低下しています。 例えば
国際競争力
の順位、これはスイスの
研究
所が示しているものでありますが、八九年には
世界
一であったのが、今は三十位であります。また
証券取引
も、これは
上場株式時価総額
でございますが、六百十一兆円から二百四十八兆円に落ち、
外国株
の
上場件数
も、百三十件ぐらいありましたのが、今は四十件以下になってしまっている。
日本
の
東京証券取引所
はほとんど無視される
状態
です。 さらに、
コンテナヤード
の
取扱高
を見ても、八九年には神戸が五位、横浜が十二位でございましたが、今やずっと下の方になって、香港や釜山に比べて、
日本じゅう
の
コンテナヤード
を足しても及ばないというところまで落ち込んでしまいました。これは、ことごとく
東京集中
の結果であります。 さらに恐ろしいことは、九六年から
東京集中
が非常に激しくなっているということでございます。
人口
も、九六年ごろには
首都圏
への
集中
は一時とまりましたけれども、去年あたりはかつてないほどのすごい
勢い
で
東京集中
が進んでいます。わずか二年余り前、私が
IT担当大臣
のときに、
地方
の
ITソフト関係者
で、有能な、有望な新人、若者を二百人ほどリストアップしましたが、たった二年の間に、そのほとんどが
東京
へ蝟集しています。猛烈な
勢い
で
東京
に集められている。だから、
地方
の
空洞化
は猛烈な
勢い
でまだまだ進んでいるということです。 この
現象
は、諸
外国
とは全く逆でございます。よく、
日本
だけではなしに、これは
文明
の
流れ
であって、
世界
的にそうだろうと言う人がおりますが、七ページの表を見ていただきますとわかりますように、
アメリカ
でもフランスでも
ロンドン
でも
首都
の
比重
は低下しています。
地方
が盛んになって、
首都圏
の
比重
は低下しています。 これは、専ら
日本
が、無理やり
官僚主導
で
首都
に、
東京
に集めてきたことを示しているかと思います。このままで
日本
が進みますと、
アルゼンチン
の形を再現するのではないか、最近、国際的にもそういう
評価
が出てまいりました。
アルゼンチン
はグラン・ブエノスアイレスという、
国土面積
で〇・一三%のところに
人口
、
機能
が
集中
しておりまして、特に
地主階級
、
日本
でいえば
本社機能
でございますが、これがそこにある。そして、農業をやっているところ、工場をやっているところには代理人、支店しか置いていない。このために、ブエノスアイレスに
社交場
ができまして、しょっちゅう顔を合わす
対面情報
になった。だから、これが非常に
社会
を固定いたしまして、どんどんと一律化し、現在では、だれが見ても
発展途上国
になりました。百年前、二十世紀の初めには、
アルゼンチン
は
世界有数
の豊かな国であります。「母を尋ねて三千里」という小説は、貧しいイタリアから豊かな
アルゼンチン
を目指す話なんですが、今は全く逆になっています。 それに比べてブラジルは、とかくの批判がありますけれども、ブラジリアをつくった
おかげ
で、
アルゼンチン
よりもはるかに
経済力
が上になりました。この事実はやはり見逃せない点だと考えております。特に、これから申します私たちの
発想
では、
財政
的にも非常に有利でございますので、ぜひ考えていただきたいと思っています。 ところで、そのような
東京
一極集中
はどこから起こっているか。 まず第一は、
官僚主導
でございます。十一ページの図を見ていただきますと、
日本
の
官僚制度
の正体について書いております。これは、
日本
では
官僚
が
真ん中
におりまして、
国会
の
先生方
と
内閣
を双方根回しする
仕掛け
になっています。イギリスは同じ
議会内閣制
でございますが、右の図のように
内閣
が
真ん中
にあって、
官僚
が
内閣
の注文にこたえて
内閣
に回答を出す、そして
内閣
が
国会
に責任を持つ、こういう形になっています。だから、
内閣
にはたくさんの
閣外相
が入っておりまして、
日本
でいう副
大臣
のような方々がたくさんおられまして、これに対応する。
官僚
が
国会議員
と直接接することは禁止されています。こういうようなことができておるので、
官僚主導
ができない、進まない。その
おかげ
で、今や
ロンドン
にいる
国家公務員
は、十五万人から八万六千人まで減らすことができました。 さらに十三ページをごらんいただきますと、
日本
の
官僚
は、それだけではなしに、縦に貫かれた形になっています。つまり、先ほど申しました
A機能
、
立法
とそれに
関係
の深い
企画審議
をする
機能
、それから
調査統計
をする
機能
、
記録保全
をする
機能
、全部同じ省に属しています。したがって、大蔵省からも経産省からも
内閣
府からも、いろいろなところから
景気調査
が来るとか、二重三重に
統計
のダブりがあったり
記録
のダブりがあったり、その逆に、どこに本当の
統計
があるのか、
記録
があるのか非常に探しにくい。今問題になっております
住民
の
登録台帳
にいたしましても各省別々、
社会福祉
あるいは納税、
住民台帳
、全部別々につくる。しかもそれが自治体まで貫かれておりまして、この
人脈
の中で
情報
が動く、こういう
仕掛け
になっています。これが
最大
の問題であります。 それで、これを、次の十五ページにございますように、一つの
場所
、第一の
地区
は、
国会
、
内閣
、そして
A機能
、
企画審議機能
、それに伴う
執行機関
、これだけを移す。そして第二の
地区
には、
調査統計機能
、それに伴う
執行
、この
部分
を移します。これは
人数
では相当大きな
部分
、西ドイツがボンに残した
機能
とほとんど同じでございますが、これがかなり大きな
部分
を占めます。そして三番目の
地区
には、
最高裁判所
と
権利関係
、
保全
をしなければならない
記録
、こういった
機能
を移します。そして、この間を五ギガ
ビット程度
の
情報機関
で結びまして、だれでもアプローチできるような
方法
をとる。この間が
通信情報
で行き来しておりますと、
政府部
内、同じ省庁だけではなくして、どなたにでも接近できる、そういった、透明で、迅速で、公平で、安価な
通信社会
ができるだろうと考えています。 それで、どの
程度
の
規模
になるか。先ほどお金の話もちょっといたしましたので、そのことを十七ページで見ていただきたいと思います。 これで
移転
いたしますと、大体、
政府関係者
が二万五千人ほど
移転
いたします。
東京
に残る人が少しあります、
国立劇場
とか
国立博物館
とかいうのがございますので、少しありますが、大
部分
の方が
移転
されるとして、二万五千人であります。第一
地区
に
移転
する人は
国会
と
A機能
で約一万人、第二
地区
が一万人、第三
地区
が
最高裁判所
と
C機能
で五千人。この
A機能
の中には、大使館あるいは
国事行事
を行う
施設
が含まれることになります。それに準
首都機能
、マスコミの人とか
報道機関
、
政党職員等
を加えて出しまして、さらに
サービス従業員
を
計算
いたしますと、想定される
人口
は、第一
地区
が八万四千人、第二
地区
が六万八千人、第三
地区
が三万六千人、合計十八万八千人。当然のことながら、地元で雇用する
職員
がおります。これは、大体二千人プラス二〇%というのは非常に低く見た
数字
でございますが、そういたしますと、そこに新たに
居住
する人は十四万六千人でございます。 これらの数値を
もと
に、どの
程度
の
規模
のものになるかというのを
計算
いたしますと、十八ページにございますように、
面積
でいいますと、第一
地区
が六百ヘクタール、第二
地区
が四百ヘクタール、第三
地区
が二百ヘクタール。
居住人口
をそれぞれ出しておりますが、これで
多摩ニュータウン
などよりはもう少し、大体同じぐらいの余裕を持つ
場所
にいたしますと、このような
面積
でいいわけです。 これが、
審議会
では、八千五百ヘクタールという途方もない大きな
数字
になっています。この
数字
になったのは、まず一カ所に出すということもありますけれども、とにかく
東京
の
過密
を和らげる
目的
だから大勢移さなきゃ意味がないというものが働いたわけです。 なお、十九ページには、これで幾らかかるかということでございますが、
公的負担分
は、この
計算
では一兆五百億円になっております。一兆五百億円でございます。これは、
関西空港
などに比べますと数分の一という大きさになりまして、
建設事業
としては非常に小さな
規模
でできます。この
金額
でございますと、恐らくこれよりもかなり下回る
金額
ででき上がるんじゃないか、万国博覧会その他の
事業
から見て。そのような
計算
ができると思っております。 こうしておきますと、過度に
集中
することはありません。よく、
首都機能
を移せばそこにまた
民間企業
が集まるだろうと言う人がございますけれども、
通信情報社会
が完成いたしますので、再び
集中
することがございません。また、これが
国家
の抜本的な
改革
になることは明らかであります。 まず第一に、
財政
が決定的に
改革
できます。
重複行政
が解消し、人員が減らせる。警備が簡略化できる。 あるいは、
通信情報社会
によりまして
交通費
が軽減できる。実は
日本
は、
国土
は狭いのですが、
民間企業
総
交通費
あるいは
民間企業交際費総額
は、
GNP当たり
で見ますと、
アメリカ
やドイツよりも何倍も高いんですね。この
状態
が解消できると思います。 それから、建設
国家
という思想が崩れる。
規格大量生産
思想から脱却できる。 そして、先ほど申しましたように、国有地の売却等で、建設費を除いて一兆数千億円の
収入
が上げられる。 二番目には、
官僚主導
を完全に解消することができます。これでこそ初めて
日本
の
改革
が成り立つ。 過去、
日本
の歴史の中で何度も
改革
を行いました。平清盛の力を持ってしても、享保の
改革
にしても、全部失敗でありました。
首都機能
の移せない
改革
で成功した、進歩的
改革
は一度もございません。したがって、やはりこれが最終的な
改革
の問題になろうと思っています。 また、建設型から生活型への思想転換、例えば、貯蓄は良で消費は悪だとか、建設はいいけれども観光はいかぬとか、そういった思想も抜本的に変わると思います。 何よりも重要なことは人心の一新でございまして、今まさに
日本
は非常に閉塞感に満ちあふれております。私も
東京
大学で講座を持っておりますけれども、若い人の未来に対する、
日本
に対する非常な悲観論が満ちあふれています。これを打破する一番確実な
方法
だろうと思っています。 ぜひこういうことをお考えいただきまして、当
委員会
が、この
首都機能
の
移転
の問題を正道に戻して、
国家
を
改革
する
文明
的、
社会
的、
経済
的大
事業
として、
費用
