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日野委員 おはようございます。
私、今まで我が党の中でもこの問題の
議論をして、
法務の
認識と
文科の方の
認識とがかなり違うのかなという一抹の危惧を持っておりました。しかし、今の
牧野議員の話を聞いておりまして、ああよかったなと
思います。
牧野議員は非常にすぐれた見識を示されまして、
法務で何で
法曹養成を
自己完結型にやれないんだ、こういうことをまくらとして置かれたわけですね。私は、これは非常にすぐれているというふうに
思います。本当は、これは
法務で
自己完結型でやらなくてはいかぬのですよね。
私は、非常に印象的だった
法務での
質問に、自民党の
杉浦さんの
質問があります。彼は
司法研修所というものの果たした役割というものを非常に重く見られて、何でこのような形で
法曹養成の
機関をつくれなかったのだ、何も
文科省あたりに御迷惑をおかけすることなしに、それから
文科省あたりの好きな
権力的介入などを避けながらやるべきことではなかったか、私、今でもこう思っております。
それで、まず両
大臣、それから財務省にも来ていただいておりますね、
皆さんに伺いたい。
法曹養成をそもそも何と
考えておるかということですね。そんなことを抽象的にぱあんと
質問しますと、
皆さんそれぞれ勝手なことをしゃべられたら困るので、私の方からテーマとして差し上げておきましょう。
法曹養成というのは、
日本における分立する三権のうちの
一つ、最も
独立性が
要請されている
司法権の行使に当たる
人たちを養成するわけですね。
司法権というのは
独立していなければなりません。チェック・アンド・バランスの
考え方も当然あるし、それから、
国家からなされる
国民に対する人権の抑圧、これに対する盾でなければならぬ。そういう
観点から、これは非常に重要なものであり、
国家権力から
独立していなければならない、他の二権から
独立していなければならない。
独立をしているということはどういうことかというと、これはそもそもその
養成過程から
独立をしているということが非常に大事なことだと私は
思います。
杉浦さんの話を聞きましたから、
司法研修所における最高裁の
教育の
方針というのは非常にすぐれたものであったと私は思う。そこでは
司法権の
独立について多く語られ、さらにそこでの
教官とその
生徒たち、
司法試験に合格していった
生徒たちとの
関係についても多くを語られた。
私は今でも、これはちょっと余談、漫談めくがちょっと聞いてください、非常に印象に残っている
研修所の
所長の講話があります。
安倍恕さんという方がその当時
研修所の
所長であった。彼は、
弟子と
先生との
関係について話をするんですね。その中で、非常におもしろい話をした。
夏目漱石が
正岡子規の俳門に入門するわけですな。そうすると、何ぼ俳句を書いて出しても、真っ赤に
朱筆で訂正される。頭にきた
漱石が、自分は
漢詩ができるというので
漢詩を書いて出した。ところが、
正岡子規も、あれは漢学をやっていた家の出なんですな。これも真っ赤に
朱筆で訂正された。ますます頭にきた
漱石は
英語の詩を書いて出した。彼は当時、
英文学の泰斗でありましたからね。
英語の詩を書いて出した。そうしたら、今度は
正岡子規は真っ赤な筆で
ベリーグッドと書いてきたというんですな。これは、
先生と
弟子、おまえ
たちはここにいる
教官たちを乗り越える
法曹になれと、非常にいい教え方だったと思うし、私もいまだに非常に印象に残っている話であります。
私は、
法曹の
教育というのは、やはり権力から
独立し、そして常に切磋琢磨をしてきた
人たちの間から生まれてきたものをできるだけ吸収し、それを乗り越えて新しい
法曹に育っていく、こういうことが期待されていると思う。ところが、
文科省なんか見ていると、私、非常に気になるのは、既に中教審
答申で大きないろいろな
方針を出しておられるわけですね。私は、非常にいい言葉を使われましたので、
牧野さんのその言葉をそのままおかりしますが、
自己完結型であるべきだ、こういう
考え方について、
法務大臣、
文科大臣、どうお
考えになるか、それから財務省あたり、これもどう
考えておられるか、ひとつそれぞれ
お話を伺いたいと
思います。