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脇雅史君
国土にとって、
我が国は非常に森林の多い国でありますが、それでもなおかつ森林を
整備していくということは大事なことでありますし、それを決して否定するわけではありません。だけれ
ども、森林が持っている機能というのをやはり余り過大に評価してもいけないわけですし、しっかりとした情報を
国民の
皆さんに流していただきたい。我々もその
方向で努力をしたいと思っております。
次に、最近の入札・契約問題に移りたいと思うのでありますが、私、この十月に全国各地十五か所ぐらい歩きまして、本当に多くの方々と
意見交換をしてまいりました。
ある場所では、
大臣、こういうふうに言われました。
日本は一九四五年以降戦争はしていない国だと、なるほど戦争はしていない、だけれ
ども、私
たちは今戦争をしているような感じがする、毎年三万人死んでいる、これは大変な戦争だと、ちょっとした戦争よりも戦死者多いですよと。三万人というのは御案内の自殺者の数なんです。何もそれは建設業ばっかりじゃありません。本当に今の
時代、建設業で
仕事をしていくという人はそういう思いで
仕事をしているということに胸を打たれるとともに、非常に厳しいんだなとますます思ったわけでありますが。
昔、百姓は生かさぬように殺さぬようにという言葉がありました。今の発注者の親分、総理
大臣は、某建設会社が破綻したときに、改革が進んでいる証拠だ、結構な話だと。これは、要するに会社は死んでもいい、生かさぬように殺さぬようにどころか、死んでもいい、安く
仕事をすりゃいいんだと。塩川財務
大臣は何と言ったか。あるところでは五〇%で入札しているんだから予定価高過ぎる、五〇%にすればいい。そんなことができるはずがない。一か所だけ見りゃそういうことはあるかもしれないけれ
ども、国の責任者がそういうことを言っている政府なんです。建設業は一体どうなるんだという思いで私は非常に申し訳ない思いもいたしましたし、腹立たしい思いも同時にしたわけであります。
そこで、今の市場といいましょうか、
公共事業がどんな発注のされ方をしているかということをちょっと
考えてみたい。
今、大方の世論の、
皆さんもいい発注とは何かと。できるだけ多くの会社を指名に入れて競争させて、競争すればするほどいい、安い価格で落ちればそれが最善だと。一切発注者と
受注者はネゴもしないし、話もしない。完全な壁を作っておいて、こういう工事をやりますよという広報だけして、後は電子入札でも何でも数多く入ってきて、やみ鍋に札をぶち込んで、かき混ぜて、一番安いところを見付けて、これと契約したらいい
仕事ができる、そんなことをやっているんですね。それがいい
仕事だと今思っている節がある。それが市場原理だと、市場の競争原理を使っているんだというわけですよ。
なるほど買手側の
受注者、建設会社はもう大変な競争を強いられる。数多く入れるということは数多くに札入れに行くわけですから、三十社指名したら、取れない会社が二十九社、一生懸命積算しなくちゃいけない。そんなことできるわけないでしょう。百社指名したら百社に札を入れに行かなくちゃいけない。入れに行く手間だけでも大変ですけれ
ども、それをまじめに積算なんかできますか。できるはずがない。できるはずがないけれ
ども、それがいいことだというのが今の世論。
つまり、売手と買手があって、買手側にだけ完全なひどい競争を強いる。売手側はどこにいるかというと、売手は市場にはいない。役所という安全な岸の上に立って、競争だけさせているという悪代官以上の構図なんですよ。
市場原理って本来何かというと、普通の市場を
考えれば分かるんですけれ
ども、売手と市場の間に本来の市場原理があるんです。買手側だけにも市場原理はあります、売手と買手にもあるのが市場原理だと。売手と買手の間の市場原理というと何かというと、例えば私が家を建てたいときに、業者は信頼できそうな業者を呼んで、こんな家建てたいんだけれ
ども何ぼでやってもらえますかといろんなことを交渉しながら、じゃ、こっちはこうだけれ
どもこっちはまけてやるとか、いろんなアイデアも出してもらいながら二、三社やってみて、じゃ、あんたに頼むなということをやるんです。つまり、売手と買手の間にコミュニケーションが存在しないと健全な市場にはならないんですね。
今、
公共事業でやっている話は、不祥事が起こっちゃいけないから一切遮断しましょうと。話しちゃいけません、官製談合もあるかもしれません、いろんなことがあるからとにかく遮断しましょうと。一切譲歩しません。変なところでは、最近は現場さえ見せない。これから物を造るのに現場さえ見ないでいい設計できるわけない。そういうことをやっているわけですから。
そして、業者の目から見たら、いつ
仕事が取れるか全く分からない。業者同士で話をしてはいけない、発注者と話をしてはいけない。営業努力も認められないんですよ。営業努力のしようがない。どうやって会社経営するんですか。くじ引でやっていて自慢している市長さんがいますよ。悪いけれ
ども、今回もくじ外れたからあんたら給料ないよって、どうやって会社経営できるか。
だから、
大臣、会社の身になってください。今のような経営、発注の形態で会社経営できると思いますか、健全な市場が築かれると思いますか。このまま行ったら、それで悪い業者はどんどん減ればいい、業者は数が多いんだからと。こんな悪い
行政はあり得ないですよ。信じられない世界だと。
今までは役所の
皆さんもいろんな改革をしながらどんどんどんどん改革されていると思い込んでやってきています。だけれ
ども、結果的に何が良くなったかというと、何にも良くなっていないんです。大変な思いをしているんです、発注者も今。もう物すごい忙しいものだから、現場なんか見る暇もない。
受注者もあっちこっち呼ばれて大変な思いをしているけれ
ども、いつ
仕事が取れるかも分からない。じゃ、肝心の、税金を使って良いものを未来に残すのが
公共事業の精神ですから、究極の目的ですから、それが少しでも達成されていりゃまだ救いがあるけれ
ども、それすら怪しいという。余計に怪しいんですよ、いい
仕事をしているかどうか。
ですから、今は正に安値受注、ダンピング対策もしなければいけない、いろんなことをしなければいけないんですが、今やっている
我が国の
公共事業の発注の仕方が本当にいいのか、発注者だけの都合じゃないかと。安けりゃいいんだ、税金使うんだから安けりゃいいんだと。その安けりゃいいんだという精神がまた問題なんであって、その安い分はどっかから業者は使うわけですよ、ほかでもうけた金を。ということは、
公共事業の発注者でありながら人様の上がりをかすめ取るような話なんですね、ダンピング受注を認めているというのは。
公共事業の発注者というのは全体を見なければいけない。さっき
大臣は木を見て森を見ずということはしないと言ったけれ
ども、今の発注
行政に一番欠けていることは、個別の契約は、契約したんだからその契約に基づいていい
仕事をしてもらおうという精神だけは極めて強いけれ
ども、全体の業界がうまくいっているかどうか、市場全体を見る目がない。正に森を見ていないんです。市場全体をだれが見ているかというと、だれも見ていない。本来、公正取引
委員会なりなんなりがきちっと見るべきです。ところが、独禁法の世界も、個別の談合は捕まえるけれ
ども、市場が適正であるかどうかということではなかなか話が外へ出てこない。そういう
意味で、
我が国においては市場を見る人がだれもいない。
本当にこの建設業においては大変な事態にあるというのが、その十月を通じて私の基本的な認識なんでございますが、余り時間がないので全部まとめて話を申し上げましたけれ
ども、まとめてどなたか御
意見をいただければ。