はかからないけれども大事な
事業
だとして、もう一度御
審議
いただき、本当に
国家
百年以上、
国家
数百年の大計をお立ていただくことをお願いしたいと思っております。 どうもありがとうございました。(拍手)
中井委員長(中井洽)
3
○
中井
委員長
ありがとうございました。 以上で
参考人
からの
意見
の開陳は終わりました。
—————————————
中井委員長(中井洽)
4
○
中井
委員長
これより
参考人
に対する質疑に入ります。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉野正芳君。
吉野委員(吉野正芳)
5
○吉野
委員
自由民主党の吉野正芳でございます。 先生には大変すばらしい御
意見
を賜りまして、私、今聞いていて感動しました。ただ、一つちょっと質問したいという点がありまして、それはフェース・ツー・フェースのことでございます。 清廉な
行政
を行うためには対人からの
情報
はいけないんだという先生の御主張、これはある意味ではわかりますけれども、私、ソニーの出井会長さんの講演を聞いたことがあります。好むと好まざるとにかかわらず、これからの
情報社会
においては、自分一人と六十億の全
世界
の人とのコミュニケーションがあるので、いわゆる人間としてのきずな、
地域
としてのきずな、あるいは
国家
としてのきずな、そういうものが薄れてしまう、好むと好まざるとにかかわらずそういう
状態
になるというようなお話を伺いまして、私たち
政治
家の役割として、いわゆるフェース・ツー・フェースの形が薄れていく。そういう中で、私たちはあくまで人間でありますので、そこの
部分
を先生が、ある意味では否定といいますか、そういうところを感じましたので、ちょっと冒頭、そこの点について御
意見
を賜りたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
6
○
堺屋参考人
人間として多角的にいろいろな人に出会い、いろいろな触れ合いをする、これは極めて大切なことであります。今私が問題にしておりますのは、
国家
行政
として、
国家
の
政治行政
としてフェース・ツー・フェースに依存していいかという問題でございまして、家族であるとか友人であるとか、あるいは先輩後輩の
関係
であるとか、そういった人間
関係
とは別でございます。
国家
行政
をフェース・ツー・フェースにするということは、
国家
の
情報
として公正を欠くのではないか。
東京
にいる人は有利だけれども、そうでない人は不利になる。今、
東京
にいないと
情報
が来ない、あるいは、
東京
から
行政機能
を
移転
すると
情報
に支障を来すと言う人がおりますが、もしそれが本当だったら、
東京
以外に住んでいる人は大変な不利になっていると言っているのと同じでございます。 だから、そういう意味で、
国家
行政
として、
国家
の
政治行政
として考えたときに、これは
通信情報
ではっきりわかるようにする。そして、そのほかに人間的な触れ合いは、地元の選挙区あるいは家庭の中、学校の中、これは人間的なものとして、
国家
の
行政
というような、公正を重視する、迅速、安価を重視する、正確を重視する
部分
でないところでお考えいただくべきだと考えております。
吉野委員(吉野正芳)
7
○吉野
委員
大変よくわかりました。それでは、質問に移りたいと思います。 今、国民、本当に
国会
移転
ができるのか、私は実は福島県でありますから、
委員会
のあの通信簿が一番高い
地域
におるのでありますけれども、私も含めて、本当にできるのであるかという思いが、今ここにおられる議員の方々も心の隅にはそういう心を、気持ちを抱いているというふうに私は思います。 そういう意味で、本当に、今先生のおっしゃったすばらしい理念というものを一人一人の国民に理解させていく。やはり国民的理解がなければ、私たち
国会
で幾ら
移転
を決めても、国民の支持がなければ、支えがなければ実現できないと私は思います。 そういう意味で、今先生のおっしゃったすばらしい理念をどう国民に伝えていくのか。本当に
国会
移転
は、
国家
百年の大計の中で、一
公共事業
ではなくて、必要なんだ、そういう
部分
を私たちは全国民に、福島県民、栃木県民、また三
地区
の方々は、十分に県独自がPR活動をしておりますので、ほかの
地域
の方々よりは理解はしているというふうに思いますけれども、そこだけの方々の理解で
国会
移転
はできないと私は考えております。 そういう意味で、国民的理解をどうすれば深めることができるのか、御
意見
を賜りたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
8
○
堺屋参考人
私が閣僚のころから、この件につきましては、半信半疑じゃなしに三信七疑じゃないかと言われていました。中には一信九疑だと言う人もおりまして、なかなか信じてもらえない。どうせできないだろうと思われた。これが一番の問題でございまして、半信半疑まで来ると一挙に国民的議論が舞い上がると思うんです。ところが、どうせできないだろうということがなかなか国民の議論を呼ばない。マスコミ各社などに聞きましても、一番言うのは、どうせできないんじゃないか、もう少しできるように議論が進めば私たちも特集番組をつくりますよ、特集記事を書きますよとおっしゃるんですが、今は、できないと思っているからできないんだ、こういうことなんだと思うんです。 これは、私どものときに行いました金融
改革
でも、大銀行をつぶすなんということはどうせできないというので、ずっと記事に出なかった。ところが、いよいよ長銀、日債銀がつぶれるという直前になって、わっと新聞にも載ってまいりました。それが一つの問題で、この
委員会
で本当に議論を進めていただければ、それによってマスコミも大いに議論に参加してくることがあると思います。 もう一つの問題は、やはり
情報機関
、
情報発信
の
東京集中
でございまして、
東京
の人に興味のあることを中心に書く。だから、福島県あるいは岐阜県では知られていても、
東京
発の全国番組には乗りにくい、これも大きな理由であろうかと思っております。 この議論、知っている方、正確に、これは
公共事業
ではなしに
国家
を
変革
する重大な話だということを理解していただいている方には、皆さん、大変重要な仕事だとおっしゃっていただくんですが、多くの人は、ああ、
公共事業
ですね、また
公共事業
をふやすんですね、こういうような理解が行き届いているんですね。ここをぜひ、この
委員会
でさらに前進した方向をお出しいただくことで変わってくるものだと思っております。
吉野委員(吉野正芳)
9
○吉野
委員
まさに、私たちの
委員会
で国民に向けて大きなアピールをしていくというのも一番大切なことかと思います。と同時に、やはり
内閣
の行動というのも、国民に向けて大きなアピールをするものだと思います。 そういう意味で、先生は小渕
内閣
で閣僚でございました。総理官邸が新しくでき、そして議員会館も建てかえよう、赤坂の議員宿舎もPFIで建てかえよう、そういう
流れ
の中で、国民は、果たして本当に
政府
も
国会
もやる気があるのかなという、形を見ていけば、何かやらない方向への施策を次々と打っているように見えるんですけれども、その辺の閣僚経験者としての御
意見
をお聞かせ願いたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
10
○
堺屋参考人
今御指摘になりました首相官邸につきましては、長らく、
首都機能
の
移転
があるので建てかえることは差し控えた方がいいという
意見
もございました。ところが、どんどんと老朽化が進み、特に通信機関が弱体である。あれは数百億円かかっておりますが、建物そのもの、
構造
はそんなに大したことはございませんで、通信
機能
が中心だということでした。 これをつくるときに、私は閣僚にはなっておりませんでしたけれども、さまざまな営繕からの御相談がございました。そのときに、この建物は、
首都機能
が
移転
したときに、この中にも書いてございますが、
東京
の
情報
センター、
首都機能
の
場所
から
東京
に
情報
受発信、それから、
東京
で開く
審議会
等のできるような
場所
にしようというような形でつくられています。これは非常に議論をいたしまして、
首都機能
が
移転
したときにどこをどう使うか、そういう形に初めからつくられております。 今、官庁が建てかえておりますけれども、これは、
首都機能移転
を決定いただきましても相当の期間がかかりますので、順次建てかえていくということで、見た目には非常に営繕に
費用
がかかっております。逆に言えば、営繕を一時停止いたしまして新しい
場所
に
移転
するとなりますと、全く予算がかからないでできるということはわかるんですけれども、そういうように、見た目では変わっておりますが、建物の耐用年数、特に中の
通信情報
機関、電気
施設
等を考えますと、
移転
に十年あるいは十五年かかるといたしますれば、決してむだなことをしているわけではないと思っております。
吉野委員(吉野正芳)
11
○吉野
委員
最後の質問になりますけれども、
首都機能移転
は
公共事業
ではない、これは当然であります。でも、一歩下がって、今のこの不況、恐慌一歩手前と言っても過言ではない今の
経済
情勢
を立て直していくという中で、昔
アメリカ
がとったニューディール
政策
という、やはり恐慌解決策の切り札とでもいうべきいわゆる
財政
支出
政策
があろうかと思います。私たち
日本
も、そろそろニューディール
政策
を導入する時期に来ているのかなというふうに私は思います。 その中で、では何をやるか。緑の雇用という形で、森林整備にもっと多くの
財政
支出をして森林を整備していく。水を守り、空気を守り、土砂崩壊を防いでいく、
国土
を守ってくれるという、これも大きなニューディール
政策
の一つの
政策
ではあろうかと思います。もう一方、やはり
首都機能移転
、
国会
移転
というのもニューディール
政策
の一つの選択肢として私は考えていいのではないかというふうに思います。 この
首都機能移転
には、先生もおっしゃっているように、夢があるんです。単なる有効需要の創出、いわゆる
経済
的波及効果という
経済
理論だけでなくて、やはり大きな夢がある、将来に対する夢がある。まさにここで先生が述べられているようなこんな夢もプラスアルファとしてつくことのできるニューディール
政策
の一つだと思いますので、その辺についての御
意見
をお伺いして、終わりたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
12
○
堺屋参考人
御指摘のとおり、この
首都機能
の
移転
の公費の負担はせいぜい一兆円ぐらいでございますけれども、これによって誘発される需要効果、特に、
東京
の再生、
東京
