○
穂坂参考人 それでは
最初に、
基礎的自治体、
市町村の
状況あるいはまた現況、あるいはそれぞれ日ごろ
基礎的自治体の長として思っておりますことをこの際申し述べたいと
思います。
最初に
総論というような形で申し上げたいと思うんですが、御承知のように、
憲法の九十二条あるいは九十四条、それぞれ
基礎的自治体、
市町村の行うべき
地方自治の本旨、あるいはまたそれぞれ
権能等についても定めていただいておるわけでありますが、
二つだけいつも思っていることがあるんです。
一つは、
役割分担がさほど明確ではないということです。それぞれ
憲法では
規定をされていますが、ある
意味では
法律に丸投げをされている
部分がございます。
地方は
地方の
意思で自由に
運営ができる、このように
憲法では
規定をされていますが、なかなか難しいもので、そういうわけにいきません。
一つは、
権能を明確にしていただきたい、そんなふうにいつも思っています。
国は国としての
権能があり、
都道府県は
都道府県としての
役割があると思うんです。私
ども基礎的自治体、
市町村は、大変狭い
権能ではありますが、それぞれ
役割があります。できるだけ、今後、
地方自治体が元気で、そして自由な
運営をするためには、まずもってその
役割を明確にしていただければなというふうに思っています。
連邦国家の例を見ますと、それぞれリストアップされているとも聞いております。できるだけ、今後、
先生方のお力で、
憲法の趣旨に沿った明確な
権能を明示していただければありがたい、こんなふうに
思います。
それともう
一つは、その
権能に基づいて自由な
経営方法、要するに
運営方法をさせていただきたいと思っています。私は、
市長になりましてまだ一年五カ月です。市
議会やあるいは県
議会、それぞれ議長として
経験させていただきましたけれ
ども、思った以上に、
地方自治体の長に就任いたしまして、まさにはしの上げおろしまですべて
法律やあるいは
通達やあるいは
行政指導でそれらが細かく
規定をされている。そういう
意味合いでは、ちょっと窮屈だな、そんな率直な
感じをいたしております。できれば、
法律で最小限の事項を定めるほかは、
地方自治体が自由に
運営できるように
お願いをしたいというふうに思っています。
私なりにその
原因等々を考えてみますと、全国約三千二百の
自治体があるわけでありますが、結局、国の方では、
誤りをしないようにという親心もあるのでしょう。しかし、
地方の
実感から見ますと、別に
保護者が必要だとは思っていません。
それぞれ国政に携わるスタッフの
皆さんが、できるだけ
誤りのないように万全の策を講じよう、こういうような
意味合いだと
思いますから、至るところすべてが同じように同じ形で、
誤りのないようにという、
先ほど申し上げましたように、
保護者的な
感覚でおつくりになっているそれぞれ
法律やあるいは
通達やあるいは
行政指導の中で、
地方をある
意味では守っているんだともとれるわけでありますが、三千二百の中には
一つや
二つはそれぞれ踏み越えるところもあるでしょう。
しかし、その
マイナスよりも、同じような
運営をしなければならない、
自主性がそこに出てこない、この
マイナス面の方が多いのではないか、こんなふうに思っております。できれば、
先ほどの
権能でも申し上げましたが、肝心なところ、これらを明確にする、あいまいでない形にする。同時に、三千二百が何も
一緒の
経営をしなければならないということも考えられませんので、自由さを与えてほしいというふうに思っています。
レジュメに従いましてお時間の
範囲内で申し上げたいと思うんですが、私は、
市長に就任しましたときに、どんな職かなという
思いもありました。
実感も
実態もそうでありますが、
市長は明らかに、今の
制度は
メーヤーの
制度でありますが、
シティーマネジャーの方がよりぴったりくる。実は、ある会合で
シティーマネジャーと言いましたら、英語の
先生から、
市長、間違っちゃ困りますよ、
子供たちに悪い影響がある、
メーヤーというふうに正確におっしゃってくださいという話がありました。でも、
実態、
実感は、
