○植田
委員 要するに予備校に行くだけで二百数十万、これは平均五年間でかかるということですから、五年間、予備校の学費だけで生活できるわけやないんで、田舎から東京の優秀な予備校に出てきて、そこの家賃も払わないかぬ、朝昼晩、一回抜いても御飯食べないかぬとなると、それは相当な経済的負担になりますから、実際、それだけの負担が許せるような経済的な条件がある者でないと現状でもなかなか厳しいわけでございます。
ですから、そうした厳しい条件が今回
法科大学院ができることによってなお厳しくなったらまずかろう、なおしんどくなったらこれは何やということになるわけなんで、この間も奨学金についての
議論があったところですが、これについてはもう
答弁求めませんけれ
ども、あえてこれは文科省さんには聞きませんけれ
ども、四の五の言う前に、奨学金というのは本来は給付であるべきものだということ。
本来は奨学金というのは給付で、要するに
制度設計というのはシンプルでいいんですよ。ややこしいことをごちゃごちゃとやらなくても、親の収入が少ない、要するに一定の収入よりも低ければ奨学金は基本的に出しますよと。その場合、仮に貸与でも仕方がないです。優が多けりゃ、要するに成績条項を設けて、成績がもう一つランクよければ給付ですよ、それだけの
制度設計でいいだろうと思うんです。それは、
大学院なり行く学部なりで、例えばいわゆる
社会科学系、文学系、理工系、医学系と、それぞれ学費が違いますから、そのそれぞれの負担に応じて、今度は金額においてちょっとそれぞれいじればいいだけであって、それだけのシンプルな
制度で私はいいだろうと思うんですよね。だから、恐らくここは頑張りますと言うしかないでしょうし、かといって、ではお金がありますかというと、大変だとおっしゃるんでしょう。
大体、
教育が未来への先行投資だなんて言ったのは、これは橋本行革のときから文科省さんはさんざん言ってきはったわけなんですよね。先行投資なんですから、そういうところはきちんと言っていかなきゃなりませんし、
制度的に余りちまちまいじらないでほしいなと。あくまで奨学金は給付なんだ、本来は給付であるものが奨学金なんだ。だから、経済的理由と成績条項を兼ね合わせてシンプルな
制度設計にすればいいわけです。
ただ、その場合、やはりバックデータとして、例えば
法科大学院ができたときにどれぐらいの経済負担があって、例えばその
法科大学院に行く学生さんのうちどれぐらいがそうした奨学金なりなんなりがないと困難なのかということをある
程度見積もりはしておかぬとあかんと思います。
実際、そういうことで、
法科大学院に行かれる方々というのは極めて優秀な方々でしょうから、奨学金ということであれば、
司法試験に通られたら、その
段階で免除でもいいだろう。例えばそういう返還免除
規定も、私は、必要な部分は必要だろうと思っています。
言いっ放しで終わりますけれ
ども、いまだに私は奨学金を返していますので、毎年九月になるとごそっと銀行の口座から育英会へ引き落とされるので、年末まで生活の再建がこの十何年大変なんです。それは個人的なことですが、本当にこれは大変です。毎年、がくんと。私は、それは奨学金恐慌と言って、大体十二月ぐらいに何とか景気回復するんですけれ
ども、やはりその間は個人消費は抑えられますね。
それは結構でございますが、しつこく言いませんけれ
ども、少なくともそういう前提でやはり考えてほしいということだけは聞いておいてください。あくまで、奨学金は本来は給付の形であるべきなんだということと、その前提がやや今の事情の中で崩れているけれ
ども、本来の
原則に立ち返ったところで、シンプルな
制度設計を今回の件についても考えてほしいと思います。
それともう一つ、現行
制度でのいわゆる合格者の資質なんというのはなかなか言いづらいだろうと思うんですけれ
ども、最近の若い者はなっていないというレベルなのかもしれませんが、
司法試験の合格者や修習生、若い法曹が、今おっしゃったように九九%予備校に行っておるということですが、予備校中心の受験勉強の影響で法曹としての適格性に疑問を抱かせる面があるというふうな批判的な
意見が、これはもちろん主観的なものを含むと思いますけれ
ども、こうした資質の問題というのは、なかなか実証的に検証するということは難しかろうとは思うんですけれ
ども、そうしたことについて、直接その事実
関係に接近できないにしても、そうした傾向なり背景なりというものが、
司法試験の長い歴史の中で何か特徴的な傾向というのが見られるのかどうなのか。ここはちょっと大事なところだと思うので、教えていただけますでしょうか。