に国際
機能
が集まる、あるいは安全性が高まる、そういったことの需要効果は恐らく乗数効果が数十倍になるのじゃないか。そして、
日本
全国から多様な
知恵
が出るようになって、
日本
も
知価社会
に入る。そういう意味では、御指摘のように、ニューディールを上回るような大変大きな
政策
として実行できるんじゃないかと思っています。 これは、明治
時代
に
首都機能
を
移転
したとき、あるいは鎌倉幕府、室町幕府、安土城をつくったとき、
日本
全国がどれほど変わったか、これを考えていただければ十分かと思っております。
吉野委員(吉野正芳)
13
○吉野
委員
大変ありがとうございました。
中井委員長(中井洽)
14
○
中井
委員長
次に、
松本
龍君。
松本(龍)委員(松本龍)
15
○
松本
(龍)
委員
民主党の
松本
です。 きょうは、
堺屋
先生、本当にお忙しい中、本
委員会
に
意見
を開陳していただいて、ありがとうございます。 けさ、目が覚めましたら、きょうは二月二十六日で、昔二・二六事件というのがあって、今から六十七年前、昭和十一年に青年将校のクーデターが起こったわけですけれども、くしくもその昭和十一年に
国会
議事堂が十一月に完成をしたということがありまして、もう六十七年間、
国会
議事堂もたっているわけです。 ちなみに、そのころは二千六百万で
国会
議事堂が建ったという、今に換算してみれば幾らになるかわかりませんけれども、
国会
議事堂一つ
移転
をするのに、あのときは大正九年から昭和十一年ですから十七年の建築の期間があったということもありまして、まさに
国会
議事堂ができたときに思いをしたときに、大きな
事業
だったんだろうなというふうに思っております。 そういう意味で、私も
国会等
移転
のこの
委員会
におりましたけれども、しばらく離れておりまして、離れているからこそ外の方からいろいろなものが見えてくるというふうに思っております。 市民の目線と同じ視点に立って考えてみると、ちょっと懸念が二つございまして、一つは
財政
事情の問題であります。 去年の失業あるいは倒産件数を見ても、二万件、そのうち、しにせの倒産件数が五千件を超えて、四分の一が創業三十年以上のしにせ
企業
だ、ちまたではそういう
状況
の中で、
国会
の中で
移転
論議がある。少しそこに乖離があるのではないかというふうに私は思っております。
財政
事情に詳しい
堺屋
先生ですから、その辺も勘案をして、その乖離をどうやって埋めていく作業をしていくのか、その点についてまず御質問したいと思います。 〔
委員長
退席、永井
委員長
代理着席〕
堺屋参考人(堺屋太一)
16
○
堺屋参考人
御指摘の点は、これまでの
首都機能移転
の中で、特に九五年以降の話として、
首都機能移転
は大
規模
でなきゃいけない、そうでなければ
東京
の
過密防止
に役立たないんだというような話がございまして、
規模
も
土地
も、そして
人数
もどんどんと大きくいたしました。その結果、十二兆とか十四兆とかいうような途方もない
数字
がぽんぽん飛び出してまいりました。当時、まだバブルのぬくもりがございまして、つくるのならいいものをというような
考え方
があったものですから、大変高価なことを言いました。 先ほどから私が申し上げておりますように、この
事業
は一兆五百億円
程度
の工事費でできる。
土地
買収一切含めて一兆五百億円。それに対しまして、国の財産が四兆七千億円プラス七千億円ございますので、この半分を売却し、半分は
東京
都の安全と発展のために尽くすといたしましても、
国家
収入
に一兆三千億円の
収入
をもたらす。このことを国民に御理解いただければ、
財政
事情が厳しい中で数十兆円の需要を生み出し、なおかつ
財政
がプラスになるというのは、御理解いただければ、その面では必ず支持いただけると考えております。 だから、
財政
の点でこそ、これがいかに効果的かということをぜひ御理解いただきたいと思っております。
松本(龍)委員(松本龍)
17
○
松本
(龍)
委員
今言われた、まさにこの
移転
というのは
公共事業
ではないというのは私も理解していますし、
日本
のいわゆるパラダイムといいますか、
経済
、
社会
、
文化
を本当に大胆に抜本的に変えていく
事業
だということも、私は先生と認識を共有しているというふうに思っております。ただ、そこの乖離ですね。国民はこういうふうに思っているんだけれども、
国会
移転
、それどころじゃないだろうという乖離を埋めていく作業が必要なんだろう。これは私も、先生も悩んでおられると思いますけれども。 一つには、前は、六十万人、九千ヘクタール、そして十四兆でしたね。あのとき、六年前の議論ですけれども、先生も、民間のあれもあるんだから、その辺が妥当な線だというふうに言われたと思うんですけれども、それが、先生の今度の試算で変遷をされてきました。それはどういうきっかけでこの十四万六千人、千二百ヘクタール、一兆五百億円という、きっかけといいますか動機といいますか、そこに至った経過をちょっと御説明していただきたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
18
○
堺屋参考人
当時、私は
首都機能移転
審議会
の
委員
を務めておりまして、その案には賛成ではございませんでした。特に
事務局
も
国土
庁という、
もと
もと
は
経済
企画庁から分かれたところでございますけれども、建設
関係
に詳しい方が非常に多い、そして、
委員
の中にも建設、
国土
開発に詳しい方が多いというような形でございまして、大
規模
な
東京
の
過密防止
、これは地価高騰とも
関係
いたしまして、
過密防止
が大事なんだ、そういうような
発想
が非常に強くございました。 それに加えまして、都市の
構造
自身に対する
考え方
も当時と大分違いました。当時は、森の中に、緑の中に沈んで、自動車、交通機関で走り回るようなロサンゼルス型の都市というのを非常に言われていた。最近は、どこの国でも、都心に
集中
するという形で、
面積
も変わってまいりました。 それから、
公共事業
の
考え方
自体が、いいものをつくる、そのためには子孫のために銭金を惜しまないというような思想がございまして、
金額
の多寡についてそれほど考えなかったということでございます。 私が一番この十年間で
考え方
を変えましたのは、一カ所に
移転
するのがいいのか、あるいは
通信情報社会
で分散的に
移転
する、分散といいましても
機能
別分散、役所ごとの分散ではなしに、
機能
的に分散するのがいいのではないか。これは、特に九六年以降の
情報
技術の猛烈な発達でございます。 私も、九六年、九七年ぐらいまではITを使っておりませんでした。こういうものが
世界
的に発達いたしまして、
世界じゅう
で分散が物すごく進んでいる。それにもかかわらず、
日本
だけが
集中
政策
をとっている。これはやはり非常に違和感、
世界
の
文明
との
流れ
が違うのではないか。したがって、この際、小
規模
な分離をした方がいいのではないか。これは、私が閣僚になってから、九八年以後につくづくと感じ、特に
IT担当大臣
をやらせていただきまして、ぜひこれは
日本
に必要だ、
世界じゅう
がそうなっている、
日本
だけが逆に動いている、これが
日本
の最近の
経済
と
社会
の混迷の
最大
の理由だということに気づきました。 その点で、きょう出させていただいたような三分割案になったらいいんじゃないか、そうすると値段も物すごく安くなるということがわかったということです。 〔永井
委員長
代理退席、
委員長
着席〕
松本(龍)委員(松本龍)
19
○
松本
(龍)
委員
三分割は、今、先生のお話を聞いてわかったんですけれども、三分割したときに、候補地の
地域
も三分割ということですか。
堺屋参考人(堺屋太一)
20
○
堺屋参考人
私は、
A機能
、
国会
と
企画審議機能
、これと他の
機能
とは分かれた方がいいと思います。これを分けないと、省庁もやはり縦割りの省庁が続くと思うんです。けれども、
B機能
と
C機能
、つまり、
調査統計機能
と
記録
機能
は、同じ
地域
であっても別の
地域
であってもいいのではないか。それは今後の検討課題だと思っています。 また、どれをどの
地域
にするかも、もっと具体的に、
場所
を探し、地元の御
意見
も伺い、
日本
全国の動き方その他を見て、それぞれに決めていけばいい問題ではないかと思っています。
松本(龍)委員(松本龍)
21
○
松本
(龍)
委員
先ほど冒頭に、二つ懸念があると言いました。 もう一つは、
平成
七年暮れの
国会
移転
調査
会報告では、新しい
日本
は新しい革袋に盛れ、新しい酒は新しい革袋に盛れのあれですけれども、革袋理論みたいなものがあったのです。そのころからずっと見ていますと、
政治
というものが大変、新しい
政治
なのかということも、国民の間では不信が物すごく増大をしている。昨年の議員辞職とか逮捕とか、そういったもので、この十年間、物すごい
政治
不信が重なってきている。そのことも、いわゆる
国会
移転
に対する国民の夢とか希望みたいなものをシュリンクさせているのではないかというふうに思いますけれども、忌憚のない御
意見
を。
堺屋参考人(堺屋太一)
22
○
堺屋参考人
どこの国でも、民主主義
国家
というのは、
政治
は批判されるものであります。
政治
は厳しく批判されることによって正しい道を選んでいく、自由競争の中で淘汰されていくものだと思います。およそ
外国
へ行きましても、我が国の
政治
がいいと言っているのは朝鮮民主主義人民共和国ぐらいでございまして、あとは大体悪いと言っているんですね。だから、それは、
政治
が批判されるのは悪いことではないと思いますけれども、やはり一番の問題は、対人、
対面情報
で、だれにもわからないことが、
政治
あるいは
行政
の裏話がどこかで行われているんじゃないか、これだと思うんですね。 最近、私は高速道路の
関係
でフランスに
調査
に行ったんですが、EUになりましてから、
通信情報
、書いたもの、インターネットに出ているもの以外に、
政府
と業界との間あるいは公団等の間に
一言
でもあったら、たちまち有罪になっているんです。全部公開すると。
情報社会
になりますとそういった徹底が行われますので、完全に問題がなくなるとは言えないまでも、非常に信頼感が高まるんではないか。これが大きな、
通信情報社会
にし、
首都機能
を
移転
する効果だと思っております。
松本(龍)委員(松本龍)
23
○
松本
(龍)
委員
最後になりましたけれども、
堺屋
先生におかれましては、もう何度も何度もこの
委員会
に来ていただいて熱弁を振るわれる、それに本当に敬意を表しますし、その御忍耐にも頭が下がる思いをいたしております。私でしたら、もういいかげんにしてくれよと、度量の小さい者はそういうふうになるんですけれども、きょうは
中井
委員長