市民がオーナーであり私は
シティーマネジャーである、こんなふうに
思い、位置づけています。そして同時に、
実務家だなという
感じがいたします。
マネジャーであり
実務家である、こういう
実感と
実態の中で、今
市長を務めさせていただいております。
企業的には、私
どもの
志木市は、六万六千人、九平方キロメートル、百七十三億円の小さい市でありますから、まさに
中小企業の
独占的サービス業、こうともとらえております。
市長に就任しましたときに、やはり
一つの組織というのはボトムアップが必要だ、
職員の新しい
感覚を醸成しよう、こんなふうにも思っておりましたけれ
ども、やはり国も県も、国の方がもっと独創的だとは
思いますが、県庁も市の方も
余り変わりませんで、
職員から新しい
改革というのはなかなか出てこない。
それは無理もないと思うんです。二十二歳で、二十年たって四十二、
幹部職員として育ってきてはおりますが、少なくとも、すべてが
前例主義、こんなふうに位置づけられておりますし、日常の
業務がその
範囲でやっておりますので、いきなり新しいものを考えようといったってそう簡単にいかない。
今、
志木市では少しずつ
職員も育ってきておりますが、ほとんどがトップダウンという形で、いろいろな
改革に取り組んでおります。随分古い昔になりますが、マックス・ウェーバーの官僚というものなどを読ませていただきましたけれ
ども、やむを得ない、
実態は何十年間も同じ
前例主義でやってきましたから、少し時間をかけて
職員の育成もしていかなければいけないのかな、こんなふうに会社の
マネジャーとして考えております。これが一応
実感です。
二つ目でありますが、
基礎的自治体の
状況の中で、
先ほども申し上げましたように、
自治体の
実感は、
住民の
意思に基づいて自由に固有的な
経営をすることができる、こんなふうに考えておりましたけれ
ども、そんな
実感よりも、むしろ逆じゃないかな、そんな率直な
思いもいたします。自由な
運営や自主的な
運営というのは狭められているとも思っています。これは、
地方分権一括法が制定された
現状におきましても以前とそう変わっていない、こんな
実感がいたします。
後ほど触れますが、
市町村合併、私
どもは六万六千、ささやかな市でありますが、一万人以下の
小規模自治体等々の問題がありますけれ
ども、これらについても
手順が逆ではないのかなという
思いも多少いたします。
先ほど申し上げましたように、それらの不自由さというのは、完璧さを求める国の体質があるのではないかとも思っています。いろいろなところで、ある
意味では、完璧さを求める
余り形骸化をしている
部分もあります。
いろいろ議論が分かれるところでありますが、
市町村にも
教育委員会制度があります。これは、
教育の
中立性を担保するというのが大きな目的だと
思いますが、現実的には、
首長が
教育委員を
指名し
議会にかけるわけでありますが、少なくとも、
首長と全く
意見の違う
教育委員を
議会に提案するということはありません。
ですから、そういう
意味合いでは、どこで
教育の
中立性、もちろん、
制度上三名以上でありますか、無所属でなければいけないとか、
教育委員は
政治的活動をしてはいけないとかとありますが、包括的に考えれば、やはり
首長の望む
教育委員を
議会にそれぞれ提案をしていくという形ですから、果たしてそれが機能的にも
教育の
中立性が担保できているのだろうか、建前と
実態は多少違うな、そんな
感じもするわけであります。
さらに、例えば、
学校でのITの授業なんかもありますが、これは小中
学校だけではなくて
高等学校もあるわけでありますが、ある
意味で
学校の
独自性というものを、
教育委員会でも多少遠慮なさっているんでしょう、
余りうちはやりたくないと言えば、中途でお茶を濁しておけばいいという
実態もかなりあります。
私は、やるべきことは、国でも必要なことはきちんとやるべきだとも思っています。
首長のそれぞれミスは、
公選制でありますので、今、これだけ戦後長く
地方というものを支えてきた
市民の
皆さんから見れば、もし失敗すれば
首長は次の選挙で落とされるわけでありますから、それを覚悟しているとすれば、さっき言ったように、さほど
