○
山口参考人 山口でございます。
当小
委員会で
意見陳述の機会を与えられまして、まことに光栄に存じます。
衆議院
憲法調査会におかれましては、平成十二年一月二十日以来、鋭意
調査を重ねられ、昨年十一月一日中間報告書を
作成、公表されました。私も拝見しておりますが、大変綿密、周到な
調査結果でありまして、敬意を表する次第であります。裁判
制度、特に違憲
審査制度につきましても詳細な御報告がなされております。
したがいまして、違憲
審査制度に関する講学上の事柄につきましては、
委員各位におかれて十分御
承知のことでございましょうし、私が今回
参考人として招致されましたのも、講学上の評論家的
意見を求められるのではなくて、
最高裁判所裁判官として
憲法適合性の判断をするにつき実際にどんなことを考えているのかという点について御関心がおありになるからではなかろうかと思いまして、主としてそういう
観点から、職務上の秘密、合議の秘密の漏えいに当たらない限度におきまして、差し上げましたレジュメの順に従いましてお話し申し上げたいと思います。
「諸
外国の
憲法裁判
制度」につきましては、既に御
承知のことと存じますが、お話をする
前提として、アメリカ、ドイツ、
フランスの
憲法裁判
制度について若干
説明することをお許しいただきたいと存じます。
アメリカにおきましては、
資料二に記載しておりますように、一八〇三年二月二十四日の「マーベリー対マディソン事件」の連邦最高裁判決以来、
通常の裁判所が具体的な
訴訟事件において
憲法判断を行うということが
判例上確立されております。いわゆる付随的違憲
審査制が採用されているわけであります。その実績がどういうものであるかというのを
資料一—二で表で示しております。
ある統計によりますと、一九九六年末までにアメリカ連邦最高裁は、百三十五の連邦法を全面的に、または部分的に覆しているとされています。発足以来二年に一回以上の割合で違憲判断をしたということですが、他方、
最高裁判所によって無効とされた
法律は連邦議会がその間に採択した六万を超える
法律のうちのごくわずかな部分にすぎないという評価もなされているところでございます。
時系列に見ますとおわかりのように、発足以来七十年間に違憲とした連邦法は二件にすぎません。最高裁は、一八六五年から一九一九年の五十五年間には三十五の連邦法を覆し、一九二〇年代には十五の連邦法を、一九三四年から三六年の三年間には十二の連邦法を無効にしております。続く四半世紀の間、最高裁の権限行使は控え目でありましたが、一九六三年から一九九六年までの約三十数年間には六十三の
法律を無効にしております。
州法及び地域法の無効判断は連邦法のほぼ十倍に当たりまして、発足以来一九九六年までに最高裁は、千二百三十三の州法及び地域法を無効にしたと言われております。時系列的に見ますと、連邦法についてと同様の傾向を示しております。
このように、アメリカ連邦最高裁の歴史の中で、いわゆる
司法積極主義の程度はさまざまでありますが、
一般的には時がたつにつれてより積極的となってまいります。その理由といたしましては、
法令数を含め
政府の活動レベルが上がったこと、すなわち争うべき政策や施策が増加しているということが指摘されております。
この積極主義、消極主義はいわゆるリベラルとコンサバティブとは無
関係でありまして、積極主義をとりましてニューディール立法を無効にしましたのはいわゆる保守派でございますし、リベラルとして知られるブランダイス裁判官は、むしろ
司法消極主義者として位置づけられておりまして、彼自身、
司法の自己抑制のためのいわゆるブランダイス・ルールを提唱したわけであります。
資料九にブランダイス・ルールを示しております。
次に、ドイツでありますが、ドイツもアメリカと同様、連邦
制度を採用しておりますが、ドイツでは、
通常の
司法裁判所とは別系統の連邦
憲法裁判所が
憲法適合性を判断する仕組みになっております。
これも
資料に掲げておりますように、具体的には、
通常の裁判所が具体的事件について適用しようとする
法律が違憲であると考えるときは、手続を中止して
憲法裁判所に判断を仰ぐ。そうした具体的事件に伴う違憲判断とは別に、連邦
政府、州
政府あるいは連邦議
会議員の三分の一からの申し立てがあれば、具体的事件とは
関係なしに、
法令が違憲であるかどうかを判断する抽象的違憲
