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参考人(
菅波完君)
菅波と申します。(
資料映写)
日本湿地ネットワークという、
日本の中で
各地の
湿地の
保全、これは川ですとか干潟ですとか、そういった水にかかわる
地域の
保全にかかわっている
市民グループ、この
ネットワーク組織として
日本湿地ネットワークは一九九一年から
活動をしてきています。
日本湿地ネットワークとしても、この
自然再生推進法の動きについては注目をしておりまして、こちらの方に書いてございますけれども、
日本湿地ネットワーク、JAWANとしてこの
法案の研究を進めてまいりました。また、実際に、九月には
アサザプロジェクトの
現地を
視察、それから十月には、
釧路湿原の
自然再生事業について、
現地に行って私もこの目で見て、問題の現場を確認してまいりました。また、先日は
衆議院の
環境委員会でも
意見を述べさせていただいています。この
立場から、今回の
参考人に呼んでいただきまして
意見を述べさせていただくという次第です。
日本湿地ネットワークとしてのこの
法案についての
考え方は、現在の
法案については
廃案にすべきという
立場でいます。その上で、私
たちの
意見というのは、我が国の
湿地保全政策に関して次のような
対策が必要なんではないかという提案をさせていただいています。
まず第一点として、従来の
公共事業への反省に立って、
自然環境の
保全を他の公益との
関係で最優先するという、非常に理念的な
部分ですけれども、そこを
出発点にするべきだということです。これについては後で詳しく説明をさせていただきます。
また、
自然再生をするに当たって、自然の
生態系が持つ特性を踏まえた
原理原則への理解が必要だと。特に、
ラムサール条約会議で
検討されました
湿地復元の
原則と
指針決議がございますけれども、こういった国際的な
流れの中でやるべきである、そういう
意見を持っております。そういった点から、この
自然再生推進法案については不十分な点が多いというのが私
たちの
廃案にすべきという根拠にもなっています。
特に、三番目に挙げておりますけれども、この
ラムサール条約会議、先日までスペインのバレンシアで行われておりましたけれども、過去の
流れの中でも既に
湿地の
保全に関する
法制度全体の
見直しということが
決議として挙げられておりまして、
日本も
締約国ですが、国としてこういった
法制度全体の
見直しをすべきという
立場にあります。しかし、そういった
法制度ができないまま、今、
自然再生法というのが今動き出そうとしているということに不十分なもの、アンバランスなものを感じているというところです。
そして、この
自然環境の
保全再生に関する抜本的な
法制度の改革というものについて、
NGO、
市民団体主導で進めるべきだということを私
たち日本湿地ネットワークの
意見として申し上げています。
御紹介しました
ラムサール条約における
湿地復元の
原則と
指針について、こういった
決議が挙げられているわけですけれども、この内容について取り急ぎ要約したものを今こちらで
パワーポイントで御紹介しています。正に、
自然再生推進法の
考え方と非常に似ている、若しくは同じ
問題意識に立っているところがあると思いますので、これは非常に重要な
ポイントではないかと考えています。
まず、その前提として、
湿地の
再生についてすべての
条約締約国が積極的に
推進すべきものだということが大前提として位置付けられています。それと併せて、
湿地の
再生や
造成、新たに
湿地を創出するというようなことがこの
法案の中でも
言葉が使われていますけれども、現時点では
造成という
レベルではないかと思いますが、それが自然の
湿地の創出の
代替措置にはなり得ないということが明確に示されています。
その上で、
対象湿地の選定、それから
再生計画の策定に当たって、これは、
ラムサール条約というのは
保全すべき
湿地を
目録にして登録するという
仕組みになっておりますけれども、
環境が悪化した
湿地、それから
湿地として失われてしまった
部分、それについてきちんとした
目録を作るべきだという
流れがあります。まず、全体として失われた
自然環境、失われた
湿地に、どこが失われたか、どこに対して
再生の手を打つべきかという国全体の中での
優先順位、
必要性の高いところからやるべきだということが
一つ重要な
ポイントだと思います。
それから、四番目に書いてあるのは、
集水域レベルで
湿地の
機能を
評価する。非常に広域にわたって
湿地の
機能を
評価する。例えば池とか川、その周りの里山ですとか
森林の
状態、その
周辺の地形的なものを含めて広域的に
湿地の
評価をするということが大きな
ポイントとして、これは諸外国の中でも大きな
流れとしてなっています。
また、その中で、
湿地再生については資源を利用する、例えば水を取るということも含めてですけれども、そういった
環境面だけでなく、社会経済的な面での
制約条件を改めて整理し直すということが位置付けられています。
そうした上で、
湿地再生をするための優先的な
地域、潜在的な
再生の
候補地を選定するというのがここで、
ラムサール条約で今正に話し合われている
湿地復元の
