○寺島
参考人 寺島でございます。
私の立場は、ニューヨークに四年半、それからワシントンに六年半
生活して帰ってきたということで、今回
議論されております
政治と経済の
機能が
二つの町に分離した場合にはということで、そのどちらの町も体験したということが
一つの視点となって、これから申し上げるような
発言につながっているというふうに御理解いただきたいと思います。
平成二年の決議から十二年たっているわけですけれども、その間の経年変化といいますか、一体何が基本的に変わったのかということに関連してまず話を始めたいんですが、お
手元に配付されております
衆議院の
調査局の、私、
意見書という形で提出しておりますのが百一ページから出ておりますが、大体この趣旨に沿って
発言したいと思いますので、これをごらんになっていただければと思います。
この十二年間でどう何が変わったかということなんですけれども、
平成二年の決議というのは、明らかに、バブル期の
日本を背景にして、まだまだこの国はやれるというある種の夢といいますか、野望といいますか、そういうものがまだ盛り上がっていた
時代を背景にした決議だったろうと思います。
ただし、現在、御承知のように、縮む
日本といいますか、デフレスパイラルのような状況の中で、
財政の悪化を背景にして、公共投資全般の見直し論というものが国民の大きな関心ということになっている状況下で、この点がまず大変大きな
平成二年時との背景の違いであるということは、もう間違いないと思います。
それからもう
一つ、十二年前と比べて、IT革命と言われるいわゆるネットワーク技術革命の進行ということと、経済のグローバル化というものが加速度的に進行しているというのが、多分、十二年前との大きな違いだろうと私は思います。
それから三番目には、阪神・淡路大震災という体験を経て、やはり
都市における集積というものの危険みたいなことを味わったといいますか、そらから、さらに、昨年、ニューヨーク、ワシントンと、九・一一という事件に襲われて、これまた安全性といいますか、そういう問題意識をいやが上にも持たなければいけないような情勢の変化というものが起こった。
それから、さらに四番目に、これはまさにこれからということなんですけれども、二〇〇六年をピークとして、
日本の
人口が大きく、いわゆる
人口構造の成熟化という局面に入っていく、二〇五〇年に向けて平均六十万人ずつ
人口が減るというサイクルに入っていって、一億二千七百万をピークにして、二〇五〇年にはよほどの変更要素がない限り一億人に収れんしていくだろうという大きな環境の変化というのがある。今まで五十年、
日本は
人口が五千万ふえるというサイクルの中で走ってきたわけですけれども、これからよほどの変更要素がない限り、極端な移民
政策への転換とか、そういうことでもない限り、二〇五〇年までには少なくとも二千七百万人ぐらいの
人口が減っていくんではないかというサイクルの中に入っていく、こういう認識が多分重要なんだろうというふうに思います。
そういう中で、私は、それらの経年変化、十二年間の間の我々の環境認識の変化というものを背景にしても、なおかつ、私の主張として申し上げたいのは、二十一世紀の新しい
日本のパラダイムを創造するプロジェクトが重要であるという
論点を大事にしていきたいというふうに思っております。
海外で動いていますと、一体
日本はどういう国をつくろうとしているのかという
質問を受けることがありますけれども、非常にメッセージ性の高い、どういう国を創造しているのかということを明確にしたシナリオというのが今こそ問われている。私は、大型公共投資のプロジェクトとして
首都機能移転などというものに期待するんであるならば、その種の
議論にもう賛同する気は一切ないわけですけれども、新しい
日本を創造していくための引き金といいますかトリガーとなるような、新しい
日本のプラットホームになるような構想としてこの
首都機能移転というプロジェクトを推進していくことには
歴史的な
意味があるというふうに感じております。
そこで、私が
議論していますのは、創造的
首都機能移転論というものなんです。
どういう
意味で価値創造的なプロジェクトというものが必要かということなんですけれども、明治以来の
日本のパラダイムを転換するために、ここに書いてある