も聞いておられますので、この
委員会
に対する思いを最後に述べていただいて、私の質問を終わりたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
24
○
堺屋参考人
首都機能移転
の問題は、非常に誤解されやすい問題でもありますし、それに何よりも、
地域
というものの郷土愛がございまして、なかなか説得しにくい。
東京
の好きな人にはなかなか説得できないとか、
首都機能
と一緒に住みたい人も大勢おられるとか、いろいろな思いがあります。 しかし、これからつくろうと言っている国は今までの国と違うんだ、新しい国の形、新しい国の気持ち、これをつくるんだということをこの
委員会
でぜひ出していただいて、そして、できることなら
国会
として、
政府
、
行政
機関じゃなしに
国会
として
審議
研究
を重ねられまして、最良の
政治
的決断を出すような仕組みをつくっていただきたいと考えている次第であります。
松本(龍)委員(松本龍)
25
○
松本
(龍)
委員
ありがとうございました。終わります。
中井委員長(中井洽)
26
○
中井
委員長
次に、西
博義
君。
西委員(西博義)
27
○西
委員
公明党の西
博義
でございます。
堺屋
先生、本当にきょうは多角的な面から御説明をいただいて、
参考人
の皆さんから数々お言葉をいただいておりますけれども、本当に感銘を受けさせていただきました。殊に先生の、
首都機能移転
というのは、ただ地理的な条件で
移転
するという物理的なものだけではなくて、
経済
、
文化
、ありとあらゆる問題で大きく
日本
のパラダイムが変わっていく、そのきっかけにというお話に、私も深く感銘いたしました。 昔、先生からお伺いしたお話で、
大阪
万博の話をたしか先生はされたことがおありだと思うんですが、御活躍だったと思うんですが、そのときに、男性が休みの日にカジュアルな服を着るようになったとか、それから喫茶店が外から見えるような
時代
がやってくるとかいうような単純なことしか覚えていないんですが、たしかそんなお話があったように思いまして、やはり一つの大きな
時代
の
流れ
というものをつくっていく一つのきっかけになるのかなというふうなことを考えながら、きょうは拝聴させていただきました。 そこで、御質問を申し上げたいと思います。 そういうことの中で、この
審議会
の答申も私どもは森先生からお聞きをしたんですけれども、この大きな内容、最終的には三つの
地域
に絞られて、それぞれ厳密な
評価
をされて、重みまでつけて、十六項目積算して
評価
をされたというふうにお聞きしたんです。 そんな中で、最終的には、この間、森先生からお話を伺った中では、この十六項目の中身についてちょっと私お伺いしたんですけれども、突き詰めたところが、災害対応能力ということがやはり一番の大きな課題であったんだ。続いて、
東京
一極集中
をどうするか。それから三項目の中身では、国政全般の
改革
がその次に続く。三つの分類をされているんですが、そういう御答弁をいただいたんです。 この
審議
の中で先生が今さっきまでおっしゃられましたように、そういう都市としてのあり方とか
経済
的な面、
文化
的な面、これを一切排除して、私は非常に客観的な、ある意味では客観的な
評価
をされていると思うんですが、そのことについて先生は、その当時の
審議会
の内容についてどう
評価
されているか、初めにお伺いをしたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
28
○
堺屋参考人
この点は
審議会
でも非常に議論がございました。それで、
災害対応力
というものをどう考えるかということが一つのポイントでありました。 その大きな分かれ道は、
地震
の起こりにくいところがいいんだと言う人と、分けることがいいんだと。
日本
列島、今まで
地震
が起こらないと言っていたところでよく起こっているんです。神戸などでも、起こるという予想はなかったんですが、起こっているんですね。どういうような
記録
でというと、大きな
地震
が起こった
記録
のないところは比較的安全と見られている。だから、人の住んでいないところは
記録
がないから安全だという結果が出るようなこともあるんですね。 それで、
地震
の対応力をどれぐらいに考えるか。
審議会
の
委員
を選んだときに、既に
地震
学者の方がたしか二名お入りになって、これが非常に大きなウエートを占めた。それに比べて、
経済
、
文化
の面の方が軽いんじゃないか、そんな議論もございました。 私が考えますのには、
地震
の被害というものは、第一次被害から第二次被害、第三次被害、第四次被害とございます。第一次被害というのは、ぐらぐらっといってドスンとつぶれたときにどれぐらいの被害が出るか。第二次被害は、それによって火災等が発生してどれぐらいの被害が出るか。第三次被害は、ライフラインが切れたことによってどれぐらいの被害が出るか。第四次被害は、一つの
地域
がつぶれたことで、全国、全
世界
に与える影響がどうか。 これがそれぞれ、十の、都市の
規模
に比例する。第一次被害は都市の
規模
に比例する、第二次被害は都市の
規模
の自乗に比例する、第三次被害は三乗に比例する、そして第四次被害は四乗に比例すると言われております。だから、神戸と
東京
と比べて、仮に
東京
が十倍といたしますと、第一次被害は十倍、第二次被害は百倍、第三次被害は千倍、第四次被害は一万倍となります。これは、過去の
統計
に合わせていくと非常によく当たっているという
数字
なんですね。 したがって、ここに書きましたような数万の
規模
でございますと、たとえ
地震
で揺れても大きな被害がないし、分散していることで安全だと考えています。 先ほども繰り返し申しましたけれども、
規模
を大きくするということが一つの前提でありました、究極で六十万人。したがって、
地震
がかなり恐ろしい。六万人でございますと、
地震
の影響は、建物も低くできますし、周囲もすぐに避難できますから、これはそれ自体が減ります。さらに
地震
だけではなしに、最近は、大
規模
テロ等さまざまな災害に対応しなければいけない。そういうことを考えますと、やはりあの
審議会
のころよりは少し変わっているんではないかという感じを持っております。
西委員(西博義)
29
○西
委員
ありがとうございました。大分具体的にお話をいただきまして、理解させていただきました。 続いて、前回の議論は、
東京
という都市が特に
首都
としての
機能
を維持するためには、もっと言いますと、
国際競争力
を発揮して
日本
という国を引っ張っていくためには、都市
東京
の再開発と同時に、
立法
、
行政
、
司法
という
機能
を付加するということが非常に大事である、こういう議論が実はございました。いわば先生のお考えと逆の観点もあろうかと思います。 小
規模
とはいえ、三つそれぞれに分都ということになりますから、その三つの
機能
が
東京
からなくなるわけです。先生は、そのことがまた新たな
東京
の活性化を呼ぶというふうに先ほどおっしゃられたように思うんですが、そこの
部分
のお
考え方
についてお伺いをしたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
30
○
堺屋参考人
今、全
世界
は、
政治行政
の中核
地域
と、
経済
、
文化
の中心
地域
が離れています。
アメリカ
や中国やインドはもちろんのこと、最近はヨーロッパも、
政治
行政機能
はEUの中心地のブラッセルに
集中
いたしまして、パリも
ロンドン
もローマもベルリンも大幅に
首都機能
が低下してきております。それとは逆に、
経済
機能
は、ニューヨーク、ロサンゼルスとか各地に分散して、非常に発展をしている。 その中で、
日本
は、
一極集中
が激しくなるに従って、国際的
地位
がどんどん低下しています。このことは、
一極集中
が、今の
情報化
社会
、
知恵
の
社会
に不向きであるということを明確に示していると思うんです。 集まっていればいいと言う人は、あくまでも
対面情報
を前提としておられると思うんですね。
東京
の百平方キロの中に今やほとんどの
機能
が
集中
し、しょっちゅう顔を合わせる。だからいいんだということでございましょうけれども、その結果、
日本
の
文化
、
情報
が非常に単一化いたしました。
雑誌
でもテレビでも、番組が全く同じような形になってまいりまして、多様性が失われてきた。これは
日本
にとって大きなマイナスでございます。 また、つい
対面情報
に頼るものですから、
通信情報
化しない。
日本
国内だけではまだ、みんな集まって、エレベーターに乗って、まあ、
通信情報
に比べれば何十倍か時間はかかり、何十倍か
費用
はかかりますけれども、我慢できるかもしれませんが、
外国
との
情報
は全くこれではやっていけません。 そういうことが重なって、今、現に
日本
の
地位
は低下しております。これだけたくさんの高層ビルが建った。この二〇〇三年度に建ちますビルは、
東京
にできますものは二百十八万平米。何とバブルの最盛期をはるかに上回るほど建てておりますが、それにもかかわらず、
日本
の
地位
はどんどん下がっている。この事実をやはり率直に考えるべきだろうと考えております。 さらに、
経済
機能
、
文化
機能
は
東京
に
集中
し、
東京
を
世界
都市にする運動をするのはいいことだと思います。けれども、それが
首都機能
という重圧の中でできるかどうか、これが大問題であります。例えば、国賓が一人来られただけでも都心部が渋滞を起こす。そういう負担の中でやらなきゃいけないのか。これも大きな問題だと思っています。 そういう意味で、
東京
と
首都機能
とは分離して、
東京
はもっと盛んな
経済
、
文化
都市にし、そして、
首都機能
からの
情報発信
で
地方
都市、
地方
の
地域
も活性化する、これが一番正道ではないか、これからの世の中に向いているんじゃないかと思っています。
西委員(西博義)
31
○西
委員
よくわかりました。 つまり、
首都機能
を付加した
東京
からその
部分
を分散してという意味では、もちろん都市としての
人口
等は
東京
は格段に大きいですけれども、これからは、ほかの
地方
の都市、例えば名古屋、
大阪
、もちろんそれぞれのたくさんの都市がありますが、そういう意味では同じ立場といいますかスタンスで、新たに
地方
にも新しい都市
機能
、同格の、特別の存在ではなくて、皆同じような都市としての
経済
発展のチャンスもまた逆に同じ条件で生まれるというふうに解してもいいんじゃないかなというふうに、先生のお話を伺って感じました。 具体的には、先生は、A、B、Cという三つの
機能
をそれぞれ分けたらいいんじゃないか、
最大
の問題は、やはり透明性、公平性、また、その
情報
通信を通じて、すべてひとしく皆さん方が同じ
情報