原則と
指針に定められていることです。
また、実際にそういった
プロセスを経てどこの
再生をするかを絞った上で、
再生事業の
プロセスとしては、この七番目にありますが、すべての
利害関係者の参画を保障し、また総合的な
目標、長期的な
目標、そして具体的な
目標、またその
再生を進めるに当たっての具体的な
評価基準、こういったものを明確化するということが重視されています。そして、複数の
計画を比較しながら、具体的な
目的の実行に本当に有効かどうかいろいろな
段階で
チェックをしていく。もちろん、
事業の
実施に当たってもモニタリングをしていく。そして、その
過程過程で
目的の実現に向けての
チェックと、この
実施計画、
目標設定の
妥当性を検証しながら進めていくと。
順応的管理とか
適応的管理というような
言葉が
保全生態学の分野でも盛んに使われるようになっていますけれども、そういった
プロセスの
重要性が述べられています。これが世界的にも今進められようとしている
湿地の
再生、正にこの
自然再生推進法でも見習うべき
自然再生の道筋だというふうに考えます。
実際、それがこの
自然再生推進法でも踏襲されているのかどうかということが問題なわけなんですけれども、ある程度
フレームワークとして似ている
部分もあると思いますが、私
たち日本湿地ネットワークとして今話題となっている
釧路湿原の
自然再生事業、それから
アサザプロジェクトの
現地を実際に見た上で、やはりこの
法案についてはまだまだ問題が多いという結論に至っています。
実際、
釧路湿原の
自然再生事業については、
一言で言うならば
行政主導で進められている
自然再生事業としての限界を露呈していると言っては、まだ始まったばかりではありますけれども、そう言わざるを得ない
状況にあるんではないかと思います。
といいますのは、
釧路湿原の
自然再生事業については、過去に直線化した、
河川改修によって直線化した川を改めて蛇行化させると。これは革命的なことだというようなことが一般の
新聞でも取りざたされていますけれども、実際に
現地を見てみますと問題はそれほど簡単ではないということがよく分かります。
釧路湿原について
湿原の
乾燥化が進んでいる、
湿原の
生態系の
状態が悪くなっているという問題はあるとしても、その
保全のためのより重要な問題というのが実際にはまだまだ手が付けられていない。その中で今、
自然再生事業が進められているのが現実だと思います。
流域全体を視野に置いた
再生計画作りということで、これまでも
検討委員会などが行われてやってきていますけれども、
現状追認の域を出ていないということを言い切ってもよいんではないかと思います。具体的には、
農地開発、そして
森林の
管理、そういったところでまだまだ手を加えなければいけないところがあるわけです。
そして、
釧路湿原については
国立公園になっておりますけれども、その認定、そして
ラムサール条約の
登録湿地としての指定の枠が狭過ぎると。その
周辺の
土地利用との
関係で、また
湿地の
状態、生物の生息の
状態を考えますと、むしろもう少し
保全の
区域を広げていくことをまず考えるべきではないか。
また、
国立公園の中でも
農地の
開発、それから
周辺、
釧路川
流域周辺のまた山林などでの
管理が全く行き届いていないという中で真っすぐにした川をもう一度蛇行に戻すという
土木事業に走っているような
印象がぬぐえません。
また、
市民参加がうたわれているところなんですけれども、
市民側に限定的に
参加のオプションが与えられている、
行政が用意した場に
市民が
参加していくというような
状況にすぎないのではないかと。もう少し自由な発想による
市民の主体的な
参加というものがあってもいいと思いますし、それは正に
アサザプロジェクトが、この後に申し上げますけれども、目指して今チャレンジをしている
ポイントだというふうに思っています。
それと、この
湿地の
再生事業、例えば
河川を改めて蛇行化させる
事業若しくは水門の
管理によって
湿原の水位を人工的に上げてみる、そういったことが行われているんですけれども、行われようとしているんですけれども、これ
自体が調査に着手するという
段階にすぎません。つまり、やってみて
効果が出るか出ないか分からない、そういう
状況にあります。
例えば、直線化した
河川を蛇行化させるということなんですけれども、直線化した後、切り離された蛇行した
部分は三日月湖のような形になって、そこにはまた自然の定着した
生態系ができ上がってきている、また直線化した
河川についても、かなり年月がたっている中で、川の中州に
それなりに
湿原の植物が、植生が復元しているような
部分もあるというふうな
状況にもなっています。そこをあえて人工的に蛇行化させることが本当にいいのかどうか。この
再生事業をすること
自体が、今
それなりに定着している
生態系に悪いインパクトを与えるということが実際に心配されています。そういう
レベルでしかないというのが
釧路湿原の
自然再生事業の
現状、非常に厳しい言い方をしておりますけれども、これはそう言わざるを得ない
状況かと思います。
また、
国土交通省釧路開発建設部と
環境省の
東北海道地区の
自然保護事務所ですか、連携が目指されていろいろな形で、タスクフォースですとか取組がされておりますけれども、まだまだ十分
