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参考人(
高橋進君)
日本総研の
高橋でございます。
昨年十一月にも実はこの会で
お話をさせていただきました。今回、再び発言させていただくことを大変光栄に存じます。
私からは、少し総論的な
お話になりますが、お
手元のレジュメに沿いまして
お話をさせていただきたいというふうに思います。
まず、私、申し上げたい
最初の
ポイントは、
地方経済の疲弊ということでございます。
空洞化ということが随分今まで言われてまいりましたけれども、私は、現在、
地方経済というのはその
空洞化が更に進展してむしろ
衰退の
危機に直面しているというふうに思います。主たる
理由は三点でございます。
一つは、元々
空洞化というのは
アジアとの
分業体制の
構築の結果でございますけれども、ここに来てとりわけ
中国が台頭することによって従来とは違う
空洞化に直面しているという気がいたします。
中国が台頭してくることのインパクトについては
皆様よく御
承知でいらっしゃいますけれども、とりわけ
日本あるいは
アジアの
周辺国に非常に大きな
影響が出てきております。
今は、
日本も
中国が台頭することによって
日本の輸出が増えていくという形で恩恵を受けておりますが、やはり将来的には
生産基地が海外に移ってしまうということで、不可逆的な
影響が出てくる
可能性があるのではないかと思っております。そういう
意味で、
日本の
物づくりの国境が、今は
日本海にございますが、これが
中国の
沿海部にまで広がってしまう、そういうふうに考えるべきときではないかと思います。
二つ目の
理由が、交通・
通信手段、言わばITの発達とその
帰結でございます。
全国的な均衡的な発展ということを国是としてやってまいりましたけれども、そのある
意味では
帰結でございますけれども、ここに来まして
首都圏あるいは
地域の中での一極の
集中というのが加速しているように思います。東京への
集中はもとよりでございますけれども、例えば九州全体を見ましても福岡に
集中が進んでいるということでございまして、単に
中央対
地方ということではなくて、
地方間の
競争あるいは対立ということも生じているというふうに思います。
三点目が、足元の
財政状況を反映しましたことでございまして、
公共事業、
補助金の削減、これに伴って
地方経済が更に疲弊するということでございます。
公共事業について見ますと、これから
財政健全化の
プロセスで恐らく十年余りの間に三割から五割ボリュームを減らしていかなくちゃいけないと。一方で、それを補完すべき民需はそう簡単には出てこないと。それから、
公共事業の中身につきましても、都市型というふうに移っていくとすれば、特に
公共事業依存度の高い
地域部でその
影響が加速的に現われてくるという気がいたします。
以上の三点をもって、従来にも増して
地方経済というのは
衰退の
危機にあると思います。
こういう中で、
地方経済・
社会をどう自立させるかということが非常に大きな論点になってきているというふうに思います。
その
一つ、まず第一点目は、
地方経済の再生なくして
構造改革なしということでございまして、
地方経済が
衰退すればするほど、
地方経済というのは結局
中央依存になっていくということでございますが、しかし、
地方の
衰退が進めば進むほど、今度は国全体としては
地方を支えるための
コストが非常な重荷になっていくということでございますので、やはり
地方が自立しなければいけないということが
最初の
ポイントでございます。
二つ目でございますけれども、
日本社会の
高齢化が急速に進んでいるということでございます。
高齢化社会における
行政サービスということを考えますと、看護、介護はもとより、対
個人の
手間の掛かる
サービス、
手間暇の掛かる
サービスをいかに根気よく
提供していくこと、これが結局
住民の満足を得ることでございますので、当然その
サービス提供の主体は
地方自治体にあると。ところが、その
地方が疲弊していったのでは、その
サービスの
提供ができないということでございます。
三点目に、
日本の
経済・
社会が大きく
自己責任を強調する
社会に移りつつあります。従来は、
日本は皆年金、皆保険に代表されますような
政府丸抱え、公的な助成の強い
社会であったと。ところが、これを言わばアメリカ型の
自己責任型、
自助努力の
社会に変えていこうというわけでございますけれども、これは非常に
個人にとって住みづらい
社会ではないかというふうに思います。私は、公、官と自を埋めるものとしてやはりコミュニティー、あるいはともに助け合う、仮に共助とさせていただきますが、こういう
システムがないと非常に
日本というのは住みにくい
社会になるんではないかということでございまして、その中間の領域を膨らませていくということが
課題ではないかというふうに思います。
四番目としまして、
市場メカニズムの
活用ということでございます。
民間経済の
世界ではもう
市場メカニズムの
活用というのは常識でございますけれども、
行政につきましてもやはり
顧客中心主義への転換と。
顧客というのは、すなわち
住民であり
納税者でございますが、これが必要になってきているということで、
