○渡辺秀央君 ずっと同僚議員の
質疑を聞いておりまして、一体、この
郵政公社をなぜ必要なのか、いよいよますます何だか分からなくなっちゃう面がある。この中でずっと見ていて、
郵便局必要でないと言う人は恐らく一人もいないと思うんだね。一体何なんだろうということが、やっぱりあのときにちょっと随分と無理をした行政改革だったんだなということは、
質疑を聞いておってもやっぱり出てきますね、隅々に。それはもう今となっては仕方がないということを僕はいつも言いながら、申し上げながら、片山
大臣の大変な御苦労を、いや本当だ、大変な御苦労を皆さんやっておられる。役所の諸君たちもそうだと思うんです。
そういう意味では、私は別に
大臣やったから言うんじゃないですよ、そんなけちなことで言っているわけじゃないので、このエネルギーというのは、どれだけの一体無駄な時間というか、悪いけれども、経費と
国民負担を──いやいや本当だ、
国民負担をどれだけやっているか。だって、みんな税金だから。
そういうことを考えて、ましてや、組織、どんな立派な組織作ろうと、しょせん人間ですよ、しょせんは。だから、そういう意味では、さっき同僚議員からキャリアの話も出ました、給与の話も出ました。いろんな話が出ていますけれども、やっぱり私は前にもこの
法案でなくてほかの
法案のときに申し上げたと思うんですが、やっぱり我が国の、この国というものを考えたときに、これは正に
国民第一義であって、そしてその
国民と政治をやる我々との間の役人、
国家公務員、この三位が一体にならないと立派な国づくりができないと思うんです、私は。
そういう意味で、これは完璧なものはあり得ないとは思いますけれども、是非、今までのいろんな
議論がこれからの行政執行の中で生かされるようにしてもらわなきゃいかぬ、いろんな懸念を払拭してもらわなきゃいかぬというふうに、一層その感をいたしますよ。
同時に、余りまたしゃべっていると時間なくなっちゃいますので、私は昨日の
参考人の会合で意見陳述を聞いておりまして、非常に、
郵政事業というのが
国民の間にこれほど浸透しておったか。
大臣も自信を持って、副
大臣もそうだし政務官もそうですけれども、政治家として、政治家として自信を持って、私はこの
公社の、
公社化に変わるそのときに、今までがすべてが悪い、すべてが反省だ、今まで百三十年続いたものを否定する前提からのことではなくて、是非スムーズな移行。
今の人事の問題もそうですけれども、まあいろいろ意見が違いはありますよ、私も松岡君も。それは、私は、
民間人が
公社の責任者になって、
国家公務員の経験もない人間が出てきて、なって、一体何をどうやって、しかもこの
郵政事業、しかもさっきの簡保の資金運用、貯金の資金運用なんて。私は実際現場へ行ったら、
大臣も行ってみたでしょう、それは完全な世界に誇るエキスパートができていますよ、郵政マンに。全然心配要りませんよ、自主運用に。
だから、そういう意味において、まあ知らないがための懸念ですよ。それは要するに、私は、郵政省の今までの幹部諸君が自分たちの殻に閉じこもっておって、いわゆる
国民に対するそういうPRができていなかったと。
特定局を始めとして、そういうところで満足し切っていた。だから、ああいう選挙違反のような問題も起こるんですよ。だから、私は非常にそういう意味で残念でたまらない。大変な、しかも、何ですか、
郵便の仕分の機械まで開発。そうでしょう。それは、今度はそこには変な利権が絡んだなんということがあるからおかしくなっちゃうので。
だから、そういう意味では、私は郵政三
事業というのは世界に冠たるものだといまだに思っている。だから、極端に言うなら、もう
郵政事業庁でやった
らいいじゃないかと。いやいや本当ですよ。その中で改良をして、何の一体不便と不満と
国民に対して不利益があるんだねと言いたい、本当はね。
しかし、これはまあ
公社法ができてきて、ここで今
議論しているわけだし、私は、根本的、基本的にあの橋本行革の郵政省を分解したことは間違いだと、基本的に私は政治家としてのスタンスを持っていますので、
法案には賛成しかねる面があるが、しかし非常に心配している。こういうことを、また来週
質疑があったときにほかの面から私は
議論をしてみたいと思っていますが。
今日は、幸い二十分あるんで、ちょっと同僚議員の、いろんなさっきの人の問題についての話もありましたが、是非、この
国家公務員という、
公社化になったときの、公務員の身分を持ちながらでしょう、そこのところをやっぱりある
程度これ
大臣はっきりしておかないといけないと思う。
人事院総裁もその責任をやっぱりしっかりと踏まえてやっておかないと、どうも私は不安感というのがぬぐい去れないんではないかという感じがしまして、全体の奉仕者として、
公社化になって、
国家公務員の身分を与えられながら中立公正に職務を遂行していってもらうわけでありますけれども、
国家公務員たる
郵政公社の職員の採用と退職、このことについて、今までの同僚議員、幾らかありましたが、端的にちょっと
質問をさせておいていただき、また、この国権の最高機関である国会の議事録にきちんと残しておきたい、そういう意味で申し上げたいと思うわけであります。
第一点は、
公社職員の、演説が長くなるんで書いてきたんです。第一点は、
公社職員の採用という問題について、いわゆるインプットとアウトプットと、この間も言ったけれども、そこが大事だと思うんですね。
郵政公社独自の採用試験を行うということを若干聞いていますが、これまでの
国家公務員試験を離れて別に試験を行う。公務員であるというのに、何で別に試験を行う理由があるのか。また、そういうことをやることによる公務員としての責任と使命、プライド、そういうものがおかしくなりやしないかねと。改革、改革と言うけれども、公務員たる身分を与えるんだったら人事院に任せていいと、私はそう思う。
国民に対して堂々と、公正、平等に、成績本位で今まで行っているというようなものと、今までと同じようにそういうことを言えるようなものとなるのかどうか、懸念をいたしております。
それは、今までいたキャリアであろうとなかろうと、加えて総体的に、これはもう昨日のお話でもそうですが、本当に
郵便一通持っていく、その人たちの心、私は、余分なことをまた言って、しゃべっておると時間がなくなっちゃうが、前島記念館に、明治時代の郵務員、
郵便配達員、その像を、これはやっぱり、それは全逓にしても全郵政にしても、あるいは入っていないにしても、とにかく雪の中、あらしの中でも配って伝達したわけだ、人の心を。そういう意味で、その記念像を作らせていただいたんですよ、
大臣のときに。
だから、そういう意味では、これ、末端のそういう職員、最高の責任者、みんな同じだ、そういう意味で、
大臣のこの問題についてどんなふうにお考えですか。