審査制度が設けられております。また、公権力によって
憲法上の基本権が侵害された者は、
一定の要件のもとで、
対象となった
法律の合憲性の
審査を申し立てることができるものとされております。
ドイツ連邦共和国基本法によりこの連邦
憲法裁判所が設立されましたのは、ワイマール
憲法時代に、
憲法の敵にも
憲法の保障を与え、自由の敵にも自由を与えた結果、ナチズムの合法的進出を許し惨禍を招いたという反省や、共産勢力が国境を接しているという厳しい東西対立構造のもとで、基本法が
憲法秩序を守るという理念を掲げて、いわゆる闘う民主主義を宣明した。したがいまして、旧西ドイツにおきましては、
憲法裁判所は本来的に
司法積極主義を期待されてスタートした、そういういきさつがございます。実際にも、政治的な色彩の濃い事件につきましてちゅうちょせずに
憲法判断を行ってきたと指摘されております。
したがいまして、戦後西ドイツにおいて生じた重要政治問題は、議会における少数派の手によるなどしまして連邦
憲法裁判所にほとんど持ち出されていると言っても過言でない。
憲法裁判所自身も、
制度上期待された
役割どおり、積極的に
憲法判断を行っております。ただ、一方では、
司法の自己抑制を唱えまして、国の根幹にかかわるような重要な政治問題については、政治の大きな流れを見て、その流れに逆らわないように対応しているという指摘もございます。この
資料七で掲げました「ヨーロッパ防衛共同体
条約事件」の処理がその例でございます。
次に、「
フランスの
憲法審査制度」でありますが、
フランスでは、裁判所は違憲立法
審査権を有しておらず、そのかわり、
フランス共和国
憲法によりまして、
憲法院という一種の違憲立法
審査機関が
設置されております。ドイツの
憲法裁判所は裁判権を行使するものと位置づけられておりますが、
フランスの
憲法院は、裁判権を行使するのではなく、
憲法上
一定の
役割を担った立法府に対する特殊なチェック機構である、そういうふうなものとして設立されております。主として、議会の議決後、大統領の審署の前に
法律に対する
憲法適合性の
審査を行うものとされております。
このような
制度が創設されましたのは、
行政権の強化を掲げるドゴールの第五共和制のもとで、議会権限の逸脱を
事前にチェックする
制度をつくるとともに、
フランスの場合は伝統的に
司法不信の思想がございまして、
司法以外の
機関にこの
制度の担い手とさせたものであるというふうに言われております。
提訴権者は、当初、大統領、首相、国民議
会議長、元老院議長の四者に限られておりましたが、一九七四年の
憲法改正によりまして、
通常の
法律につきましては、国民議
会議員または元老院議員の各六十名以上の連名をもって
審査請求ができるようになりましたため、それ以前は年平均〇・六件にすぎなかった
法律の合憲性
審査の提訴
件数が、年平均九・六件、ついには年平均二十件というように次第にふえてまいりまして、重要法案のほとんどが野党議員によって
憲法院に提訴され、舞台を移して争われることとなったと言われております。
次に、諸
外国との比較において、「我が国の
憲法裁判
制度の特色」をお話ししなければなりませんが、まず
最初に、「裁判所を取り巻く環境の異同」について御注目いただきたいと思います。
(一)に「多民族国家であるかどうか」と書いておりますが、これは、
訴訟社会であるかどうかと言いかえてもいいだろうと思います。
御案内のように、アメリカは多民族国家の代表でありますが、ドイツも戦後は多民族国家となっておりますし、
フランスも地域的、人種的に多様性を有していると言われております。これに対しまして、我が国は均一民族国家であるというふうに言われます。
多民族国家に端的に見られる特徴の
一つといたしまして、例えばアメリカの紋章には、多様の中の
統一という意味のラテン語が刻まれておりますが、多様の中の
統一が求められるわけであります。国家としての
統一性を保つために、多様性を統合していく求心装置が必要になります。その
一つが
憲法であり、
法律であり、
司法制度である。
したがいまして、これらの国におきましては、裁判
制度、
司法制度の利用率は非常に高うございます。人口割にいたしますと、アメリカ、ドイツの場合、日本の十倍を超える利用割合となっております。典型的な
訴訟社会となっているわけであります。
憲法の適合性を求める度合いも当然高くなるわけでありまして、日本はいまだ
