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小宮参考人 小宮でございます。
私は、
労働法を専攻しています。そして、特に
雇用終了の問題を
中心に勉強してきました。アメリカ、イギリスというような比較的
解雇の甘い国について、特に
研究対象にしてきたわけです。このことから、きょうは、
労働基準法の
改正案につきまして、
解雇それから
有期契約というものについて若干述べさせていただきたいと思います。
まず、
解雇規制に関するこの
法案の十八条の二に関してでございますが、これは我が国においては画期的なことでありまして、実態的な面から
解雇を
法律をもって
規制するというのは非常に画期的なことであると私は思います。
というのは、一九六〇年代、六三年のILOの百十九号勧告以来、欧米諸国においては非常に厳しい
解雇規制というものが立法によってなされてきているわけです。その結果、今多くの国において
解雇規制というのが一般化したわけです。これを前提としまして、一九八二年にILOが百五十八号条約というのを採択しまして、そういうわけで、今は、アメリカ合衆国を除くほとんどの先進国においては、かなり厳しい
解雇規制が立法をもってされているというふうに考えられるわけです。
アメリカにつきまして若干述べさせていただきますと、アメリカというのは非常に
解雇が簡単なように言われておりますが、しかし、これを子細に見ますと必ずしもそうではありませんで、暗黙のうちの
雇用保障の約束というものがあるというふうにされますと、それに反する
解雇というのは債務不履行というものを構成する。あるいは、公序に反するような
内容のものであれば、それは不法行為を構成する。さらには、アメリカで発展している公正取り扱い義務、そういう義務に違反すると、これはやはり不法行為を構成する。しかも、不法行為を構成しますと、この損害賠償は、陪審を通じて非常に厳しい懲罰的損害賠償というものが課せられる、こういう状況にあるわけです。
こういう国際的な状況のもとで、我が国においては、
法律上は明確な
解雇の
規制規定というものは存在していない。一般的な
解雇の
規制というものは存在していない。民法の六百二十七条には、
期間の
定めのない契約というのはいつでも解約することができるという趣旨のことが規定されています。このいわば古めかしい規定というのは、十九世紀の末、要するに欧米先進国で自由放任思想というのが華やかだったころの規定である。
実は、考えてみますと、
解雇の制限と
労働者がやめる辞職の制限というのはかなり違う性格を持っているわけですね。辞職というのは、自分から拘束を解くという
意味で、人身拘束というものを解くという
意味を持っているわけです。しかし、
解雇の
規制というのはそういう趣旨はありません。また、
解雇と辞職というのは、
労働者がやめた場合と
使用者に
労働者がやめさせられた場合を考えればわかるとおり、これはその性格が
相当異なる、こういうふうに言うことができるわけです。
こういう状況がありましたから、
裁判所は戦後間もなく
解雇権の
濫用法理というものを発展させて、そして最高裁の、
日本食塩事件、それから高知放送事件、これは
資料のところに載っているわけですが、こういう事件によって
判例法理というのが集大成されるということになったわけなんです。
そこで述べられている法理というもの、実は今回の
法案の十八条の二の
改正のところで、ただし書きのところに示されているわけです。「
解雇が、客観的に合理的な
理由を欠き、
社会通念上
相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」こういうふうになっているわけですね。これがまさに、最高裁の
日本食塩事件の判旨をそのまま条文化したということになるわけです。
もっとも、最高裁が集大成した
権利濫用法理は、さきに述べましたような民法の六百二十七条の規定の存在という制約のもとで形成されたものでありますから、
解雇の合理的な
理由の立証
責任というものをだれが負うかについては極めて重要な問題を提起してきました。
現代において、その妥当性というか法的正当性というか、そういうものが疑わしくなっている先ほどの古めかしい民法六百二十七条の規定と民法一条の
権利濫用の原則、この形式からいえば、論理的にはこの立証
責任は
労働者が負うということにならざるを得ないんですが、そもそも
解雇理由が何であるかというのは
使用者が最もよく知っているはず、つまり
使用者の頭の中にあること、しかも、これこれの
理由がなかったというような消極的な事実というものを
労働者に証明させろといっても、これは非常に難しいことである。さらには、
解雇というのは、もうあなた要らないよということで、
労働者の生活
現状を
