○
五十嵐参考人 五十嵐です。
事前にレジュメを配っておりまして、少し追加いたしまして新しく
皆さん方に配らせていただきましたので、それに基づいて私の
意見を述べたいと思います。
なお、あわせて、
先生方のところに
事前に「
都市は
戦争できない」、私が最近出版いたしました本を
資料として提出させていただいております。今から申し述べます
データや
数字などについては、その本に基づいて説明しておりますから、途中で少し
ページ数などを入れてお話しさせていただくかもしれません。
私は、
非常事態と
憲法について、次のように考えております。
一つは、今
森本参考人がおっしゃいましたように、
憲法には
非常事態の
規定が幸か不幸かとにかくございません。しかし、
非常事態は絶えず起こり得るという
前提で物事を考えるというのが
前提であります。
非常事態について、いろいろ
定義の仕方が難しいですが、とりあえず私はこの本では、
地震、
水害、
原発、
テロ及び
戦争、
有事というものを取り上げております。あとはこれに
伝染病など、別のレベルでの
非常事態が起こることもあり得ると思いますけれども、一応この五つを考えました。強いて分類しますと、
地震や
水害はやや
自然現象から発生するものでありますし、
原発や
テロやあるいは
戦争というのは人為的なものから起こり得るということであります。
これに対しては、ほぼ共通して、それぞれ局面は違いますけれども、例えば、
予防をする、それから
事態に
対処する、
避難をするというふうに考えますと、非常に多くの
共通現象もあるだろうということを考えまして、一括してこういう
非常事態について
対処の方法を考えていきたいということです。
私なりに
憲法やこういう
災害対策についていろいろ勉強させていただきましたけれども、
一つだけ従来の
議論に決定的に欠けているものがあるということを最近感じるようになりましたので、こういう本をまとめました。
それは、こういう
非常事態はどういうところで起こるかということでありまして、少なくとも、一九八〇年代以降、正確に言いますと、通常、
農村人口が一〇%を割った
社会を
都市型社会と言っておりますけれども、これはすべて
都市型社会で起こる
現象であるということを留意したいということであります。従来の
議論は、どちらかといいますと、どういう場所で起こるかということについてはやや突っ込まないで
議論をしてきたのではないかというふうに思っています。
都市型社会というのはどういうことかといいますと、基本的には、私
たちの生活、生まれて死ぬまでほとんどが
依存型社会になっているということであります。ここに
幾つか、
食料、
エネルギー、
情報、道路、鉄道などのインフラ、あるいは行政や議会、あるいは裁判所、そして
保険機構や教育、医療など、私
たちが暮らす上で、生きていく上で必要なものはすべて、自分一人では処置できない、相互がネットワーク化され、かつ依存し合う
体制になっているということであります。
これをもう少し詳しく見ていきますと、恐るべき
状態がわかってまいります。その
データを、先ほど申し上げました「
都市は
戦争できない」という本の
資料二百四十四ページに、
幾つか
都市の
データを挙げてあります。
これは、主として、
東京を
中心として、
東京が
地震に見舞われる、あるいは
東京が
水害になる、あるいは
東京に近いところで
原発事故が起こる、あるいは
東京で
テロが起きる、あるいは
東京が
戦争の対象になるといったときに、
東京というのは一体どういうものだろうかということを
数字で見たものであります。
人口でいいますと、膨大な
人口がとにかくここに集まっているということは言うまでもありません。
それから二番目には、いずれにしても、
災害があった場合に
食料等が問題になりますが、
東京では、〇・〇〇〇二%は稲作を行っておりますけれども、
食料はほとんど生産しておりません。それから、二百四十三ページに
食料依存率を挙げておりますけれども、ほとんどがもう
東京は他の国あるいは他のところに
食料を依存しているということであります。
それから、
エネルギーを見ましても、
電気、
ガス、
上水道の
使用量・
供給量でいいますと、
東京は圧倒的に使っている。
電気も
ガスも
上水道も、自前ではなかなか
東京は調達できないということであります。
電気の
自給率とか
東京電力の
発電所数など、あるいは石油などについて、そこに載せておきました。
それから、常時、