訴訟社会化しておりませんから、
訴訟の利用度合いもアメリカ、ドイツと比較しますと少のうございますし、
憲法適合性の
審査を求める度合いも相対的に低くなるわけであります。したがいまして、違憲判決の数も少なくなってまいります。
次に、「連邦制か中央集権体制か」と掲げておりますが、御案内のとおり、アメリカは五十州と首都特別地域などから成る連邦国家でありまして、合衆国は連邦内の各州に共和政体を保障し、各州はあたかも独立国の観を呈しております。ドイツも同様に、十六のラントから成る連邦国家であります。したがいまして、これらの国におきましては
法令の数は膨大なものとなりますし、
法令の制定
過程におきまして十分なチェックが図られていないうらみがございます。
何よりも、連邦国家では、本来は各州が独立した国家であるわけですが、時代の変化、とりわけ連邦内における交流の発達、国際化の進展に伴いまして、連邦制としての一体性が強く求められるようになってまいります。アメリカにおきましては、連邦
憲法のインターステートコマース条項や修正十四条の平等条項を媒介といたしまして、次々と州法に介入していくということがあるわけであります。
これに対しまして、
フランスと日本は中央集権制がとられておりますから、そうした問題はございませんで、
法令の数はアメリカやドイツに比較しますと少なくなってまいりますし、後に申しますように、
法令の制定
過程において十二分のチェック体制が整えられております。
それから、三番目に掲げておりますように、「政権交代の有無」が
一つ問題になります。
一九三〇年代の中盤、アメリカ・ルーズベルト大統領は、大恐慌に対処するためにいわゆるニューディール政策を掲げ、
改革に取り組みましたところ、連邦最高裁はその主要な
法律の大半について違憲の判断を示したという事実がございますが、これに象徴されますように、政権交代に伴う
改革立法につきましては、その
憲法適合性が問題とされるわけであります。
ドイツにおきましても、戦後、保守政権、保革の大連立政権、社民党政権、保守政権というような政権交代がございまして、それに伴って種々の
改革立法がなされます。それが
憲法裁判所の審理の
対象となるというふうになります。
フランスでも同様でございまして、第五共和制下におきまして、ドゴール、ポンピドー、ジスカールデスタンというふうに保守政権が続きましたが、その後ミッテランの社会党政権が成立し、続いて保革逆転とコアビタシオンというものを経まして、現在のシラク政権に至るわけでありますが、保革の政権交代の激しい動きがございます。その党派の公約に応じまして
改革立法がなされ、それが
憲法院で
審査される、そういう
事態になるわけであります。
いずれにいたしましても、このようになりますと、裁判の場に直接政治的問題が持ち込まれ、その典型が、先ほど申しました、ドイツではヨーロッパ防衛共同体
条約事件でありますし、
フランスでは国有化法判決事件であります。これは
資料八に掲げております。
司法が政治的対立の渦に巻き込まれるおそれがあり、裁判官政治という批判を招きかねない
事態も考えられるわけであります。
これに対しまして、我が国におきましては、戦後、長期間にわたりまして
国会において多数を占める政党が固定化し、我が国が統治システムとして議院
内閣制を採用している結果、
内閣及びその指揮を受ける
行政機関が政治的に安定した状態になるという枠組みが維持され、法体系の一貫性と連続性が形成されてきました。
すなわち、行
政府と立法府とが一体として機能し、さまざまな
行政的政策がそのまま立法という形で
国会において
承認されてきましたため、大きな政治問題が政治の舞台で解決できないまま膠着状態に至るというような
状況がほとんど生じなかった、その解決のために
司法に舞台を移して争うという機会もおのずから乏しかったということも指摘しておかなければならないと思います。
それから四番目に、「立法
過程における法案チェックの有無」であります。
アメリカにおきましては、共和、民主両党、必ずしもイデオロギーや階級を代表する政党ではございませんで、また党の政策
統一機能もほとんどないという
性格からいたしまして、立法の価値基準にも一貫したものがあるわけではございません。また、建前は議員のみが法案の
提出権を有しておりますから、事実議員立法が多いわけでありまして、法案の