地方の現場を見ますと、既に三重県などは
生活者起点ということで
顧客を意識した
行政改革が行われているというふうに思います。
五番目の
ポイントでございますが、更に五年、十五年先まで
日本経済・
社会を考えてみますと、私は
価値観の
変化というのが進むんではないかというふうに思います。そもそもシビルミニマムということでどこまで
社会として
セーフティーネットを張っていくかという
課題と、もう
一つは、やはりこれまでの
日本を見直してもっとスローな
社会を作ろうということでございまして、スローという言葉が付きますと
イタリアがすぐに念頭に浮かぶわけでございますけれども、
イタリアの持っているようなそういう
社会を
日本の中にも取り入れていくという
考え方が強くなってくるんではないかというふうに思います。
三番目としまして、こういった
日本の
変化が
世界で初めて起こっているわけではないということでございまして、三つの
地域の例を申し上げさせていただきたいと思います。
まず
一つは、先ほど
鶴参考人からも
お話がございましたが、
中国の経験でございます。
中国におきます
経済開発
特区でございますけれども、なぜ広東省が選ばれたかということでございますけれども、これはやはり
社会主義が行き詰まる中で市場
経済への移行という非常に壮大な
実験をしなくちゃいけないと。その場合に、
経済的に辺境の地である広東省なり深センが選ばれたということだろうと思います。いきなり北京や上海ではできなかったということでございますが、結果的にこの広東省の発展が契機となって今の
中国経済があるわけでございまして、そういう
意味では、この
特区という
実験が体制移行ということでも
成功しましたし、それから香港に近いとかいう
地域特性を顕在化させることでも
効果がありましたし、ITを
中心に
特定産業を
集積するということでも非常に
効果があったということではないかと思います。
二つ目、三番目の例は必ずしも
特区ではございませんが、
地域が
活性化している例でございます。アメリカがその例でございます。
九〇年代のアメリカというのはIT
産業を
中心に極めて発展したということが常識化しておりますけれども、それでは、これを
中央と
地方に分けて、一体どこが発展したのかというふうに考えてみますと、やはり
地方経済ではなかったかというふうに思います。シリコンバレーの例は余りにも有名でございますけれども、実はその陰に隠れて、テキサスその他非常に
活性化した
地域がございます。
なぜアメリカで九〇年代に
地域経済が
活性化したのか。具体的には高い成長と雇用の拡大があったわけでございますが、その背景を見てみますと、大きくは三つぐらい
理由があると思います。
一つは、
中央に比べて非常に
コストが安かった、物価が安かったということでございますし、
二つ目に、やはり交通
通信手段が発達して利便性が非常に高くなったということ、三番目に、各
地域に共通していますのが、産学協同が非常にうまくいったということでございまして、どこの
地域でも、
地域の発展を支える
教育システムあるいは学校、大学があったということでございます。
マクロ的にアメリカ
経済を見てみましても、九〇年代に
経済全体を牽引しましたのはIT
産業でございますが、一方で、雇用を拡大したのは実はIT
産業ではなくて
サービス業でございまして、恐らくIT
産業がもうけ頭になって、その収益、利益というのが従業員を通して
社会に均てんしていった、そしてその
サービス業が、
個人向け、
企業向けの
サービス業が膨らんでいったと、そういう構図ではないかと。そして、その担い手が実は
地域経済であったということでございます。
三番目の例が
イタリアでございます。
先ほどもちょっと申し上げましたが、
イタリアというのは、ある
意味で非常に
分権化された
社会、細分化された
社会と言われていますが、
地域経済・
社会が非常に元気だという気がいたします。
日本にとりまして、最近特に
イタリアの例で紹介されておりますのがいわゆるスローフード運動ということでございまして、ファストフードではなくてスローフードの
社会を作ろうということでございまして、単に食べ物だけではなくて
社会変革運動になっているという気がいたします。
もう
一つイタリアに注目する例としましては、
イタリアの
地域から起きて
世界的に非常に有名になった活躍している
企業、こういうものが多々あるということでございまして、かつてのオリベッティはそうでございますし、今のファッション業界などというのも、決して
中央集権的な
社会ではなくて、
地方の豊かなバラエティーの中から生まれてきているという気がいたします。
以上、三つの
地域、他国の例を取って申し上げました。
日本もこういう形で
活性化していくということができれば新しい
社会を作れるという気がいたします。
そこで、現実に戻りまして、小泉内閣の
構造改革がこういう方向に向かっているかということでございますけれども、基本的に小泉内閣というのは、
地方分権の流れを加速し、そして
地方を自立させると。そのために
分権化と
地域の
活性化を進めているわけでございまして、正にこの
二つというのは
地域を再生させるための両輪だというふうに考えております。