東京は二十四時間眠っておりませんで、
路線の
混雑率などを見ておきますと、
乗車率は二〇〇%を超える
路線が
幾つもあるということであります。
それから、通勤・通学による
東京二十三区の
人口動態を見ますと、
流入人口が三百三十万人に対しまして、
流出人口が五十五万人であります。これは、
災害が起きたときに
待機人数という形で問題になってきますけれども、こういう形で膨大な
人口が移動しているということであります。
あるいは、二百三十九ページから二百三十八ページにかけまして、
本社機能を持つ
事業所数、あるいは
IT産業、あるいは
マスコミ等についてもこういう
データ、
東京にほとんどが集中しているということを挙げておきました。もちろん、金融や
デパートなどもそうであります。
それから、
物流などを見ておりますけれども、
物流も、大半がトラックによる
物流でありまして、八八%であります。
それから、一万人以上の
収容の
興行施設などを見ますと、
東京競馬場、
大井競馬場、
国立競技場、
東京ドームなど、
東京にはたくさんの
人口が集まる
収容施設があるということであります。
それで、申し上げたいことは、こういうところにもし
非常事態が起きたら一体どういうことになるんだろうかということについて、最近、徐々にいろいろな
データが発表されるようになりました。その
一つとして、
東京都が最近行っている
地震の
想定というものについて申し上げたいと思います。
東京都の
地震の
想定は、
阪神・
淡路大震災と同じような程度の
地震が来たとき、しかも土曜日の夕刻六時ごろということを
前提として、あの
阪神・
淡路大震災と同じような
地震が来たときにどうなるだろうかということを
想定しております。
少し
数字を挙げさせていただきますと、家屋の全半壊が、
区部、
東京二十三区内で十二万、
多摩で二万生ずるというふうに言われています。火災が八百二十四件発生するだろうということです。それから、
ライフラインを見ますと、断水が三十三万、停電が百十五万、
ガスの
供給停止が百三十二万です。それから、
死者が七千百五十九人、
負傷者が十三万人発生するだろうということです。さらに、
避難者というものがありまして、
区部で百二十六万人、
多摩で二十五万人発生するということです。
ただ、この
データには
幾つかの集計し切れていないところがございまして、
一般的に総合いたしますと、
幾つかこれにつけ加えなければいけない問題がございます。
その
一つは、不特定多数の集まっているところ、例えば、先ほど言いましたように、
デパートとか
競技場だとか、あるいは地下街だとか
映画館だとか、それから
野球場などに人が集まっているときにこういう
地震等が発生すると、恐らくだれもが手がつけられない
パニックになるだろうということであります。特に、
自動車の炎上というのが
危険物でありまして、
自動車が炎上しちゃいますと、
救急態勢も全くとれなくなるということです。
それで、これを少しさらに、時刻を、今、土曜日の夕方六時という
前提で
数字をシミュレーションしているんです。これも、
平常時の例えば午前中とか午後とかという形にしますと、もっと別なことが起きてまいります。
先ほどの土曜日の夕方六時を
前提にしますと、
学校に一応いないという
前提になっていますけれども、
平常時の午前中など起こりますと、小
学校や中
学校や高校や
大学等で授業をしているということになってまいります。もちろん官庁でもいろいろな人が働いている。それから、その他いろいろなところでいろいろなことが
機能しているということになります。
数字はこの本の中に書いてありますけれども、
学校等については、倒壊する
可能性がある
学校は非常に多く、半分以上が倒壊するだろうと言われておりまして、ここでの
事故が非常に懸念されます。
おおよそ見ますと、多分、
ライフラインがすべてとまった
状態で、約十六万人ぐらいの
死者や
負傷者が最低でも出る。それから、百五十一万人という
避難者が出る。さらに言いますと、三百七十一万人の
帰宅困難者、例えば丸の内でストップしちゃってうちに帰れない、三百七十一万人ぐらいの
帰宅困難者が出るだろうということであります。
非常事態に
対処するということは、これに対して何ができるかを考えるということでありまして、これは容易なことではありません。
一般的には、
対策を講じても
パニックしかないだろうというぐらいのことしか思い浮かばないぐらいの、ほとんど
想像を絶するような