を共有できるということに大きな観点があるというふうにお伺いしたんですが、もう少し具体的にいくと、例えば、
立法
府と、今も
国会
連絡室とか
大臣
官房、それからそこの各省庁の企画部門、その辺が一緒に行って、あとの
部分
がそのまま別のところに、ルーチンの仕事をしているところが別のところに行くのかなと。実際の
行政
のうちの一、二割
程度
がついていくのかなというような大まかなイメージで私はお伺いをしたんですが、その辺のもう少し詳細のところをお教えいただきたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
32
○
堺屋参考人
具体的に省庁の名前を挙げ、それぞれの局の名前を挙げますと、
行政機能
がハチの巣をつついたようになりますので、あえて具体的な名前は申し上げませんけれども、各省の
国会
審議
と
関係
のあるような
政策
の企画立案、
審議
、そしてそれの
執行
の
部分
、これが大体、各省でとりますと半分以下でございます。それに対して、各省の中、各局の中でも、
統計
数字
を調べて渡すとか、あるいは現在の景気動向を知らせるとか過去の法案を調べるとか、そういった
機能
が約半分、大体二分の一ずつぐらいです。 それで、
国会
とその
企画審議
部門、これが同じところへ
移転
いたします。そして、そういうような各省の思惑に動かされない
調査統計
、正確な
情報
が即座に出るような
機能
を別のところに置きまして、これが、
情報
で注文を受けて、すぐ
情報
で返す。例えばオーストラリアなどは、既にキャンベラに
首都機能
がございますが、オーストラリアに駐在した新聞記者あるいは学者が言いますのに、質問をシドニーからしたときの
情報
の返り方が
日本
と違って物すごく速い、これはカナダも
アメリカ
もよく言われることですが。 そういう
通信情報
の
社会
になっておりますと、通信化できるような、つまり、マシンリーダブルといいますが、機械が読み取れるような文字や
数字
や図面に
情報化
する習慣がつきます。ところが
日本
は、すぐ御説明に上がりますというので
国会
へ走ってくる、政党本部へ走ってまいりますものですから、説明される各お役人の能力に依存して、書面の整理なんというのは膨大なものを抱えてくるようになっておるんですね。こういうこともまずやめる。 それから、今、ドイツのボンに残っておりますような
文化
財の保護とか、特許料、知的財産権、あるいは
国土
の
保全
、そういうようなものに関する
記録
、これからのアーカイブズが大変重要な
時代
になってきますから、これはこれで確実に確保して、そして利用できるような
状況
にしておく。そして、それが本来の務めだ。 今、本来の務めはみんなもう
企画審議
の方で、
調査統計
というのは余り重視しないような雰囲気がありますが、これはそれぞれに大事な
機能
として独立させて、その間を通信でやることにしますと、非常に迅速で公平で、そして、いつでも出せるような習慣が生まれてくる。そうしますと、
民間企業
も同じように、役所の形の
通信情報
の技術と慣習を持つようになります。かくして、
日本
が、どこの
地域
にいても、
外国
にいても
日本
の
情報
が正確にとれる国になる、
通信情報社会
になる。これが二十一世紀にはぜひ必要なことだと思っておるんです。そういうような分け方を考えている次第であります。
西委員(西博義)
33
○西
委員
国会
移転
を通じて
日本
の
社会
のシステムを大きく変えていこうという先生のお考え、拝聴いたしました。 本日は、大変ありがとうございました。
中井委員長(中井洽)
34
○
中井
委員長
次に、塩田晋君。
塩田委員(塩田晋)
35
○塩田
委員
本日は、
堺屋
太一
参考人
におかれまして、非常に簡明かつ明確な、また、非常に説得力のある御議論を展開していただきまして、非常に感銘を受けました。ありがとうございました。
参考人
の御
意見
に対しまして、私はおおむね賛成でございます。しかし、お聞きしました中で若干お尋ねしたいことがございますので、二、三申し上げたいと思います。 まず第一に、この
委員会
でもそうでございますが、
国会
で
国会
移転
を決議し、
国会
を
移転
しようということが決まりました。それから十一年たっておるわけです。その間に、あの当時は
国会
を
移転
しようという気持ちが非常に盛り上がっておった。最近に至りまして、この十年の間に
変化
がかなり起こって、
一極集中
あるいは
地震対策
ということで言われておったのが、余り言われなくなってきたといいますか、
首都
自体も
集中
化、
人口
が減ったり、あるいはまた最近ふえていますけれども、そういった
変化
が起こっている。
地震対策
も、思わぬところで起こったり、あるいは既に候補地に挙がっているところでも活断層がかなりあるとか、いろいろ議論されてまいりました。 そういった経緯を経まして、今、この十年間に
首都
移転
論が
変化
をしてきた。そして、
東京
を初めとして大変な反対論が起こっておるということから、現在の
状況
について、どういうことでこのような
状態
になってきたとお考えか、お伺いいたします。
堺屋参考人(堺屋太一)
36
○
堺屋参考人
まず第一に、十一年前にこの話が出たときに、二つの要素が混在しておりました。 一つは、
日本
の国を
改革
しなきゃいけない、そのためには、歴史的にも、また理論的にも
首都機能
の
移転
が必要である、それ以外に、人心を一新し確実に
改革
する
方法
はないのではないか、そういう大きな議論から生まれたもの。もう一つは、ちょうどバブルのときで、
東京
の
土地
が猛烈に値上がりをした、また、
東京集中
も激しくなった、こういう非常に短期的な視点から、これを
移転
した方がいい。そういう二つの要素が重なっておりました。 ところが、バブルが崩壊して、九五年ぐらいになりますと、
東京
圏への
人口
の流入がとまるという一時的な
現象
がございました。
土地
の値段も下がってきた。だから、もう
東京
はそう
集中
しないんだから、これでいいんじゃないかというので、一時ぐっと熱が冷めました。ちょうど条件の悪いことに、その熱が冷めたときに
政府
審議会
が答申を出すということになりましたので、主として
地震対策
だ、
過密
対策がなくなったから
地震対策
だというような
意見
の人が多くなったんですね。そして、国を変えようというのがだんだんと薄れてきたといいますか、その必要性が感じられなくなりました。 ところが、ちょうど一番熱が冷めた九五、六年、
地震対策
だけだと言われたような
時代
から、まさに
東京集中
が猛烈な
勢い
で始まったんですね。そして、それとともに
日本
の
国際競争力
、
日本
の
文化
がどんどん低下する。その中で、
財政
も厳しい、だから、前に言っていたような大きな
数字
ではなかなかできないのではないか。 それからもう一つ、
審議会
が
場所
を選べということになりましたら、これはあらゆる
改革
がそうなんですけれども、具体化いたしますと、
改革
は決して多数をとれないというんです。昔、宋の
時代
に、王安石という人が大
改革
をしようとした。そうすると、たちまち、王安石の言っているのはやり過ぎだという人と、あんなのではまだまだ生ぬるいという人が出てきて、今は悪いという人が八割いても、一つの案に賛成する人は三割しかいない、こういう
現象
を生むんですね。それと同じように、この
改革
も、
首都機能移転
も、具体的にどこか出てくると、その
地域
の人はいいですけれども、それ以外の人はみんな熱が冷めてしまう、こういう
地域運動
化した。この二つの条件が重なったと思うんですね。 ここでやはり大事なのは、
日本
の
構造
全体を
通信情報社会
にし、多様な
知恵
の
時代
にしていかなきゃならない、
官僚主導
から抜け出さなきゃいけない、この根本を見失ってはいけないと思うんです。ややもすれば、
地域
が決まってきますと、あそこの
場所
はどうだ、ここはどうだという
地域運動
化することで、非常に人気がない。 それに加えまして、
土地
が余ってきた、建設が不況になったということで、
東京
の
不動産業者
、あるいは
東京
で受注の多い
建設業者
が非常に反対。これは明らかに、
移転
しますと安くつきますから、
公共事業
費としてはふえないと思います。そういうことから、建設業界は熱心でなくなったということもあろうと思います。 そういった誤解と利害、そして
地域
的な感情が重なって、このところちょっと下火になっているんじゃないか。ぜひこの
委員会
では、それを正道に戻して議論していただきたいと思っております。
塩田委員(塩田晋)
37
○塩田
委員
次に、
官僚主導
を
首都
移転
によって国民あるいは
政治
主導に変えられるんだということを
参考人
が言われました。これは歴史的に、人心一新のために変わってきた
首都
の
移転
、こういったこともお話しされましたが、
日本
の
官僚機構
は、明治以降、
政治
が中心になって
官僚機構
を育てて、そして、
日本
の国の改造あるいは発展のために
官僚
をまず育成した、それに力を持たせる。また、戦後におきましても、
日本
の
経済
の回復の過程で
官僚
が果たした役割は大きいと思うんです。 そういった中で、今や
官僚
の弊害が、
参考人
言われますようにたくさん出ている。これは変えなければならぬ、それには
首都
移転
が決め手だというふうに言われたと思うんですが、なぜ
首都
移転
すれば
官僚主導
がなくなるのか、その辺のもうちょっと詳しい御説明をいただきたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
38
○
堺屋参考人
私の資料の十ページに書いてございますように、星形ができておりますけれども、まず
日本
の三角形、
官僚主導
機能
と
建設優先
思想と
東京
一極集中
、これは不可分にでき上がっております。そして、昭和十五、六年ごろから
日本
が
規格大量生産
の
社会
を目指すという中で、まず
官僚
が基本方針を定めて、それに従って民間が協調して、
官僚主導
、業界協調
体制
でやっていくんだ、そういう
仕掛け
ができ上がったわけです。そのために、特に重要な問題は、
日本
の
官僚
機能
が全部省庁別に、分野別に縦割りになりまして、それがさらに
地方
自治体まで、例えば
地方
自治体の財務部は財務省と
人脈
の上でも
情報
の上でも絡んでいる、農林水産部は農林水産省と
補助金
でもつながっている、そういうような形で、全部中央の官庁に
集中
する
仕掛け
をつくってきた。このことは、
規格大量生産
をする上で非常に有利だったと思うんです。だからこそ、
日本
は八〇年代にはジャパン・アズ・ナンバーワンになり、大いに発展できたと思うんです。 ところが、今やこの
官僚主導
というのが、新しい
知恵
を出さない、新しい人材を発掘しない、また
日本
の起業、新しい業を起こすのがどんどん低下いたしまして、今や
