○
参考人(
小林節君) 私の
意見の詳細は、お手元のレジュメと、それから後で恐らく
質疑の際にお尋ねいただけるであろうことに譲るとして、今ここでは全体に関する印象として一点に的を絞ってお話し申し上げます。
それは、この
改革案の
下敷きになっている
民主主義という言葉の
使い方なんですけれども、ちょっとそれについて気に掛かることがございます。
この
改革案が出てまいりました背景は、もう御存じのとおり、多発した不祥事をきっかけとして
機能不全と
信用低下の
行政の実情が明らかになってきたわけでありますが、そこで、
行政改革の一環として機動性ある
行政組織をということで今回の御
提案になっているわけであります。
この御
提案の
骨筋は、要するに
行政部公務員の
採用、
人事管理、再
就職の言ってしまえば
自由化、つまり各
府省庁の
自立化。それと並行して、言わば
内閣の目付のような
位置にいる
人事院の
機能の削減ということであると理解いたします。その
理論的根拠が
民主主義でありまして、要は
主権者国民の直接
代表である
最高機関国会から指名された
総理大臣が
組織している
内閣が、そして
内閣の
メンバーである
大臣が
政治責任を持って
行政各部門のチームを指揮し、
責任も取る、これは筋通っていますよね。
ただ、この
民主主義の
使い方に私はちょっと異論がありまして、
民主主義というのは多様な
意味がございまして、それ自体は目的でも何でもなくて、要するに自由で豊かで平和な良き
社会を作る一
手段として
民主主義があって、
民主主義のファクターとしては、側面としては、
多数決民主主義、これがその
下敷きにある
民主主義です。多数派がその
手続を踏んで押さえ込むと。でも、背後に
主権者国民がいるからいいんですけれども、ただ、それが歴史的に間違いを起こした
経験もあるからこそ、その中に
多数決民主主義でない
立憲民主主義といって
チェックス・アンド・バランシズの
機能も一要素として入れているはずなんです。それはどうなったのかな。
それからもう
一つは、
民主主義というのはあくまでも知らしめて論じ合って
納得ずくで決めていく。そういう
意味で、私は問題があると今回は思うんです。事実、
議員の
先生方とお話ししても、意外と
議員の
先生方と
国民大衆が知らないうちに事が運んでいってしまったという事実。つまり、これは
民主主義の
手続論でありますが、そういう点で瑕疵があるということは、これは、見落とすとこれは先例になりますから私はよろしくないと考えます。
それから、繰り返しますが、
多数決民主主義でいきますと、力の横暴な間違いがあり得たからこそ
チェックス・アンド・バランシズで、つまり
国家権力を三つに分けて、更に
立法権力を二つに分けて、更に
行政権力を
内閣と
独立行政委員会に分ける、こういう
仕組みを我々は憲法を
根拠に持っているはずなんです。その根幹にかかわる問題ではないか。
それからもう
一つは、
民主主義も先ほど
手段と申し上げましたけれども、
民主主義の一
機能として多数が少数を不当に扱わないためにぎりぎりの予防線として
人権があるはずなんです。そうすると、この
過程で、
当事者の
片方が
権力を増し、そしてそれは
立法手段によって増す。そして、
片方の
当事者の
人権が軽んじられている。これも、それこそ非民主的ではないかと私は思うわけであります。
これが理論的な難点でありますが、更に
機能的問題として疑義を提示しておきたいですが、これはもう方々で言われていることでありますが、本来、国の
あるじである
主権者国民、その直接
代表たる
最高機関国会の
議員たち、そこから選ばれた
総理が
組織している
内閣が
行政官僚を手足のごとく用いて国政を遂行していく。つまり、
国会で決定された国策を
現場で執行していく、あるいはそのフィードバックとしての
政策提案を受けていく。この
過程で、
大臣と
行政官僚の
関係、これはだれでも知っていることですが、
大臣に
年間最低数十件、ただ、現実に問題になっている
地方の部局の
建設関係の
担当の人が
地方の
建設業協会に
天下りというのは、今は
包括承認、ああいうものが問題だというんで、それをもし全部
大臣に上げた場合、
大臣の
通常の
政治家としての
業務、ここにも
大臣御
経験者たくさんおられますけれども、
通常の
業務の傍ら何百件の
人事案件を実際処理できるはずはない。つまり、目標は尊いんですけれども、できないことを言っても仕方ないと私は思うんですね、
機能的な問題。
そういう
意味で、結局は、日ごろ
仕事を支えて、
大臣を支えてくれている
幹部職員が、この問題は
官房長でしょう、
大臣、これなんですけれどもよろしくと言われて、さあ