状態になるのではないかというふうに言われております。
今は
地震について申し上げましたけれども、さらに、これが
原発などになると、
原発は、いわゆる
幾つかの
事故の
想定がありますけれども、ちょっとした
事故になりますと
日本全域が
原発の放射能を浴びるということになりまして、全く
対処の方法がございません。
あるいは
テロについても、これはどこをねらうかということもありますが、例えば
原発がねらわれたり、あるいはダムがねらわれたり、あるいはその他の重要インフラがねらわれたりすると、こういう
事態が直ちに生じるという
事態になってまいります。
だから、
憲法と
非常事態を考えるということは、
都市型社会ではこういうことを
想定して何かを考えるんですよということを改めて確認したいということです。基本的には、
対処のしようがないという
前提で、なおかつ、しかし必死の努力をするというのが、
憲法と
非常事態を考えるということの意味ではないかというふうに私は考えております。
そこで、ここに
緊急事態関係法令集というのがありますけれども、こういう法令集全体を見まして、
日本の
緊急事態法制に関してどういう問題点があるかということを
幾つか申し上げたいと思います。
一つは、
都市型社会における今のようなイメージでどうも
法律をつくられていないんじゃないかという感じがするということであります。
要するに、
地震には
地震、洪水には洪水、
原発には
原発に
対応した個別
対処の方法は
規定してありますけれども、これら全体を
予防し、かつ全体に
対処し、さらに
避難をさせて復旧するという全体のイメージで、こういう非常に大型の非常に深刻な
事態にどう
対応するかという形での
法制はなかなか見つからない。むしろ農村型
社会、つまり、今から四、五十年前、
日本がこれほど
都市型していなかったときに、もっと基本的に言いますと自給自足を
前提としたような
社会での個別
対処の
法律がここに集大成されているんじゃないだろうかというのが、
日本の法
体制を見たときの私の印象であります。
二番目は、さらにその内容にかかわりますけれども、こういう
災害が起きたときに、どういう形でだれが一体イニシアチブをとり、だれが責任をとるかということについて、基本的なやはり
欠陥があるような感じがいたしました。
これは、最近の例でいきますと、
阪神・
淡路大震災に対する緊急出動というものについて、どのようにいわば総括するかということとかかわるわけでありますけれども、
日本の場合には現地主導というイメージはほとんどございません。むしろ中央省庁を
中心として、国が前面に立つという形になっております。
さらに重要なことは、その国というのは何かといいますと、確かに
内閣総理大臣を
中心とする
対策本部が設立されるわけですけれども、内容的には、各省各課各室ごとに同じような
事態を同じようにやっていくということになっておりまして、これは後でFEMAの人にインタビューした結果としてお知らせいたしますけれども、非常にむだがあるし、それぞれの各課各室が何をやっているかお互いにわからないという欠点が生まれてくる。つまり、縦割り行政が
非常事態に関しても貫徹しているという感じがいたしました。これは具体的に後で申し上げます。
もう
一つは、現場が上からの指示待ちになっておりまして、動ける仕組みになかなかなっていないということであります。
これも後で申し上げますけれども、ニューヨークが一昨年
テロに遭ったときに、ニューヨーク市長がどのような行動をとったか、あるいはそれはどのような法的権限に基づいて行われたかということと、神戸市長なり兵庫県知事がとり得た内容というのは雲泥の差があるというのは、やはり危機
対応に関する思想や制度や日ごろの訓練の差が如実にあらわれているんじゃないかというふうに思います。
ましていわんや、これに対して市民が参加していくというようなイメージについては、従来の危機管理法には全くございません。
しかし、あの
阪神・
淡路大震災のときの市民あるいはNGOの活躍とか、あるいはこの間のニューヨークの
テロのときのNGOや市民の活躍を見ますと、恐らく、今後の危機管理
体制は市民やNGOの参加とか訓練なしには到底考えられない。
先ほど言いましたように、
地震の際でも百何十万人の
避難をしなければいけないとか、三百万人を超える
帰宅困難者をどう処理するかなんというのは、国や自治体ではとてもできることじゃありませんで、それぞれがみんないい意味での兵士にならなければとてもこの