アメリカ
の五分の一になってしまいました。そういったことで、非常に弊害がたくさん出ています。これを取りやめなければいけない。そのためには、
官僚
が、
東京
という非常にエリート意識の持ちやすいところ、世間からもあがめられるところにどんと頑張っていて、全部を呼びつけ
行政
にしている、大
企業
の
本社
は全部
東京
にある、弁護士会でも医師会でも、大
団体
は全部
東京
に集まる、そして、そこに
官僚
の天下りがおりまして
行政
をやる、こういう
体制
を打ち破らなきゃいけない。 ちょうどこれは、
平安時代
から
鎌倉時代
に
移転
するとき、あるいは
室町時代
から安土桃山に
移転
するとき、そうでございました。あの
平安時代
、三百九十八年続くわけでございますけれども、この四百年間に随分といろいろなことが変わるのでございますけれども、それでも、平安朝にいる限りやはり王朝
文化
から出られない。平清盛の力をもってしてもできなかった。ところが、鎌倉に
移転
しますと、旧来の公家さん、貴族の
人脈
と武士の
人脈
がばんと切れたものですから、一遍に世の中が変わる。同じことは明治維新のときにも起こりました。
移転
をいたしますと、まず、縦割りの
行政
が横割りになる。三つの
機能
が横割りになる。そして、
東京
という中核都市でなくて、
官僚
が一歩わきに置いたような立ち方になる。この二つの効果が非常に重要だと思うんです。そして、そうなれば
官僚
自身も、公平に全国の
情報
を聞いて、わきから指導する、主役じゃなしにわき役であることを十分承知してくれるようになるだろう、こう考えております。だから、人心の一新とともに、これは決定的な効果を上げるだろうと思います。
塩田委員(塩田晋)
39
○塩田
委員
歴史的、また具体的にいろいろ御説明いただきまして、ありがとうございます。 時間が迫ってきましたので、あと項目だけ二、三申し上げたいと思います。簡潔にお答えいただきたいと思います。 一つは、今言われました
経済
団体
を初めとする各種
団体
の全国
団体
が新しい
首都
にまた移るんじゃないかとか呼び寄せるんじゃないかとか、また、フェース・ツー・フェースについて御批判がありましたけれども、やはりそういったことを求めて新しいところに移っていく、呼び寄せなくても、強制的にやらなくても移るじゃないかということについてお伺いいたします。それが第一点。 第二点は、
首都
移転
の建設
費用
が余りにもかかり過ぎるということで、これは、不況のこの
時代
にそんな大きな、まず
財政
が赤字の中で負担できないという御議論がありましたけれども、
参考人
がおっしゃったのは一兆円ですね。これは、私からいいますと、わずかに一兆円だと思うんです。ODAだけでも一兆円ですからね。それから、十年かかるとしたら、一兆円といったって、これは一千億ですね。一千億はそんなに
財政
負担になるとは思いません、
国家
の大
事業
ですから。また、何百年の
首都
のことですから、これは十兆円かかったって、
首都
移転
を決めたときはそれぐらいの意気込みでやはりやるべきだと思います。これが第二点。これは感想として申し上げます。 それから最後に、皇居ですが、
参考人
、この
首都
移転
を考えておられるときに、皇居はどういうふうに、
移転
するのか、しないのか。
東京
のこのままであるのか。その点についてお伺いしたいと思います。 それから、これはそれに関連したことですけれども、新しい官邸なんかが、周りにいっぱい高い建物が建って、見おろしが、ほとんど谷底みたいになっていますね。これは、建物の規制をほかの国もやっていますけれども、新しい
首都
では
国会
も官邸も高いところに置いて、そして見おろされるようなことのないように、そういった高さの規制をやるかどうか。こういったことについてもお伺いいたします。
堺屋参考人(堺屋太一)
40
○
堺屋参考人
まず第一点の
経済
団体
等が
移転
するかということでございますけれども、三つに分けると、
移転
することは全くないと思います。よほど特殊な
団体
は別といたしまして、
経済
団体
等は、
外国
の例を見ましても
移転
しておりません。ドイツでも、フランクフルトにあるものはそのまま移っておりません、ベルリンに移ることはありません。この方式でございますと、
通信情報
が十分でございますので、年に一、二度出張するという
程度
で済むことだと考えております。 それから、
費用
の点でございますが、これは一兆円で十分にできるという
計算
をいたしておりまして、十九ページにその内容も書いておりますが、決して無理なことではありません。 最後に、皇居のことでございますが、この中に、
国家
機能
施設
の次に、象徴
施設
というのに千六百億円と出ております。これは、
国会
と
最高裁判所
、そして陛下のお使いになる国事
機能
の
場所
でございます。したがって、今の皇居はそのままでございます。陛下のお使いになる
施設
としては、葉山の御用邸とか那須の御用邸とか、あるいは
京都
の御所とかいうのもございますが、あと、国事のために必要な
施設
をもう一つ追加するということで、現在の皇居を積極的に変える必要はないと考えております。 それから、建物は、この
規模
でございますと、やはりそれほど高層のものは建てない方がいいだろうと思っております。したがって、
総理大臣
官邸あるいは
国会
を見おろすような建物をつくる必要は全くないんじゃないか。都市の
規模
から見ても、それで十分に、短距離で通勤、徒歩で通勤可能な範囲におさまるものだと思っております。
塩田委員(塩田晋)
41
○塩田
委員
ありがとうございました。終わります。
中井委員長(中井洽)
42
○
中井
委員長
次に、
江崎洋一郎
君。
江崎委員(江崎洋一郎)
43
○江崎
委員
保守新党の
江崎洋一郎
でございます。 本日は、
堺屋
先生に、大変お忙しい中、貴重な御
意見
を賜りまして、本当にありがとうございます。 そこで、先ほど来、先生の御高説に関しましていろいろ拝聴させていただき、また、こちらのレポートも読ませていただきました。冒頭にもございますように、
日本
の
経済
、
社会
、
文化
の各方面を抜本的に変更しようという
国家事業
であるということで、大変壮大なスケールのお話でございます。 後に、
一極集中
の是正とかいろいろな議論があって少し議論が矮小化されてということも御指摘されておられますが、まず一点目は、
東京
の
一極集中
について、先生の御高説とはまた切り離して、
一極集中
自身はもう是正する必要ないのかどうか。今、
機能
分化という
部分
で
政治
体制
の方は刷新されるという御
意見
でございますが、やはり
経済
的
機能
というものをいじっていきませんと、恐らく
東京
の
集中
化、
過密
化というのは解消されないんだと思いますが、別の議論として、
東京
の
一極集中
というものにつきまして、先生の御
意見
をいただきたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
44
○
堺屋参考人
私は、
経済
、
文化
の
流れ
として自然に
東京
が発展することは非常にいいことだと思っております。したがって、それをあえて規制することはない。むしろ、用途規制などは廃止して、もっと
東京
の
土地
の価値を、使用価値を高めるべきだ、価格よりも価値を高めるべきだと考えております。 しかし、
官僚主導
によって
東京
に集められている
部分
、例えば、
情報発信機能
が
東京
でなきゃいけないような仕組みをつくって、それが六十年間頑固に守られているとか、あるいは
特定目的
の
文化
施設
は
東京
でないと
補助金
交付規則でなかなかできないとか、こういうことはやめるべきだと思うんですね。そして、
地方
にもそれぞれ個性的な
文化
が発展し、個性的な
企業
が栄える、そういった形にしていくことが大事だろうと思っています。また、教育
関係
、
文化
関係
、特に大学の設置とか教育
関係
につきましては、
地方
に振興するような方策をとるべきだろうと考えております。 したがいまして、
首都機能移転
を行いますればすべてが公平に動くようになりますので、その範囲で適切な分散が進むだろうと考えております。
江崎委員(江崎洋一郎)
45
○江崎
委員
ありがとうございました。 先生の論文の中にも
日本
の国際的
地位
の低下という議論もございますが、いわゆる都市の競争力、少し議論が
首都機能移転
とそれますが、先生のお考えになります都市の競争力というものはどのようなお考えでございましょうか。
堺屋参考人(堺屋太一)
46
○
堺屋参考人
現在におきまして、都市の競争力というのは、一番大きいのは、やはり
情報
の収集、発信能力だろうと思っております。 したがいまして、ニューヨークなどは非常に
情報発信
能力が高いものですから、どんどんと
世界じゅう
からいろいろな人々が集まっておる。
アメリカ
の場合には、そういうところがシカゴにもできておりますし、ロサンゼルスにもできております。全国数十の都市が
情報発信機能
を持っておる。これが
アメリカ
の大きな力だと思うんです。 例えば、今イラクの問題がいろいろと報じられておりますけれども、そのときに、
アメリカ
二十五都市ぐらいの新聞やテレビがどう言っているか、そういう
統計
をとられるんですね。
日本
だったら
東京
一都市ばかりで、あとは共同通信の同じことばかり書いていますから、そういう
統計
にならない。 これがやはり
アメリカ
でもヨーロッパでも大きな力だろうと思うんです。そういうような
情報
の収集と発信が切磋琢磨する、そういうところがないと、都市の
機能
として向上しないんじゃないかと思います。 それから、やはり便利で自由だということが第二番目の問題です。
日本
の株式市場がどんどん低落いたしました。かつて、一九九一年には、
大阪
の先物取引所は
世界
一でありました。それが、今は
世界
三十位であります。これは、先物規制をいろいろやって、
官僚
が手をつけるたびに低下してまいりました。一時、先物の空売り規制などをやると二千円ぐらい上がりましたけれども、全部外資が逃げちゃうものですから、ますます下がる。 したがって、
官僚
が余り間近にいていろいろと手をつけるのはいかがなものか。もっと自由な
体制
にすべきだ。今、小泉
内閣
では特区というのをやっておられますけれども、こういう特区も、金融の面、
産業
の面、教育の面、医療の面、どんどんと広げて、特区といわずに
日本
全体がそういうようにならなければいけないんじゃないか、このように思っております。 そして、三番目に、やはり都市の大事なことは楽しさでございます。おもろいところにみんな来る、これは避けられないことなんですね。ところが、
首都機能
がありますと、国賓が来たら警備をしなきゃいけない。そして、一番
真ん中
に
首都機能
