○大
仁田厚君
子供たちが古いものに触れ、またすばらしい
文化を感じるというのはとても必要なことだと思います。僕もそういった
文化施設に行っていろんなものを感じた、そういうことを覚えていますので、より良く推進していただきたいなと思っております。
私、そろそろ当選して一年が過ぎたんですけれ
ども、
参議院議員になりまして。この
質問、済みません、この辺で切り上げさせていただきたいんですけれ
ども、ちょっとその前に
一つだけ
お話ししたいことがあります。
古いものをと言われますけれ
ども、これは重要な
文化財とかのものなんですけれ
ども、この間たまたまうれしい
記事が載っていまして、若い
人たちが、若いオーナーが古い
家具なんかを買い取って、それをまたリメークして売っているという、そしてまたその市場がどんどんどんどん広がっているという
記事が載っていたんですけれ
ども、それを聞いたときに、ああそうなんだと。そして、募集したら若い
人たちが、その小さな
家具屋さんに何百名という
人たちが応募してきたという。まあ、この不況の
時代に、
リストラされる
時代に募集したという人も、安易に募集したという人もいるかもしれません。だけど、その
記事を見たときに、ああ、古い
家具を、
自分たちの生きてきた
歴史、またそして古いお
ばあちゃんや
おじいちゃんたちの
歴史を感じながらリメークして新しいものに変えて、または修繕して、そして売って、そしてまたその買いに来る
人たちがまた若い人であるという。その古い
文化をもう一回見直して残そうじゃないか、本当に人間の手作りというものはいいものなんだというものを、何か若い人らは若い人なりの感覚で感じ取っているのかなと思いまして、すごくいい、心の温まるものを感じました。
この一年、
参議院議員をやっていまして、非常に
政治の
流れというのはよく分からないなと思いました。先日、僕はこの部屋に入ってきたとき、ここに座って
質問をしようかなと思ったら、だれもおられません。ずっと五分間待っていて、
大臣も来なければ副
大臣も来られないし、
政務官も来なければ、
教育関係の
人たちがぽつんとそこにいて、あれ、今日だれも来ないのと聞きましたら、はい、今日は開かれませんのでと。それを聞いた瞬間に、僕は一瞬激怒しました。そこにいる
鈴木寛先生にエレベーターの中でお会いしまして、どうしたの、いや、
理事懇で決まったらしいんだ、おれに怒ってもしようがないよ、そういう話です。
だけど、僕はどうしても
怒りが収まらず、僕は分かります、理論を言われれば、そこまで、いや、そこまでというと、ちょっとこれを言っていいのか言って悪いのか分からないんですが、そこまで、そのくらいの頭はあるつもりですので。
それで、言われた瞬間に僕は
自分の頭の中で
考えました。確かに
理事懇で決めたことであり、そしてまた党の
思惑やいろんなことはあるでしょう。だけど、僕らが論じているのは、ここでやっていることは何なんでしょうか、
本質的なものは。こういう
文化遺産、
文化を残し、より良い
文化を残し、また
子供の
未来のために何をやるのか。はっきり言って論点が違います。
国会でもめていることと僕
たちがやることは全く違います。僕はそのことに対して物すごく
怒りを覚えました。
僕みたいな男が当選して、
日本全国から票をもらい、ここの
国会というものにやってきた。そういったものに対して、じゃ、私が、僕が何をできるのか、
自分の中に問うじゃないですか。僕はいつも思います、この
国会の中に入って
自分は何ができるのか、何をここでやるべきなのか。
寛先生、僕はそれを聞いたときに、僕はそれを聞いたときに何か寂しいものを感じたんです。この場でこうやってコミュニケーションが取れないのが物すごく寂しいんですけれ
ども、あれ以来話は、あなたとの話は遠くなっているから。はっきり言って、僕は、
文教委員会だけでも前向きに、超党派であり続けて、党の
思惑、それやいろんな
理事懇での
会議にかかわらず僕は開いてほしかった。
大臣、そこで
質問です。それに関して本当に
大臣の真実の言葉を聞きたいんですけれ
ども。
この
文教科学というのは本当に地味です。
予算もありません。いつも返ってくるのは
予算がない。だけど、一番
本質、いろんなこの
社会状況、グローバルの世界において何を構築しなきゃいけないかというと、ここが一生懸命
考えなきゃいけないところだと僕は思っております。
先日の
委員会が開かれなかったことについて
大臣の御
所見をお聞きしたいんですが、よろしくお願いします。