機能している
段階ではなく、
会議が増えて
会議の
参加者が増えた、また
市民にとってもいろいろなところに呼ばれて出ていくことが多くなったという
レベルにまだまだすぎないんではないかという
印象を持っています。
一方、
アサザプロジェクトについては、実際に
現地を見まして、これは本当に今目指すべき
自然再生事業のモデルとして正に支援していかなければならない、これを中心にもっと
仕組みを考えていかなければならないモデルではないかというふうに考えています。
その内容というのは、書いておりますけれども、構想、
計画、工事、それからモニタリング、一貫して
市民が主導して
地域の小学校とか農業者の方、林業者の方、漁業
関係者の方、非常に多様な方が参画する中で
地域の本当に全体の取組として今進みつつあるというふうに言っていいと思います。
また、その二番目の点ですけれども、全体にわたって
保全生態学の研究者が逐一その指導、実際の調査、そしてプランニングについても指導しているという中で、順応的な
管理、適応的な
管理というのがかなりよい水準で
実施されているんではないかというふうに思います。これはほかの
自然再生若しくは
環境への
対策の
事業の中でも非常に進んでいるまれなプロジェクトではないかというふうに思います。
そして、
関係する
行政機関との連絡調整役として
市民団体が非常に重要な
役割を果たしているということも特筆すべきだというふうに思います。これは
行政機関同士の調整役を
行政機関がやるということ
自体がなかなか
機能しにくいというのはもう明らかなところではないかと。それを
市民グループが、アサザ基金という
NPO団体がそこまで企画力を持ち交渉力を持ち運営を進めているということは非常にすばらしい今
状況にあるんではないかというふうに思います。
実際、アサザ基金の飯島さんが
衆議院の
環境委員会でも
参考人として発言されました。そこで特に強調しておられたのは、公益の
見直しが絶対に必要であるということでした。私自身もその
言葉がなかなか理解しにくかった
部分もあるんですけれども、
日本湿地ネットワークとして取り組む中で思い出したことといいますか、少し昔の話になりますけれども、一九九九年の七月に、
日本湿地ネットワークとして、
日本の干潟、
湿地の
保全を求める署名というのを集めまして、国に対して十二万六千人分の署名を集めました。これは当然、九七年四月の諫早湾の締切り、その後の藤前干潟の
保全、そういった
流れの中で、国内から干潟、
湿地の
保全を求める声が非常に強くなっている、またその
重要性が非常に大切になっているというところを受けてやったものです。
その提出の際に、当時の
環境庁の方のコメントが非常に
印象的で、今でも忘れられません。
環境庁の方は、干潟、
湿地の
保全については非常によく分かっている、皆さんのおっしゃることもそのとおりだと。ただ、他の公益との兼ね合いが非常に難しい、
現状ではほとんど勝ち目がないというようなことをこぼしておられました。
正に他の公益、
公共事業の影響として
自然環境の破壊が進んできていることはもう今更言うまでもないんですけれども、その中で、やはり自然が損なわれてきたという原点をやはりもう一度強調せざるを得ないと思います。従来型の公益を是非
見直していただきたい。そうしなければ、従来の公益を前提にしたままでは、
環境への配慮、自然の
再生といってもかなり限定的なものにしかならない、ゆがんだものにしかならないというのは明らかだと思います。
例えば諫早湾の干拓の問題、
農地の
造成とか防災を
目的にして
事業が進められています。その中で、
事業の
見直しについての動きもありますけれども、結局、今農水省の方でやろうとしている
環境への配慮というのは、かつての干潟を淡水の水辺として
保全するという正に木に竹を接ぐような、見当違いも甚だしい、それが自然への配慮だと。農と水辺の自然空間を創生するというようなことが言われていますけれども、このような正に
自然再生、
自然環境への配慮とは呼べないような
状況が当然あるわけです。
それは、例えば藤前干潟の埋立ての問題でも当初ありました。当時はごみ処分場を確保するという至上命題がありまして、当時の名古屋市長は早急にごみ処分場を確保しなければいけないということで、市内がごみであふれるとまで言っていたと思いますが、そのために人工干潟を
造成する。実は、この話については、このごみ処分場の確保というところについての公益を一歩引いた形でごみ処分の在り方を考える循環型の社会を作り直すというところで、公益の在り方を
見直したからこそ藤前干潟の
保全が実現したということが言えると思います。
時間がないので先を急ぎますけれども、
自然再生事業が直面している
釧路湿原にしても
アサザプロジェクトにしても、実際にまだ既存の公益との壁にぶつかって、そこを乗り越えられないでいるという
状況があります。
自然再生推進法についても、まずこの従来型の公益を見直す、
自然環境の
保全をそれより上位に位置付けるということをしなければこの
法案は無意味ではないか、そこについての議論が全く欠けているのではないかということを思っております。
長くなりました。失礼しましたが、以上で私の
意見としては終わらせていただきたいと思います。