幾つかのキーワード、時間をとって説明する余裕がございませんけれども、例えば、新しい
首都機能の
集中した場を環境
保全型の実験
都市と位置づけて、
世界じゅうの環境
保全型技術を注入して、エネルギーの利用効率とかCO2の排出とかリサイクル等において先駆的な試みを行う場とする。
あるいは、住環境整備の実験
都市と位置づけて、
公務員住宅のスペックを二十一世紀の
日本人が住むにふさわしいスペックの
都市として建設する。例えば、一戸当たりの
公務員住宅のスペースを倍増し、
集中冷暖房給湯を完備し、せめて駐車場ぐらい完備しているようなスペックにする。そういうことによって、衣食住という中で住環境だけがまだ国際
社会の中で僕はかなり劣勢にある、特に、
東京を
中心にした住環境が劣勢であると思っていますので、
国家公務員住宅のスペックをこういう形でもって設計してみる。あるいは、残された
東京の
公務員住宅の跡地を再開発することによって、
東京圏の住環境整備の引き金を引くようなプロジェクトとしていく、そういう視点も必要なのではないかというふうに思っています。
それからさらに、国際中核
都市というキーワードをここで使っておりますけれども、要するに、
行政と
政治だけが
集中した
都市というだけではなくて、無味乾燥な
政治都市にしないためには
都市としての付加価値が非常に問われる。その際に、ジュネーブ・モデルという言い方を私はよくしているんですけれども、スイスのジュネーブには国連
機関が十五、本部を持っていて、そこに年間四十万人の国連関係者が訪れ、
情報密度の高い国際中核
都市になっております。ジャーナリスト、学者が絶えずジュネーブを訪れざるを得ないような
情報の磁場を形成しているような町になっています。
したがいまして、僕は、新しい新
首都というのは、例えば
日本が得意とする分野の国連
機関などを誘致し、あるいはAPECの下部
機関、アジア太平洋エネルギーセンターみたいなものを創設してでも新しい
首都を訪れる人の質と量を高めるべきだという
意味で、国際中核
都市というキーワードを配置すべきだということを
議論しております。
その他、
日本らしい
都市の創生ということで書いてございますが、あくまでも、
東京は、欧米模倣型の近代
都市、特に戦後の昭和三十年代以降に
東京に
集中した
人口を支えるために国道十六号線の外に急遽団地とか住宅地を開発してつくったプレハブ的
都市という性格をどうしても持っておるんです。
そういう、西欧近代模倣型の
都市というものを脱却して、そろそろ
日本の
知恵に裏づけられた、
文化、伝統に根差すユニークな
都市、ここでは伊勢神宮のごときイメージの森に沈む町なんという表現をとっておりますけれども、
日本が蓄積してきた技術とエンジニアリング力を駆使してそういう
都市の建設に立ち向かってみるなんというのも、閉塞感あふれるデフレスパイラルのような状況の中においてはチャレンジに値するテーマではないのか。
イタリアのベネチア、水に浮かぶ町として
世界に個性を放っておりますけれども、私は、
日本も独自の
文化に立つ、
日本は集積された技術と資金力を
集中して極めて個性的な新しい
都市空間をつくり始めたぞというようなメッセージが
世界に発信されても大変
意味のあることではないかなというふうに思っております。
それから、
東京の
一極集中是正の新たな視点ということなんですけれども、これは、先ほども申し上げたように、阪神・淡路、九・一一というものを経て、やはり
分散を通じた安全性の確保というのはこの国にとって極めて重要なテーマになってきている。
それから、国際
都市間の競争というものを冷静に比較してみても、やはり平均の通勤時間が二時間を超えるようなサラリーマンにとって、やはり創造的な人生の設計なんてなかなか難しい。やはり、集積のメリットが明らかにデメリットによって凌駕されている。実は、
東京の効率性と魅力を高めるためにも、ニューヨーク、ワシントンというものをにらんでいて、私、特にそう思いますけれども、
分散というものへの努力がこれから不可欠になるんではないか。
先ほど言いかけた
人口の
構造の変化を見ていますと、五十年後には五割から六割の
人口が
東京圏にだけ
集中していくような国になりかねない。既に
地方では高齢化といわゆる
人口減というものが前倒しで進行し始めている。国土軸をもう一回広くとり直して、
