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宮入参考人 愛知大学の
宮入でございます。
私、愛知大学に移りましたのは昨年の四月からでございまして、それまでは
長崎大学に二十二年おりました。当時は、
諫早湾干拓事業の前の
事業であります
長崎南部総合開発計画というのがございまして、それ以来、この
事業につきましては
調査や研究をずっと続けてまいった者でございます。
きょう申し上げたいと思うことは、
有明海、
八代海、とりわけ
有明海の
再生にとって何が一体必要であるか、
有明海再生へのいわば基本的な視点と
再生の道筋について私の
意見を述べるということでございます。
さて、
有明海異変と言われ、あるいは
有明海再生問題というふうなものを呼び起こしましたのは、一昨年冬の
有明海のノリの大凶作でございました。これはいわば
有明海異変というふうに呼ばれまして、その主因として
諫早湾干拓事業が指摘されたわけであります。
しかし、
有明海異変というのは、単にノリの凶作の問題に尽きるものではありません。といいますのも、かつて宝の海というふうに呼ばれておりました
有明海の漁獲高は、二十年以上も前から、徐々にではありますが、実は減り始めていたわけであります。
とはいえ、
諫早湾干拓事業の潮受け
堤防着工以後のこの十年余りの漁獲量の急激的な落ち込みというふうなものは、それまでの緩やかな減少傾向とは実は異質なものであったというふうに言っていいかと思います。
すなわち、ノリを除きます漁船
漁業の漁獲高は、実は、潮受け
堤防着工前の一九七二年から八九年の約二十年間の年平均ですと、約八・九万トンでございました。ところが、一九九〇年の
堤防着工後は、これが約五・五万トン、すなわち、前を一〇〇としますと六割あたりのところまで実は落ち込んだわけであります。さらに、それから七年後の一九九七年でございますが、いわゆるギロチンと言われました潮どめが行われた後、二〇〇一年までは、さらに約二・六万トン、二九%へと、つまり、最近十年ほどの間に以前の三割以下へと実は激減してしまったわけであります。
諫早湾の
干拓事業が
有明海の
環境の悪化を促進させるところのいわば決定的な引き金として
作用したという可能性は、当然否定できないわけであるというふうに思っております。
もっとも、
有明海の
環境悪化のすべての原因が
諫早湾干拓事業にあるということもないことも事実であろうというふうに思われます。指摘されておりますように、熊本新港ですとかあるいは筑後大堰の建設、あるいは三池の海底炭鉱の陥没ですとか、あるいは海砂の採取、それから農薬やノリの酸処理など、さまざまな開発行為やあるいは人為的な営みが大きなインパクトを与えてきたということもあると思います。それらの要因は確かに複合して
有明海の
環境に徐々に
影響を与えてきたわけですが、これにいわば決定的な追い打ちをかけたのが
諫早湾干拓事業であるというふうに言って差し支えないと思います。
なぜなれば、
諫早湾干拓事業は、
工事と潮どめ後のいわば
潮汐、潮流というふうなものを弱め、かつ広大な
干潟、二千九百ヘクタールとも言われておりますが、その
浄化機能を失わせる、こういうことによって
有明海の
環境に重大なインパクトを及ぼしたからであります。
諫早湾の
干拓事業、三千五百ヘクタールは山手線の内側の約六割に相当いたします。
干潟の
面積は山手線の内側の約四割に相当いたします。いわば、こういう広大な
干潟を一気に壊したということが非常に大きなインパクトを与えたわけです。
その被害は、しかし、最初は目に見えませんでした。なぜならば、最初は、いわば底生
生物といいますか、海の底にいるところの
生物たちにまずあらわれたわけです。そして、それはやがてそれを食しますところの魚介類にあらわれ、そして最後に海面近くのノリに、ノリの凶作という形で実は
現象させたわけであります。
有明海異変の本質をこのようにしてとらえますと、
有明海再生への基本的な視点というふうなものは、こうした
有明海の
環境の悪化をもたらしてきた
諫早湾干拓事業を初めとする公共
事業のような開発行為、あるいは人為的な営みというふうなものに対する深い洞察と厳しい反省を根源に持つものでなければならないというふうに言っていいだろうと思います。
有明海の異変と
諫早湾干拓事業との
関係につきましては、御案内の農水省のノリの
第三者委員会が昨年十二月に公表いたしました見解の中で極めて有力な仮説を提示しておられます。
そのポイントは二つあると思います。一つは、
諫早湾干拓事業は非常に重要な
環境要因である流動及び
負荷を変化させ、
諫早湾のみならず
有明海全体の
環境に
影響を与えていると想定されるという点であります。したがって、第二に、開門
調査はその
影響の検証に役立つと考えられるので、開門はできるだけ長く、大きくすることが望ましい。この二点であります。第一点目のところで、流動及び
負荷というふうな言葉は聞きなれない言葉なのですが、流動というのは、要するに、
潮汐、潮流というふうなものの減少ということであります。
有明海は、
湾奥で実は六メートルにも達する
日本最大の
干満差を持っております。
有明海というのは、長いひょうたんのような、縦横ですと一対五ぐらいでありまして、それが早崎の瀬戸のところでわずか四・数キロメートルのところで、一カ所でしか実は外海とつながっておりません。そして、その周辺のところは、都市と農山村のところで人々の営みが行われています。したがって、自然に対する
負荷は非常に高いのです。にもかかわらず、これまで赤潮等々が
発生しにくかったところの非常に大きな理由は、実は、この非常に大きな
干満差と、それから周辺にあります
浄化機能を持つところの
干潟にあった、こういうふうに言っていいと思います。
それを実は壊したということによって、特に
潮汐の減少というのは、結局のところ、海底のところまで