事態を乗り越えられないというふうに思います。
この間も、どこか新聞報道で、
地震が起きて帰れなくなったときに、自分のうちに帰れるかどうか歩いてみようというのがありまして、何か訓練が出ていましたけれども、ああいうことが常時組織化されていなければ到底この
事態に
対応できないと思いますが、従来の
日本の危機管理
法制には、こういう市民やNGOの法的位置づけとか権限とかなすべき
対応とかがほとんど触れられてないというような三つの
欠陥があるというふうに思いました。
これを少し具体的に申し上げたいと思います。
まず
テロ対策でありますけれども、これは、二〇〇一年のニューヨークの
テロがありまして、
日本政府も動きました。この内容について、この本の二十三ページに、どういう
対応を
日本政府はとったかということを表でまとめてございます。ちょっと恐縮ですが、二十三ページを見ていただくとありがたいと思います。
これは、二十四ページを見ていただくと、厚生労働省、農林水産省、郵政事業庁等々がどういうことをするかというふうにいろいろ書いてありますし、さらに、厚生労働省の
テロへの
対応と担当課というのをここに表で挙げてあります。
さらに、二十七ページを見ていただきますと、
脅威の評価、被害
情報の集約、原因物質の分析・特定、治療関連
情報の提供、専門家の派遣等、被害者への
対応まで、警察庁から環境省までだれが
対応するかということを一覧表にまとめました。
これを見ますと、それぞれの省庁が同じことを、視点は少し違うんでしょうけれども、非常に重複し合っていて、だれが本当の
中心セクターになるかということはこの間の
テロ対策では必ずしもよくわかりません。
さらに、これをもっと敷衍して言いますと、とにかく、
非常事態が起こりますと、内閣
情報センターが活躍し、
内閣総理大臣を頂点とする
対策本部が官邸につくられまして、さらに現地が必要ですと現地
対策本部がつくられて、その指揮を全体的に総理大臣が
対策本部長である中央が行うというふうになっておりますけれども、これでは多分、
地震を含めた、
テロまで含めて、全体的に
対応できないだろうというふうに私は思っております。
さらに、自衛隊の
テロに対する位置づけも、全体的な
脅威の評価、被害
情報の集約あるいは原因物質の特定などの作業とあわせて、どの部分をどのように受け持つかということについてはほとんど明確ではありませんで、いわば武力
事態が起きたときにどのように自衛隊は武力を使うかということで、非常に限定的、ピンスポットでやっておりまして、全体の、例えば
テロ等の
災害が起きたときにどうするかについては、自衛隊についても必ずしも明確ではないという感じがいたします。
これは、どこでこういうことを言えるかといいますと、ニューヨークの
テロのときとの対比を見ていただくと、その差が一目瞭然になるということであります。それについては三十三ページに、「ニューヨークはどうしたか」ということで、
日本の
テロの
対応の組織や論理と、ニューヨークの
テロの
対応についてを比較してあります。
非常に大きな違いを申し上げますと、
一つは、ニューヨークは、皆さんテレビ等で御存じのとおり、ニューヨーク市長が
中心になりまして、いわば大活躍をしたということであります。ニューヨーク市に限らず全体的、どこでもそうでありますけれども、
アメリカの場合には、自治体の中に
非常事態管理室と緊急作戦センターというのを常時設置してあります。こういう
非常事態が起きますと、市長がリーダーシップを持って、ここからいよいよ
対処に移るということになります。なお、この間の
テロの場合には、家族支援センター、さらにNPO、ボランティアとの連携が非常にスムーズにいったというふうに報告されております。
これは、何も
テロ対応だけではなくて、
阪神・
淡路大震災の前にノースリッジの
地震も起きましたけれども、その
報告書を見ると、全く不意打ちではなくて、私
たちの
対応は準備されていたということを言っております。
日本の場合は明らかに不意打ち
対応というような感じになっておりますけれども、常時、
アメリカの場合にはこういう
非常事態に対する
システムができておりまして、今言いましたように、
非常事態管理室と緊急作戦センターや、家族支援センターあるいはNPOやボランティアとの連携がいつも絶えず設置されていて、訓練されているということであります。ここが
中心になって動きまして、さらに州政府と連邦政府がこれを支援するという形になります。