憲法適合性について厳しくチェックを受けないまま
法律ができ上がるということがあるようであります。特に、州法はその嫌いがございます。
ところが、
フランスにおきましては、
コンセイユ・デタの
行政部が、先ほども御
説明がございましたように、
政府が
提出する
法律案、
法律の
委任に基づくオルドナンス等につきまして、
政府の諮問を受けて
法律案の
検討、
事前審査を行い、
意見を述べる権限が与えられているのでありまして、建前は、違憲立法
審査はあくまで
憲法院の権限でありますけれども、
法律案審査に当たりまして実質的に違憲立法
審査もなしていると言えないことはないようであります。
我が国におきましても、先ほど
津野参考人から御
説明のございましたように、
法律案は大半が
内閣提出法案でありましたために
内閣法制局による法案
審査がなされます。そこで厳密な合憲性の
検討がなされておりますので、違憲ではないかという問題提起がなされるような
法令自体少なかったのであります。
五番目に、「裁量上告制(サーシオレーライ)の問題」を取り上げておりますが、これは、具体的違憲
審査制を採用しておりますアメリカと日本との比較において指摘しなければならない問題であります。
アメリカにおきましては、一九二五年の法改正によりまして、連邦最高裁の義務管轄であった部分の非常に多くをサーシオレーライによる裁量管轄に移行させました。すなわち、権利上告を非常に厳格な要件のもとにのみ認め、権利上告の申し立て要件を満たさないすべての場合についてサーシオレーライの申請を認めることといたしました。これは、連邦最高裁の負担過重と
訴訟遅延を解消するための方策でありましたが、結果的には
訴訟遅延が緩和されたのみではなく、連邦最高裁の
役割と機能をも大きく変えてしまったと言われております。
すなわち、連邦最高裁は、サーシオレーライによりまして判決を下すべき事件を積極的に選択することにより、法創造活動をより容易かつ効果的に行うことができるようになり、やがて社会において新しく生じてくる諸問題への早い対応を可能にして、特殊の上訴裁判所として機能することになったというように言われております。実際、時系列的に見ますと、
資料一—二の表にございますように、一九二〇年代以降、連邦法百三十五のうち九十八について無効判断を示しているわけであります。一九八八年の改正によりまして、権利上告
制度はほとんど廃止されるに至っております。
これに対しまして、我が国では、刑事事件につきましては、既に
昭和二十四年一月一日施行の新刑事
訴訟法により上告受理
制度を採用したのでありますが、民事事件につきましては、平成十年一月一日施行の新民事
訴訟法によりましてようやく上告受理
制度が採用されるに至ったのでありまして、それまでの間、
最高裁判所は、三審制を
前提としまして、旧来の大審院が扱っていた
一般の民事上告事件のほか、新たに
行政事件の上告審も担当することになりまして、それらの上告事件の審理に追われ、大法廷での審議をちゅうちょするという面がなかったとは言えなかったように思います。
幸い、民事事件につきまして上告受理
制度が採用されたことに伴い、民事上告事件の処理が進展いたしましてゆとりが生じてまいりましたので、私が在任中は、できる限り大法廷事件をふやすように配慮いたしました。常に一、二件は大法廷に係属しているようになりました。今後は、さらに大法廷審議の活性化が期待されようかと思っております。
さて、その次に、「我が国の
最高裁判所の違憲立法
審査権行使の実情」であります。
まず、これも既に御案内のとおり、日本国
憲法施行後の違憲判決の数でありますが、
最高裁判所におきまして違憲判断をした判決の数は、二十三年から平成十二年までの間に民事上告事件が四十九件、刑事上告事件が二百五十五件でございますが、民事の四十九件のうち四十四件は、
昭和六十年の衆議院議員選挙についての議員定数配分違憲
訴訟でありますし、刑事上告事件の二百五十五件中二百三十一件は、
昭和二十八年から三十一年までの間のいわば戦後の混乱期に生じました数多くの関連事件について言い渡されたものでありまして、違憲判決の数自体は非常に少数であります。
さらに、これらの事件の中で
法令を違憲としたものの数は、民事
関係が五件、薬事法、公職選挙法、森林法、郵便法等、それから刑事
関係が三件、刑法二百条等でございます。
こういうふうに、
法令を違憲としたものは数が少ないものですから、非常に