保護者的な
感覚は要らないのではないかとも思っています。
とにかく、
実感とすれば、
基礎的自治体の
現状は、本当に非効率的な
運営をしなければならない、そんなふうな
実感です。
二番目に、それぞれの
役割について申し上げたいと思うんです。
先ほども
総論で申し上げましたが、
地方のやるべき
仕事というのはそう多くないんです。担うべき
仕事というのは、まさに限られた
範囲です。担うべき
役割は、国とは全く違うという
実感を持っています。国は、国益というものがあるでしょう。あるいは、
守秘義務といえ
ども、私
ども、もちろんどちらが高いとは言いませんが、
守秘義務そのものは、ほとんど
市民のプライバシーに関するもの、これだけだというふうに思っています。あと、ほかに秘密にすべきもの、守るべきものは全くありません。全部
公開をしてもいい、そんな
気持ちで今
運営をしています。
おかげさまで、
埼玉県の
情報公開の、いいか悪いかは別として、オンブズマンの
皆さんの発表では、
志木市は九十六点で第一位でした。中
学校へ行きましたら、九十六点
市長というふうに呼ばれましたけれ
ども。
先ほど申し上げましたように、その
一つ、
守秘義務だけをとっても、国の
権能と
市長の
権能は明らかに違う、こんなふうに思っています。
ですから、
地方分権も、私は、ある種の
手順が違うのではないかという懐疑的な
意見もあります。ある
埼玉県出身の
分権の推進をされる
委員の方ともお話をしたわけでありますが、国の
仕事、
都道府県の
仕事、
市町村の
仕事を明確にしないで、いっぱいあるうちから小出しにこれは
分権だといったって、そんなことが理論的に成り立つだろうかというふうな雑談をしたことがあります。できるだけ早く
国民的な
コンセンサスをいただく中で、あいまいなままでの
分権から、
役割分担を明確にした上での
分権をし、
地方の
主権を認めていただきたい、こんなふうに思っています。
今は、
機関委任事務という言葉はなくなりました。
分権法以来、たしか
法定受託事務と呼んでいると
思いますが、私は、このことについては全く当然だというふうに思っています。今の
制度上からいえば、国が効率的な観点からも、
市町村の
自治体を通じて、これは国としてやらなければならない、こういうことはしっかりするべきだと
思いますし、当然、
強制力があってもいい、できるだけあいまいにしない方がいい。今の
法定受託事務、要するに昔の
機関委任事務についても、こんなような印象を持っております。
できるだけ、
分権ではなくて、
地方の
主権という位置づけをし、
地方を解放してほしいなという、率直にそんな
気持ちがあります。
地方分権は、
市町村の
主権を認める、
市町村の
役割を十分定める、その中から、
分権、あるいは
主権というものが出てくるのではないか、こんなふうに思っています。
今、
地方自治法、あるいは
施行令、戦後、ほとんどそのままで推移をしています。できるだけ
地方の
個性や特性を認めるような、そんな
運営があればなというふうにも
思います。
一言で言えば、
人口千二百万人の東京都、あるいは二百人の村、これらも同じ
自治法を、数の大小や表現の仕方の違いはあります。例えば、副知事を
助役と呼んだり、
出納長を
収入役と呼んだりすることもありますが、もちろん、
地方の力で、
収入役を置かないとか
助役を置かないということがありますが、しかしその中でも、法条を同じように適用するというのはいかがなものか、これが非効率の
原因。もちろん、それだけではありません。
議会の
制度もありますし、
予算の立て方の問題もあります。
基礎的自治体は
中小企業の最たるものですから、できれば、
公選による
議会の設置、
首長の
あり方、
二つぐらいでいいのではないかなという、率直に言って、そんな
感じがいたします。
財源移譲の問題もあります。
権限移譲は、
先ほど申し上げましたように、
役割分担を決めていただければ、これはもう
権限移譲はできたものと同じです。
財源移譲のことも、私は、明確な
主権を認める中で機械的に