それも、さらに具体的な役割が決まっておりまして、州政府の場合には有害物質の
調査、セキュリティー確保のための州兵の派遣、それから物資輸送、インフラ
整備などなどであります。さらに連邦政府になりますと、陸軍による瓦れき撤去、それから連邦
緊急事態管理庁、FEMAのレスキューチーム、それから連邦環境保護庁の大気汚染
調査など、要するに、現地がまず
中心になりまして、さらに州政府はこういう役割を負う、それから連邦政府はこういう役割を負うという形で、危機管理
体制がちゃんと組織的に
整備されているということであります。
日本の場合は逆でありまして、現地は余り準備がないままに、上の方に
対策本部をつくりまして、ここに各省庁を集めまして、各省庁がさらに各課に分かれまして、各室に分かれて、上からしようとするという形になっておりまして、どうも
緊急事態に対する質的な差があるというふうな感じがいたします。
これは、一応
テロ対策を例にとって言いましたけれども、非常に不安なのは
原発、
原発事故などについては、
テロの場合にはこれが標的になるということがよく言われているわけですけれども、ほとんど
対応策が考えられていない。要するに、どうしたら
テロから
原発を守れるかというようなことについては
対応策なしというのが今のところではないだろうかというふうに私には見えました。
それで、少しこの機会をかりて積極的な提案というものをさせていただきたいと思いますけれども、
幾つか申し述べたいと思います。
一つは、危機
対応については、やはりどこかに権力の集中をするということは非常に重要であるということであります。同時に、これは権力でありますから乱用の危険もありますので、事後点検という
体制をちゃんとやらなきゃいけないということです。これは、自衛隊を考える場合にも同様なことがあるだろう。事後点検というのは、いわゆるシビリアンコントロールということであります。
こういうことを
前提とした上で、
アメリカのFEMAの組織とドイツの
憲法から、少し
日本の
国民皆で、全体として考えた方がいいのではないかということをそれぞれ
参考にしながら、少し積極的提案をさせていただきたいと思っています。
一つは、このレジュメでいきますと、「具体的な提案」というところであります。
都市型社会を
前提とし、危機管理を考える場合に、私は
有事には備える必要があるというふうに思っております。それは、当然自衛隊も入れて
有事には備える必要がある。先ほど言いました、この
有事というのは、
非常事態全体を含めて、
地震災害から
原発事故を含めて全体のことを言っておりますけれども、備える必要があるということです。
二番目には、にもかかわらず、もう
戦争はできないということを覚悟すべきであるということです。
都市型
戦争に耐えられる
戦争は、もうどんな内閣でもどんな政府でもとてもできないと私は思っています。
戦争をしないで
有事に耐える方法、この
都市型社会を全体的に改めるためにどうするかといいますと、要するに、
有事に当たりまして、市民の生命、自由、財産を守るための方向でその万全を期す方法を考えるということであります。そのためには、まず
予防というものをやっておかねばなりませんで、この
予防についても
日本は極めて
議論が不足しておりますし、現実的成果も諸外国の期待から見ると極めて少なかったのではないかというふうに思っております。
この内容については、いろいろなところで言われていますので省略いたしますけれども、国連
安全保障体制というものについて
日本はもうちょっと積極的に参加すべきである。外交も、危機管理について積極的に展開すべきであると思います。それから、自治体とNPOの
協力も必要である。さらに、国際人道法に基づく刑事裁判所の構想についても
日本は積極的な役割を果たす。国外的に言えばそういうことであります。さらに言いますと、ハーグ条約と美しい
都市は
戦争できないというふうになっておりますので、こういうことも批准を急ぐべきだし、
対応すべきである。あるいは、ジュネーブ条約と無防備
都市などについても考えるべきである。これらをさらに
前提とした上で、
非常事態を含む
有事法制全体を考えるべきであるということであります。
まずどういうことを考えるかといいますと、
一つは、ドイツ
基本法というものの
考え方を
参考にできないだろうかということであります。ドイツ
基本法については百八十五ページに書いておりますけれども、御承知のとおり、ドイツは一九六八年、