が頑張っておりますから、ネオンのつかない大きなところができる。これも今やいかがなものかという感じがいたします。 そういった面から、
東京
から
首都機能
を
移転
して、その
部分
が
経済
、
文化
の中心地にその半分ぐらいでも転換しますと、
東京
は本当ににぎやかな町になり、
世界
の競争に負けない都市になるだろうと期待しています。また、それにあわせて、
大阪
も名古屋も立派な
情報発信
都市として
世界
の注目を浴びるようになるんじゃないか、そう思っております。
江崎委員(江崎洋一郎)
47
○江崎
委員
そうしますと、
政治
機能
の分化した都市においても、新たに
情報
インフラを整備して、
情報
収集、発信できるようなモデルをつくっていくということで、むしろ、新しい都市が全国へのモデルになり得るというようなことでございましょうか。わかりました。ありがとうございます。 先ほど来の先生のお話で、
機能
分化が
政治
体制
を変えていくということにつきましては十分理解できたわけなのでございますが、いわゆる分散するイメージとして、距離的、地理的にどの
程度
のスケールをお考えなのか。あるいは、今回、
審議会
が選定しました三
地域
につきましても、先生のお考えでは、それぞれの
機能
分化する候補先とお考えであられるか、御
意見
をいただきたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
48
○
堺屋参考人
私は、
審議会
が三都市を選ばれたのは、自然条件、立地等から見て非常に適切な三カ所を選ばれたという感じはしております。 ここで大事なことは、ベルサイユにしてはならないとよく言われるんですが、ルイ十六世という人がベルサイユをつくったときに、パリから馬車で大体二、三時間の距離、今、自動車で一時間弱でございますが、そのぐらいの距離、つまり日帰りできるところにつくった。社交
機能
は全部パリに残ったままで、
官僚
と貴族だけ行ったんですね。そうすると、庶民の
社会
というのと隔絶された中で
政治
、
行政
が行われたものですから、よろしくない。やはり、日帰りを超える
部分
ぐらいのところがいい。 そういたしますと、少なくとも
東京
から二、三百キロは離れている方がいい。それで、
日本
列島全体の余り端になりますと、全国から人が集まるのに不便がございますから、そういう点からいいますと、
審議会
が選ばれた
地域
というのは、非常によく考えた三つの
地域
になっているんじゃないかという気がします。 ただ、私も
審議
委員
をしておりまして、最後の
部分
は閣僚になったからいなかったんですけれども、ずっと来たときには、点数というのは、これで甲乙をつけるほどのものではない。どれをどのぐらいの
比重
にするかもいろいろと議論がありましたから、一応やってみるということでございまして、あの三つの
地域
の間にはそれほど差がないのではないかという気はしております。
江崎委員(江崎洋一郎)
49
○江崎
委員
先生の
地方分権
に対する御
意見
もいただきたかったんですが、時間が参りましたので、きょうは以上とさせていただきます。ありがとうございました。
中井委員長(中井洽)
50
○
中井
委員長
次に、菅野哲雄君。
菅野委員(菅野哲雄)
51
○菅野
委員
社会
民主党の菅野哲雄でございます。 この一月から特別
委員会
の
委員
になって、そして、先生の御
意見
を今初めて拝聴するという
状況
の中で、こういう考えで進んできたのかなというふうな思いをいたしているところでございます。 まず冒頭にお聞きしたいんですけれども、この文章の中に「「
アルゼンチン
的衰退」の危機」という表現がございました。このことが底流にあって先生の
意見
陳述がなされているというふうに私は思うんですけれども、この
アルゼンチン
的危機というのをもう少し具体的に拝聴したいというふうに思うんですが、よろしくお願いします。
堺屋参考人(堺屋太一)
52
○
堺屋参考人
アルゼンチン
は、十九世紀には大変栄えたところでございまして、牛肉と小麦の輸出で
世界有数
の
経済
大国になりました。だから、イタリアやドイツからどんどん移民が来る。所得水準が高いから来て、そして、
アルゼンチン
・タンゴがはやってオペラがはやったというところでございました。ところが、第一次大戦でも、第二次大戦でも大した戦争はしなかった。それで
改革
がほとんどなされなかったんです。 その中で、グラン・ブエノスアイレスという大ブエノスアイレス
地区
、これが三千六百平方キロぐらいなんですが、その中にどんどん
集中
が進みました。そして、市場としてもブエノスアイレスが圧倒的に有利だ、それから
公共事業
も進んでいる、いろいろな
機能
が進んでいるから、
政府
は波風立てないように、
改革
をしないものですから、何かつくるといったらやはり一番大
勢い
るブエノスアイレスだ、何かするとなったらブエノスアイレスだ、こういう格好になったんですね。 その結果、
地主階級
がだんだん固定いたしまして、二世、三世の地主はみんなブエノスアイレスに住む。
地方
で
事業
をやっている、牧場とか農園をやっている人も、ブエノスアイレス以外に生活の条件を持っていない。おやじさんがブエノスアイレスに住んでいるからそのまた子供もブエノスアイレスにしか住まないということが繰り返されてまいりまして、
日本
でいえば、
本社機能
は全部ブエノスアイレス、そして、農場のパンパにいるのは代理人ばかりだということになりました。 こうなると、
対面情報
、いつも社交界に集まっている人が顔を合わすものですから、ますます
保守化
いたしまして
改革
ができないという条件が積み重なった。この結果、不満の
地方
に対しては、やたらに福祉をばらまく、これがペロン
内閣
なんかに象徴される、お金をばらまくことで
地方
をなだめて、みんなブエノスアイレスへ集めるという
仕掛け
になった。 これが
アルゼンチン
化の悲劇でございます。このために、今や
アルゼンチン
は非常に
経済
が窮乏し、立ち行かなくなってきている。こういうことに
日本
もなっちゃならないと思っております。
菅野委員(菅野哲雄)
53
○菅野
委員
そのことが
首都機能移転
で達成されるという持論なんですけれども、先ほど、
日本
の
東京
一極集中
は
経済
的には必要なんだと答弁でなされて、
経済
的な分野で。そういう意味では、
経済
的な
流れ
の中で
一極集中
が起こるのは自然の
流れ
だと私は思うんですけれども、そのことと、この
首都機能
を
移転
することで
一極集中
は阻止できるんだ、
アルゼンチン
的衰退は阻止できるんだという相関
関係
、そこがはっきりしないんですけれども、先生の御所見をお伺いしたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
54
○
堺屋参考人
私は、
東京
が
経済
的、
文化
的に発展することは非常にいいことであり、今後も必要なことだと申しましたが、
一極集中
であるべきではない。ここが非常に重要なことです。だから、
東京
も発展し、
大阪
も発展し、名古屋も発展し、全国がやはり
情報発信
のできるところにしなきゃいけない、こう申し上げておりまして、
一極集中
はやはり悪いことだと思います。
東京
しか
文化
がない、
東京
しか
情報発信
できないということになりますと、
日本
は非常に一色になります。
日本
の歴史を見ましても、
平安時代
の末期とか
江戸時代
の末期になりますと、
江戸
集中
が起こるものですから、新しい
文化
が全く出てきません。そしてやはり、幕末とか戦国
時代
とか、
改革
のときは、幕末のときでも、
江戸
から起こったんじゃなしに
地方
から
意見
が出てきたんですね。こういう
状態
にしなきゃいけない。あれはやはり、
江戸
幕府の力が弱くなって
一極集中
じゃなくなった。
東京
が繁栄し、それ以上に
地方
も繁栄して、全国でかしましい
文化
が生まれる、そのために
首都機能
を
移転
して、
東京集中
している
行政
をやめるべきだ、こう申し上げたのでございます。
菅野委員(菅野哲雄)
55
○菅野
委員
わかりました。 それと同時に、私は、今、
東京
一極集中
という反面、
地方
の
空洞化
という側面が生じてきたというふうに思うんですね。そのときに、なぜ
地方
の
空洞化
というのが進んできたのかというと、
経済
活動すべてを市場競争、もう競争
社会
にゆだねてしまった結果として
地方
の
空洞化
というのが進んできている。ある意味では、今進めている小泉
構造
改革
という
部分
が浸透してきているから、ますます
東京
一極集中
、
地方
の
空洞化
という方向に進んでいるというふうに思えるんですけれども、先生、そういう意味で、
地方
から
文化
を発展させる
方法
というのを今とらなきゃいけないというふうに思うんですけれども、そのことと
首都機能移転
というのはどう結びついていくのかということをお聞きしたいと思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
56
○
堺屋参考人
現在、
地方
、
地方
といいましても、中山間地から
地方
都市までいろいろございますが、特にこの
地方
都市を含めた
地方
が衰退しているのには、
東京
に
情報
が
一極集中
している、その結果、テレビなどを見ておりますと、新しい
文化
は
東京
にしかないように見えます。
地方
にも新しい流行、新しい
発想
が出ておりますが、これが
情報発信
に乗らない。 どうしても、
東京
の
キー局
へ来ますと、
地方
の上り記事などは書かなくていい、上り番組はつくらなくていい、これが一番問題なんです。だから、
アメリカ
でもドイツでも、どこの国でもそうですが、番組自由販売制にすれば、各局が一生懸命つくって、そして、それを
地方
局同士で売り合いをする。九州の局が東北で売る、北海道の局は四国で売る。こうなりますと、
地方
局でも、今度はひとつというので、
知恵
も絞れば人材も出てまいります。 だから、まず
一極集中
型の
行政
をやめてもらう。それには、やはりこの
東京
にいるということが、お役人も
東京
情報
ばかりしか聞きませんから、やはりこれを是正するのが一番確実である。そして、人心、国民の心理としても、いよいよ
首都機能
が移ったかというと、我々
もと
いう感じが必ず起こってくると、
日本
人の気迫を期待している次第であります。
菅野委員(菅野哲雄)
57
○菅野
委員
最後になりますけれども、私も一月からこの
委員会
で勉強させていただいております。そういう意味では、国民的盛り上がりがない中で、ないというふうに先ほども先生はおっしゃっていましたけれども、私も強くそう感じております。
委員
でなかったときにどれだけ自分自身が関心を持っていたかといったときに、反省する点はあるんですけれども、そういう
状況
の中で、今後、候補地も含めて
移転
をどのように進めていったらいいのかというのがこの
