○赤松(正)
委員 公明党の赤松正雄です。
この問題についての私の基本的な考え方、とりわけ教育基本法をめぐる問題についての考え方を申し上げさせていただきたいと思います。
憲法の第二十六条における教育というものに関する、「教育を受ける権利」、さらに「普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」こういった
憲法の二十六条の
規定、あるいはまた八十九条の財政に関する
規定がこれでいいかどうかということについては、さらに広範な
議論が必要だろう、こう思うんです。
実は、当面、今この
国会でも課題になろうとしております教育基本法の改正についての考え方は、結論的に言うと、私は、
憲法と教育基本法というのが際立って離すことのできない、まさに不可分の
関係にあるという
認識の上に立って、教育基本法を改正するということについてはいま少し時間をかけた方がいい。改正をしないという
意味ではなくて、改正をする、私は基本的には改正すべきだと思いますが、ただ、いつ改正するかというのは際立って当
憲法調査会の
議論と並行していった方がいい。
憲法調査会での
議論を経て、
憲法調査会としての、いわゆる衆参両院の五年の経緯を経た後の取り扱いの流れの中で、教育基本法も改正への動きを進めていけばいい、こんなふうに思います。
そこで、教育基本法は、先ほども平林
委員から
お話ございましたように、教育基本法の経緯というものは非常に大事だろうと思いますが、その後の改正の動きも注目する必要があると思います。
昭和二十四年の吉田総理から始まって、二十六年の天野貞祐当時の文部大臣の
国民実践要綱構想、あるいは昭和三十一年の清瀬一郎当時の文部大臣の臨時教育
制度審議会設置法案提出の中における、
国家、公に対する忠誠を基本法に入れるべきであるというふうな
主張、あるいは昭和三十八年の荒木文部大臣の中教審へ期待される人間像の諮問の中で、立派な
日本人をつくる観点から基本法再検討を、あるいは昭和三十二年から三十九年にわたる
憲法調査会法に基づく
調査会
報告書の中における、
憲法二十六条だけでは不十分だ、教育勅語にかわる基準を、こういったふうな一連の過去における戦後
日本の教育基本法改正の動きにおける中身というものは少しくしっかり考える必要があると思います。
これは恐らく、私の思うところ、戦前の
日本はいわゆる滅私奉公的スタンスが非常に強かった。滅私奉公的な生き方ではなくて、違う、そういったものを乗り越える教育でなくちゃいけないということから、結果的にいわゆる滅公奉私、ちょうどひっくり返した、公を滅して私に奉ずる、そういう滅公奉私的な生き方が強まってきたということが、私は、今の現時点でそういうふうな教育の現状というか、
日本人のありようというのを見たときに、どちらかといえば、滅私奉公の裏返りとしての滅公奉私という状況が非常に強いというふうな危惧を抱くんです。
しかし、戦後直後から、先ほど申し上げた昭和二十四年の吉田総理の教育勅語にかわる道徳的指針としての教育綱領の作成というところから始まって、ずっと続いてきた教育基本法改正の動きというのは、必ずしもそういった、今、結果としての滅公奉私というものを踏まえてのことではなくて、いささか戦前的傾向にすごく依拠した
主張ではないのか。そういうところを今持ち出すというのはいささか問題が多いんではないか、そんなような思いでおります。
いずれにしましても、しっかりとこの教育基本法改正という問題を
議論する。
憲法の全体の枠の中でしっかり
議論するということの後に、教育基本法の改正についてもしっかりと取り組んでいくべきである、こんなふうな考え方を持っている次第でございます。
以上です。