憲法第十七次改正におきまして、
緊急事態法制というものを
憲法に明記いたしました。私がこれから申し上げることは、だからすぐ
憲法を改正せよというわけではもちろんありませんし、そう簡単にできないとわかっておりますけれども、しかし、思考の方法としては、これは参照にしてよろしいだろうというふうに思っております。
一つは、
非常事態というものについて明確なくくりをつけて、ちゃんと位置づけをするということであります。
憲法にする方が私は望ましいと思いますけれども、
憲法にできない場合には、先ほど
参考人も言っておられましたように、
安全保障基本法とかあるいは危機管理法とかをつくるときにきちんと
対応したいということです。
ドイツの分類を見ますと、これがそのまま
日本に当てはまるかどうかわかりませんけれども、四つに分けております。非常に
参考になると私は思いました。
一つは、
自然災害及び特別に重大な
災害事故であります。先ほどの冒頭に申し上げました私のあれでいきますと、
地震や
水害などについて、あるいは
原発事故などもここに入るというふうに見ていいだろうということであります。二番目は、自由な民主主義的基本秩序に対する危険、
国内における
内乱というものを
想定した
規定であります。三番目は緊迫
事態でありまして、四番目が
防衛事態です。
防衛事態というのは、要するにドイツ連邦が武力をもって攻撃される
事態ということを
想定しておりまして、緊迫
事態というのは、そこまではいかないけれどもその危険性がある程度というところで分類をしております。
この四つを通じて何を一番ドイツは考えたかといいますと、先ほど言いましたように、一方で限りなく権力を首相に集中する必要がある、しかし一方でそれは激しくチェックされなければならないという
規定を同時的に成立させようということであります。
チェックの方法から簡単に言いますと、例えば
防衛事態になりますと、首相はオールマイティーの権限を持ちます。しかし、それはあくまで議会の承認に基づいてということでありますが、議会が
機能することが非常に困難になる場合が予想されますので、合同
委員会、
日本でいいますと衆議院と参議院から成る少数の合同
委員会の承認をもちまして、連邦首相に権限が集中されるということであります。その場合、連邦首相は、少なくとも
国民の持っている基本的人権のうち財産権についてはかなりの制限を課すことができる、同時に、新しい立法をすることができるということが決められております。
ただし、この権力の集中に対しまして、
幾つかのチェック
規定がございます。
一つは、基本的に、もし権力者が
国民の意思に反しまして権力乱用に走る場合には、
国民には抵抗権というのが認められるというのが第一であります。
第二番目には、首相がとるそれぞれの措置について、
憲法裁判所というところで、
憲法に適合するかどうかについてチェックするということであります。
三番目は、あらかじめ言いましたように、議会のあくまで承認が
前提になっている。ただ、この議会は正常な議会ではもうないということであります。
四番目は、
日本の
有事法制などを考える場合にも非常に重要だと思いますが、制限できる基本的人権と制限できない基本的人権について、あらかじめきちんと
憲法で書き込んでいるということであります。
ちなみに申し上げますと、ドイツが
防衛事態に至りまして制限できる基本的人権というのは、職業選択の自由、これは徴兵があり得るという
前提だからであります。二番目は所有権で、財産を没収することもあり得るということです。それから、移転の自由を禁止する。それから、集会の自由を禁止しております。しかし、それ以外の思想、信条の自由とか出版、報道の自由とか教育の自由だとかというようなことについてはすべて制限できないというふうにしておりまして、制限できる基本的人権を制定しているということであります。
要するに、
非常事態というものを法的に考える場合に、どこかで権力の集中をし、どこかでその乱用を禁止する
規定をはっきりするべきであるということです。できることとできないことをそれぞれあらかじめ
規定しておくことによって、全体として
国民参加のもとで、
非常事態に対して
対応をするということであります。これを
日本の
非常事態法といいますか危機管理法といいますか、それをつくる場合に
参考にしたらいいだろうというのが第一点であります。
二番目は、しかし、こういう
法律ができるまでの間に、いろいろな危機が起こり得る
