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森田(健)
委員 大臣、副
大臣、おはようございます。本当に寒くなりましたね。風邪を引かないようにして、本当に気をつけないといけないと思うんですよ。
私、以前、APPUの
総会で、私は同僚の
田中和徳議員と行ったのでございます、
韓国へ。そして、
総会が終わりまして、それから、じゃ、全部終わったから飯でも食おうやと焼き肉を食べたんです。これがまたうまくて、それで
ビールを飲みながら、隣にいた、
韓国の人もいるわけですよ。それで、
ガイドの人の通訳を交えながら、まあまあ、あなたは
日本に来たことがあるかとかいろいろな話をして、よかったら
ビールでもと、
カムサハムニダ、
カムサハムニダなんて、私と握手して、非常に盛り上がって。
それから、ところで
田中さんよ、どこへ行こうか、しっかりいろいろと見ておかなきゃいかぬなと。そうしたら、
ガイドの方がいろいろパンフレットを出してくれました。そして、
田中議員が、どう
だい森田さんここへ行ってみようか、おお何だい、
西大門独立公園だ。
西大門独立公園とあるんですね。私は正直言って知らなかったんですよ。そして、ここはいいところだと言うんですよ。とりあえず行こうと、行ったら、だから
西大門刑務所歴史館というのがあるんですね、これ、あるんですよ。それで、
おい刑務所だってよ、こんなところ入っちゃいけないけれ
ども、とりあえず見ていこうかと、それで二人で見に行ったんです。
そうしたら、
刑務所の跡ですから、入っていったら、
小学生の
子たちがいっぱいいるわけです。それで、ノートを持ってメモで一生懸命書いて、こう見ながらやっている。そうすると、各房があるんですね、独房もあるんです。ああ、すごいな、ほう。そうしたら、急にきゃあっと声が聞こえるんですよ、はあっと。
ライトがぱぱぱぱぱっとついた。おい何なんだ、これはと。ちょっとちょっとちょっとと、いっぱいいる中を私はぱっと見た。
そうしたら、その房の中で、それはそれは恐ろしい顔をした
日本人の軍人ですよ、これがこんなこん棒を持って、
韓国のあれは
女性だったかな、よくわからぬけれ
ども、言うならば拷問をしているような、
ろう人形ですよ、
ろう人形があるんです。それで、
韓国の
女性はかわいそうな顔をして、ここから血を流している、そういう
人形なんですよ。そして、声も出して、音も出しているんですよ。それで
ライトがぱぱぱぱぱぱっと。それはそれは、本当にええっと。
こちらに、言うなれば
刑務所でこういうことが、
日本語でも書いてあるんですが、
韓国語でずっと書いてある。
子供たちが一生懸命それを見ながら、そうやって房を見ながら、こうやって書いている。おれ
たちも、すごいな、これはと。ふと思ったら、目線を感じるんですよ、あれっと。その
小学生の
子たちが、私
たちが
日本人だとわかったんでしょうね、じいっと。おいちょっと
田中さんよ、これはちょっとまずいなと言って、それで私
たち二人は出ていっちゃったんですよ。
そうしたら、
ガイドさんに聞いたならば、これは授業の一環として、
小学生が必ずこれを見て、そして
感想文を書いて、教室でいろいろ
討論会等があると。なるほどと。
それで、私は、
小学生の子だな、そうか、じゃ、中学、高校になったらどういう
教育がなされているんだろうなと、私は、
日本に帰ってからいろいろ心配になりまして、ちょっと、
向こうで、
韓国の
子供たちが教えられている
教科書、何と書いてあるんだろう、
日本の
関係は、
財団法人国際教育情報センターから「世界の
教科書にみる
日本 韓国編」、これを取り寄せてみたんです。そして、読みました。
いや、これは、
大臣も、副
大臣ももう読んでおられると思いますが、すごいですよ。まず
言葉は、略奪だとか隷属、
弾圧、強奪、収奪、こういう
言葉が頻繁に出てくるのでございます。そして、例えば
弾圧という
言葉にも、悪賢い
弾圧、巧妙な
弾圧、過酷な
弾圧、残忍無道な
弾圧、そういう
言葉が羅列されるんですね、これは。
そうかと思うと、じゃ
教育関係はどうかなと。これは高校生が教わっている
教科書なんですよ。
教育関係は、我が民族は
日帝の過酷な
植民地差別主義教育政策によって
教育を失った、まさに
日帝が目標としていたところの
韓国人の
愚民化を
意味する、
農村啓蒙と
文盲退治運動も
日帝の
弾圧が加えられて終わりを告げた。
私はこれを見て、なるほどと。確かに、
歴史というものは、その
評価というものは
個人個人によって違うのも当たり前です。ましてや
当事国になりますと、国と国になりますと、その
評価をすり合わせるというのは非常に難しゅうございます。まして半
世紀を過ぎた今、またその
評価も変わるところもあるのでございます。
しかし、それはさておいて、
大臣、副
大臣、この間の
ワールドカップも、
日本が敗退した後も
韓国は頑張った。多くの
日本人たちは、アジアの代表じゃないか、
韓国頑張れと拍手して、それこそ、あれはフェースペインティングというんですか、
日本人の人も
韓国のをやったりして応援した。
芸能、
文化においても、以前から
向こうの
歌手の方が
日本に来て
芸能活動をやっていた。しかし、最近になって、
日本人の
歌手の人も
向こうで公演することもできるように門戸が開かれてきた。そして、以前では余り考えられなかったけれ
ども、
韓国の映画が
日本に入ってきて、これがまた大ヒットしている。そういう
意味においては、この三、四年は、以前には考えられなかったぐらい、
日本と
韓国は非常に、言うなれば友好が進んでいる、私はそのように思うのでございます。
しかし、私は、やはりこの
日本においても在日の方が四十万、五十万もいるのでございます。一番近い国でございます。確かに昔いろいろありました。
歴史的認識というのは、それは大事でございます。しかし、私は、もう半
世紀を過ぎた以上、過去に
重きを置くより、
未来に
重きを置くべきだと。
ですから、私は、何とか次
世代、次々
世代の
人たちが心から友情をはぐくめるようにするためには、何かいい案がないかな、何かいい
知恵はないかなとずっと考えていたのでございますが、副
大臣、いい
知恵はございますか。どうぞ。