委員会
に課せられた大きな任務であるというふうに思ったときに、今後の進め方について、今まで先生が携わってきた
関係
から、どうあったらいいのか、御所見をお聞きしておきたいというふうに思います。
堺屋参考人(堺屋太一)
58
○
堺屋参考人
まず、この
委員会
で、
首都機能
の
移転
というものを現実的な問題とするような
調査
委員会
をつくるとか、あるいは
調査
報告を出すとか、そういうことをやっていただきまして、従来の、大
規模
、高価、そして一斉という
考え方
と違う道をも考えている、
国会
がそういうのを出されますと、当然それに対して反対論も出ると思いますが、反対論が出てくれると、また賛成論も盛んになるのでございます。 そういう意味で、この
委員会
が次の段階の新しい、
もと
に戻った
首都機能移転
論をぜひ報告、
審議
に上げていただければありがたいと思っております。そういたしますと、我々もまたいろいろ、マスコミその他にアプローチさせていただけると考えております。
菅野委員(菅野哲雄)
59
○菅野
委員
ありがとうございました。以上で終わります。
中井委員長(中井洽)
60
○
中井
委員長
次に、山口富男君。
山口(富)委員(山口富男)
61
○山口(富)
委員
日本
共産党の山口富男です。 今のお話の最後に、反対論が出てくれないかというお話があったんですけれども、私は
首都機能移転
については反対の立場です。 それで、この問題を考えるときは、やはり
首都機能移転
にかかわる
目的
が何なのか、それから、
移転
によって生まれる、効果と言ってもいいと思いますけれども、一体何が起こってしまうのか、この両面からの吟味が本当に欠かせないというふうに思うんです。 きょう、
参考人
のお話をお聞きいたしまして、
堺屋参考人
のお話では、
移転
問題の本質的な
部分
に、
首都機能
の
移転
というものが
日本
の歴史の場合は
時代
を変えてきた、あるいは、
首都機能
が
移転
しないと
改革
が進まないんだ、そういう歴史認識がどうもおありのようにお聞きいたしました。しかし、これはやはり歴史の実際の姿に照らして考えないとうまくないと思うんですね。 考えてみますと、
鎌倉時代
の場合は、鎌倉と
京都
に都が並立している
状態
ですね。それから、安土桃山になりますと、一体どこを
首都
と言っていいのかはっきりしなかったような時期だったと思います。それから、
江戸時代
になりますと、
江戸
も大きかったですけれども、あのときは、
日本
の歴史の中で、
大阪
も
京都
も非常に大きな力を持ったいわば三つの都市の
体制
として
時代
は動いたと思うんです。ですから、幕末期の、
江戸
の幕藩
体制
の解体を
首都機能
の
移転
ということで説明するわけにはいかないなというのが私の歴史認識なんです。 特に、
東京時代
というお話をなさいましたけれども、確かに、明治維新からこの方、ずっと
首都
は
東京
です。しかし、一九四五年を境にして、やはりその前と後は、
政治
の原理の点でも
経済
的な編成の点でも全く違うわけですね。その点では、
首都機能
の
移転
なしに大
改革
が進んだというのが
日本
の
政治
のいわば直近の経験だったというふうに思うんです。 私、そのように考えますと、
参考人
がおっしゃるように、
首都機能
の
移転
なしに
改革
がないという話をしますと、一つの
文明
論、
文明
批評としては意味があると私は思うんですが、これを
移転
論の本質的なところの前提に据えてしまいますと、国民の皆さんの大方の納得を得るのはちょっと難しいように思うんですが、この点はどのように見られるでしょうか。
堺屋参考人(堺屋太一)
62
○
堺屋参考人
私は、さまざまな形態、例えば
鎌倉時代
のように、鎌倉と
京都
に両方ある、
政治
、
行政
からいうと鎌倉だったんでしょうけれども、そういうような形態、あるいは
江戸時代
の前半期、元禄までは確かに
大阪
、
京都
も大きな都市でありましたが、後半になると
江戸
一極集中
がかなり進みます。そういうような事実認識の問題がございます。 私は、
首都機能
のあり方が、形が変わった、少なくとも
京都
一極集中
から鎌倉に
政治
、
行政機能
が移った、あるいは室町という
京都
の貴族
社会
にあったものが、安土という、いわば今でいうと田舎でございますが、そういうところへ移った、こういうことが大きな
変革
になって、その途端に変わっている。
平安時代
四百年ぐらいの間に、やはり一色なんですね、
平安時代
というのは。ところが、鎌倉
移転
から数十年の間に、
文化
から宗教まで大きく変わった。 問題は明治維新と昭和でございますが、明治維新の場合も、やはり歴史を詳しく見てみますと、
首都機能
の
移転
がないとき、いろいろと幕府は
改革
を試みますけれども、ほとんど成功していません。そして、五年間に大きく
変化
した。 また、昭和の場合、これはいろいろな人が論じておりますけれども、昭和の戦後の
体制
には、昭和十六年
体制
、あるいは一九四〇年
体制
というものが引き継がれている。これこそ
官僚主導
の一番重要なところで、占領軍が参りまして大きく変えました。けれども、どんどんとまた
もと
へ戻って、
官僚主導
の業界協調
体制
になって、これで
日本
は工業が発展した。もちろん、軍事、思想、そういう点は変わりましたけれども、
経済
、
文化
の点では非常に継続性があるんじゃないか、こう考えている次第であります。ここはいろいろと昭和史の
意見
が分かれるところかもしれませんが、私と同じ認識を持っている者も結構多いのではないかと思っております。
山口(富)委員(山口富男)
63
○山口(富)
委員
平安時代
について言いますと、決して一色では見られない、おもしろい時期なんですね、
日本
史の歴史の中でも。それから、一九四〇年代
体制
論をおっしゃいましたが、確かに、考えてみますと、あれは
研究
者は野口さんというお名前だったように記憶していますが、一九四〇年代
体制
論は
知価
革命よりはやったかもしれません。 しかし、そこで一番欠ける問題というのは、確かに
官僚主導
体制
という点では特徴づけできますけれども、やはり今の憲法
体制
を説明できないんですね、主権在民の。この点は、私、
首都機能移転
論で歴史を見ていくということは、よほどのことがないと、いろいろな条件をつけてやはり考えるべきだというふうに思います。 さて、この
移転
計画が法的裏づけを持ったのは一九九二年のことでした。その九二年以降とりますと、とにかく
日本社会
の変貌ぶりというのは大きいんですね。特に
移転
とのかかわりでいいますと、やはり国と
地方
の
財政
破綻、これは計画の是非を問い返すような重い意味を持つと思うんです。それから、
経済
の
グローバル化
の問題でも、やはり
政治
と
企業
の活動というものが密接な連携
関係
を持たないと力を発揮できないような時期になってきているというような、そういう
変化
だったと思うんです。 きょうの
参考人
のお話ですと、この二枚目の冒頭に、九〇年以降の
日本
の
経済
的停滞と
社会
的混迷の重要な要因が
東京
一極集中
にあるというふうにお述べになっているんですけれども、私は、少なくとも
財政
破綻については
東京
一極集中
では説明つかない。これは
参考人
御自身がこの時期国政に直接携わっていらっしゃいましたからいろいろな思いもあると思うんですけれども、この点はどういうふうに見ていらっしゃいますか。
堺屋参考人(堺屋太一)
64
○
堺屋参考人
私は、九〇年以降、
日本
の
財政
破綻を起こしたのはまさに
東京
一極集中
そのものだと考えております。
東京
一極に
集中
して、
地方
の自活能力をどんどんなくして、
情報発信
能力も
文化創造活動
も全部なくして、そのかわりに
補助金
をやると。そして、そのために全部規格を
東京
で定める。例えば、学校の天井の高さでも三メーターに決める。これは
東京
で決めるんです。これは、本来なら各
地方
で、うちは教室が二・四メーター、体育館は四メーターにするというところがあってもいい。道路にしても全部、国道であれば二車線対向にする。ことごとく
東京
の高い単価を押しつけ、そのかわり
補助金
やるよ、これをやっているんですね。これはどうしても
改革
しなきゃならない。 私たちは
財政
構造
改革
というものを言いました。
構造
改革
の第一は、ソフトのものを繰り越しができるように、
公共事業
だけじゃなしに、
調査
研究
とか自然保護とか雇用対策も繰り越しできるようにすること。二番目には、単価の自由化、これを
地方
の自主に任せる。そのためには
官僚
にひとつ引いていただいて、そういうコンサルタント会社ができてもいいじゃないか、そういう思いがございました。そして三つ目には、各省配分を変える。この三つの
構造
改革
をやらなきゃいけない。小泉
内閣
は、
構造
改革
でも総量規制の方を先におやりになったんですが。 そういうような形から見ると、やはり
首都機能
に
集中
して全部呼びつけで、
世界じゅう
で、呼びつけ
行政
といって、
東京
へ全部陳情させて、もう北海道から沖縄県まで全部説明に来さすというのは
日本
だけであります。この
制度
をやはりやめてもらわないと。 そして、私も
官僚
をしていた経験がありますが、そういたしますと、ずっとやはり同じように、同じ基準でやらないと怪しげに思うんですね。だから、それは中央
官僚
の方の責任感の過剰でございまして、これは、
地方
を信頼して、能力がなかったらコンサルタントを雇ってやるよという形にした方がずっといいと思うんですね。そうしますと、今の単価がどんと下がって、一兆円
財政
収入
があるだけじゃなしに、本当の
財政
改革
、これ以外にできないと思います。今、これに対抗する対案で、これで
財政
改革
ができるというのは何にもないんです。ぜひ御理解いただきたいと思います。
山口(富)委員(山口富男)
65
○山口(富)
委員
時間が参りましたが、
行政
の
集中
の問題ですとか
補助金
行政
ですとか、一連のものは確かに
改革
が必要だと思います。しかし、それは決して、
首都機能
の
移転
によって
改革
がそれで進むかといったら、この間の問題でも、
構造
改革
でいろいろな問題、うまくいっていないわけですよね。そのこと一つとってみても、やはり慎重な吟味が必要だということを申し上げて、時間が参りましたので、質問を終わります。 ありがとうございました。
中井委員長(中井洽)
66
○
中井
委員長
以上で
参考人
に対する質疑は終了いたしました。
参考人
に
一言
お礼を申し上げます。
堺屋参考人
におかれましては、貴重な御
意見
を長時間にわたってお述べいただきまして、まことにありがとうございました。
委員会
を代表して厚くお礼申し上げます。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後三時五分散会