二ページ目にお移りいただきたいと思います。
具体的に小泉内閣が進めておりますことは、国と
地方との関係の見直し、そして
地方分権の推進と、この一、二が広い
意味では
地方への権限と財源の移譲ということに当たると思います。そして、もう
一つの柱が
活性化の柱ということで、
構造改革特区の
お話でございます。
特区の詳細につきましては、先ほど
鶴参考人から
お話がございましたので概略だけ申し上げたいと思いますが、私は、この
特区を作ることで、メリットとして
地域における選択と
集中と、
地域の中でも絞り込みが起きるということ。それから、
特区ができることによって今沈滞しております
企業の投資意欲が刺激されると。
特区がなければ投資が出てこなかったであろうものがプラスアルファで出てくる、取り合いということではなくて、プラスアルファで出てくるということでございます。三つ目に、
一つの
地域でうまくいけば、何で
全国でやってはいけないんだということで
規制緩和の突破口になるということではないかと思います。ただし、足下の
構造改革特区につきましてはまだまだ
政策的な
課題が大きいというふうに理解しております。
問題点は大きくは三つあるかと思います。
一つは、規制の
改革ということでございますが、いわゆる
経済的な規制、参入規制のようなものはかなり既に緩和されているわけでございますが、私は、
特区につきましても引き続き
社会的な規制というのがネックになっている。具体的には医療ですとか
教育とか農業、こういったところに株式会社の参入を認めるか否かということが非常に大きなネックになっているように思います。早く
議論を詰めて、私見を言わせていただければ、株式会社だからいかぬという
考え方というのは突破していく必要があるのではないかと思います。
二つ目の
問題点は、
特区の
成功があったときにそれをどれだけの速さで
全国に広めていけるか、そういう
波及のペースということだと思いますし、それから三点目には、やはり
特区の
地域限定の
改革で済むわけではないということでございますので、
特区の
議論を進めると同時に、やはり
全国的な規制
改革というものについての
議論をもっと高めないといけないと。
以上三点がこれから更に強化すべき
問題点ではないかというふうに思います。
特区のことを離れまして、少し長い
視点になりますが、もうちょっと
日本経済全体を考えたときに、
地域の
活性化ということについての
意味ということで
お話をさせていただきたいと思います。
私は、
日本の
経済社会全体が二十一世紀に入ってやはり新しいビジョンを模索する今ステージに入ってきているというふうに思います。そういう中で、
地域というものが新しい役割を与えられるというふうに考えております。
ポイントを
幾つか申し上げたいと思います。
まず
一つは、今、小泉内閣が非常に市場原理あるいはグローバルスタンダードへのさや寄せということを強調しておられますが、私はこういった
市場メカニズムの
活用というのは、
社会改革のツールではあったとしても、それそのものが目的ではないということでございまして、どういう
社会をつくるのかというのは別途
課題としてビジョンを示す必要があるのではないかというふうに思います。
そこで、じゃ、二十一世紀はどういう
社会かということを考えますと、やはり二十世紀の
日本が成長至上あるいは物質的豊かさを追求する
経済政策でございました。この結果、
日本人は本当に幸せになったのかということでございまして、物質的には幸せでございますが、本当の
意味での豊かさとか生きる幸せというものを感じているかと。二十一世紀は、高い築き上げた生活水準の上にこの豊かさ、幸せを目標とすることが
日本にとってあるべき姿ではないかというふうに思います。
そして、そういった新しい目標への動きというのは、もう既にいろんなところで現れてきているという気がいたします。
中央の
改革をまつまでもなく、
地域を見ますと、ボランティア活動、NPO活動、
地域通貨、こういった言わば
行政にもできない、あるいは営利を主体とする
企業活動にもできない、そういったところのすき間を埋めて
個人に
サービスを
提供するという活動の活発化ということが見られるわけでございまして、これをこれから
社会の変革の力としてどう育てていくかということだと思います。
一方で、
教育とか道徳、
社会の荒廃、これが問題になっているわけでございますけれども、これも、今のような
経済社会システムの中でこの問題を考えていってもなかなか答えが出てこないということでございますので、新しい
価値観あるいはプラットホームを模索してそこで解決していくということではないかと思います。
少し気取った言い方をさせていただきましたが、要は、例えば
教育であれば学校
教育すべてではないと。昔の子供たちは例えば
地域社会の中で隣のおやじにしかられて育ったわけでございまして、他人から今はしかられると逆切れするというような、そういう
社会ではなくて、コミュニティー全体で子供を育てていく、道徳を養っていく。そのためには新しい
地域というものが必要ではないか、それがプラットホームということでございます。
もう
一つの
ポイントが
日本経済そのものでございますが、
物づくりということでございます。これが今、大量生産型の