判こを押さないことができるか。私は無理だと思うんですね。本当に釈迦に説法で恐縮でございますが。
そういう
意味で、つまり、
主権者国民、
国会議員、
国会議員の中から出てきた
内閣、そして
担当省庁の
大臣、
内閣の
メンバーですけれども、それと、本来
主権者の道具であるはずの
行政官僚集団の間がぷつっと切れちゃうと思うんですね。それは、すなわち
官僚集団の独り歩き、つまり使用人が
あるじに
関係なく
主客転倒で動き出す、これも問題だったんじゃないんでしょうか。それを解決するような
方向性がないんではないかという
心配を感じております。
ただ、せっかくお呼びいただきましたので、私なりに、じゃどうすればいいのかと今思っているところを申し上げます。
これは、やはり
行政改革は当然のことながら
政治改革とセットであったわけでありまして、過去十数年様々な
努力をなすって、私もその
関連で呼んでいただいたことがありますけれども、もう
選挙制度改革から何から、それから
政党改革からいろんなことをなすって、やはり
政治の側が、何というか、
利害調整型から
政策選択形成型に変わりつつある、これは事実だと思うんです。そして、
政治がそういう点で
行政に対する
イニシアチブを、持っているとは言いませんけれども、持とうと今していると思うんですね。これを強めていくことがまず肝要であると思います。
それからもう
一つは、特にここが
参議院の
行政監視委員会なんで私は思い入れが激しいんですけれども、かつてこれの前身の
調査会のときにお呼びいただいて、
日本国行政オンブズマンは
参議院に作るべきであると発言させていただいた記憶があるんですね。正に、意外と同じ
国会議員でありながらいつ解散があるか分からない衆議院に比べて
参議院は腰を据えたお
仕事がはっきりできる、
予定表が立つんですね。そういう
意味で、しかも
参議院というのは歴史的にも何というか、リコンシダー、再考の府でありまして、生臭い
権力闘争の近くにはいるんですけれども、ちょっと待て、考えてみようという府であったはずなんです。
そういう
意味では、私は、やはり
現場の最先端にいて、必要と直面している、そして
能力がある、
行政官僚集団というのは大変有り難い存在ではありますけれども、それだけに面倒くさいというか煩わしいというか、そういうものを避けてさっさと先に行こうとする性格を本質的に持っておりますから、それはやはり
民主主義のコストとして、煩わしい
チェックス・アンド・バランシズを入れておかないと大きな被害が出て、
主権者国民が後で困ったなということになりかねないと思うんです。
でありますから、
政治全体における
政策志向型の
政治改革を前進させて、
行政に対する
イニシアチブを高めていただくことと、それから、とりわけ
参議院の
行政監視機能を高めて、正に役人の
お手盛り自己審査などさせずに、ここでチェックなさったらいい、
一つの場として。
それから、やはり
人事院の
機能不全がいろいろこれとの
関連で言われておりますけれども、
機能不全だから
人事院をつぶすとか権限を奪うというのではなくて、足りない点があったら
人事院に改めさせて、逆に言えば、それは
人事院の
機能の強化であり、あるいは、持っている刀を抜かないというのであれば抜きなさいよと激励してあげるとか、そういう形で、何を言いたいかといいますと、基本的な
チェックス・アンド・バランシズのこの
分離構造が壊れることの方が将来的には危ないんではないかということであります。
そして
最後に、要するに、
役所の
機動力を高めるということは、これは
役所にかかわらずどの
組織だって、私は
大学の教師としてたくさん優秀な学生を
行政府省庁に輩出しておりますし、それから
仕事柄いろいろ、
公法学者ですから接触もございますが、人材はいると思うんですね。要は元気をどうやったら出させるか。むしろ、例えば硬直したキャリア
制度とか、そういうものが
組織全体の力を発揮させ得なくなっているか。
これも本当に釈迦に説法でございますが、つぶれ掛けた会社が社長が替わることで立ち直ったりする、実はチームは同じなんですね。つまり、死に掛けていた集団を生かしただけの話でありまして、そういう
意味では、
試験制度を変にいじくるよりも、むしろ今いる人材はある
意味では私は良い集団を集めておられると思います。むしろそれを生かす
工夫の方をお考えになった方がいいんではないか。もちろん御
提案者もそういう趣旨なんでしょうけれども、それはさっき申し上げたような原理的な難点、
機能的な難点があるということは是非是非申し上げておきたいと思います。
多少早いですが、これで終わらせていただきます。