○
小林(守)
委員 基本的な
認識はそれでいいと思いますけれども、少しもうちょっと現実的な問題になったときにどうなのかということが問われるんだろうというふうに思うんですよね。
少しくどいようですけれども、第十五原則をちょっと踏まえてどういう文章なのかを
お話ししておきたいと思いますが、「
環境を保護するために、予防的取組方法は、各国により、その能力に応じて広く適用されなければならない。深刻なあるいは不可逆的な
被害のおそれがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が、
環境悪化
防止のための費用対効果が大きい
対策を延期する理由として使われてはならない。」というようなことなんです。
ちょっと回りくどい言い方なんですけれども、深刻な不可逆的な
被害のおそれがある場合には、科学的な確実性が欠如していても、
科学的知見が及ばなくても、よくわからなくても、
環境悪化
防止のための施策をとりなさいということを言っているんですね。それを優先させなさいということが
予防原則の考え方なんですよね。
これは、現実の政治の意思決定の過程で考えてみると極めて重要な大きな転換になるのではないかな、このように思いますし、
経済と
環境との統合という概念につながっていくというふうに私は考えるわけであります。
それらを受けて、この十五原則を受けて、九八年のウイングスプレッド宣言では例えばこういうふうに言っています。「ある活動が
環境や人間の健康に害を与える脅威を生じるならば、科学的に一部の因果
関係が十分に確立しなくとも、予防的方策をとるべきである。」こういう言い方がなされておりまして、そして、ある事業を行う者はその安全を立証する責任がある、科学的に、
知見に応じて安全なんだ、
被害は及ばないんだということをみずから立証する責任があるということをこのウイングスプレッドでは言っています。
それらを受けてローウェルの宣言にも発展しているわけでありますけれども、ここで注目したいのは、このような予防の目標は害を防ぐためのものであって、進歩を妨げるものではないんだというような考え方ですね。「予防政策を適用することはよりよい原料とより安全な製品・代わりの
生産工程の革新を育てることができると、私たちは信じる。」というような形で、まさに
環境と
経済の統合の姿が私はここに、そのような
予防原則が
経済の発展につながるんだよ、それがうたわれているんだろうというふうに思いますし、その辺を受けとめていっていただきたいなというふうに思うんです。
具体的にもうちょっと平易な言葉に直して言うならば、こういうことなんだと思います。要は、
有害性が証明できない、
科学的知見がわからなくて証明できない、有害だというおそれがあるけれども証明できないときには使っちゃだめですよ、市場に製品として使ったりその技術を使ったりしてはいけませんよという考え方に立つのか、あるいは安全性が証明できるまでは使っちゃいけませんという
立場に立つのかということなんですよね。有害だということが証明できなけりゃ使っていいよという考え方でいくのか、安全性が証明できなければ使っちゃいけませんよという
立場でいくのかというふうに私は簡単に言うと言えるのではないかなというふうに思うんですよね。
それで、この第十五原則は、要は安全性が立証できなければ、立証できないものは使っちゃいけません、極端に言えばそういうことになるんだろう、このように思うんですけれども、これを産業
経済政策の中でどう組み込んでいくかということが大きな
課題なんですよ。
今まで
日本は、
有害性や危険性や
毒性が証明できなければ、
科学的知見が明らかでなければ使っていいですよ、
規制しなかったんですね。しかし、
世界の趨勢はそうではなくて、その逆です。安全性が証明できなければ使っちゃいけません、予防するのが原則なんですというようなことに価値観が転換しているというところなんですよ。そこを、特に
経済産業政策を取り仕切る
大臣の
認識というのは、極めてこれは現実には問われてくる問題であるというふうに思うんですが、そこをぜひ御
確認いただきたいなというふうに思うんですよ。