使用者が一方的に変更することであるわけですから、したがって、最高裁はこういった
観点を念頭に入れて、実質的に
解雇の合理的な
理由の立証を
使用者に転換しているというふうに解されてきたわけでして、しかも、実務もそのように処理してきたわけであります。
ですから、例えば実際に
日本食塩事件の担当調査官、この食塩製造の事件につきまして、説明としては
権利濫用という形をとっていますが、
解雇には正当な事由が必要であるという説を裏返したようなものであり、実際の運用は
正当事由説と大差はないと見られるというふうに解説しているわけです。
先ほどのILO条約は、立証
責任を
労働者のみに負わせないようにすることを要求しています。また、先進国中、アメリカ合衆国に次いで恐らく最も
解雇規制が弱いと思われる、私の特に専門にやっているイギリスの不公正
解雇法においてさえ、
解雇理由の立証
責任を
使用者に課しているわけです。
改正案のように、
使用者は
労働者を
解雇することができるという原則論をわざわざ示しては、
裁判実務が長期の努力で国際基準に合致するものとして形成した
解雇権濫用法理の実を失わせることになりかねないと思います。
また、労基法は罰則を伴う取り締まり法規でありまして、
解雇権を濫用したものとして無効とするという文言自体が、同法の規定としては極めて不自然だと言わざるを得ないわけです。また、
解雇規制は、国民から見てわかりやすいものであるということが絶対的な要請と思われますが、多くの人々にとって、この本文とただし書きの関係はどのように理解できるのでしょうか。
ところで、この点、民主党の
修正案は、
解雇権濫用法理の根底にある考え方を立法的に発展させたものと評価できますし、その
内容は極めて理解しやすく、
解雇規制を司法にゆだねざるを得なかった立法府の今なすべき道を示すものとして高く評価されるというふうに私は思います。そして、このことは、実は同様にこの
改正のところに示されている二十二条の二項、つまり
理由を示すというその規定と整合性を持っていると言わざるを得ません。ただ、
現行の
解雇権濫用法理は、合理的な
理由の存在と
解雇の社会
相当性の立証
責任というのを区別しているというふうに見ることができますので、この点をどう考えるかというのがなお問題になるというふうに思います。
解雇規制の
内容の強弱というのは、今後時間をかけて立法化するものと考えられますが、今はともかく、
解雇に
正当事由が要求されるという国際基準を明確に宣言するときではないかと思います。
もう
一つは
有期契約に関してですが、今回の
改正では、
有期契約の
期間延長という本質的には副次的な問題しか議論がなされていないということが問題であるというふうに思います。
有期契約には、拘束する機能、
保障する機能、それから契約の自動終了機能の三つの機能がありますが、現在、最も重要なのは自動終了機能であると考えられます。それは、
雇用調整の手段としてのみならず、その時点時点における
企業の
労働力自由調達手段、いわゆるジャスト・イン・エンプロイメントの手段として
活用されているわけです。ここでは、人は物でないという
労働法の基本哲学が欠如してしまうおそれがあります。
この点についても、
裁判所が苦心して形成した雇いどめ
規制法理というものがあります。しかし、この法理は、黙示の自動更新の合意または
雇用継続の合理的期待を証明することにより、
権利濫用法理が類推
適用されるというものでありますが、この類推
適用による濫用性判断は、通常の
解雇の濫用性判断よりも
相当緩いものであるということが言えます。しかも、この通常の場合との格差は、何年、または下手をすると何十年勤続しようと、完全に解消することはできません。いわばこれは身分的なものとして残るわけです。これを解消するためには、少なくとも
一定の
期間雇用継続をしたら
期間の
定めのないものとみなすというような立法措置がとられる必要があると考えます。
このことはさておき、今回の
改正法案では、必ずしも過半数の
企業が一年ないし三年の
有期契約期間を延長しよう、こういうふうに希望しているという統計上の根拠はありません。そうした延長を行おうとするということにつきましては、当然のこととして、一方でその
規制、雇いどめの濫用というものを
規制する措置が必要であるというふうに考えるわけです。
なお、拘束機能と
保障機能というのは裏腹の関係ですから、調整は非常に難しいのですが、
労働者が必要以上に損害賠償請求の可能性を恐れて職場をやめられないという人身拘束的な結果が生じないようにするための
情報付与や相談システムの設置が必要ではないかというふうに考えます。
以上、報告させていただきます。(
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