日本列島全体に目配りしたような構想というものが問われているんじゃないか、こういうふうに思います。
それから、
国会等の
移転の
規模の話でございますけれども、これは、現在大
規模な
移転を意思決定することが非常に困難だという現実認識に立って、それでもなおかつ未来に構想のプラットホームを残しておきたいという気持ちが
前提になっているわけですけれども、段階的接近法でやっていくしかないのかなと最近はもう
考え始めております。
まずは、十万人
規模の
移転というものを実現するということに着手して、段階的に、最終的には六十万人
規模の
都市ということを想定すべきではないか。たとえ段階的接近法であっても、総合ビジョンというのは不可欠なわけで、やはり
国家百年の大計に立つプロジェクトであるという意識のもとに、強い
政治の意思というものを
発言すべきときではないか。
合意の形成ということがよく
議論されますけれども、このプロジェクトこそ、演繹法、帰納法の積み上げの中で合意が形成されるものではなくて、仮説法型のパラダイムジャンプのシナリオを
議論しているわけですので、我々の発想を転換する強い意思というものがリーダーから語りかけられなければならないプロジェクトだろうと私は思っております。
それから、
移転の
形態につきましては、私自身は三権の一括
移転が望ましいと
考えておりますが、段階的な
移転方式というものを現実的に採用するということになれば、
国会と
行政の
中枢をできるだけ速やかに
移転することを優先させて、
司法関係だとかは一部
東京にとどまることもあり得べしだと思います。また、一部の
行政機能のいわゆる分都方式等への現実的な対応ということもあってしかるべきだろうというふうに思います。
その他、
国会等の
移転費用の軽減のための視点ということで、これは民間の中では既に大変熱心に
議論されている分野でありますけれども、PFIとかPPPだとか、公的分野を民間の資金によって推進するような手法というものが各国いろいろな形で検討されておって、
イギリスなんかはその実績の非常に高い国ですけれども、そういう手法をよく
研究して、できるだけ公共投資に依存しないプロジェクト設計というものは可能であるだろうと
考えております。
それから、その他、
費用軽減のための立地の戦略性ということで、特に国際空港基盤、
東京と結ぶ交通システム等に戦略的な配慮が必要だろうというふうに思います。
その他、
政治と
行政改革との相関性ということで、私は、
日本の閉塞感の理由の
一つが、霞が関と永田町と丸の内が、地理的にも極めて近接して、過剰なもたれ合いの
構造になっている点というのが重要だろうと思っています。ニューヨーク、ワシントンに離れていて、移動に一時間の時間がかかるということが、適切な距離感というものですね、熟慮した関係というものが構築される物理的な距離感が存在するというふうに私自身は思っております。
その他、
文化性重視の
都市にするために、
アメリカのワシントンDCにおけるスミソニアン博物館群のような、付加価値の高い、
歴史あるいは宇宙航空、自然科学等の博物館、あるいは美術館等を創設していくといいますか、これはどうしてかというと、分権化という大きな流れの中で、逆説的ですけれども、逆に国をどう束ねるのかということが非常に重要になってきます。分権の進んでいる
アメリカこそ、逆にシンボリックに、ワシントンという物理的な空間において
アメリカ人のアイデンティティーを感得させる、感じさせるシステム設計がなされているということを感じる必要があるだろうと思います。
最後の点ですが、IT
時代における
首都機能の
あり方ということで、
首都機能移転をすべきじゃないと言う人の論拠に、もうIT革命の
時代なんだから、
首都なんというのはどこにあっても同じだ、ネットワークでつなげばいいんだという
議論がありますけれども、これまた逆説的ですけれども、IT化が進めば進むほど、逆に、顔と顔を突き合わせて意思疎通するということの重要性というものは、これは逆説的ですけれども、高まるというのが我々の経験則において強調しておきたいことで、シンボリックにも、この国の
中心軸というものが、目に見える形できちっとした物理的空間として存在していることは、重要であるというふうに思っております。
以上です。