税配分をしていただく、このことがいいのではないかというふうに思っています。簡単に、ドライに、
業務量は定まるわけでありますから、一定の
算定方式で
財源の分配を機械的にすることでいいのではないかというふうに思っております。
人口も、そのとき、
最大の要素になるのではないか、こんなふうにも思っています。
それぞれの
自主財源の
差異、私の
志木市は
財政力は若干低い方でありますが、
自主財源の
差異についての
補正、要するに
地方交付税につきましては、今、
業務量に応じてもありますが、もう最低限の
補正をしていただければいい、
実感として
思います。そういうところから、
地方の
工夫や
地方の努力が生まれると思うんです。
財源の少ないところは、立派な
市役所は要りません。例えば
志木市も、もう
市役所は雨漏りがする
状況になってきました。でも、私は、もし
市庁舎がもっともっとだめになった場合に、もう一回今の
市庁舎を建てようなんという気はありません。
財源に応じた仕方をすればいい、それが
個性だというふうにはっきり思っています。豪華できらびやかな
市庁舎なんぞは要りません。そういう
工夫が自然発生的に生まれる、その方がいいのではないかというふうに思っています。
特に、現行の
地方交付税交付金、
基準財政収入額と
基準財政需要額の
差異で
交付額を決めるなんというのは、全くナンセンスだと思っています。私は、抜本的に
改革をしてほしい、こんなふうに思っています。そうすれば、例えば、極端な話、
無給の村長さん、
市長、あるいは
無給の
議会、これだって生まれると思うんです。金がなければ仕方がない。しかし、もっとほかに、
行政権力の
行使と
一緒に、
基礎的自治体の
役割というのはもっともっと大事なものがある、こんなふうに私自身は
感じています。
法定受託等々につきましての費用も機械的に算定すればいいのではないか、こんなふうに思っています。そして
税財源、もちろん、六対四を四対六にするとか、あるいはもっと
地方の
財源を拡充すべきじゃないかということがありますが、私は、それはそんなに重要視していません。さっき言ったように、
業務量に応じて機械的に判断をしていただければいい、そんなに難しいことではないと思っています。
ただ、
税配分の
移譲については、単純さと
透明性の高いことが必要だと思うんです。
市民の
皆さんも、
交付税の
配分方法、なかなかわからないんです。ですから、もっと単純明快で、
透明性が高くて、あっさりしたものにしていただければよろしいのではないか、こんなふうに思っています。
三番目の、
基礎的自治体の
意義と
経営でありますが、
先ほど申し上げましたように、私
どもの
日本が、戦後のあの敗戦から、
民主国家に生まれ変わりました。そのときに、
憲法ができ、
地方自治法もそれに引き続いてできました。あの
混乱期には、あるいは
地方自治というのはどういうものかわからなかった
時代には、今の
自治法等々の
役割というのは最も大事であったのかもしれません。
しかし、もう
市町村の
市民は十分に
経験を積んでいます。何十年間も同じ
法律が同じように正しいとは思っていないんです。その
役割はもう既に終わっているのではないか、こんな
感じがしておりまして、何度も何度も言って恐縮ですが、国の関与をある
意味では徹底して排除することも新しい
時代の流れではないか、こんなふうに、
時代の変化とともに考えております。
公権力のささやかな
行使も、
市町村に課せられた大きな
仕事の
一つです。しかし同時に、もっと大切なことは、コミュニティー、
地域社会を通じて、私
たち市民が、隣人を愛するという心、
お互いに助け合うという心、あるいはまた、自然を守っていこう、環境を大事にしていこう、人と人とが触れ合って、手を握り合って、そして助け合うという、私は、
基礎的自治体にはそういう大きな使命と責務がある、こんなふうに思っております。
さらに、国策というのもあるでしょう。それらを
国民的な
コンセンサス、特に
国会は、まさに私
たち国民の
最大の
立法機関であり、その
方向を定めるところでありますから、その定めを
国民的な
コンセンサスというふうに受け取るならば、国で決めた理念や大切さを、実体的に
