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嘉数委員 私は
地方議員を経験してまいりました。およそ十六カ年
間県会議員をやっておりましたけれ
ども、その十六カ年間、常に
米軍と対峙してきたと言ってもいいぐらい、
沖縄の負う
基地問題というのは大変な
課題。しかも、その間、私の体験から言いますと、
外務省はほとんど何にもしてくれなかったという
感想を持っておりまして、私
ども、いろいろな
事件、
事故に
抗議をして
外務省へ参りましても、大抵
対応するのは
係長クラス、大きくても
課長クラスということで、後で気づいたらほとんど居留守を食わされたんじゃないかという
思いをするぐらい、実は
外務省の
対応が悪かった。ですから、
沖縄県民の中には、
外務省に対する
不信感が相当ある。
今、いろいろな問題で
外務省は全国民から
不信感を持たれておりますけれ
ども、それ以前から、
沖縄問題について
外務省は一体何をしているんだろう、どこを向いて
政策をやっているんだろうという声が相当強かった。その結果が、実はあの七年前の不幸な
事件のときの大きな騒動になったと
思います。二十七カ年間、
米国の
施政権のもとに相当つらい
思いをしている、苦しい
思いをしている、
人権も踏みにじられてきた。復帰をしてやっとよくなるだろうという期待でずうっと我慢をしてきたけれ
ども、いざ肝心なところでは何にもしてくれない。
したがって、
沖縄県民が、我々の
人権はどうするんだという
思いで立ち上がったのが、実はあの七年前の一〇・二一の
大会だった。私も、あの当時議長をしていましたから、
実行委員長をやりました。そのときに、
抗議文を持って
外務省へ参りました。そのときの
対応、これはあのときの
大田知事もそういう話をしていましたけれ
ども、全く話にならなかった。まずあるのは、
地位協定がありますからどうにもなりませんという一点張りだった。
一緒に
抗議に来た私
ども超党派の
議員が、どうしようかという
話し合いを後でしました。戻りましてから、すぐ
県民総
決起大会を開いて、徹底して
政府と対峙をしようと。その
政府というときには、あのころの
政府というのは
外務省のことなんです、
日本政府じゃなくて。
県民が言う
政府というのは
外務省だ。その
外務省、
政府と対峙しようということで実は
相談をした。
あのときに、もうこの際だから、
安保反対、
基地全面撤去ということを打ち出そうじゃないか、
県民総
決起大会でそれをやろうじゃないかという話も実は出たんです。いろいろな団体が
参加をして、うちの政党は共産党から
自民党まで全員が
参加して、しかもそれに
経済界、
教育界、
労働界全部
参加して、その中でいろいろ討議をした中で、改めてもう一度だけ
政府を信頼して、
政府にかけてみようという形で、実は反
安保も全
基地撤去も言わなかった。そのかわり、
沖縄県民の
人権をどのようにして守ってくれるか。その一番障害になっているのが
地位協定だ。
事件、
事故を起こし、特に、
凶悪犯人も
米軍の
基地に逃げ込めば手も足も出ません。みずからのことで裁きもできないということに対しての憤り、それが
一つの大きな輪になって
大会を開いたんです。
私
ども主催する側としては、正直言いますと、三万五千、多くても五万人の方が来てくれたら大成功だなと思って実は開いた。あに図らんや、八万五千の
県民が自発的に
参加をした。そしてその
大会をやったんです。内容は既に御
承知とは思うんですけれ
ども、一番
真っ先は
地位協定の改定だった。それは
地位協定を変えろということではなくて、
沖縄県民の
人権をきちっと守ってくれということの
要求が一番強かった。したがって、私
どもがその
大会を持って、
抗議に来たときも、
真っ先に
外務省へ行った。
外務省の前で
抗議をする、
大会をするぐらい実はやった。
沖縄のあのときの一番の大きなことは、
外務省の壁をぶち破れということが第一のスローガンだった。
なぜあれだけの人が集まったかというと、これはいろいろの話があろうかと思うんですが、ただ
一つ、復帰して二十何カ年かたってもなおかつ
沖縄県民の
人権が守れないという
マグマ、憤り、それが自発的に結集してああいう
大会になったと思っています。ですから、その轍を踏んじゃいかぬと思っています。
それ以後、正直申しますと、
沖縄問題に対する
政府の
対応は全く変わりました。改めて思ったんですが、やはり
政府は
手抜きをしていたんだなというのが、あのときの
大会実行委員長としての私の
実感だったんですよ。その縁あって私は
国政に出てまいりましたけれ
ども、
国政で、今考えると隔世の感がするんです。
ですから、そういう経緯を踏まえてきた
沖縄問題、
基地問題、その結果として、
SACOが出てきたし、
政府としても真剣に
沖縄振興策もいろいろな形で取り上げていただいたということから考えて、改めて、いささかでも
政府が、
外務省が
手抜きをするようだったらこれは困るという
実感が今