可能性があります。とりわけ最近言われておりますのは、先ほどの
参考人も言っておりました、やはり
テロなどは
日本でも当然起こり得る、このままイラク
戦争などが激化しますと
テロなども起こり得ると当然言われておりまして、この
法律の
規定を待たないで、何らかの意味での
対応を準備しなきゃいけないということであります。
この際、非常に
参考になりましたのは、FEMAの人の
意見であります。これは私の大学院チームとして改めてFEMAに行きまして、インタビューをしてまいりました。このFEMAのレオ・ボスナーさん、百九十七ページに書いておりますけれども、この人は
日本に来まして、
日本の危機管理
体制について点検をいたしました。四つの
欠陥というものを指摘しております。
一つは、
日本政府には具体的な
災害対策計画がないということであります。抽象的な
法律規定と、危機が起きたときに総理大臣を頂点とする先ほどのような
対策本部をつくるというだけでありまして、系統的な危機管理、
災害計画がないというのが第一であります。少し学問的な話をしますと、
日本の中央集権的な官僚
体制について、ある外国の学者は、
日本には
中心がない、センターがないということを言っておりましたけれども、この危機管理
体制のときに、まさにそれがずばり該当するということであります。
二番目は、先ほど言いましたように、政府の
関係機関は互いに
関係を持っていない。要するに、省庁ごと、各課ごと、各室ごとですから、それぞれほかと全然
関係を持っていないので、お互いに何をやっているかが全然わからないということを言っております。特に、このボスナーさんが指摘したのは、政府
機関と自衛隊の
関係がより一層希薄であるということを言っております。
それから、官邸の危機管理
体制はいかにも貧弱であるということを言っております。先ほど
アメリカの国土
安全保障省ですか、あれは十七万人の
体制、FEMAを
中心としてつくるわけですけれども、CIA等を除いても十七万人
体制ですが、多分、
日本の危機管理の、その
内閣総理大臣官邸につくられる
対策本部というのはせいぜい五十名から百名ぐらいであり、これは臨時につくられるということでありますから、恐らく貧弱である、
アメリカから見るとそう言うのは当然だろうということであります。
最後に、重要なことは、訓練
体制が全くないということであります。これは、私どもの大学にいろいろな実際に
災害対策をやっている現場
関係者おりますけれども、しかもみんな、市民が重要とかNGOが重要だと言いますけれども、具体的にどこでどのようにするのかということに関する訓練
体制というのが全くございません。たまに、一年に一回ぐらい防災の日というのがありまして、そのとき何かをするんですけれども、それではとても現場
対応ができないというふうに言っております。
先ほど言いましたように、
都市型では、何百万人という人
たちがいろいろな意味で危機に直面するときに、こういう全く訓練
体制のないままで
対処いたしますと、単なる暴徒化、
パニック化、もう手をつけられなくなるだろうと言われておりまして、これは、レオ・ボスナーさんもこのことを特に強調していたようであります。
そこで、彼らが言っていることは、危機管理を単一の政府
機関に集約すること、二番目は、具体的で包括的な
災害救助計画を策定すること、三番目は、国レベルの危機管理講座と研修センターを設けること、四番目は、各
機関の連絡調整、特に政府部門と自衛隊の連絡調整が必要だというのがFEMAの方の
日本の危機管理
体制に対する
意見であります。
私は、最終的に、危機管理法、これはどういうレベルで分けるか、国外と
国内という分け方もあるでしょうし、先ほど言いましたように
有事と
非常事態というふうに分けるやり方もあるでしょうし、あるいは
自然災害と人為
災害という分け方もあるでしょうが、その分類は別にしまして、何らかの意味での包括的な、今言ったような御指摘を踏まえた危機管理法が必要であるということが第一点であります。
第二番目に、改めて危機管理庁の設置というものを提案したいということであります。
恐らく、
法律をつくったままでは、現実あす起こるかもしれないそういうものに対してとても
対応できないので、内閣官房、内閣府、総務省、国土交通省、厚生労働省、警察庁、消防庁、海上保安庁、そして自衛隊などを含む危機管理庁などをつくって、単一組織にして危機管理
体制をつくるべきであるというのが私の提案であります。
以上です。どうもありがとうございました。(拍手)