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参考人(
五十嵐敬喜君)
五十嵐です。私は、今回の
法案について、大きく言いまして二つの
観点から
意見を述べさせていただきたいと思います。
一つは、
民営化というものに含まれる
問題点について、
公共事業の
観点から
問題点を指摘させていただくというのが第一点であります。
第二点は、
公共事業としての
道路というものを考えた場合に、今後、二十一世紀、
道路はいかにあるべきかという
観点について
お話をさせていただくということであります。
まず、
最初の方から
お話しさせていただきたいと思いますけれども、当初、
道路公団の
民営化に関して様々な
意見が述べられておりました。しかし、一定の
政治プロセスを通過していく中で、ある種の
民営化委員会での
守備範囲というものがどんどん絞られていっているように感じます。その中で、私としては、今から申し上げます三つのことについてはもう一度
民営化委員会の行うべき役割と併せて考えていただければというふうに思っております。
第一点は、今、
高木参考人から
お話のありました
借金というものをどうするかということであります。
これは、
道路公団だけではなくて、いわゆる
特殊法人全体にまたがりまして、私の推計ではおおよそ三百兆円を超えるぐらいの
借金になっておるんじゃないかと思っておりますけれども、取りあえず
道路公団四
公団に絞っても相当、今、
高木参考人の
意見がありましたように、二十数兆円の
債務は確実であります。
計算によっては三十兆円を超えるという
計算もあるようでありますけれども、少なくとも二十数兆円あるということです。
さらに、これをどのように
償還するかということを考えますと、最も有利な条件を設定してもなお五十年掛かるということであります。つまり、半世紀掛かっても返せるか返せないかということでありまして、やや
危機的状態というのを超えておりまして、ほぼ破産に近い
状態と言っていいというふうに私は理解しております。
問題はこの
債務の
処理の仕方でありますけれども、
先ほど言いましたように、
政治プロセスの中でいろんな
議論が様々に交わされながら、しかし、だれがどういう方法でこれを
償還するかということに関しましては、
民営化という
論点と併せて必ずしも明瞭ではないというふうに私は感じます。
非常に端的に言いますと、もうかる
道路は
民営化にしまして、もうからないところは国が負担すると。その
借金はいずれどこかで、かつての
国鉄と同じように、言わば
清算事業団を通しまして最終的には
国民の税金で賄うというような流れのように見えました。果たしてそれがよろしいかどうかということであります。
国鉄清算事業団についてもいろいろな
論点がありますけれども、それをちょっと外しまして、今回の
道路公団の
借金の
国民転嫁については
清算事業団と同じようにしてはいけないと私は思っております。
その
理由は、言わば法的に言いますと、こういう赤字が膨れ上がることを
前提に、それを十分に知りながら、故意と言うと少し強いかもしれませんけれども、重大なる過失のまま、だれも
責任を取らないでずっとこういうことを継続してきたということであります。これに対する
責任の
構造というものをやっぱりはっきりさせないで
国民にそのまま
転嫁させるというのは、
国民としては承知できないということであります。
せめて、
株主訴訟における
代表訴訟による取締役の
責任とか、あるいは地方自治体の場合には
監査請求ってありますけれども、そういう形でそれぞれの当事者に
責任を取らせるというようなことがありまして、その上でどうしても足りない
部分は
国民への
転嫁ということはあると思いますけれども、こういう
プロセスを全く抜きにしたまま、後で
堤参考人からも
お話があると思いますけれども、言わば
天下りのえじきにされたままその
借金を
国民に
転嫁するというのは許されないと私は思いまして、
民営化委員会では、是非この
借金の
処理の仕方について、
勧告権もあるようでありますから、この
勧告権を行使するよう、はっきりと
民営化委員会で
議論していただきたいというのが第一点であります。
第二点は、
道路を考える場合、あるいはその他の
公共事業を考える場合に、極めて重要な
宿痾と言うべき病気があります。これについてはさすがに
小泉内閣も気付いておりまして、これについて
見直しをしたいというふうに
発言しておりますけれども、これは今回も非常に重要な
論点になるだろうということです。
その
宿痾というのは
長期計画のことでありまして、現在、
日本には
公共事業関連で十六本の
中長期計画がございます。
道路は、現在、第十二次
道路長期五か年
計画になっておりまして、これは今年で十二次は終了し、今年以降は第十三次に掛かるということであります。
ここでは、御存じのとおり、高
規格道路として一万四千キロということを目標設定しておりまして、五年間で七十八兆円という、言わば
一般の