最高裁判所は
司法消極主義ではないかというような批判を受けるわけであります。アメリカ、ドイツ、
フランスと比較しますと、我が国における違憲判決がかなり数が少のうございますのは事実でございまして、しかし、これまでるる
説明してまいりましたように、こうした
状況を招来しておりますのは、前に申しましたような種々の事情が影響しているゆえであろうかと考えております。少なかるべくして少なかったというのが私の認識であります。
最高裁判所が、例えば
司法消極主義という
一つの
立場をとって事件の処理に当たっているわけではありません。
いつの時代もそうでありましょうが、
最高裁判所の各裁判官は、ある事件につきまして
憲法適合性が問題になった場合、
憲法の単なる文理
解釈ではなく、その
条文の真に意図するところ、
条文の
趣旨、目的、それからそれが制定されるに至りました立法事実というものを点検いたします。それから、当該ケース、この事実、これは
司法事実あるいは判決事実と申しますが、それはどういうものか、両者を比較、吟味、
検討するわけであります。さらには、
憲法解釈をした場合のいわゆる射程距離、その影響がどこまで及ぶか、
一般的な
判例法理として示すべきかどうか。さらには、政治的色彩の濃いテーマであれば、
司法がどこまで判断を示すべきか、あるいは政治にゆだねるべきか、ブランダイス・ルールを採用すべきかどうか、その辺も考えます。
その際には、
司法の機能、本質をどのように考えるか。すなわち、裁判官の任命が選挙によっていない点で直接の民主的基盤を持たない
司法が、政治問題にどこまで介入し口出しすべきであるか。それから最後に、
憲法判断の最終的な実効性がどのようにして確保されるのか。そのあたりの点につきまして総合考慮いたしました上で結論を出されるのであります。
もとより、その
前提といたしまして、最高裁裁判官は、単純に学理を追うのでなく、判決について国民に対し責任を負う
立場にあることを常に意識しなければならないということを指摘しておかなければなりません。そのために、学者出身の裁判官は、みずからの学説によらず、
判例に従われることもあるわけであります。
今申しました諸点についての各裁判官の
考え方が異なれば、それによって
憲法適合性判断のスタンスもおのずから異なってまいります。幸い最高裁の裁判書には各裁判官の
意見を表示しなければならないことになっておりますから、その
意見の表示により各裁判官のスタンスが明らかになるわけであります。
アメリカ、ドイツ、
フランスの
憲法判例の動きを見ておりますと、
司法積極主義をとった場合でも必ずしも長続きしませず、その情勢が落ちつきますと、もともとの
司法消極主義といういわば
司法本来の姿に立ち戻ることも多いように思います。
例えば、アメリカで、ニューディール政策立法につきまして違憲判断を続出しました後、ルーズベルト大統領が圧倒的大差で再選されますと、連邦最高裁はその態度を百八十度変えます。
憲法革命というような評価が与えられるわけであります。それから、ウォレン・コートは、人種問題や刑事被告人問題など、世論をおもんぱかる立法府が容易に手を出し得ない公民権問題で画期的な判決を次々と出しまして、時代を先取りするものとして好評を博しましたが、バーガー・コート、レンキスト・コートというような後の時代になりますと、
司法が乗り出して原理原則をぶつけるやり方よりも、より現実的な対応を示すように変わってきております。
アメリカにおきましても、
憲法適合性が争われているある種の政治問題につきましては裁判所は判断しないという政治問題の理論、ポリティカルクエスチョンという
考え方がございまして、先ほども申しましたブランダイス・ルールなどはそれでございました。
そうした点を総合勘案いたしますと、基本的には、民主主義社会におきまして、選挙によって選ばれる議会に比較しまして民主的基盤に乏しい裁判所は、原則として、これを有する政治部門の
憲法判断を尊重すべきである。しかしながら、
表現の自由、結社の自由等の民主主義体制そのものを支える精神的自由権や少数者、社会的弱者の自由と平等の保障は、まさに民主主義の基盤となるものでありますから、その制限についての多数者の意思を単純に尊重することは、民主主義の
前提を破壊し、これを否定することにつながるおそれがあります。そういう
観点から、これは