市町村は
市民と
一緒に考え、その
方向で
一つの
地域社会をつくっていく、このことも私は大事だというふうに思っています。国と
地方は全然違う、
お互いが違うものを見ている、そういうことではない、こんなふうにも思っています。
よく
議会等々でも話が出るんですが、私は、
地方の
基礎的自治体等々を見ますと、国で考えているように
政党政治が機能しているとは思っておりません。
市民の
皆さんも、
政党よりは
むしろ人との触れ合いを大事にする、たまたまその人がどこかのところに所属をしている、そんな
感じがして仕方がないんです。
日本はまだ、そういう
意味合いでは
政党政治が成熟していないという言い方もあるでしょうし、あるいは、好きなことを言わせていただければ、
地方自治体、
地方の
行政運営にはイデオロギーは必要ない、
行政運営上は必要ない、こんなふうにも思っております。
私
たちは、自然や文化を守っていく、
お互いが手をとり合っていく、
お互いが慈しみ合う、そういう
地域社会をつくっていく、そのことが国を愛していく、そういうものにきっとつながっていく、こんなふうに国とは違った
意味での
自負心を持っています。
基礎的自治体の
役割というものも、この際もう一度考えていただければありがたいというふうに思っています。
私
たちは、
先ほど申し上げましたように、
公選という
責任のとり方があります。できるだけ今後、
自己責任は
地方がきちんととる、こういう風土をこれから私
たちはつくっていかなければなりませんし、そのためには多様な
運営形態を担保していただきたい、重ねて申し上げる次第です。
こんなことを言うとしかられますが、国の
財政が、私は
国会議員じゃありませんのでよくわかりませんが、八十三兆円程度とすれば、
地方自治体、
都道府県と
市町村の
予算は百十二兆円というふうに聞いております。新しい効率的な
運営をする、合理的な
運営をしていく、三割ぐらいカットすれば三十兆円も四十兆円も、まだまだほかに使うべき
財源はきっと出てくる、私はこんなふうに思っています。
できれば、この際、
地方自治体の
権能に基づいた
地方公務員の
あり方、そういうものもあわせて考えなければならない時期が来たのではないか、こんなふうに思っています。
過疎とか過密とか、
財源があるとかないとか、それは
地方の
個性というふうに私はとっていいのではないか。
国民はひとしく生活する
権利がある、これも大切なことでありますが、等しい
権利というのは果たして物資的なものだけだろうか。
過疎には
過疎のよさがあり、過密には過密のよさだってあると私は信じています。
私は、
先ほど申し上げましたように、
公選そのものを大事にしながら、
地方は徹底した
情報公開をしていく、このことをいつも忘れないように、こんなふうに考えながら一年五カ月、
市長としていつも執務をしています。
市町村合併について若干触れたいと思うんです。
私は、
市町村合併は、今話題になっておりますような
特区構想、これもありますが、
市町村が自主的に考える、
市民みずからが住む家を考えてみるという点では、まさに画期的なものである、画期的な命題であるというふうに思っています。
市町村合併は、今までずっと、
市民が
町づくりをしていく上で、みずからが住む家の規模を決める、こんなことなかったんです。
実は、
志木市は、朝霞、新座、和光、
志木という四つの市が
法定協議会を今設置して、
合併の是非を検討しています。来年四月には
住民投票を行います。私は、
一つの
合併の
意義は、
住民投票するというところに
最大の
意義がある、こんなふうにとらえています。
特区構想もさっきちょっと触れましたが、すごい
地方にとっては衝撃的なことでした。今まで
市町村は、どちらかといえば、
先ほど偉そうなことを言いましたが、県の指示を待っている、国の動向を待っている、言ってみれば、口をあけて待っていれば何とか指導してくれるという
状況でした。
しかし、
特区構想というのは、ほとんどだめでしたが、
地方が考えたらどうですかと言われただけでも、身震いするほど
緊張感が生まれました。そんな
経験がないんです。
法律を取っ払って、何かいい