沖縄県民の中にあって、また再
びああいう形になったら困るんです。
ですから、
大臣としてしっかりと、
沖縄の
基地問題を初め、そこから派生するさまざまな問題に対して、責任を持って全面的に、正面から取り組んでいただきたいという
気持ちが、実はあの集会の中で、あるいは
マスコミの中で、
手抜きをされたら困るなという話になっているんです。
そこで、お
伺いしたいんです。
そういうことでいろいろ頑張っていただきたいと
思いますけれ
ども、今
稲嶺知事がどうしても頑張っていただきたいのが十五年問題なんです。これまで四カ年間、
知事は、十五年
期限の問題を常に
政府に働きかけたと思うんです。しかしながら、正直申しますと、
政府が本当に真剣に十五年問題に取り組んできたのかなという疑問を私はずうっと持っておるんです。
私も、
防衛庁の
政務官もしておりましたし、
内閣府の
政務官もやりました。そのときに、この十五年問題をあなたはどうするかと聞かれて私も
答弁の席に立ったことはあるんですが、正直申しますと、こんな
答弁でいいのかなと
思いつつ、
政府の一員として、これまで
外務大臣が繰り返してきた、
沖縄県民の
思いを重く受けとめてという形の
答弁をしました。しかし、これから後四年間、また同じ
答弁をされたら困るな、とんでもない話だということも
実感として持っています。
稲嶺知事は、当初は、十五年問題を言い続ける、主張し続けると言っております。この十五年問題については、最終的に
稲嶺知事が決断をして
政府に提示する前に、約三時間ほど私と
話し合いをした。この問題、どういう形がいいのか。
基地を初めて
県民の
合意のもとに
移設をする、受け入れる、それが
普天間の
移設なんです。過去の
基地というのは、すべて
米軍が
武力で奪い取って、無理やりつくった
基地なんです。それを、初めて
県民の
合意のもとに
基地を受け入れようといったのがあの
普天間の
移設なんです。したがって、そこに無制限な
基地の
使用を認めるわけにいかないだろう。今ある
基地というのはすべて、
米軍が要らなくなったら返しましょうという形の方が多いです。そうじゃなくて、
県民の
意思で提供する土地に
期限のつかない提供のあり方があるのか、しっかりと
期限をつけるべきじゃないかというのが
一つ。
もう
一つ、十五年というのはどこから来たのかといいますと、これは正直申しますと、受け入れを表明して、完成をして、そして
使用をする、そうすると、恐らく
使用するまでに十年、二十年かかるでしょう。それから十五年というと三十年近くかかっちゃう。そうすると、
知事を初め、私
ども今いる
政治家は、すべて現役から引退しているかあるいは死んでいるかどっちかです。そこまで
県民に対して、それ以後の
保障をやれるわけがないじゃないか、十五年たったときには改めて、そのときの
知事、そのときの
県民の判断で
話し合いができる権利を留保するべきだということで、実は十五年という
期限が出てきた。
したがって、これは
知事にとってあるいは
県民にとって一番大事なことだ。単に十五年で返してくれということではなくて、みずからの
意思で提供する
基地に
期限をつけるということ自体が、実は
沖縄県民がみずからの
人権を確立するという
意味でも一番大事なことなんです。そのことをもって
基地問題、十五年問題に取り組んでいただかなきゃいかぬ。
しかも、今度の
選挙で
知事ははっきりと明言している。今まではそう言っていませんけれ
ども、主張し続けるということだったけれ
ども、今回は、十五年問題が
解決しないと
基地の着工をさせないと、かたい
決意で、これは当選した
決意の中にも入っているんです。ということからすると、今までの
外務大臣の
答弁、今までの取り組み、果たしてそれでいいのかなと実は思っています。
私も、
政務官時代に
日米防衛首脳会議に、
中谷長官に陪席をして
出席しました。そのときに
長官から、十五年問題を
ラムズフェルド国防長官あるいはまた
ジョーンズ海兵隊総
司令官に
申し入れをした。そのわきに座って、私も、ある
意味で強く
申し入れをした。それに対して全く
ナシのつぶて、
返事は一切しませんでした。無視された。
多分、交渉の場でその話が出たらきちっとした
返事は出てこないだろう。これまでも
大臣も恐らく何回もやられたと思っているけれ
ども、イエスともノーとも言ってもらえなかったんじゃないかと
思います。これからもそれが続くようだったら、改めて
県民がどういう
対応をするか。
知事は常に、
沖縄県民の中には
マグマがあると言っています。私にも
マグマがあります。気がついたときに
米軍支配にいて、ずっとその中で暮らしてきた。そういう
意味で、
県民はほとんど、その
マグマを持っています。何かあったら恐らくそれが爆発するでしょう。
ということを考えたときに、今
外務大臣が
答弁したような
気持ちでやれるのか、十五年問題というのは本当に真剣に取り組む
意思があるのかということを改めて私は確認をしておきたいと思っています。御
答弁をお願いします。