憲法の権利保障に照らしまして厳重にチェックすべきであると考えざるを得ないというふうに思います。
具体的な例といたしまして、だんだん時間が迫りましたから多少時間をちょうだいいたしまして、投票価値の平等が問題となります選挙
訴訟を取り上げて御
説明申しますと、これは多数
意見と少数
意見とに分かれるスプリット判決の典型でありまして、出身母体の差が
意見にあらわれているなどと論評されることがあります。それは単なる憶測にすぎませんが、私は、多数
意見に属する他の裁判官方がどのようにお考えになるか存じませんけれども、自分としましては、選挙という民主主義の基本にかかわり、かつ極めて政治的な問題でありますので、慎重な
検討が必要であると考えて対処してまいりました。
この問題につきましては、ナショナルコンセンサスは一体どうなのであろうか、果たして少数
意見どおりにした場合にはどのような結果になるのであろうかということを常に模索しておりました。そうした
関係で、諸
外国においてどうなっているのか、イギリスにおける選挙区割りの実際はどうなのか自分独自で
資料を渉猟してみたり、アメリカの連邦最高裁の判決に当たってみたりするわけであります。
アメリカの連邦最高裁は、ウォレン・コート時代は極めて厳格に投票価値の平等を求めておりましたが、連邦下院議員につきましては、
憲法で、各州の人口に比例して、各州の間に配分されると明文で
規定されておりますのに対しまして、州の下院議員につきましては、
憲法の平等条項から演繹的に
解釈されてくるというふうに言われております。したがいまして、連邦下院議員のように機械的に平等配分でなければ
憲法違反というのではなくて、多少のゆとりがあるようでありまして、現に一対三の格差を認めた判決もあるわけであります。そうした判決は日本の学者のお気に召さないわけでありまして、間違った判決だなどと言われておりますけれども、現にこうした判決があるわけであります。
イギリスの選挙区割りにつきましても、単に人口比率で機械的に決めるのではなく、それぞれ地域の実情を考慮しておりまして、島嶼部ではありますけれども、一対三以上の格差を認めているのもあるわけであります。
そういうふうな
検討を踏まえまして評議に臨むわけでありますが、評議におきましては各裁判官が自由に御
意見をお述べになります。ペーパーを用意して詳細に
意見を述べられる方もおられますれば、簡潔に
意見を述べられる方もおられます。断固として自説を譲られない方もおられますし、多数
意見がどのように形成されるかその帰趨を見てみずからの
意見を修正されるという柔軟な
立場をとられる方もおられます。
私の尊敬すべき先輩裁判官は、できる限り個別
意見を書かずに全員一致になるように努力したと述懐しておられました。これは、全員一致の
意見になりますとおのずから重みも違ってまいりましょうから、そういう信念をお持ちになったのではないかと思っております。
選挙
訴訟などになりますと、裁判官によりまして基本的スタンスが違うものでございますから、なかなか妥協の余地が見出しにくいわけであります。そうでないケースにおきましては、できる限りコンセンサスが得られるよう判断の
範囲を調節し、全員一致へこぎつけるようにする場合もあるわけであります。
繰り返しになりますが、最高裁の裁判官は、判決に責任を持たなければなりませんから、この判決の結果どうなるかということを常に考え、理屈はわかっていてもその結果どうなるか、それが国民生活にどういう影響を及ぼすのか、国民はそれに対してどういうふうに反応するであろうか、ナショナルコンセンサスはどのあたりにあるのであろうか、常に意識して考えて判断を下します。その上での判決でございますから、結局は
司法というものをどう考えるかという問題をめぐっての各裁判官の世界観、価値観、物の
考え方の集約でありましょうし、
司法の自己抑制を強く意識される方が多数を占めますと、勢い
司法消極主義と評価されるような結論に至るわけでありますし、ある時期になりますと
司法積極主義をよしとする裁判官が多数を占めるということも、考えられないわけではないわけであります。
最後に、
憲法適合性審査の今後の問題につきまして触れなければならないわけでありますが、ちょうど時間が参りましたので、御質問がございましたらそれに関連して申し上げさせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)