方法がありますかと言われたときに、さあと、
市町村長は、私は
市長ですが、本当に何があるのかなというふうに考えました。
職員だって驚きました。そういう
意味で、
特区構想は、ほとんどだめだと
思いますが、
意義があったのかなというふうな
感じ方をしております。
この
合併について、
行政効率、
財政基盤の強化、こういうものも取りざたされておりますが、私は、
地方にとっては、
地方のアイデンティティーを守ったりコミュニティーを醸成したり、そういうことが大きな
役割で、その次が
行政効率であり
財政基盤の強化だというふうに思っています。
ただし、私は、
合併には全く反対ではありません。
合併は
市民が決めるものだ。政治家にはそれぞれいろいろな選択があるでしょうが、私は、私の固有の
意思、それを政治家として
市民に訴えるよりも、
市民がみずから
合併を判断する、それが間違いであろうとそうでなかろうと、そんなことはいいと思うんです。それが、もし
合併したら新しいコミュニティーをつくる力になり、そして、そうでなければ、また単独の市として新しいコミュニティーをつくっていく大きな要素になる、こんなふうに考えています。
理念なき
合併を
市民の方々が推進するのは
余りよろしくないのではないかとも思っております。できれば、
地方としての、あるいは国としての、
都道府県としての二十一世紀の国家像を示していただければありがたい、こんなふうに考えております。
合併は、
市民参加と
市民の
意思で
合併する、こんなふうにも思っています。
それから、
先ほどちょっと触れましたが、
小規模自治体の話もあります。一万人以下の方々が随分今苦悩されていると
思います。さっき言ったように、金がなければどっちかを選ぶ、全く原則どおりやっていけばそれぞれ
地方は
地方なりに考えるでしょう、そのことでいいのではないか、私はこんなふうに思っています。
基礎的自治体をもう一度考えていただければありがたいなというふうに思っています。
特に
一言だけ触れたいと思うんですが、
志木市は、東上線、有楽町線に近いところでありますから、ほとんどベッドタウンです。昔は企業社会、私は造語が好きなので企業コミュニティーと呼んでいるんですが、そこでずっとやってきましたが、今企業社会は明らかに崩れている。そして、
市民が求めるものは企業社会にかわる
地域社会、こんなふうに認識をして、大きく地域に戻ってきていただいている。もちろん、現職のお勤めの方々もそうであります。
最後、三分になりましたので、
志木市で今やっている
地方自立計画についても若干、二、三分触れたいと
思います。
簡単に
一言で言えば、この自立構想は、今の許された
範囲の中で、
地方の
小規模自治体、私のところも入るというふうに信じておりますが、
基礎的自治体の
あり方を、公務員が行政サービスをするという二十世紀のずっときた概念を壊していこう。
地方公務員は二十年間以上にわたって、今
市民の説明会を開いていますが、できれば公務員はもう不補充にする、そのかわり
市民の
皆さんに行政サービスを担ってもらう、そのかわり、お預かりした税金は全部ではありませんが還元をしていく。要するに、公務員だけが担っている行政サービスを
市民の
皆さんにやっていただく、そんな共同体、そんなふうにもとらえています。
これは、少子高齢社会、これらを考えますと、二十一世紀型の、もう新しい
地方自治体の
運営を考えるべきではないか、こういうことも入っております。国の
財政の厳しさ、
地方の
財政の厳しさを考えますと、新しい
運営形態があってもいいのではないかと思っています。もちろん
財政効率だけではなくて、
市民と市の乖離をしている姿を、もっと一体感を持ちたい、このことも自立計画の大きな目標の
一つです。これからは
市民と協働することによって、
お互いに協力し合って働くことによって、新しい
自治体をつくっていきたい、こんなふうに思っています。
ちょうど四十分になりましたので、まだまだ言い足りない点もあるんですが、私の主張を、あるいはお話を終了させていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)