国家会計に匹敵するような巨大な金がつぎ込まれておりまして、言わば、言葉で言いますと、官僚さんたちはこれをどのように消化するか、達成するかという形でこの七十八兆を使い尽くすことに全力を挙げてきたというふうに外側から見ると見えます。これが不必要で無駄な
公共事業の最たる元凶でありますし、これらを総合的に見直すべき時期に来たのではないかというふうに私は思っていますし、
小泉内閣の
方針でもそのようになっております。
ところが、この
民営化委員会になりますと、何となくそれがぼやけてしまいまして
民営化の形だけに収れんするような感じがいたします。しかし、この
長期計画にメスを入れないで
民営化することは全くできません。その際、
長期計画について、およそ法治主義にあるまじき
事態、ほとんど違憲
状態、憲法違反のような
状態が続いておりますので、
見直しに当たってはこれを含めて再
検討してほしいというふうに私は考えております。
何が極めておかしいかといいますと、
一つは、
道路については
道路整備緊急措置法というのがありますけれども、急傾斜地とかあるいは空港などについては根拠法すらなしに
長期計画が立てられているということであります。これは明らかに法治主義違反であります。
第二番目の
論点は、
道路を含めましてこういう法律はすべて緊急措置法という名前が付いていることから分かりますように、戦後、
社会資本が非常に不足しておりまして、特別対策としてこれを取り上げて
社会資本を充実しなければいけないという暫定的な法律として作られた法律が、いつの間にか第十二次というふうに見られますように永久法に変わっているということであります。暫定的な緊急的な一時的な法律がいつの間にやら永久法に変わっているというのは法の変質でありまして、これを抜本的に見直す必要があるだろうというふうに思います。
三番目の
論点は、こういう
長期計画がすべて閣議決定に終わっておりまして、国会では一切論議されることがないということであります。
七十八兆円というのは、正に、
先ほど言いましたように、
日本の
一般会計に匹敵するぐらいの大きな巨大な額でありますけれども、これが一切国会で論議されないというのも極めて奇妙であります。単に金額が大きいというだけではなくて、
道路をどうするか、あるいはもう全体広げて
公共事業をどうするかというのは、
国民生活の隅々まで言わば影響を与える決定的なことでありますし、財政負担も極めて大きなものがあります。それが今もって閣議決定で済んでいるということについては、ほとんど理解を超える、想像を絶するような
状態になっておりまして、
見直しの際にはこれを抜本的に見直すべきであると私は思います。
なお、最近、ちょうど、
先ほど言いましたように、十六本の
中長期計画のうち十本が今年度が改定期になっておりまして、これをどうするか。今後五年、あるいは大きい
計画で言いますと十年というのもありますけれども、今後五年の間どうするか。
公共事業や
日本の国家財政を含めまして
日本全体のシナリオをどうするかということにかかわっておりまして、これについて
民営化委員会でも
検討すべきではないかというふうに私は思っています。
その
参考として、つい過日、第九次漁港整備
長期計画が改定されました。そこでは、従来の発想と異なっておりまして、
事業費のトータルというものを外して
計画を立てております。それを含めまして、
道路などについても七十八兆円というような
事業費トータルを外す。あるいは、端的に言いまして、いったんこの緊急措置を全部サンセット、廃止しまして、改めて
公共事業の
中長期計画、あるべき姿はどういうものかということを考えたらよろしいと私は思っております。
更に言いますと、五全総もこれで最後になりそうで、六全総はないと言われておりますので、全体的にこの
中長期計画を見直すちょうど良い時期に来たのではないかというのが第一点であります。
第二点は、個別
道路をどうするかということであります。
たまたま今日、
参考資料として配られております、同じような審議会に長野県でダム審議会というのがありますけれども、個別のダムなり
道路なりに入らないで、
検討に入らないでダムのあるべき理念とか
道路のあるべき理念と言っても問題は簡単に済まされません。しかし、今回は幸か不幸か、私にとっては不幸だと思いますけれども、個別
道路については何か聖域を設けられまして、
民営化委員会ではこれに触れないということになっているようであります。しかし、これに触れないで
民営化の形を考えることはほとんど不可能じゃないかというのが第一でありまして、この点に関して、
民営化委員会の権限についてもう一度見直すべきではないかということであります。
二番目は、個別
道路に入りますと、具体的にやっぱり
道路事業を中止しなければいけない
事業というものが出てまいります。ここが最大の問題でありまして、
日本の
公共事業システムを見ますと、物事を作ることに関しては非常にたくさんの法律や手続がありますけれども、そういう
事業を中止した場合の処置をどうするかということについては全くお手上げの
状態であります。長野でも同じようなことが問題になっておりまして、特に、いったん着手された
事業について中止するについて非常に多くの混乱を生んでおります。
道路でいいますと、とりわけ高
規格道路については都市
