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西村分科員 自衛隊は軍隊である、レッテルは軍隊でないとしておこうということなんですな。
しかし、これは単なるレッテルの問題ではなくて、今までの
内閣がこのレッテルに
引きずられて、国内的には軍隊ではないと言っておることで、例えば、我々が見据えてきた工作船があって、それを臨検せよというようなことを命令されて、現実に行きおった。逃げてくれたからいいですが、あれが停船して、中から手を挙げて出てきたのが制服を着た某国の士官であって、我は某国の軍人であり、任務遂行中、志かなわず、貴国の捕虜にならざるを得ない、捕虜の待遇を要求すると言った場合に、こっちは漁業法違反で追いかけているから、手錠をかけて刑務所に入れれば、これはジュネーブ条約違反になる。
反対に、こちらから
防衛庁長官の命令を受けて行った自衛官が向こうの捕虜になってしまった、捕まってしまった、それで某国に連れていかれた。
日本国政府は、国際的にも自衛隊が軍隊でないようなレッテルを用い、
長官は軍隊だと言ったからいいんですけれども、仮に国内で軍隊ではないような言辞を弄しておれば、これは単なる武器を携行した犯罪人であって、軍人でも何でもないから、ジュネーブ条約に基づく捕虜の待遇をするのは資格がないんだと言い放って、犯罪人扱いされるかもわからぬ、我が国の政府の任務を受けて、それを遂行しに行った自衛官がですよ。
こういう具体的な問題が周辺海域で起こりつつあるので、どうかこのレッテルの問題は改めていただきたい。
論語子路編にいわく、政の根本はまず何であるか。子いわく、まず名を正す、名改まれば秩序定まる。これが政治の要諦であると私は思っていますから。
時間が少なくなって、もう
一ついろいろな議論をしたいと思っているんですが、集団的自衛権とは何ぞや。
政府
見解は、自国と密接な
関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされる、これが集団的自衛権ですね。昭和五十六年五月二十九日付政府の答弁書。これは定義が間違っておるんですよ。この定義は、非常に巧妙に仕組んだ、集団的自衛権はだから行使できないんだというからくりなんですよ。
本当の自衛権の定義として、「オッペンハイムの国際法第二巻の説くところが、妥当であり最も正しいと思われる。」こういうふうに書いた我が国の高野雄一の「国際法概論」を示して、いかに間違っているというか、いかに行使しない、その結論に合わせた定義かということを示しますと、
長官も御承知のとおり、集団的自衛権というものは、加盟国Aが、他の加盟国B、加盟国というのは国連です、Bまたはその一定領域に対して武力攻撃が加えられた場合に、Aの独立と安全が当該他の加盟国Bまたはその一定領域の独立、安全と同一視されるほどにAB両国が密接な
関係にある場合に、武力行使に対して加盟国Aが自衛の行動をとり得る権利である、このように書いていて、その武力攻撃が自国に対するものと同一視される
関係にあることが集団的自衛権発動の要件であると書いてある。
したがって、我が国政府の集団的自衛権の定義をもって訂正するのならば、自国と密接な
関係にある外国に対する武力攻撃を、自国に対する攻撃とみなし得るほど密接な
関係にあるということですね。この攻撃が、外国に対する攻撃、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって自衛する権利と政府は定義しておりますが、これは間違いなんです。密接な
関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されているように、こちらが密接な
関係のゆえに把握できる場合は、実力をもって阻止する権利だということが正しいんじゃないかな。
政府の解釈なら、まるで
関係のないところにちょっかいを出しに行く権利のように解釈して定義して、だからいけないんだと言っておるんですな。反対なんです。
関係のないところにちょっかいを出しに行く権利なんかないんですよ、国内法でも国際法でも。
問題は、例えば、親は子に対する攻撃を自分に対する攻撃だと思うから、親と子の密接な関連において、だから、家族という集団は維持される、これと同じなんですよ。
A国とB国との
関係において、A国に対する攻撃が、A国とB国の密接な
関係のゆえに、B国に対する攻撃、私に対する攻撃だとみなし得る場合があるんです。これは確実にあるんです。そのときに発動するものが集団的自衛権だと思っておりますが、これが最後ぐらいの答弁になりますな。御苦労さまでございますが、どう思いますか。
間違っているんですよ。間違っていると言うた方がええんですよ、歴史に残るので、間違っているんですから。間違っているのを正しいと言ってしまってこのままいくよりも、本日の締めくくりに、どうですか、私の発言に対して御感想があれば、お伺いしたい。