酸素が行き渡りませんからこれが
貧酸素水塊という形のことをもたらす。それが底生
生物を死滅させる。底生
生物の死滅は、その分解にまた
酸素を要します。そして、
貧酸素水塊が
発生をいたしますと、窒素とか燐とかというふうなものが海底からさらに出てまいります。これは実は赤潮の原因になります。
さらに、
浄化機能の破壊というふうなものがございますが、これは当然のことながら、これまで浄化してきたところのそういった海に対するところの
負荷物がきちんと浄化されないわけですから、これも赤潮の原因になります。しかも、調整池の汚れた排水がそこにつけ加わる。
こういうふうなことでもって流動と
負荷に対する非常に大きなマイナスのインパクトを与えたというのが
第三者委員会の見解でございます。だからこそ開門は長く、大きくということだったんですが、実際に行われているのは、長く、大きくではなくて、短く、小さくということでしたので、これで果たして実際にそういった検討が可能なのかどうかということは非常に疑問なところでございます。
有明海再生を引き起こしましたのが
有明海の
環境の異変であり、
有明海の異変の根本原因というふうなものが、
諫早湾干拓事業を初めとするところの公共
事業などの開発行為やあるいは人為的な営みにある以上、
有明海再生のためには、こうした公共
事業やいわば人為的な営為にこそ真っ先にメスが入れられなければならないというのは当然であると思われます。
言うなれば、
有明海全体はかなり重篤な病に実は冒されている。ということであれば、それは根本から治癒することが大切であります。対症療法だけでは、例えば覆砂をするとかというふうなこともありますが、そういう局所的な対症療法だけでは到底今やそれに対する対応はできないというところまで来ているわけであります。
そういたしますと、
有明海再生のための立脚点と道筋という点からいいますと、私は次の三点が重要だと考えています。
第一は、ノリの
委員会の見解が想定しましたように、
有明海の異変とは、
有明海の生態系の構造的な変化に
諫早湾干拓が追い打ちをかけ、いわば最後のとどめを刺そうとしている疑いが濃厚であるということであります。とすれば、何よりも真っ先にしなければならないことは、
諫早湾干拓事業を
中止するか、あるいは、少なくとも中長期の開門
調査を行い、それの間は
事業を凍結することが大事だということであります。
農水省は、
調査と
事業とは別だというふうな言い方をしております。しかしこれは、例えて言えば、肺がんの疑いの極めて濃い患者さんに対して、検査とあなたの吸っている喫煙とは別物ですから、まあ、それがわかる間はどんどんたばこを吸いなさい、吸っても構いませんよというふうに言っているのと同じことであります。しかし、原因がわかったときに患者が死んでしまっていてはどうしようもないわけであります。今やそういった
事態であると私は考えております。
こういう最も肝心な点を欠いた
有明海の
再生法というふうなものであるとすれば、これは無
意味、無内容と言っても過言ではないというふうに考えております。仏つくって魂入らずというふうな言葉もありますが、
法案はつくったが魂が入っていないということは実は非常に重要な点であります。これが第一の点であります。
第二に、こういう点から申しますと、単に
諫早の
干拓事業だけではなしに、
有明海の
環境の悪化をもたらす、将来にわたる他の埋め立てや開発などに対する規制や禁止など、こういったものも必要であるというふうに言っていいと思います。
これについては既に先行事例があります、いわゆる瀬戸内法でございますが。瀬戸内法の中には、埋め立て等々に対するところの緩い規制はございます。しかし、この規制が緩いために、実際にはなかなか埋め立てはとまらず、開発がとまらないわけです。学ぶならばそういう教訓にこそ学んで、新しくつくるところの
有明海の
再生法はそういったものを十分取り入れるべきであるというふうに私は考えております。
同時に、ノリの
委員会が指摘しておりますように、既設の筑後大堰とかあるいは熊本新港などのいわばマイナスのストック要因というふうなものに対する
対策も
再生事業の中にきちんと位置づける。つまり、過去の負の遺産を取り除くというふうなことも含めて、そういったものを位置づけるということが大事ではないか。これが二点目でございます。
第三点目に、その上で、漁港、
漁場の整備やあるいは
下水道整備など、これはそれ自身として必要なことであるかもしれませんが、そういう言うなれば従来型の公共
事業、これに補助率をちょっとばかりかさ上げしてそれを行わせるというふうなことではなくて、
有明海全体の
環境保全と
環境の
再生のために、いわば川の上流から、そして中流、そして
河口、さらには海域に至るところの総合的な水循環と水系一貫の管理システムを構築して、
干潟や
藻場を
再生し、あるいは森林をきちんと保全していく。そしてそれを、住民の参加や情報の公開というふうなことを大切にしながら行っていくということが、まさに
環境の世紀である二十一世紀に向けて展開すべきいわば
有明海の
再生法になるというふうに考えております。
きょう申し上げたかったことは、本質的な
対策を無視ないし軽視したところの
法案というふうなものは、
有明海の本当の
意味での
再生に役立たないだけではなくて、問題のいわば本質をあいまいにして、真に必要な
対策をおくらせるというふうな懸念が強いということであります。
私は、せっかく
有明海再生法というふうなものをつくるのであれば、本当の
意味で、将来世代にわたって、私
たちの今の世代が自信を持って、これだったら
有明海は本当に
再生できるんです、こういうふうなものにしていただきたいというふうに考えているわけでございます。
一応、私の方の陳述はこれにて終わりにいたします。ありがとうございました。(
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