計画、それぞれの自治体の都市
計画と連動しておりまして、この都市
計画はすべて高
規格道路が通過するということを
前提として作られております。私も現地調査をいたしましたけれども、大抵は区画整理や都市の再開発ということがワンセットになっておりまして、自治体の
計画と非常に連動しております。
これら個別
道路をやめる場合に、これは都市
計画との整合性をどうするかとか、あるいは
事業者に、
事業を中止する場合には、ゼネコンに対する補償とかあるいは住民に対する補償などをどうするかについてきちんとしたルールというものを定めておかないと混乱が生じます。これらについても、
民営化委員会などで情報を発信し、新しい
公共事業中止に関するモデルというものを発表して世論に対して大いな問題提起をすべきではないかと。そういう
意味でも、個別
道路について一切タッチしないという
民営化の在り方はおかしいのではないかと私は思っております。
最後に、残された時間で、そもそも
道路を含めて今後二十一世紀、
日本の
公共事業をどのように考えるべきかということに関しまして、
道路に
関係する
範囲内で少し私の
意見を述べさせていただきます。
一つは、このままでの
公共事業はあっちこっちに大きな問題を起こしております。単に今国会で有名になりましたあの秘書を通じた汚職というだけじゃありませんで、財政圧迫や環境圧迫が言わば頂点に達しております。この
道路公団の
民営化をきっかけにして、そういう全体的な、戦後
日本の制度疲労とでもいうべき
公共事業システムについて新しいイメージを再構築すべきであるというのが私の
意見であります。
一つは、補助金という制度を使いまして霞が関が地方自治体を支配していく、逆から言いますと、地方自治体は霞が関に補助金をもらうために陳情を繰り返すという構図はもうやめた方がいいということであります。
その際、
道路に関して言いますと、はっきりと国が行うべき
事業と都道府県及び市町村が行う
事業を分けまして、この
関係で補助金という方法で
関与することを一切やめるということであります。高
規格道路、国道については、
先ほど言いましたように、単に
国土交通省道路局が決めて閣議決定するという方法ではなくて、国会で第二東名
高速道路は通したらいいか通さなければいいかというプロジェクトごとに審議するという方法に改めたらいいというふうに思います。
それから、都道府県等にゆだねられた言わば生活
道路については、これは非常に要望が強いということはあらゆる世論調査で表れております。その際、自治体ごとに、
道路を優先するのか、ダムを優先するのか、あるいは
道路やダムといった
公共事業よりも福祉を優先するのか、教育を優先するのか、それらを含めて一切を自治体にゆだねるべきではないかということです。
公共事業といいますと、いわゆる縦割り行政の典型でありまして、特に補助金を通じていろいろ局、課、係までつながるというふうに言われていますけれども、一切それを断ち切って、
道路を含めて全体として都市
計画として考え直すというイメージに
転換すべきであるということを思います。
私はこの
関係でヨーロッパを視察してまいりましたけれども、
公共事業を上から補助金を通じて縦割りで支配するという時代ははっきりもう越えておりまして、都市
計画として
公共事業を行っております。都市
計画として
公共事業を行うということはどういうことかといいますと、要するに分権型
社会を徹底する、そこに住民と議会を参加させる、それからその地域の自主産業を育成するということであります。最終的に自己決定及び自己
責任を取るということでありまして、これは今までの
公共事業に全くない
観点であります。
しかし、考えてみれば、どのような
社会資本をどういう費用でだれがやるのかということは最も身近な自治体が一番分かるはずですから、こういうことに
転換するのは当然だろうというふうに私は思います。
システムとしましては、言わば都市
計画は非常に充実、最近しておりまして、マスタープランというものに自分たちの町のあるべき姿はどうあるべきかということを書き込んで、
事業と土地利用規制とを両方書き込んで点検していくというシステムになっています。システムとしてマスタープランに
公共事業を全部書き入れる、それを議会や住民参加で行う、それを住民が点検していくということになりますと、言わば汚職もなくなりますし無駄な
公共事業もなくなりますし、さらに本当の
意味でその当該市民たちが欲している
事業というものが醸成されますし、また、それに伴う結果についても
責任を取るというシステムが出てくるんだろうというふうに私は思っております。
最後に
一つだけ申し上げたいと思いますけれども、このまま
公共事業を展開していきますと、
日本はいずれ挫折すると思います。新しい子供たちに新しい未来
社会を打ち立てるために
公共事業の
転換を迫る、
転換をするということは非常に重要でありまして、国会でも本当に重要なことの
一つだと思います。
道路民営化委員会がそういうことについて
国民に問題提起し、官僚に問題提起し、国会に問題提起できるようになれば非常にいいことだというふうに思っております。
以上です。