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井上哲士君
日本共産党の
井上哲士です。
調査会での一年間にわたる
イスラムの勉強を踏まえて、しかもアメリカの
イラク攻撃問題が国際的な焦点となっているときに、大変時宜にかなった充実した
調査ができたと思っております。
与野党六人で和気あいあいと
調査活動をいたしまして、まとめていただいた
関谷団長、また一緒に参加した同僚議員の皆さん、事務局の皆さんに改めて感謝をしたいと
思います。
また、現地で大変歓迎をされたというのも御
報告をしておきたいことでありまして、この種のものはキャンセルになることも結構あるかと思うんですが、例えば、
シリアでは、当初は副
首相と会うはずだったのが急遽
首相が会いたいということになったり、
エジプトでも次々と要人の会談が前日、前々日にセットをされるということで、大変
日本の
政治家と会いたいという熱意を感じましたし、逆に言いますと、まだまだ
訪問が少ないということの裏返しかなとも
思いましたけれども、そういう点で、大変充実した
調査ができたかと思っております。
幾つか私
自身が
印象に残ったことについて述べさしていただきます。
一つは、それぞれ今ありましたけれども、アメリカの
イラク攻撃計画に対する
中東各国の反対論の強さでありました。
訪問した国の中には、湾岸戦争のときには多国籍軍に加わった国もあったわけでありますが、そこも含めて、それぞれが反対を表明をされました。幾つか
共通をする声がありましたけれども、
一つは、やはり
中東に及ぼす影響が非常に大きい。
シリアの
ミロ首相は、否定的な影響は、
イラクのみならず
中東地域の安定に悪い影響を及ぼし、
テロリストの活動を引き起こしてしまうだろうと、こう述べられました。
二つ目は、外国が力によって
政権転覆をさせるというあしき前例を許してはならない、こういう言葉でもありました。
エジプトのスルール人民議会の議長は、サダム・フセインは確かに独裁者であるが、
米国の力によってフセインを
攻撃することが許されるのか、私はフセインには反対するが、
米国の
イラク攻撃にも反対すると、こういうふうに述べられました。
それから
三つ目は、やはり
共通をして、
国連決議の遵守という声でありました。先ほど、現状への失望ということも出されましたけれども、それと裏腹のやはり期待もあるわけでありまして、
レバノンの
ハンムート外相は、
世界の平和の維持のためには
国際法、国際的な
決議を誠実に守ることである、異なった基準、ダブルスタンダードはよくないと、こういうことを言われました。
それから、二つ目に感じた、
印象に残った問題は、そういう中で、
日本がどのように親しまれ、何を期待をされているのかということでありました。
政治家のみならず、
国民的なレベルで非常に親近感が強いというのが
印象でありました。
その中で、私
自身でいいますと、私が広島で育ったということもありまして、何人かの要人が広島、長崎について述べられたということが大変
印象的でありました。例えば
イスタンブール県の
宗教指導者のタシュさんは、
日本は
自分の国のように近い存在と思える、なぜなら我々は五十七年前の広島、長崎の悲しみの感情を共有するからであると、こう言われましたし、
シリアのカッドゥーラ人民議
会議長は、第二次大戦では
最後の段階で広島、長崎の被爆という悲劇を経験された、しかし、大戦後は他の
国民に有益なものを作ること、発明に努力をされた、
日本は力ではなく合理性に基づいて国際
関係を築いておられると、こう言われました。また、同じく
シリアのアッタール元
文化大臣は、
シリアは感受性が強い
国民である、
余り教養のない人でも広島、長崎について同情を禁じ得ない人は多い、私は広島に行って深い
印象を受けた、私たちが受けている
状況からして広島、長崎は遠い存在でないと、こういうふうに言われました。
私たち
日本人が思う以上に
中東の皆さんが広島、長崎と、そして
中東の現状などを重ね合わせながら親しみを持っていらっしゃるということは大変
印象的でありました。
こういう
立場を生かして、今日の
中東和平の問題とか
イラク攻撃の問題で、
日本がやはり大きな
立場を、
役割を果たすことが必要ではないかということを感じました。
それから
三つ目は、
イスラム国家の多様性、そして
イスラム教の寛容さということが、言葉ではなく実感として分かったということであります。一口に
イスラム国家と言っても、
宗教や
政治、
社会とのかかわり方がそれぞれ違うということはこの一年間勉強してきたわけでありますが、やはり現地に行きますと大変実感をいたしました。
トルコは完全な
宗教分離がされておりまして、逆に
イスラム教の服装で国の公の施設には入ってはならないというところまでやられておりました。
シリアと
レバノンは大変
共通する国でありまして、陸続きで国境も渡りましたけれども、
シリア国内では英語の看板というのはほとんど見ることはありませんでしたが、国境を越えますとたくさんあるであるとか、大変
文化状況も違っておりました。
それから、今も御
報告あったように、
イスラム教が寛容で他の
宗教と
共存をできるということは、言葉としてもありましたけれども、私
自身はいろんな
宗教施設を
視察をする中でそのことを感じました。
例えば、あの
シリアのウマイヤド・モスクというのを見ましたけれども、これは四世紀
時代には
キリスト教のセント・ヨハネの教会堂でしたけれども、七世紀に
イスラム教がダマスカスに入城をして、しばらくの間はこの
キリスト教の教会の一部を間借りをして
イスラム教徒の皆さんが祈りの場としておられた。その後、
イスラム教徒が買い取って今はモスクに改造をされているわけでありますが、その中にセント・ヨハネの首が今も納められている墓もありました。
それから、
トルコのアヤ・ソフィアも見ましたけれども、これは六世紀に建てられた
キリスト教の大本山で、当時は内部の壁に様々なキリストやその家族などのモザイク画がかかれておりました。十五世紀にオスマン・
トルコに接収されてモスクになって、その際に内部が全部しっくいで固められたわけでありますが、最近それが発見をされたということで、ここを博物館にして、しっくいを外して昔の
キリスト教の教会
時代のモザイク絵を見れるようにするという工事も行われておりました。
アフガニスタンでのあの仏像の爆破というような映像を見ておりますと、大変
イスラム教が他の
宗教に対して非常に非寛容な
印象を我々持つわけでありますけれども、実際には、いろんなこういう
宗教施設も含めて、いろいろと
共存をしているという
歴史を見ることは大変有意義だったかと
思います。
最後に、
歴史と
文化の多様さをお互いに認め合い、その中で
共存をしていくということは今
調査会の
テーマでありましたが、大変その必要性も実感をいたしました。よく
日本では何でもまくら言葉にグローバルスタンダードという言葉が今聞かれるわけでありますが、あちらに行ってそういう言葉を聞くことはありませんで、むしろそれはアメリカンスタンダードとして理解をされている。それぞれ
歴史も
文化も
社会風俗も
政治も違う。それを認め合うことが必要であり、特定の国のやり方を押し付けるということが矛盾を負い、いろんなやっぱり
中東の反米感情の根元にあるのではないかということも見ることができました。
以上、私の
印象を述べさしていただきました。