物づくりが限界に来ております。これからの
日本の生きる道は
物づくり自体の高付加価値化と、そして
物づくり以外の言わば非製造業の拡大ということでございます。そして、この
二つのことを同時に進めていく必要があるわけでございますが、そういう
意味でポスト
物づくりを考えますと、私は、
日本の非常に高度な
社会システムを作ることで、そこから出てくる
価値観というものを新しい
物づくりなり非製造業に拡大していくということが必要なんではないかと。
具体的に申し上げますと、例えば観光業というものがございます。これは典型的なオールドエコノミーでございますが、先進国でこの観光収支がマイナスの国は、先進国の中では
日本だけでございます。観光というのはどうやったら
産業として発展させることができるかと考えますと、やはりこれは
地域の伝統とか
社会の知恵、そういったものが
地域全体に生かされて初めて
産業として成り立つわけでございます。そういう
意味で、決してハイテクばかりではございませんで、
日本が行き着いた高度な
社会の中から、医療だとか看護・介護、あるいは観光だとか、いろんな
分野で新しい
価値観を生み出すことができればそれを新しい輸出品として売り出すことができる、
日本は外から金を稼げるということではないかと思います。
そういう中で、こういう新しいビジョンなりモデルを模索する動きというのはもう既に出てきているという気がいたします。それが六番目で申し上げたいまちづくりということでございます。
元々は
社会経済生産性本部が提唱を始めたものでございますけれども、町をつくり直すということを
一つの
考え方、
地域再生の
考え方の中に入れてみようということでございまして、まちづくりの観点というのはここに五つ御紹介申し上げておりますが、
一つは、三重県の例にもございましたけれども、
生活者起点の
構造改革ということで、
行政の受け手たる
住民の意思とか
責任、これをもっと反映させた政治をしようということで、そのツールとして情報公開とか
政策評価、こういったものが挙げられると思います。
二つ目の
ポイントがその町ということでございまして、これを
一つの
行政単位と考えて、この生活空間をどう変えていくかと、そういう発想をする。国とか県とかということではないということでございます。
三番目に、そういう中で、町の中に新しい
産業とか雇用を作っていくということをしなければいけない。国全体としての
産業振興、雇用創出ということもございますが、この町の中から新たな
産業、雇用が生まれていくという仕組みを作るということだと思います。
四番目に、こういう町の中で、先ほどもちょっと申し上げましたが、
教育とかあるいは
教育の
プロセスを通じての世代間交流、こういったものを養っていくと。それによって若年層と高齢者のギャップを埋めていく、あるいはコミュニティーとして若年を育てていくということではないかと思います。
そして五番目としまして、そういう
プロセスの中で、個々人が高齢者になったとしても、
自分が孤立感を持たないで、
社会に貢献しているんだと、あるいは
社会に必要とされているんだと感じる、それが生きる
意味だと思いますし、自己実現にもなっていくということで、こういったまちづくりを目指した
行政というものが面白いんではないかという気がいたします。
これは
中央主導で進む
構造改革の受皿というふうに考えることもできますが、一方で、
中央主導の
構造改革とは全く別の
プロセスで進んでいく下からの
改革と。これが必ずしも交わる必然性はないわけでございますけれども、そういった新しい選択肢ということもあり得るのではないかという気がいたします。
いずれにしましても、
地方を自立させるということが
課題でございますので、最後に、そのための
政策課題ということで四点申し上げたいと思います。
第一点は、
分権化の徹底ということでございまして、
分権化は様々なレベルで進めていく必要があると。今、余りにも
行政に決定権限が移っておりますが、
集中しておりますが、これを立法と司法へどんどん分権して、ある
意味で三権分立を確立するということ。それから、国から
地方へ、官から民へ、
政府から
住民、それからマーケットの自己決定へと、あらゆる
場所での
分権化というのを更に進めていくということ。
二つ目に、その
プロセスの中で、やはり
行政の単位がある
程度自立的なサイズあるいは機能を持たなくちゃいけないということになりますので、市町村合併というものはどうしても必要だというふうに思います。
三番目に、
規制緩和、
構造改革ということで先ほど
特区のところでも申し上げましたけれども、やはり
地域限定ということではなくて、
社会全体として規制
改革を進める必要があるということ。
四番目に、既に生まれ始めている新しいコンセプトであるNPOだとか
地域通貨、こういったものをどうやって新しいツールとして育てていくかという観点で、これに対する財政支援あるいは税制優遇、あるいは活動する場合には当然金が必要でございますので、今の間接金融主体の中からでは調達できない資金をどう供給していくかというファイナンス手段の拡充も含めまして、こういった新しいツールを育てていくという
政策が必要なんではないかというふうに考えている次第でございます。
私からは以上でございます。