○西村
委員 御苦労さまでございます。
まず、
拉致の問題からお聞きしますが、昨日クアラルンプールでは、
北朝鮮側は、
拉致問題は終わった、つまり、五名生存、八名死亡ということで結果が出て、謝罪もあって終わったんだという認識を示しました。
実は、この
北朝鮮の認識と我が
日本の認識が共通していた
期間があったと私は判断しております。それは、九月十七日午前十時ごろから翌九月十八日にかけてでございます。この共通の認識が
日本側の錯誤に基づくものであるならば、これは
我が国外交の脆弱性を示して余りあるものでございまして、どういう脆弱性かといえば、今まで貴族的な優雅なマナーで食事をすることしか知らなかった者が、ならず者とテーブルをともにしてのどに食べ物が通らなくなって頭が真っ白になった、こういう脆弱性であります。
日本側の錯誤ではないということでありますならば、これは、
北朝鮮当局と我が外務省アジア局が、
拉致問題は日朝両国の正常化の障害であるから、ショックではあっても一挙にその障害を除去しようとするというふうな合意の
もとで共通の認識に達しておったということを強く推測せざるを得ない。錯誤であれ錯誤でなかったにしろ、いずれにしても
日本国民の生命にかかわる共通の認識であった、このように私は思います。
さて、今、その共通の認識からは脱却しておられるのが、先ほどの
官房長官の「生存が確認されていない
拉致被害者の
方々についての事実
解明も」という言葉で明確に示されておりますので、今は我々は
官房長官と同じように、生存が確認されていない
拉致被害者の
方々、横田めぐみさんや有本恵子さんや八名の
方々なんだというふうに我々共通で話ができるんですね。
しかしながら、九月十七日当日はどういう状態であったかといえば、ピョンヤンにおける
内閣総理大臣の会見は、「
帰国を果たせず亡くなられた
方々のことを思うと、痛恨のきわみであります。」こういう
内閣総理大臣の公式の
発言がある。つまり、八名は亡くなられたんだという前提であります。
次に、同日同時刻ごろ、
官房長官が、外務省飯倉公館において御
家族を個別に部屋に呼ばれて、残念ながらあなたのお子さん、息子さんもしくは娘さんは亡くなられておりますというふうに言われたわけであります。これは、
北朝鮮の認識と同様、つまり、
北朝鮮の八名死亡ということを我が方が真実であるという前提で、
総理大臣は哀悼の意を表し、
官房長官は
家族に死亡宣告をしたということでございます。
これが、先ほどの錯誤に出たるものか、錯誤ではなくて、五名生存、八名死亡ということで、あきらめてしまえということで一挙に障害を除去しようとする策動に出たものかわかりませんけれども、いずれにしても、北がそのときに死亡年月日を通知しておって、これは意図的に我々が知ったのではなくて、朝日新聞で知ったわけでありますが、それを見れば、我々なら、あの確実な目撃証言とこの死亡年月日は合わない、北の言うことは信用できないな。
日本の外務省は、ピョンヤンで生死を調べたのか。調べる時間も調べる手段もなかったのではなかったか。
そうであるならば、これは先ほど
官房長官が言われたように、生存が確認されていない
拉致被害者という認識に基づいて行動するのが正しいということになったわけですが、仮にこれが、死亡年月日が我々の知るところとならずに、そのまま
総理大臣も
官房長官も、
帰国を果たせず亡くなられた
方々のことを思うと、痛恨のきわみであるということでいきましたならば、生存が確認されていない
被害者の
方々の命は今ごろどうなっていたんだろうと背筋が寒くなるわけですね。
したがって、ここで別に私はいろいろ非難めいたことを申し上げておるわけではないですが、
日本外交が脆弱であれば、この日朝
交渉におけるタフな
日本外交の
再生の転機にならねばならないという思いから、当日の経緯と
官房長官の心理、ピョンヤンから、
総理大臣の言うように、
帰国を果たせず亡くなられた方は八名おったんだということを権威あるもののように通知されたのかどうか。このことについて、
官房長官、御答弁いただけますか。