○中野(寛)
委員 国連について、我々は過大評価もしてはいけませんし、過小評価をしてもいけないと思います。国連がまだ未成熟なもので、未完成なものであることは、それはもう皆周知の事実であります。しかし、ややもすると、
日本人はといいますか、今日まで
日本政府でさえも、国連の決定に従うなどという受動的な表現というのが余りにも多かった。
国連というのは国会と一緒です、それで、世界の国々が国連を広場として
議論をする、ある
意味ではみずからの国益を国連を通じて実現していく、そういう
一つの機関、または道具でしょう。そういう姿勢を、もっともっと自覚した行動を、
日本として
国民に目に見える形でやってもらいたいなという強い意識を我々としては持つわけであります。
例えば国連改革、始まってたしかことしで十年たっているんじゃないですか。十年目を迎えているんだったと思いますよ。例えば、
日本が常任
理事国に入るかどうか、そしてまた拒否権の問題をどうするか、国連の
機構改革について
議論を、たしかその最初は結構
日本も提起をし、そしてその検討が始まるきっかけをつくった国だったと私は思っているんです。しかしながら、今その
議論は全くと言っていいほど停滞をして、無為に十年目を過ごそうとしているのが今ではないんでしょうか。むしろ逆の方向へ国連が行っていないかという気がします。
例えば敵国
条項をなくす。いろいろないきさつは知っております。国連憲章を修正しようとすると、その機会にあれもこれもと出てくるので、結局
日本の要求する一項目だけを修正することにとどまらないのでというような言いわけも、今まで何回か聞いたことがあります。しかし、世界でアメリカに次いで二番目の拠出金を出している
日本を敵国
条項のまま置いておくか。国連決議は別にありますよ、ありますが、しかし、そういう非礼なことを国連加盟の国々はしていていいのかという問題。
これはこの前も、我が党の木下
委員が、一回拠出金を凍結したらどうだという
質問をしましたけれども、私も同感ですよ。そのくらいの気持ちを持ってやはりやっていくということ。言うならば金を出した国が国際社会では
発言力、
発言権が強いんですから、そのことをもっと意識した努力というのがなされてしかるべきなのではないんですか。
国連改革について、国連でそういう機関が設けられて十年目を迎えた今、国連改革について
日本はどういう役割を果たしているんですか。ほとんど今停滞して、この問題は
議論にさえなっていないぐらいの状況に国連はなっているはずです、特に安保理改革について。どう
認識しておられますか。